83 天敵、其の二
「――ぼくは」
彼女が息を大きく吸ってから吐いた言葉は、本当にくぐもっていて聞き取りずらい。そして、彼女の声を聞くたびに、体が沈むように重くなる。
どうして、……初対面の彼女の声に、私はこんなにも心を乱されているのでしょう?
「きみ達のことなんて心底どうでも良い。名前も、旅も、贖罪も、結末も。勝手にやれ」
脊髄の内側から凍てつくように、収まらない悪寒と吐き気がする。
言い方にものすごく棘がある訳でもない。どうでも良い、と言われただけで否定された訳ではない。それでも、何一つとして体の不調が治らない。
「身勝手な神達が憎い。群れるだけの人間達が鬱陶しい。目に映るこの世全てが醜い。神を下し、霊長を驕る人類を虐殺する。もはやこの体、ただ一点、その信念、その野望、それだけで出来ている」
彼女がゆっくりと立ち上がる。ブーツからは水が滴り、乱雑に投げられた傘は茂みの奥へ転がっていく。一番の白いタキシードが雨に濡れて色が少々変わり、ベールに肩に付かない程短いであろう髪が張り付く。
息が辛い。呼吸の仕方を思い出せないからと、意識的に乱暴に肺に空気を詰め込む。
「――きみ達はその邪魔。害する」
話も、させてもらえない。
初めて正面からこちらを見た彼女、片手でこちらに何かを投げつけてきました。全部で五つ、どれも片手に収まる程の大きさ。
その一つが私の腕に当たる。硬くて重い感触、そしてちょっと冷たい。
私はそれを、よく知っている。宝石の一つ、蛍石。
なぜだろう?ものすごく、引っ張られるような、浮遊感が——
「――リディアさん!」
——キジェ……?
彼の手が、私の手首を強く掴みました。引き留められているような、繋がったような感覚が残り、当たった蛍石が地面に落ちました。
何も、起きていない……。いや、今何が起こったの?
「すみません、とっさに掴んだ方が良い気がして……」
キジェは一番近くに居た私とディールスの腕を掴んでいましたが、すぐに離し、釈明しました。そのことについては全く気にしていません。
それよりも先程よりも漠然とした不安が強まったことに気が回ってしまいました。
ぶつけられた蛍石をチラリと横目で見る。透明度が低く、蛍石特有の紫色や青緑色の部分が小さく、色味も薄い。
キジェの足元には白濁した方解石、ディールスの足元にはヒビの入った琥珀。
どれも硬度が低く、単に物理的に攻撃してきてはいないことが分かります。
二人、は——
「――カダチ、オーウィル……?」
居ない、何処にも。
見当たらない。居るべき場所に、居るべき人達が居ない。影も無く、音も無く、気配もしない。
一瞬、体の時が止まる。
そのすぐ後に、髄液に薄い氷が張ったように頭が痛む。鼓動が巡り巡っても満足しない。体が警鐘をガンガンと鳴らしている。
「何故、無事だ?」
「二人は何処に……?」
「……プラン2に移行するか」
「何処にやったの……⁉」
「答える義理はないと判断し――」
「言え!!」
飛び掛かってしまう前に、速く言え。あの子達を何処にやった?
「……言って、何になる?」
——は?
…………………………落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。
自分の頬をグーで殴る。
鼻から血が滴る感覚、殴った指のジンジンとした痛み、強く噛んだ唇から流れる血の味で、辛うじて立ち止まれている。鼻血を乱暴に手で擦る。
衝動のまま行動するよりも、衝動を押し殺すことの方が遥かに大変で、困難だ。
それでも留まる。ダメだ、ここで飛び掛かれば、私は何も変わっていない。
”変わっている、変わっていないなんかにこだわって仲間を失うの?”




