77 お遊び
一本道を変わらず進むと、雨が降ってきました。
近くの木の下で雨宿りして、どうしたものかと顔を見合わせた瞬間、木の葉から大粒の雨が一滴垂れて、カダチの頭に直撃しました。驚きのあまり、ピンクフローライトの瞳を見開き、僅かに声をあげた彼女。それを笑ったオーウィルに怒ったカダチが木の幹を蹴り、今度は滴り落ちる大量の雨水が彼に降り注ぎました。
このメンバーでこの狭い場所で居続けても、仕方がない。本気の喧嘩には至りはせずとも、間に挟まれ続けるのは本望ではないので。
浮きながらオーウィルの頬を強くつねるカダチ曰く、合流地点まであと少しらしいので。
「うん、もう走って行きましょう」
「良いのか?君のドレスが汚れ、……元から血まみれだったな!」
「お前は泥まみれなのだけどね」
泥まみれどころか、ずぶ濡れですけどね。降りた髪から張り付く服、彼の体で濡れていない所がない程。風邪引かないと良いのですが……。
「……何をしているのかしら?」
「ん?分かんない?見ての通り、準備運動。……よし、じゃあ走るか!ゴールはあそこの建物。最下位はダンゴ驕りな!」
……元気一杯のようで安心しました。何でしたっけ、こういうの。キユウ、というのでしたっけ?
脚の筋を伸ばしたり、腕を大きく振る彼は、本気で勝ちに行くという姿勢でした。何よりも、狼のそれに似たアンダリュサイトの瞳が獲物を捕らえるが如く、静かに揺らめいていました。
こんなお遊びに本気になれる所が、何とも彼らしいというか……。
「よし!カウントダウンするぞ!……三!」
…………三と同時に本気で走り出す奴が居るとは、夢にも思いませんでした。
カウントダウンの意味もなければ、提案者としての誇りもない。
あぁ、そういえば勝てる勝負しか挑まないタイプの人でしたね。根が負けず嫌いで、手段を選ばない戦略家。……この手のせこいことをするとは思っていませんでしたけれども。
「――は⁉」
カダチからしたら彼の行動は予想外だったらしく、素っ頓狂な声を上げたものの、すぐに状況を把握し、追いつこうと必死に走り始めました。
比較的に同年代の男の子の中でも速い部類に入りそうなオーウィル、神の力で若干ながらズルをするカダチ。
さて、二人のこの速度とハンデなら、——
* * *
「リディア君、速ぁ……」
「…………はぁ、はぁ、はぁ」
「私が一番、二人が同着でしたね。少々、大人げなかったでしょうか?次は手加減しましょうか」
「二度とゴメンだね、ホントに。……勝ち筋が作れるまでは」
「それは残念」
……久々にこんなにはしゃいでしまいました。流石に反省ですね。気を引き締めなければ。
…………でも、楽しかった。誰かと一緒に競争なんて幼稚なお遊びが。今まで子供っぽいと心の中で蔑ずんできた、こんな行為が。……幾分、初めてのことだったので。
どうやら、私はこれまでやらず嫌いで疎んでいたのではなく、その輪に入りたいという嫉妬で疎んでいたのですね。……何だか、恥ずかしい。
「くっそ、……絶対勝てると思ったのに。流石に速過ぎだろ……」
「…………疲、れた、のよ……」
「これでも持久力にはキジェに、持久力や瞬発力などではディールスに全て負けていますよ」
「……マジ、で?」
えぇ、まじで。まじの大まじ。
実際、彼らと共にカダチを救うために連日走った時は私は非常に足手まといでした。ディールスはともかく、四百年ぶり程に立ち上がったばかりのキジェにも負けたのは、なかなかショックでしたけどね。
「お姉様、何か、速く走る、コツとか、あったりするの?」
「……何とも」
言えません。
短距離でも疲れずらい呼吸法を知っている。雨で濡れた地面でも、足を取られない足首の使い方を知っている。自然に脚の回転数が増える姿勢を知っている。疲れずらく、力を入れやすい腕の振り方を知っている。走りやすい地面の見極め方を知っている。
ただ、それだけ。
知っていて、それでもって、それらを試させられる時間が有り余っていただけ。
でも、それらはあくまでリディアが最も速く走ることに特化していると感じた動作。他の人の体には、ほとんど合わないでしょう。
「人によって異なるので、あんまり。しかし、一番はやはり、経験を積み、自身に合った動作を意識的に習得することでしょうか?」
そう言った後に、これは彼女が求める答えではないことに気が付き。
「あまりアドバイスらしいアドバイスではなくて、ごめんなさいね」
「とんでもないわ。とてもお姉様らしい答えだとあたしは思います」
カダチは、なぜか誇らしげに胸に手を当てて、そう言いました。それでも、自信満々に胸を張る彼女は可愛くて、思わず頭に手を伸ばし、撫でてしまいそうになりましたが、彼女が嫌がるかと思って、すぐに手を引っ込めました。少し触れてしまったけど。
「…………撫でて、くれ、ても、………………ううん、……い、行きましょ」
聞こえるか、聞こえないかぐらいの小さな声で呟いた、茹蛸のように真っ赤な顔の小さな神様。
「……撫でてやっても良かったんじゃねぇの?」
小声でそう耳打ちしてきたオーウィル。彼の顔には煽りとか、嘲笑とか、そんなものは一切なく、ただ彼女が気の毒でならない、という感じでした。
「そう、でしたか。……そうでしたね」
惜しいことをしてしまった。
カダチは素直になれない子、甘えられない子、恥ずかしがる子。でも、自分を嫌っている人のためであっても行動出来る優しく、強かな子。
今から、はもう遅い。私もつべこべ考える前に素直に撫でてしまえば良かった。この機会を逃せば、次はいつになるか分からないのに……。
……いえ、悲観主義になるのは悪癖ですよ、リディア。
こう考えましょう。——彼女と共に旅をする上で、彼女が再び甘えてくれる時まで、側に居ると。
そう考えると、ほら、——悪い気はしないでしょう?




