66 新境地にて
気が付くと、朝が来て、彼は何もなかったように振る舞っていました。首に残っていた手形もその日の午前中には消えてしまっていました。
そんな夜から一ヶ月後。久しぶりに夜も更けてきた時間でも歩き続けていた頃でした。
「ここからは密入国船に乗ります。船酔いしやすい方はあらかじめ教えてもらいたいのですが、……カダチと私、それからレディ・リディア以外、船に乗ったことがないようですね」
「おれはルジャダから出たコトなかったしな」
「船に乗った記憶がありませんので!」
「貴方は全部無かったでしょう」
ディールス曰く、トネリカ聖教国へは船でしか行けないらしく。あの国は島国なんだとか。私は一度だけ、母の仕事であの国へ赴いたことはありますが、幼かったので全く覚えていません。どんな国だったでしょう?
「……待ってください。密入国って……、あの?」
「はい、貴方の想像しているものだと思います。トネリカは貿易、渡航、他国との交流など断絶した鎖国状態ですから、これしか方法がありません。……頭が固く、因習的な古臭い国ですよ」
み、密入国……!
法すれすれどころか完全アウト。トネリカ風に言うとお縄につく、っていうんでしょうか。遂に存在すること自体が犯罪みたいな私が、法を犯す時が来ましたか……。
そんなこんなですぐに船着き場に着きました。
中年の背が低めの男性が一人。ディールスが言葉を交わさず、お金を彼に渡すと彼は頷いてあっさり船を出してくれました。
この二人の手際の良さ。……さては何回かやってますね。
「さて、予習です。大陸の二国よりも北にあるトネリカ聖教国は島国であり、付近の海流の影響でルジャダ国よりも気温が高いのが特徴です。中心都市ショウオには御子と呼ばれる神聖視された存在がいます。不定期に当代の御子が跡形も無く消失し、何処からともなく次代の御子が現れる。その繰り返しの中、御子が騎士と魔術師と共に国を治めています。……余談ですが、あの国で彫刻や銅像は購入しないでください。この国は罪人に異様に厳しく、稀に中身が入っていますので。」
「……へぇ」
不思議な国。異邦の国。まるで童話の中の国。
……御子、騎士、魔術師。どんな人達なのでしょう?
「国の近くまで来たら起こしますので、今は寝ていてください」
もう隣で寝ているキジェ、私の膝の上で一生懸命に寝たふりをしているカダチ、水面を覗き込むオーウィル。皆の体温が心地よくて、皆の一定の呼吸で安心出来て、温かくて。うつらうつらとして、瞼が重い。何も考えられなくて、静かに意識が沈んで。それもどうでも良くて。気分が良くて。
* * *
肌寒い早朝。ゆっくりと昇ってきた朝日で目が覚めました。
遠くで鈴のような音が聞こえる。軽く、凛として、幾たびも反芻する音が頭を離れない。島がもう目の前にある。
「おはようございます。そろそろ到着するので全員起こしてください」
本を片手に悠々と読書に耽るディールス。生気を取り戻したように激しく朝日を反射するピアスの光が、本当に美しかった。
「……皆、起きてください。……ふぁ」
あくびが出てしまう。それでも、もう島に着いてしまいます。
寝相が悪く、半身が船から乗り出したキジェを起こすのは最後。意外にも寝起きが悪いカダチも二の次。と、なると……。
「……ん?そういえば、オーウィルも寝起きが悪かったような」
彼の方を見ると、案の定朝日が眩しいのでしょう、眉をひそめた彼がぐっすりと眠っていました。……三人とも寝起きが悪かったのは予想外でした。
さて、誰から起こしましょう……。はぁ……。
* * *
島に上陸し、船で送ってくれた男性とは早々にお別れしました。
鈴のような音を聞いた人々が朝の支度を始める時間、誰も居ない港に静かに、私達はこっそりと人知れずに密入国を果たしました。
ディールスと私以外、まだ眠そうですが……。
そのまま、民家の間を縫うように隠れながら歩き、街の様子を伺っていました。
霧が濃く、土のままの道路の街、街灯も見当たらない住宅街、木で作られた低い家。
それに、褐色の肌を持った人々。
……不思議な服。まるで柄付きの一枚布を切り貼りしたような服。どうやって着ているのでしょう?女性の頭は一つにまとまった髪に飾り棒を刺しています。
ここで、突然カダチから全員に平たく、大きい帽子をいただきました。
カダチがずっと何かを縫っていると思っていましたが、どうやら縫っていたのではなく編んでいたらしく。笠、なるものを受け取りました。頭に被るものらしく、顔を見られなくするのだとか。
渡す時に、彼女はこう言いました。
「……トネリカは唯一神信仰国。他の三国と同じ千二百年前に誕生させたのだけど、他の国とはあまりに毛色が違い過ぎた。お母様以外の神は居ないことになっているし、信仰の仕方もいびつ。輪廻転生はしないから、せめて体だけはと遺体は国立の霊園か納骨堂で永遠に大切に保管するし……。……正直、長居しない方が良いのよ」
トネリカの歴史は、あの本にも、どんな文献にも載っていなかった。ただ、トネリカ聖教国という国があるということしか分からなかった。
とにかく、トネリカは謎に包まれている。しかし、彼女なら、よく知っているでしょう。
「……トネリカって、どうやって生まれたのですか?」
「……トネリカは、あたしが……限りなくお母様に近い別人の姿で、神託を告げた国なの。……だからかな……。ここの国の人達は自惚れているの……どうしようもなく。……自分達が、彼女に愛されているって。……他の国とは違うって。他の国を見下して国交を閉ざしたまま、今もずぅっと殻に閉じこもってる」
呆れたように、というよりも悲しそうに彼女は言いました。あなたに責任は無いのに、あなたが心を痛める必要はないのに。そういう所も、お兄さんにそっくり。
「さて、この中から数人、とある所に潜入していただこうと思います」
「……はい?」
「潜入先は六年制の国立ショウオ学校。服装は先程の船乗りの方に用意していただいたものを着ていただきます。よって、潜入する人は見た目が学生らしい方が好ましいですね」
「いや、……」
……ちょっとお兄さん。待ってください、お願いですから。
「あれ⁉ボクは⁉」
「私と一緒に待機です」
「えー!何か最近そういうの多くありませんかー!」
「貴方、目を離せば、毒キノコ触ったり、すぐ迷子になるでしょう。順当です」
えぇ……、予想外の急展開ですよ。
一人で進めないでください。いや、この旅はあなたの案内で始まりましたけど。報・連・相!
「メンバーはレディ・リディア、ミスター・オーウィル、それからカダチの三名で行きたいと思います」
取り敢えず、彼の話にこれ以上流されないように一番に思いついた質問を投げ掛けました。いえ、これだけは聞いておかなければなりません。
「……バレたら?」
「ご想像にお任せしますよ」
……うわぁ。
ディールスの口調的に、彼はメンバーではないのでしょう。随分と、まぁ……、彼にしては計画が拙いというか、雑というか……。
「イストワールお兄様、変装はどうなさるつもり?」
「それなら、ミスター・オーウィルに頼もうと思っていましたが、……何か考えが?」
「うん、あたしにやらせて。ティラのチカラを使うわ。練習もしたから大丈夫」
「そうですか。では、お願いします、カダチ」
確かに微笑んだディールスの横顔が、とても美しい宝物みたいで。その微笑みを向けられていない私も、少しだけ嬉しくなってしまいました。
「目標は御子、もしくは魔術師と接触し、一番目のディディの居場所または情報を掴んで来ること。各自、頑張ってください」




