61 死の神、其の三
本音を言うと。
……我は、きっとあれに惹かれていた。
あれは愚直で真っすぐ過ぎる。人懐っこい笑みをこちらに向けてくる。我が決して得ることがなかった輝きだ。それが、我には眩し過ぎた。
これが恋や愛なぞかの区別を付けることは出来ぬ。知識はあっても経験を持っておらぬ。……いや、そもそもその敷居すら不要と決めてしまった。
それでも、——人の世界は真実の愛より、平凡な愛の方がロマンティックで、求めているらしい。
そんなことだけは分かった。だから、大人しく身を引いてやったのだ。
別に愛の神や嫉妬の半神や海の神のように気に入った人間を攫うことなど容易だ。その程度なら、本の頁をめくるよりも速く、静かに、完璧に出来る。
だが、それはしない。我は人のままのあれの行く末を見届けたいと、そう思っているからだ。それに、死の神に連れ去られるなど、憐れでならない。
だが、その結果がこれだ。
——勇気を振り絞って触れた手は既に冷たく、吐息一つ聞こえはしなかった。輝いていた瞳は硬く閉ざされ、あれは既に事切れていた。
奴の願い一つ叶えてやれなかった。我は愚鈍だ。——愚かだ。最も忌み嫌った人の部分と何が違う?
目を瞑れば、奴との勝負が浮かぶ。
ラチはまた頭を抱えて、我はそれを梯子の上から愉快そうに見下ろす。問題を出しては答えを待ち、問題を出されては答えを言う。
二百年、そんな日々だ。蔵書の内容が全く入ってこない。思考が溶けそうだった。
戻らない日々、帰らない魂、奪うことを忌み嫌いながら奪うことしか出来ない自分。うんざりだ。する筈のない頭痛がする程にな。
惰性で奴の子孫だけをただ上から眺め続けた。叶えてやれなかった罪悪感から、せめてこちらだけでも。そう思っていた。
叶えてもらえなかったと知ったら、きっと貴様は本気で怒るだろうな。腹いせに子供のように我の気に入った本を隠すだろう。
そんな日々が、待ち遠しかった。会いたかった。
冥府がもしあったなら、我は貴様を攫いに行っても良いだろうか?もう人の身で天寿を全うしたのだ。死後くらい、我に譲れ。人の目なぞ気にせず、静かな冥府で貴様と二人で過ごしたい。
——分かっていた筈だ。
死ぬと。奴はそろそろ死ぬと。いや、人はいつか死ぬと。その程度、頭に入っていた。ただ少し、思ったよりも速過ぎただけで。
それでも、どれだけ心の準備をしても、我にはきっと耐え切れなかった。
気が付けば、勝手に涙が流れ、気が付けば、勝手に夢で奴を見る。
忘れられないのだ。寝ても覚めても、他のことを考えられぬ。
――忘れられないことは、こんなにも苦しかったか?
忘れられないのなら、いっそのこと狂って仕舞おう。凶器に飲まれればこの魂、幾分か楽に感じよう。
そうだ。何故思いつかなかった。名案だ。狂って仕舞おう。狂って仕舞おう。
——この身、この魂、自ら水に飛び込む虫となろう。
あァ、見覚エのアる、茶髪。人ヲ殺シてイル。いッパい殺しテる。コれは悪いコト。イケなイこト。
約束ヲ守ろウ。願イを叶エヨう。……誰とノ?分からない、でモいイや。
――罰ヲ与エヨう。殺そウ。
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