60 死の神、其の二
「……モール」
どうした?今日は覇気が無いように見えるが。余程問題に自信が無いのだな。
「違う、違うんだ、っモール」
ならば何故だ。我は人の機微には疎い。人程忙しなく考え事をしておらぬ。葦の考えていることが分からぬ。
言葉にしてくれ。
それくらい簡単ではないか。それ以上の難解な問題にいつも我々は取り組んでいるのだから。
「……おれ、結婚するんだ」
――。そうか。
「そ、それだけか?もうここには頻繁には来れない。勝負もお預けだ。おれはまだ勝ててないのに……!」
めでたいことではないか。それこそ、こんな所で時間を潰すよりも余程有意義だ。
「……何だよそれ。君にとってこの時間ってそんな無意味だったのかよ!好敵手って思ってたのっておれだけ⁉」
貴様は、ここで腐る人ではないということだ。
『司書』の家の一人息子なら、いつかはこうなることは分かっていた筈だ。貴様も『司書』の役割に誇りを、祖国に愛を、持っている。こうなるのは決まっていたのだ。定めとか、運命とか、そういう星の元に生まれたとか、そう言うのだろう、お前達は。
「はは、それ、君が言っちゃうのかよ……」
おい、何処に行く?まだ話は終わっておらぬ。
「うっせぇ!」
我は、いつでもここで待っている。頭を冷やしたら、また来るが良い。
「……」
……行ってしまったか。
あれは賢いが、激昂しやす過ぎる。それさえなければ、あれは『司書』としてこの国を支えることも容易かろう。
さて、次の勝負はいつかな。
「久しぶり」
……それ程時が経っていたか?
「経ったろ。結婚式とかで忙しくて一週間すっぽかしたんだぜ」
そうだったか。お前達は忙しないな。我には耐えられぬ程、いつも何かに追い立てられている。
「あぁ、これから本格的に忙しくなる。あんまりここには来れねぇ」
そうか。それでも、我は待ち続けよう。ここから追い出すのであろう?
「……あぁ。また来るよ」
「……久しぶり」
あぁ、久しいな。本当に久しい。
「悪いな。もうこの体じゃ『図書館』になんてとても行けなくてな」
だからと、我に家まで来させるなど不敬にも程がある。手間を掛けさせるな。貴様でなかったら、許されなかったぞ。突如として勝負しに来なくなるのも、不快だ。
「そうだな。ごめん」
ラチ。貴様そんなにも頭が白かったか?そんなにも頬が痩せこけていたか?手が皺だらけだったか?
「そんなもんだよ。……もう『図書館』に行けなくなって三十年も経つから。もっと速く、会いに来てくれると思ってた」
少しすれば来るだろうと思っていたら、三十年経っていた。それだけだ。今までの時間を埋めるように、また勝負すれば良い。
「……それはどうかなぁ」
曖昧な返事は好まれるものではない。きちんと断言せよ。
「…………なぁ、モール。お願い、聞いてくんね?」
話を聞け、葦よ。貴様はいつでも自分勝手だな。……良いだろう、言うだけ言ってみろ。もう慣れた。
「ありがと。……おれはもうダメだ。長くは生きれない。だから、おれの子供達の成長を見守って欲しい。悪いことをしたらガツンと叱ってやって、良いことをしたら思い切り褒めてやってくれよ。おれの代わりに」
……勘違いと思いたかったが、貴様、やはり死ぬのか?
「あぁ、病気だ。治療法の無い、タチが悪いタイプのね」
それなら心配いらない。今すぐ治せる神を連れてこよう。心当たりはある。
「いや、遠慮しとく」
何故?
「君の唯一の好敵手は始めから最期まで人間で在りたいのさ」
理解出来ないな。だが、貴様なりの考えがあるのだろうから、我はもう口を出さん。
そして、先程の貴様の願いだが、そこまで干渉してやる義理は無い。と言いたいが、貴様の願いだ。善処しよう。
「んふ、サンキュ。君は甘いもんなぁ」
心外だな。我は人をあまり好ましく思っていない派閥に属した神だ。あやつらは殺し過ぎる。生きるためではなく、快楽のために多くを傷付け、無用に殺す。同族をもだ。実に愚か。
「ん、違う。——君は、おれだけに甘いんだよ」
……そうだな。言い返せんよ。
「なぁ、もう一個」
図々しいぞ、ラチ。
「……おれに触れてくれよ」
——死ぬぞ。
「知ってる。言ってたもんな、生まれてから一度も生き物に触れたことないって。生みの親にすら。どんなものでも、触れたら死ぬって。君が梯子から降りなかったのって、もしかして手違いでもおれに触れるのが怖かったからか?」
……気でも狂ったか。
「死ぬなら、君の手で殺して欲しい。でもさ、何でだろ。——おれは君に触られても死なない気がする。何となく、さ」
死に、例外はない。輪廻の輪も、冥界も、存在はしない。人がそうあれと望んだ幻想であり、理想だ。
矮小な存在よ。脆弱な存在よ。短命な存在よ。それでも、我の良き好敵手よ。
貴様が我に勝つことはない。しかし、ここまで競った人もまた居ない。誇れ。
「それだけじゃ、足りないんだ。……頼むよ。——おれは君に触れたい」
待て、ラチ。頼む。……考えさせてくれ。
「おれが待つ番かぁ。おれはそんなに待てないぞ……」
――ラチ?




