58 死とは
彼の指した先を見ると、ウィリアムとモールが。先程から変わらない姿勢で居続けていました。ウィリアムは、威圧感か警戒心から動きませんが、モールは違う。
モールは彫刻のようにピクリとも動きません。息をしているのか、何を考えているのか、全く分からない。表情を読むことは不可能ですし、対話も。痛ましい生え方をした鉄の羽は、近づく者全てを傷付けてしまいそう。
その彼が、おもむろに歩き始めました。
ぁ。……あぁ、これは、ダメだ。
本能が絶えず警報を発する。なぜ今まで気が付かなかったのでしょう。ヘルトとは全く違う恐怖と威圧感。モールはダメ。人間には絶対越えられない次元の先に居る。彼の眼に私達は映らない。彼は止められない。彼は止まらない。誰も干渉することは出来ない。
——死が、歩いています。
ヘルトが言った通り、彼は死。死の概念であり、死の化身そのもの。
「……止まれ」
「無駄だよ。お前さんの声は届かない。大事な人を亡くして、モールは変わっちまった。今では起きている時はそいつを想って泣き、寝ている時はそいつの夢を見てるらしい。この場に居る誰も、あいつを起こせない」
ウィリアムがモールに向けて振り絞った言葉を、ヘルトはすぐに無駄だと言い切りました。
……あぁ、なんて言えばいいのでしょう。何に例えるのが正確でしょう。
陸に焦がれる魚、燃える森、沈む大地、干乾びた海、堕ちる天。彼は、矛盾だらけ。
死であるのに、ずっと大切な人の死に囚われている、乗り越えられないでいる。
ずっと、死を悲しんでいる。
モールは歩き続ける。思考を止め、頭を空っぽにしているみたいに機械的に、足を交互に前に出しているだけです。
怯えたウィリアムが腰を抜かし、その場に転ぶのが見えました。雪に混じった泥が盛大に飛び跳ね、服の裾を汚しました。
「ウィリアム!」
「……おれはいい!自分でどうにかする!」
「どうにかって……」
出来るはずがない。人間が干渉出来ない。意思疎通が出来るかも不明。分かっているでしょう、あなたなら!
遂にモールがウィリアムの目の前まで来てしまった。ゆっくりと、青白く細い腕が彼に伸びる。ウィリアムはただその腕をどうすることも出来なかった。
「……気休めだが、お前さん達の宗教の考えと同じでこの世に輪廻なんて無ぇよ。身体が死んだら、その時点で魂は消滅する。前世も、来世も、天国も、地獄も、俺らにぁ無ぇ。あるのは今生だけだ」
彼の言葉が響く。
哀愁を帯びたその声は、とても切なくて。伏せた目が、まるでそうとは思っていないようで。
「――だから、安心して眠りな」
それを聞いた瞬間、そんな場合ではないのに、場違いにも何処か心の奥からホッとしている自分に気が付きました。
——そっか、良かった。もうこれ以上の、苦しい生を味わわなくていいの。
きっとこの人生以上の罪も、懺悔も無いと思います。それでも漠然と不安だった。怖かったの。
この旅が終わって、もし私が死ぬことが出来たらそれは救いでも何でもない。輪廻があったら、その死は次の生への備えになってしまうから。
だから、悲しげな彼の言葉に救われてしまいました。心から、安堵してしまった。
「――ふざけんなよ……!」
しかし、その言葉を跳ね除け、怒鳴り始めたのはウィリアムでした。
「何でいっつもこんなんなんだよ、おれの人生!そして馬鹿じゃないか、君!死が死を憂うなよ!生きるものなんて大体全部死ぬって長い人生で分かんなかったのか⁉」
口汚くモールに訴える。大きな声で叫ぶ内容は、罵倒というよりも説教じみています。
「死ぬんだよ!どう生きても結局行きつく先は一緒で人間死ぬ!死ぬからこそ、やりたいことに向かって突き進むんだよ人間って生き物は!死が生に価値与えてんだ!」
……彼の手は止まらない。
「君は大切な人と過ごしてる時、分かってただろ!そいつは君よりも絶対速く死ぬって!置いてかれるって!分かってて同じ時間を共有したんだろ!」
…………止まらない。
「こっちを見ろ、死の神モール!——死の本質を理解していない君に、おれは殺されはしないぞ!」
——彼の手が、ピタリと止まった。
モールが顔を上げたように見えました。正確には長い髪のせいで彼を見たのかは分かりません。それでも、彼の言葉は死を止め、微かな猶予を生み出した。




