53 息を止める
そんなことを考えていると足元に何かが転がってきました。……考え事が過ぎましたね。今は自分を優先しなくてはいけないのに。
視点だけを下に下げると、それは何だか弱そうな剣に見えました。華奢な鞘にわずかにはみ出た細身の刀身、人が握るには少々細い柄、使い込ませていないように見えます。見た目も、性能も、彼には似合わな過ぎる。
使え、ということでしょうね。
「……へぇ、意外と渋るかと思ってたが、案外あっさりと握んだな」
「誰かを傷付ける覚悟、があるからでしょうか」
「良いねぇ、傷付ける気概もなしに失うことを恐れる馬鹿者よりよっぽど」
当然、あなたに傷の一つすらも負わせられないことは重々承知です。が、彼に私の言葉の意味はしっかりと伝わったそうです。どうして私の周りは皆頭が良いんでしょう。
さて、挨拶代わりの一撃は非常に堪えましたが、もうある程度は治りました。この程度の鈍痛なら耐えられる。
今最も恐れているのは私が呆気なく倒されて誰かの加勢に向かわれること。つまり、私は彼を倒さなくてもいい。精々、彼の攻撃に耐えて時間を稼ぐ。それが最低条件。
「安心しな。俺ぁ神の力はもちろん、腕一本しか使わねぇし、何なら片目だって閉じててやんよ」
「そのハンデを貰っても、全く勝てる気がしませんね」
ヘルトは腕二本を体の後ろで組み、余裕を含んだ笑みを浮かべながら右目を瞑りました。
舐められていますね。しかし、今はそれで良い。少なくとも彼の足元ぐらいは掬いやすくなるというもの!
ヘルトとの距離を詰めるために蛇行するように走り始めました。丸腰の彼の間合いに入らなければ話にもならない。彼は様子見、というようにただこちらを見ているだけ。まだ手を出す気はないのでしょう。
距離が縮まっていく。それでも彼は鼻歌を歌いながら片目を閉じています。それでもまだ、まだだ。耐える、その時が来るまで、辛抱強く。先走りたくなる気持ちを押し殺す。息を潜め、息を殺し、息を吞む。
一瞬、瞬きで目を閉じた――
——今!
一気に距離を詰め、彼の間合いに完璧に入った。彼の左目が開ききる前に、左目に映らない視野から仕掛ける!
脚は跳んで躱される。顔も首も体を逸らせば避けられる。なら、私が狙うのは腰の少し上——!
「……⁉」
何ということでしょう。彼はそれでも避けてみせた。頭頂部が脚に付きそうな程、腰から上を大きく仰け反らせるだけで。しかし、それは常人の動きなんかではない。
規格外の男性特有の筋肉量に、桁違いの女性特有の柔軟性。
しかも、彼は今目を開いていません。わざとゆっくり、気配だけで彼は避けてみせた。
何という化け物。何という怪物。日常の一つの風景のように、彼はそつなくこなしてみせました。これ程とは。




