44 情勢
「……本題に移りましょう。どうして、私達をここへ連れてこさせるような真似を?」
「いや、おれ気絶したのは嘘じゃないんだぜ」
え?……いえ、確かに彼は「狸寝入り」と言っていましたが、それは始めからではなく、ということでしたか。
「その節は失礼しました」
私が口を出す前にディールスが先に謝罪する。
「あー、良いの良いの。何も謝らせるために呼んだんじゃねぇんだし」
苦笑交じりに青年は謝罪を受け入れました。
「おれは君を描きたくて呼んだんだ」
「……指を刺さないでいただけますか」
「それは失礼」
わざとらしく両手を上げ、お手上げとでも言いたげなポーズをとって笑っているウィリアム。挑発ともとられそうな彼の仕草に乗らないように目を閉じました。
「少し前、おれはディケオスィニ一家の肖像画を描いて欲しいと依頼されたのね。でも案の定、行き詰って困ってたワケ。そこで今、すっごい噂の舞姫でも描けばインスピレーションでも湧かないかなと」
「噂、ですか?」
「知らなかったのか。”妖精の如き高潔な舞を見た者は永い生を手に入れ、セイレーンの如き清純な唄を聴いた者は不死を手に入れられる。いと美しき紫の眼の君、——舞姫がこの国にやって来ている”。リディア君の今の噂だぜ」
私は歌までは披露していませんが。噂が独り歩きしてしまったようですね。
「嬉しい評価ですが、生憎とそこまで素晴らしいものではありません。……生きるためには舞うしかなかっただけですから」
「ははっ、謙虚も行き過ぎればただの嫌味だぞ。少なくとも、その大層な噂が広がるくらいには君の舞は民衆の心を掴んだ。その噂のおかげでおれは君を一目見て”紫の眼の君”だって分かる程に。誇れよ」
真っ直ぐと、誠実な瞳でこちらを見据えるウィリアム。本心からの言葉というのは、どうしてこんなにも心を締め付けるのでしょう。
思わず、ディールスに目配せをしました。彼を少しだけ信用して、話を伺っても良いですか、と。
裏があるのは確かですが、彼は悪人ではない。何よりも、今は情報が無さすぎます。
この国の静けさはあまりにも気味が悪い。今もなお怯え続けているように目に映った人々が憐れで仕方がありません。
「――というか、君は俺に協力するしかない」
……空気が変わった。わざとらしい笑みをした彼が、芯から凍える程の冷気をまとっているような。敵意でも、殺意とも違う。これは、残虐な――?
「俺はこの国が好きだ。歴史も、文化も、景観も、民衆も。特に伝承や噂が好きなんだけどな」
彼の言葉でハッと我に返る。呑まれてはいけませんよ、リディア。
「引き裂かれた運命の二人”オーウェンの恋人”は知っているか?『図書館』の最深部に眠る世界創世記の原本の伝説は聞いたことくらいはあるか?真夜中の劇場から聞こえてくる若くして散った奇才の大女優マーリーンの唄は?吹雪の中で月初めだけに現れるオンボロの幽霊船の中の遺物はマイナー過ぎるかな。孤高の哲学者ロウの最期の場所ウェニ湖は流石に有名過ぎるよな。——あぁ、この国では『司書』の家の者しか知られていない指名手配犯の似顔絵、とか?」
………………第一印象の通りでした。私は、この方とは根本的に合わない。この方の仕草、行動、言葉選び、全てが気に入りません。
作り笑顔をしなければ、私は今ウィリアムを思い切り睨みつけているでしょう。
「もちろん、これは対等な関係だ。脅した後に言うのも何だがね。君達の事情に首を突っ込む気はないし、実のところ、あまり興味がないのも事実」
卑怯者。……いえ、情報も立派な武器、という教訓にいたしましょう。
「この国の情勢を知りたいです。内戦は、どうなったのですか?」
「事実上、この国の内戦は停止した。終結じゃない、停戦だ」
「どうして⁉」
終わっていない⁉どうしてこの国の戦争はまだ続いているのでしょう!どうして終わらないのでしょう!
どうして、終われないのでしょう?この国は。
「そんな顔出来たんだな。……いや、元々そんな顔をする奴だったのか」
驚きのあまり、紅茶を零しそうになったウィリアムは、机にカップを慎重に置いた後、真剣な顔をした。
「落ち着けよ、猫被りことリディア君。ちゃんと説明してやるから。……あー、まず、この国は十数年前から非常に不安定になっていた。詳しく明かされもしなかったが、『司書』達の政治的な策だの方針などが違ったから始まったとしか言われていなかった。それが完全に崩れたのは十一年、『司書』の十七家の一つ、オーウェン卿が他殺され、その御子息が連れ去られたのか行方不明になった時からだ。糸が切れたように内戦が始まったよ。だが、同時に奇妙なことが続いた。——『司書』の当主が後を追うように次々と亡くなっていったんだ。十一年間、ずっとね」
ウィリアムは憂いを帯びた顔で言い続けました。
「逆恨みで刺されたブラベウス卿、火事で屋敷ごと燃えたへ―リオン卿、車輪が壊れていた馬車に乗って崖に転落したセリニ卿、遠出で船が難破して生存が絶望的なアステリ卿、人が近づかない地下室に誤って閉じ込められて餓死したピルゴス卿、領地で狼に食い殺されたソープロシュネー卿、梯子から転落したフォントゥーナ卿、朝には冷たくなっていたエリミーティス卿、酔った勢いの決闘で体を真っ二つにされたズィナミ卿、雪崩に飲み込まれたハルマ卿、恐怖のあまり当主の座を譲った夜に毒を盛られたソフォス卿、遭難して仲間内で争った後凍死したと思われるディアドコス卿、荷車に圧し潰されたマゴス卿、気が狂って四人の使用人を手にかけた後自身の喉笛を掻き毟って死んだイリスィオス卿、——そして三週間前に遺書を残して首を吊ったディケオスィニ卿」
彼は続けます。決められた言葉しか言えない機械みたいに。自分が仕えていた主が亡くなったことすら。
「次は自分が、と死を恐れた『司書』の家系の人間達は理由を付けて当主になるコトを拒んだ。現在、十七の席は全て空席だ。だから、事実上の停戦状態になった。政治もままならないが、市民の立場としてはそっちの方が断然良いんけどな。ただ、またいつ内戦が再開するか分からない。それが今のこの国の内情だ」
――空席と、再開が不明な停戦、ですか。
期待って、やはり辛くなるだけですね。
「……なるほど。貴重なお時間ありがとうございました。今日はもうお邪魔しますね。明日、ここに来ればよろしいですか?」
「あぁ、それで頼む」
退去の準備を済ませ、席を立った時、ふと――。
「…………あぁ、お一つ、よろしいですか?」
「どーぞ」
「――あなたが先程語ったマーリーンという女性は私の母だ。彼女を面白半分で侮辱するのなら、私はお前を許さない」
「そ、れはすまなかった」
「母は素晴らしい人でした。彼女の尊い魂は、舞台の上でも、それ以外の場所でも、自由で、気ままで、何にも縛られていなかった、妬ましい程。私は彼女を母に持ったことに誇りを持っています」
血の気の引いた顔をしながら彼は絞り出すように謝罪の言葉を言った。……少し、大人げなかったでしょうか。
「いえ、何でもありません。良いのです。分かっていただけたのなら」
「……いやはや、”紫の眼の君”は噂よりもおっかないな」
「あら、噂通りの人形が欲しいのならどうぞ他をあたってください。私は大人しくいるだけの人形で居続けるのは、もう二度と御免ですから」
「いや、さらに気に入ったぜ。特にその信念については同感だ。おれ達、案外合うかもな」
「ふふっ、ご冗談を」
合いはしませんね、絶対。世界が裏返っても、あり得ません。
それに合う、というよりは似た者な気がしますよ。
――何せ、人形と機械ですもの、私達。
「さようなら、ウィリアム。今日の所は、これで失礼します」
閉まりかけの扉の向こうの彼に、きつく、軽蔑の眼差しを向けました。




