40 生まれ変わり
次の日、リディアはドレスを受け取り、皆と共に『図書館』に来ていた。理由はもちろん、キジェの希望があったからだ。
『図書館』では余程の人ではない限り、観光客も地元の人も入れる。飲食及び飲食物の持ち込み禁止、動物の持ち込み禁止、本に接触禁止など細かなルールはあるものの、国が誇る文化財の中に入れる時点でこの国はかなり寛容だ。
腫れぼったい目を擦りながら、ディールスと距離を取りつつ、無数の背表紙に刻まれた題名の活字を睨む。高い天井から漏れる光と床に反射したそれが眩しすぎる。
……辛い。
彼に信頼されていなかったことが。彼に隠し事があったことが。
この長い旅で、仲間だと思っていたのが私だけだったと思うと胸が張り裂けそうになる程悲しくなる。目を背けたくなる程の事実。
…………私は、彼の何だったのだろう。少しでも、分かりあえていたと思えていた自分が憎くて恋しい。
再版から、改編、翻訳され続けて数百冊にものぼる七百年の歴史ある世界創世記の棚に差し掛かる。本棚の影に体を覆われた時、リディアは改めてしみじみと痛感した。事実が、彼女を押しつぶしに来た。
――あぁ、ディールスは、死ぬのか。
手を差し伸べてくれた、幾度となく助けてくれた、助けを求めてくれた、プレゼントをくれた、対等に接してくれた、彼が死ぬ。
文字の羅列として理解したのではない。ただ、「彼が死ぬ」という事実が今や悲観的な脳に刺さった。
――死。
昔の私なら、他人も親戚も友人も家族も、何も感じずにいられたはず、だ。
自分の死よりも他人の喪失が、堪らなく怖い。この気持ちは、エドワーズが死にかけた時以来だ。胸糞悪い。
少し前の私なら、どうにかしようと奔走していただろうが、その気力すらも湧かない。改めて、現実を突きつけられた。残酷だ。人間にはどうしようもない、残酷な現実。
泣いても泣いても悲しい。ただ悲しかった。湧き上がる泉のように、涙は止まることを知らなかった。
私の手は小さい。何もかも零れ落ちる。
私の腕は短い。何にも届かない。
私の声は小さい。誰にも響かない。
私の心は丸い。ぽっかりと、中心に穴がある。
私のドレスは白い。心情を全く反映していない。
――彼の言う通り、私って結構変わったんだなぁ。
冷徹で非道で素直になれなくて、そのくせ鈍感な昔の私。
決意と行動、仲間に囲まれて無敵みたいに慢心していた少し前の私。
結局手の中には信頼も真実も無く、ただ指の隙間から仲間の命が零れるのを見ることしか出来ない空っぽな今の私。
マシになったかと言われれば返答に困るような変化だ。どの道、面倒くさくて嫉妬深く、舞い上がりやすいガキということには変わらないのだから。
……あぁ!むしゃくしゃしてきた!手あたり次第に八つ当たってしまいたい!
ここのものを殴る気は流石にないが、周りに手ごろなクッションでもあればと思い、辺りを見回す。そんなもの無いって知っている。知っているけど、八つ当たりしないと気が狂いそうだった。また泣いてしまいそうだった。
——彼と、目が合った。
反射的に目を逸らし、その場から立ち去ろうと足早に歩きだした。響く二つの足音が絡み合い、反芻して消えていった。
手首を掴まれる。彼は何も言わない。
「……何か言いなさいよ」
放しなさいよ、じゃなくて、言いなさいよ。心の弱さが出ているぞ、リディア。
「それはこちらのセリフです。何かあったのですか?」
……それ、あなたが言っちゃう?笑っちゃう。
「………………むかつく」
……あぁ、そうだ。何もかも壊したくなる程に腹が立つ。
「あなた、死ぬらしいじゃない。どうして?」
「…………聞いていたのですか……!」
否定、しないのね。
あぁ、許せない許せない許せない!無知は残酷で、酷い罪だ。無知すらも知らず、のうのうと生きていた自分が許せない!
過去は変えられないが未来は変えられる、今の私なら。
それを一番知っている、痛い程に。
まだ、間に合う。
今までのままでは居られない。甘えては居られない。私は、変わらなくてはいけない。
——アメジストよりも硬く、透明な心に。
変わらなくては、——いえ、変わりましょう。演技ではなく、本物のアメジストに。今、この瞬間から。
「――答えは得ました。もう充分です」
「リ、ディア……?」
「どうなされましたか?ディールス」
彼の手からするりと抜け出しました。
少し歩いた先、彼を振り返ると二人の間に影と光の境界線が。いつもあなたは眩しい方にいらっしゃるのですね。
――影に飲まれたリディア。光に包まれたディールス。
そう、それで良い。それが正しい。
あなたは世界に愛され、祝福されています。そうでなくてはならない。
ディールスが死ななくてはいけない世界なんて、あってはなりません。私は彼の喪失を世界の間違いと定義します。
――変えましょう、その未来も。
大丈夫、変えられるはずです。だって、自分を変えた人間が未来の一つでも変えられないはずないでしょう?
人間は弱い。ですが、それと同時に、どんな時代であろうと、どのようなことが起きようと、決して絶えず、全身全霊で抗って、もがき続ける強かさも持ち合わせている。
神は万能。ですが、それと同時に、死を悲しみ、死者を悼み、それ故の愛と柔らかさも有している。
ディディは後悔の塊。ですが、償い切れない罪だと知りながら、自責の念に潰されても、それでもなお、償おうと前を向いて歩く不屈の精神を身に付けている。
どんな時代も、誰もが必死に生きてきた。
喜び、悲しみ、笑い、怒り、慈しみ、悔やみ、恨み、憐み、それでも手を取って誰かを愛してきた。
その集合が、連鎖が、積み重ねが、今の世界。
あの方の代わりに素晴らしいこの世界を、今のままで存続し続ける。あの方の代わりに愛する。それが今の私の役目でしょう。
――私が、あの方の代理人となります。




