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31 心温まる店

次の日の朝、宿を出て向かった東町の中央の広場でディールスは言った。


「今日は各自、自由に行動してください」


彼がそんな猶予をくれるとは予想外だった。無駄な休憩は許さず、旅の続行を最優先に行動すると思っていた。


続けて彼が言った。


「目立たないこと、問題を起こさないこと。それと各々の必要なものは今日中に買い切ること」


……最後のが本音か。

それはそれとして、リディアとしては彼の気遣いはとてもありがたかった。色々としたいことがあったからだ。


何よりこの服装は流石にまずい。見た目も、機能も。


「あぁ、一応言っておきますが、貨幣は支給しますが余ったものは当然回収します」


「当然?何で当然なんですか?」


「この国に来た理由は、一番のディディが居るトネリカ聖教国へ行くための唯一の経路だからです。そしてトネリカ聖教国は偶像崇拝を固く禁じられています。ルジャダ国で流通しているラシク金貨、ラシク銀貨、ラシク銅貨の表全てに彼女の想像の肖像画が彫られており、持ち歩いていた貨幣を落としでもすれば数十年は幽閉されるでしょう。ですので、回収します。特にミスター・キジェ。貴方のを」


「ボクへの信用が低いです……。否定できないけど、傷付きますよ……」


ディールスは懐から三つの袋を取り出し、キジェ、カダチ、リディアの順に渡した。リディアの袋だけ一回り大きく、重いのは服代も込みにしてくれた彼の気遣いなのだろう。


「十八時にここ集合にします。では」


そういうと、彼は振り返らずに人混みの中へ消えていった。あまりにも行動が速すぎる。彼自身、何かしたいことがあるのだろうか。


「キジェ。あなたはどこへ行くの?」


「ボクは『図書館』へ行ってみたいです!」


……彼の服装的に難しそうと思ったのは私だけではないはずだ。カダチに共感と助け舟を求めたところ、彼女は気まずそうに視線を逸らした。


彼もまた旅が始まってから服装が変わっていなかった。見ているこっちが寒くなるような薄い祭事用に似た服は手足が出ていて寒そうだが、彼は涼しいと言い切った。手を握った時、とてつもなく体温が高いとは思っていたが、これ程とは。これでは感覚が麻痺しているみたいだ。


彼の神の力と関係があるとディールスは断言していたが……。


服を買った方が良いのでは、とは言えず、神妙な面持ちで、白と黒の服と足枷が彼を囚人たらしくしてい

キジェを見送った。


「カダチ、あなたは……って」


辺りを見回しても、お目当ての少女の姿は見つからなかった。しかし、少し遠くで興味津々に屋台の串焼きを受け取っている様子が見えて安心するとともに、初めて見る彼女の姿に安堵する。


さて、私にも行きたいところがある。


リディアは、まず修理屋へ向かうことにした。

土地勘を働かせ、路地を左、左、右の順に進み、細道を抜けてやがて見知った古い修理屋へたどり着いた。


店に入ると六代目になる店主がカウンターに座り、葉巻に火をつけていた。老婆はこちらを見ると驚いたように葉巻を隠した。


「や、やぁ、お嬢さん。修理の依頼で?」


慌てたように、誤魔化すように店主が笑った。何だか一言言いたくなったが、それよりも悲しみが勝ってしまった。


目を伏せて、悟られないよう、視線を合わせないように、そっけなく最低限、声色を変えて言った。


「……これの、修理を」


カウンターに静かに置いたのはエドワーズのオルゴールだ。

先の戦いで壊れてしまい、そのままにしていた。歯車が歪み、ネジが外れ、箱に穴が開いて中身が剥き出しになり、かつて見られた素朴だが上品な木面の面影は消えていた。


ひょいと手に取った店主がブツブツと呟きながらオルゴールを四方から眺める。


「……うーん、コイツは…………。修理も難しい程壊れているうえに見たこともない程古い。コイツを直せるのは、神様だけだね。それこそ、あの方ならすぐに直せるだろうに」


「……そう」


カウンターに置かれたオルゴールを掴み、店を出た。店主の謝罪の声を置き去りにするように、走って路地を抜けた。しばらく走り、さっきの広場まで戻ってきていた。


……覚えてなかったな、エミおばさん。


いや、数十年ぶりなのだ。覚えていてくれる方が不思議な年月だ。それに可愛がってくれた八歳の私とは随分姿も変わった。


今の私に関わらない方が良い、それは分かっている。それでも――


「辛いなぁ……」


忘れられるというのは、心にくるものがある。


        *  *  *


その後、リディアはドレスの修繕を専門とする店へ向かった。

店に入った瞬間、数人の店員の顔が笑顔のまま凍りついた。この寒い国でこんな軽装かつボロボロのドレスに涼しげな足元をしていたら、当然驚かれることをリディアは忘れていた。


結果、注文をする前に大量の毛布にくるまれ、温かいミルクを貰った。


ミルクを飲み干し、感謝を伝えると店員はほっとしたように笑った。久しぶりに他の人の親切心に触れたような感じがして心が温まった。


ディディであることを隠すために、今の私のみすぼらしい姿を見たくない、と言って店の姿見を仕舞ってもらった。


「このドレスの修繕をお願い」


「それは今日中に出来ますが……、新しいものを買った方が安いし速いですよ」


店員が躊躇いながら忠告する。親切な店だ。黙って仕立てた方が儲けるだろうに。

しかし、彼の言うことは本当に正しかった。


カダチが多少繕ってくれたとはいえ、数ヶ月を共に歩んだドレスだ。元の美しさの面影はなく、中古品の方がマシなレベル。


でも、それでも。泥も、ほつれも、穴も、破れた刺繡も、——全て私の旅を表している。


「これは……、大切なドレスなの」


「それは失礼しました。少々お待ちください」


店員が店の奥へ行く背中を見て、リディアはぼんやりと思った。


分かった気がする。ディディが黒と白の教会の服を着続けている理由が。着替えることも可能であるにも関わらず、あの本に黒と白の教会の礼服を着ていると書かれていた理由が。


 ――囚人服のように思っていたが、これの本当の役割は喪服なのではないか。


自分の手で殺した神の死を悔やむ心を忘れないための。それこそ、私も、カダチも、記憶喪失であるにも関わらず頑なに他の服を着ようとしないキジェも。


沈んだ心が、体が、泥に引きずり込むように感じた。ぬるくなりつつカップを握り、天井を眺める。


――私は、変われたのかな。


ドタドタという音を立てながら、慌てた先の店員がリディアの着ているドレスと似た型のものを持って戻ってきた。

恐ろしく、目に焼き付く程紅い、レッドダイアモンドのようなドレスだった。過度で華美な装飾は無く、ただ赤を際立たせるために作られたシンプルながら美しいそれは、あの日の教会で流れた自身の血を彷彿とさせた。


「お客様、もし代わりのドレスを借りるのでしたらこちらはいかがでしょう?」


「……とても素敵ね。貸料を修繕費と一緒に会計に入れて頂戴」


「かしこまりました」


これほど美しいドレスを今から自分が着れる。そう思うと思わず笑みが零れた。何よりも店員の尽きない気配りが心から嬉しかった。


「ところで、最近うちにヘアセットとメイクを学んでいる新人が来たのです。お客様さえよろしければお代は要りませんので、どうか相手をして頂けないでしょうか」


店員がそう言うと、恥ずかしがる女性の店員が奥の部屋の壁に隠れながらこちらの出方をうかがっていた。


何とまぁ、本当に親切な店だ。お金を持っていなさそうな、初めての客にここまでする義理は無いと思うのだが。


 ――無償の親切心は身を滅ぼす。でも、堪らなく嬉しさが込み上げてくる私が何処かに居る。


「お願い、したいです」


「ありがとうございます!」


ありがとうはこちらのセリフだ。あなた達の行動に、救われた。


 ――ありがとう、こんな私に優しくしてくれて。

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