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30 ぶつかりあい

その後、カダチの言う通りの方向へ歩き続けるとすぐにルジャダ国の門が見えた。リディアはここまでずっと乗り気ではなかった。この国に戻りたくなかった。それでも弱音を全部飲み干してここに歩いてきた。


門には人は居なかったが、すすり泣く声が外まで聞こえてきている。

瓦礫が転がり、半壊しているルジャダ国の東門を駆け足でくぐった時、目の前の光景にリディアは違和感を抱いた。


旅をしてから、これだけ多くの人を見たことが無い。

無償で商品を渡す商人。空を見上げ、涙をこらえる人々。昼からヤケ酒を浴びるように飲むのに酔えない大人達。花を手に走る子供達。皆黒い服を着ていた。


予想外の光景に萎縮する。それを察したのか、ディールスがさっと着ていた白衣を脱いで、頭から被せてくれた。違うのディールス、人に怖がっている訳じゃない。


 ――この国では見られないはずの、あり得ない光景。


おかしい。発砲音が聞こえない。兵士の死体は何処だ?大砲の衝撃は?所々街が修復されているのはどうして?何で皆避難しないんだ?

本来あるべきでない光景が広がっているはずの街。いや国だ。忌まわしくも懐かしい故郷。戦争から逃げて目を逸らした両親の顔が浮かんだ。


一行は足早に適当な路地の宿屋に逃げ込んだ。ディールスによると、とりあえず今日はここで休息をとるそうだ。気を使わせてしまったことを悔いた。


ルジャダ国。王国でも帝国でも聖教国でもない国。

昔、ただの小さな集落だったこの寂れた地に彼女の使いである蛇が降りた。蛇は十七人の若人に『司書』として『ルジャダ図書館』の守りを命じた。以後、その地は十七の家が統治することでずっと平和だった。しかし、それが壊れる時が来た。内戦がおこったのだ。『司書』の政治的意見の違いから、十一年前に生まれた火種は消えることなく今日まで続いていた、はずだった。


ゆっくりと現実を受け入れ、ある可能性を認めた。旅の途中で内戦が終わったのだ。忌まわしい戦争の火がやっと消えたのだ。


ようやくこの国に訪れた平穏への喜びを素直に感じられない。遺族の気持ちを汲むと心が痛む。大勢の人が亡くなった。勝っても、負けても、停戦でも、戦争は人の命を奪う。政治について詳しくはないが、戦争があっていいものではないことは年端もいかない小娘の私でも分かる。


ふと目をやると、相部屋になった女性が部屋の隅で本を抱えてうずくまっているところが見えた。

リディアは未だ彼女がその本を読んでいるところを見たことが無い。隙あらば抱え込んでいるが、ページをめくる音が耳に入ってはこない。


「カダチ、あなたの旅の目標を聞いてもいい?」


「目標……」


無言の空間に張り詰めた空気が重い。だが、その空気に耐えきれずにこんな質問をしたわけではない。


気になったのだ。旅に付いて来てくれること自体ありがたいが、ただで付いて来る訳がない。彼女自身の旅の目標があるはずだ。私はそれが知りたい。


長く考え込んだカダチの口から、微かに答えが漏れた。


「旅であいつを……、弟のことを知って……、知ったうえであいつを完全に否定すること、なのよ」


 ――は?


思っていたものとは違う回答に、唖然とする。彼女は、この子は、そんなことを考えながらこの五ヶ月を私達と過ごしていたのだろうか。何というか……


「まるで……、上手く言えないけど、何だかあなたの弟さんの思い通りみたいに……」


言い終わるより先にカダチの表情が凍りついた。この国に降る雪よりも白く、生気の無い血の気の引いた悲痛な表情が、彼女の砕けた心を物語っていた。


「……違う目標の旅にすれば?ゆっくりでもいいからあなたが目標を決めて、焦らなくて良いからじっくり目指していく旅」


「無意味でしょ、そんなの。クラウスが居ない世界に未練も何も無い。カダチは借りがあるから、ただお前に手を貸しているだけ。カダチに指図しないで」


あるのは後悔と悲しみか?


不躾で余計なお節介だ。神であり、私よりもずっと長い時を生きてきた彼女に説教じみたことを出来る程、偉くもなければ、徳を積んだ訳でもない。


それでもカダチを放ってはおけない。理由なんて要らない。可哀そうな少女を救うことに。


「――クラウスさんは亡くなった、でもクラウスさんは確かにあなたの中で生きている」


「……何を言うかと思えば、くだらない」


「なら、あなたはどうして村の人達を助けようと自分から姿を変えて穴に向かったの?」


「…………黙って」


「あなたはクラウスさんだけが大切だった。あなたを迫害していた村の人を助ける理由なんて無かったはず」


「……黙りなさい」


「あなたは自分を守ってくれたクラウスさんのように誰かを守りたかった。いや、放っておけなかった。クラウスさんの家族だったから。彼に誇れる家族で在りたかったから。そうじゃない?」

「黙れ!この悪魔!!」


カダチの叫びがリディアの言葉を遮ってその空間を支配する。

それと同時にリディアに向けてカダチが殴りかかる。しかし、その拳は顔に当たる直前でピタリと止まった。少し、震えていた。


カダチはその拳を勢いよく下ろし、血が出んばかりに握りしめた。視線は一切変わらず、私の中身を引きずり出すかのように私の目だけを見ていた。


「お前は!あたしの何を知ってる⁉あたしの何が分かる⁉何も知らない人間如きが口を挟むな!!あたしがどんな気持ちで自分の姿を死んだクラウスの姿にしたと思う⁉クラウスの死体を置いていく時、どれだけ心が張り裂けそうだったか!クラウスはあたしの家族だった!彼を!心から愛していた!!」


大きく開いた瞳がこちらに殺意を向けてきた。かすれた声が止まらない。彼女がずっとため込んできた黒い感情がこちらを飲み込むように流れ込んでくる。


「でももう居ない!彼はあたしの目の前で死んだ!最期の言葉は何一つ理解できなかった!!」


精一杯に声を振り絞って彼女は続けた。床には血と涙が混じっていた。


「自分の醜い感情で彼女を殺したお前とは違うんだよ……!」


……そうだ。彼女には復讐の権利があった。私とは明確に違う点。弟に家族を殺され、村の人々を化け物に変えられた。あの場面では殺すしかなかったのかもしれない。他の選択肢が、なんて言っていいはずがない。ディールスの言う通り、第三者が決めつけていい程、あの場でのカダチの決定は軽いものではないと分かっている。


それでも、全てを諦めた目をしたあなたへ。私はあなたと真っ向から向き合います。


「――もっと我儘になりなさいよ!!」


怒鳴られることを予期していなかったカダチの肩が跳ねる。

私だって怒鳴る気はなかった。心の底から湧き出る哀しさが、涙として、怒声としてリディアから発せられていた。


「確かに何も知らないわよ!あなたの感情も!行動も!私が決めつけていい程軽いものじゃない!あなたがあの場で決めた全ては恐ろしいまでの葛藤と苦痛があったと思う!絶対あった!でも何⁉ずっとそのことだけ考えるつもり⁉バカじゃないの⁉過去に縛られて未来まで捨てる気⁉それは正しくない!!」


まくし立てるように次々に言葉が出てきた。感情が抑えられない。


「死んでいたら、何も価値は無いの⁉思い出も……⁉」


カダチの顔を見られない。涙を乱暴に拭い、震えた声でまくし立て続ける。


「違うでしょ!あなたの言ってること!もっと我儘に、自分の気持ちに素直になって!!他人の視線なんか気にしないで自分のしたいこと目一杯やってよ……!」


哀しい少女の自己犠牲の生き方は否定したくない。その生き方を否定するということは、彼女のこれまでの全てを否定する気がしたからだ。ただ、他の生き方を教えたい。


世界で一番失敗した先輩から、唯一教えられることを。


「クラウスさんは、あなたに誰かに尽くす生き方を教えたの⁉違うでしょ!」


 ――彼女が話したクラウスという人物は!


「彼は、あなたらしく!——カダチらしく生きて欲しかったはずよ!!」


恐怖心すらも忘れて、顔を勢いよく上げて彼女と目を合わせる。

大人の女性の姿のはずなのに、今にも泣きだしそうな幼い少女の顔が脳裏に浮かんだ。不安そうに、悲しそうに本を力強く抱きかかえ、家族が迎えに来てくれることを待っている涙ぐんだ白いリボンを付けた少女に。


自身に向けられた拳を力強く握る。想いを伝えるように、強く、長く。


やがて、かすんだ視界に映っていた大人の女性は、可愛らしく懐かしい少女の姿になっていた。ふらふらと立ち、大粒の涙が零れないように唇を噛み締め、目を細めるカダチは数ヶ月ぶりに元の姿になっていた。


「何が分かるのよぉ……。お前なんかに……」


ついにこらえきれなくなった涙がボロボロと少女の頬と服を濡らす。口先では毒を吐こうとしているが、その語調は泣きじゃくる子供と何ら変わらなかった。


クラウスさんと別れてから、彼女は一度も泣いていない。ずっと、我慢してたんだ。


「――クラウス……、いやだ、いやだよ!カダチを置いていかないでぇ!!」


部屋の隅、慟哭する少女を抱き続けて夜を越した。

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