24 四番、其の一
カダチがゆっくりと地面に近づいていると気が付いた時、小さな廃れかけた村が見えた。転がっている網と倒れた銛から漁業で辛うじて食い繋いでいることが分かった。
カダチが慎重に降り立った時、地面へと落ちた羽は消え、羽に乗っていた人々はふわりと地面に降りていた。少女の姿に戻った彼女は、一人一人を仰向けにしながら安否を確認していた。既に亡くなっていた人に祈りを捧げ、全員の確認が終わった後、彼女は走り始めた。
海辺に着いた頃、嗅ぎ慣れない異臭が再び鼻を突いた。見れば海岸に、穴の中で見たカダチと全く同じ姿の化け物が居た。ピクリとも動かないその人を、カダチは強く抱きしめた。
何かを察したようにキジェが近づき、その人の頭に軽く触れた。その人は本来の人間の姿を取り戻したように思えたが、顔の二つの空洞は埋まらなかった。それ以外では、ただの平凡な年老いた男性だった。
虚空に何かを見るように、問いかけるようにカダチは男性を眺め、髪を撫でた。
「……さて、何処から話そうなのよ」
少女は視線はそのままに、自身の生涯を語り始めた。
* * *
カダチが羽ペンから垂れた一滴のインクから生まれた時、彼女は自身の母親である目の前の少女に、目も心も奪われた。白い髪、整った顔立ち、影を落とす長いまつげ、眩しい黄金の瞳の何もかもが息を吞む程、言葉に出来ない程美しかった。
「――ぁ。は、はは初めまして!あ、あたし名前がカダチで、お、幼心の神様で……、そ、その……あ、あなたの名前は……?」
今思えば、何とも拙く、見苦しい挨拶だった。そんな挨拶にも、お母様は真摯に応ようとしてくれた。羽ペンを置き、こちらへ近づく所作も綺麗だったのが鮮烈に頭に残っている。
静かな部屋にノックの音が響く。
お母様が困惑しながらもドアの方へ向かい、知らない灰色の神と一言二言言葉を交わして、カダチに向かって「ごめんなさい」とだけ言って部屋から出て行った。初めて聞いたお母様の声はとても透明で綺麗で、謝罪なんかよりも名前を聞きたかった。
その日からというもの、カダチはお母様に会おうと躍起になっていた。しかし、それは想像よりもずっと困難だった。
彼女に近づこうとすると、必ず邪魔が入った。
彼女のことを「お母様」と呼べば、自称姉の神達にきつく叱られた。
彼女の待ち伏せをしようとしたら、自称弟の金色の弟に追い掛け回された。
何百年も何千年もそんな不毛なことをしていた。すると、段々と神達の暗黙の規則が分かってきた。
一つは、彼女のことを母と呼んではいけないこと。名前もダメらしい。それほどまでに尊い存在ということなのだ。神が尊ぶ神。それが彼女だった。
もう一つは、神の地位はチカラの秀逸さと彼女の側に長く居た順で決まるということ。神々の中ではチカラは戦わずして相手を制する圧倒的なチカラが好まれていた。
カダチはどちらも持ち合わせていなかった。カダチが持っていたのは自身の姿を変えるだけのチカラで、彼女から生を受けたのも神の中では遅い方だった。
生まれながらに負けることが決まっていたと、そんなことを漠然に感じていた。生まれる前に、生まれる当人が何一つ決められないことがむず痒かった。
やがて彼女を追うことも止め、噂話を聞き流しながらただぼうっと生きていたある日、自称兄の黒い神が来た。兄は「手伝って」とだけ言ってカダチを天界の城から連れ出した。
生まれて初めて城を外から見たが、白い以外で感想が特に出なかった。
カダチは初めて地上に降りた。噂だと彼女が数百年前に作った”人間”なる神を模造した劣化品がいるらしいが、誰も彼女の意図が分からないらしい。
兄に手を引かれ、一つの人間の集落に近づくと拙い家のなかで汚れた服に身を包んだ醜い人間の家族が楽しそうに食卓を囲んでいた。体に雷が走ったような衝撃が走り、唖然とした。
こんな劣悪な環境で家族が集まって笑えている。信じられなかった。
しかし、そんな光景がどこか、羨ましかった。それと同時に初めて彼女以外の何かに興味を持った。
後は兄に言われた通り、”彼女の使いの貴い不死鳥”といわれても違和感の無い姿になり、彼女から貰ってもいない神託なんかを並べた。
その地は数多の神がチカラを使って祝福を授け、しばらくすると一つの国が出来た。その光景をみた黒い兄はとても嬉しそうだった。
その時初めてカダチは自身のチカラを使ったのだが、存外欠陥もあることが判明した。
カダチはなりたいものになれる。しかし、それはイメージから成り立つものでイメージできないものにはなれないし、姿を変えられたとしても、なったものに思考が引っ張られてしまうことだった。
他にも四回、時には”彼女の使いの美しいキツネ”や”彼女の使いの聡明な蛇”とかに姿を変え、同じことを繰り返すとカダチの仕事は終わったらしい。
その頃には少女は自分という存在がよく分からなくなっていた。
自分が何者なのか、好きだったもの、嫌いだったもの、得意だったこと、何をしたかったのか、チカラと名前を除いて少女の自我は今までに姿を変えた様々な生物になったものと溶け合い、混ざり合ってしてしまい、純粋な神だった自我は無くなっていた。自分が自分でなくなっていた。
――それでも彼女の存在と人間の家族への憧れは鮮明に頭に残っていた。