23 人らしくて優しい神様
カダチ、と呼ばれた少女は力が抜けたらしく、この時ようやく手にしていた布切れを手放した。それを見て確信に変わった。手放された大きな白いリボン。
贈名祭の日もこれと同じリボンを付けていた。観客席で劇を家族と、……祖父と見ていた少女だった。
こんなにも幼く、無邪気な笑みを浮かべていた少女が、一人でこんな惨い苦悩を背負っていたのか。胸が締め付けられる。
「カダチ、教えてください。何があったんですか?クラウスは、……彼は?」
この少女は、どうやらディールスの妹らしい。カダチという神にも聞き覚えがあった。
彼がここまで必死になっていたことにも納得がいく。
家族が危険に晒されていたのだ。優しい彼が平常で居られるはずがない。
そんな少女のピンクフローライトの瞳にも、不可思議な紋様が刻まれていた。
一人の神がディディになった、ということになる。
「イ、ストワール、お兄様。お兄様、は聞かなくてもわかる、でしょう。だって、お兄様はチカラをつかった、からここにきた。そうでしょう?」
やたらと饒舌に話す少女。分かりやすい演技だ。似合わず虚勢を張った言葉はディールスには効かないだろう。
「そうですね、確かに貴方の言う通りです。私の神の力を使えば全て分かります。でも、私はその場に居なかった。少なくとも、第三者が全ての結果を知った後にその場を経験した者の判断に価値を付けたくはありません」
青年が先程まで無かった少女の瞳を見つめた。誠意を、自身の想いを少女につぎ込むように。
「……変わら、ないのよ、イストワール、お兄様は。ずぅっと、昔から」
悲しそうに、カダチは言った。
羨望の視線を送る瞳が潤んでいく。慌てたように少女は小さな手で両目をこすった。
「……場所を、変える、のよ、離れて」
カダチはディールスの手から離れた。
三人は距離をとり、少女はその場で手を組む。片膝をつき、光りだした目を閉じた。
「…………お兄様。カダチが、戻れ、なかったら、その時は、お願い」
今にも消えてしまいそうな少女は小さく、自身の兄に向けて途切れ途切れに呟いた。閉じた瞳を開け、青年に向ける。こぼれた大粒の涙は少女の手に静かに落ちた。
目を見開いたディールスが手を伸ばす前に少女だったカダチの姿は消え、
――巨大な鳥へと姿を変えていた。
黄金の羽と健在なピンクフローライトがよく映える。あの本に乗っている五獣建国伝説が一つ、不死鳥を彷彿とさせる、神々しく美しい大鳥だった。羽の一本一本が純金でできた奇跡の産物に思えた。
鳥になったカダチは軽く、顎を引いた。どうやら背に乗れ、ということのようだ。
ヒールを手に持ち、慎重に言われるがままにした。リディアに続いてディールスも大鳥の背に乗った。
そして、キジェが背に乗ろうとした瞬間、彼は恐ろしい剣幕で鳴かれた。
「ボク何かしました⁉」
若干涙目のキジェは大鳥から飛ぶように離れた。もしかして背に乗りたかったのだろうか。
乗りたい気持ちはすごく分かるが、カダチが彼を乗せたがらない理由もすごく分かった。
キジェは神の力を制御出来ていない。私のように条件付きで発動する訳でもないようで、少年が包帯を取った時から既に彼の瞳は光り輝いていた。もしかしたら、包帯を取る前から力をコントロール出来ていなかったのかもしれない。
そこは定かではないが、今カダチに触れれば、彼女は先程のように元の姿に戻ってしまうのではないだろうか。キジェの神の力が分からない以上、何も言えないが。
何の突拍子もなく、カダチから抜け落ちていた羽がふわりと浮いた。
大きな羽はまるで独立した一つの生き物のように倒れた人々に近づいた。それはやわそうな見た目とは裏腹に一枚に二人を乗せた状態でも変わらない高さで浮き続けていた。
カダチは翼を広げ、地面を蹴り上げ、空を飛び立った。それに続くように無数の羽が後を追う。
深い穴を飛び出し、空高く飛んだところで帝国跡が小さく見えた。高度を保ったまま、海沿いに進んでいく。
風を切り裂く強烈な音と正面から来る強風は少女の心を掴んだ。リディアはただ楽しかった。下を覗けば夕陽に照らされた地面が、前を見れば荘厳な橙の大空が彼方まで広がっていた。
ふと、ディールスが肩を叩いた。髪を片手で押さえながら振り返ると彼は何か話しながら、慎重にトランクからいつの間にか回収していたリディアの片腕と壊れたオルゴールを取り出した。
彼はオルゴールを指さし、視線をやりながら口を動かしていたが、強風に遮られて何を言っているのか、全く分からない。
しかし、リディアにはその光景が面白かった。真面目で抜け目のないディールスが口をぱくぱくとしている。
しばらくは真剣に聞いている振りをしていたが、ついに堪えきれなくなり、思いっきり笑ってしまった。
リディアが急に笑い出したからか、すごく驚いたディールスはしばらく固まっていたが、リディアの考えていたことを理解したらしい。
ディールスの顔が段々紅くなり、やがてすっと無表情になったと思ったら、腕とオルゴールを思いっきり投げつけられた。顔面に当たり、その勢いでリディアは後ろに倒れたが、鳥に姿を変えたカダチが大きすぎる程大きかったおかげで落下はしなかった。
ひりつく顔を抑え、呻き声を堪えながら上体を上げた時には既に彼はそっぽを向いていた。流石に私でも怒らせたことは分かる。
こうして改めて彼を見ると、外見も内面も人間と何も変わらないように思った。
家族の無事を心配し、家族の無事を安堵する、恥ずかしい時に顔を赤くする、やられたらやり返す。私よりも人らしい、神様だ。
白銀の光が出てきたはずのオルゴールを眺めてからしまい、腕を傷口へ抑えながら澄んだ冷たい空気を吸う。心が洗われるようだった。