2 もしかしたら世界でたった一人かもしれない人
「公演お疲れ様、リディー」
……色々とその発言に物申したいがひとまず一呼吸置き、リディーと呼ばれた少女はアメジストを彷彿とさせる神秘的な深い紫瞳で声の主をキツく睨む。
額の真ん中で分けた短い黒髪にオニキスのように深い黒瞳の青年。この村どころかこのグレスター王国でも珍しい髪色と瞳、舞台からでも見えるほど、目立つ。恐ろしいほど。おまけに顔立ちも整っており、上背もある。コイツ以上に悪目立ちすることが出来るはおそらくディディくらいだろう。
「公演と呼べるものではないでしょ、これは行事の余興のようなもの。あと、私のことは愛称で呼ばないでくれる?たった半年の付き合いでしょ。それから、関係者以外舞台裏は立ち入り禁止……というか、来るなら言いなさいよ!?」
一息で素っ気なく言えていないが、全て彼女の本心だ。
少女はため息をつきながら胸当てとネックレスを外し、剣を置く。かつらを乱雑に取るとウェーブのかかったブラウンの髪が少女の腰までふわりと降りた。
「あはは。ごめん、リディア、何から言えばいいかな」
悪びれることなく、とても楽しそうに青年は言う。今の会話の何が面白いんだ、コイツは。
そんな思惑を知ってか知らずか、青年は先ほどの少女 ――リディアの口調を真似るように早口で話す。
「余興って君は言うけど、あれだって立派なイベントじゃないか!この村の贈名祭の大本命!なおかつ、君は十六歳という若さにも関わらず他の希望者を差し置いて主役の彼女に抜擢されたじゃないか、リディー?あ、あとここはディディ役の可愛い女の子が僕の顔を見たら通してくれたよ」
裏表の無いあの子だ。きっと善意で通してしまったのだろう。
「……リシーに文句を言ってくるわ。じゃあね、エドワーズ・レイヴァーン」
「ちょっと待とうか!?リディア・ハートフォード、僕が出禁になってしまう!あとその子にも申し訳ない!」
「もう行くわ。やる事が多いの」
ペラペラとよく喋る口に口を出すのをあきらめたリディアはエドワーズと呼ばれた男性の隣を足早に通り過ぎる。
あの方が名前を貰ったことを祝う贈名祭。
この祭り恒例の劇は教会の大人に言われて九歳の時から毎年参加していたが、そういえば彼が見るの初めてだった。
彼は知らないのだ。主役じゃないと、完璧じゃないと教会の孤児は教会の大人に殴られることを。
待って、という低い声を聞き、ゆっくりと振り返る。声色にいつもの落ち着きがなく、焦っているのが伝わる。彼が本気で焦っているのは珍しい。無視もできまい。
「……君の演技は素晴らしかったよ。何より、君自身が楽しんでいたことが僕は嬉しかった。こればっかりは嘘じゃない。――そんな君が好きだよ、リディア」
……ほとんどの人は感想に「本物のあの方を見ているようだった」みたいなくだらない常套句ばかりを並べてきた。私がどんなに完璧に演じたとしても、尊いあの方の魅力には全く届かないのに。
もしかしたら、目の前にいる彼だけは他の人とは違うのかもしれない。
私の欲しい言葉を、取り繕わずに言ってくれる世界でたった一人の人かも。
突然、エドワーズの茶化した表情が優しい笑みに変わる。リディアは知っている、―彼がその笑みを浮かべる時は本音で相手と向き合っている時だ。
だから、だからこそ、早足にその場を立ち去ろうとする。いつもの口説き文句すらも躱せずに、この真っ赤な顔を見られてしまっては恥ずかしさで死んでしまうと思ったからだ。
数歩走り出した時、頭の上から不愉快な音が聞こえる。躍起になっていたからか気が付かなかった。
物が軋むような、——まるで今から落ちてくるような。
上を見上げようとした瞬間、背中を何かに強く押された。衝撃でバランスを崩し、前のめりによろめく。
僅かに振り向いたとき、視界の端にエドワーズが映った。
――コイツの必死な顔、初めて見たな。
必死というか何か怖がっているようにも見える彼の表情。
というか、私はコイツのことを知らな過ぎる。今度好きな食べ物でも聞いてみようかな。いや、それよりも聞きたいのは、何でコイツの名ま――
大きな音をたてて舞台裏の屋根が崩れ落ちた。