17 仲間
一週間で着くか怪しかった目的地は三人が雨に降られ、雷が落ちても休みなく走り続けた結果、六日程で着くことが出来た。ディールスが途中、何度もリディアを抱えてくれたおかげで。ディディと神だからこそ出来た荒業としか言えない。
乾いた泥に塗れた、辛うじて家の壁であったものだと判断出来る積み重なったレンガを指でつつく。風化した砂埃の舞う旧帝都。大きかった青空が狭く、窮屈なものに感じた。
大きな帝国跡にはあまり植物が自生していなかった。コケや背の低い枯れ木ばかりが目に映る。多雨なグレスター王国とは大違いだ。
それにしても、やけに息苦しいのは砂埃で空気が汚れているからだろうか。
クラネーシュ帝国。通称、砂漠の黄金郷。
あの本に書かれた五獣建国伝説では、大昔、あの方の使いと称した美しい桃色の瞳をした不死鳥がその地と人に加護を与え、その中から神獣から力を譲り受けた金色の髪色と桃色の瞳をした一族が皇族となって、世界で最も速く国として成立したと伝わっている。
その地では無尽蔵に湧き出る金の産地でもあった帝国は海に面しているという利点もあり、かつて大陸の四国で最も栄え、貿易を有利に進め、広大な土地を持ち、圧倒的な権力を振りかざしていた、が皇后の不貞事件を境に溜まっていた民衆の不満が爆発して八百年も続いた帝国に革命を起こし、四百年前に滅亡した、はずだ。
その伝承にも疑問を抱かざるを得なかった。旅をしてから自分の常識と知識を疑ってばかりだ。
何故なら帝国跡には、旧帝都の真ん中には、
――巨大な丸い穴がぽっかりと開いていたからだ。
知識の次は、自分の目を疑った。あまりに巨大な穴は、帝国の半分以上を占めていた。
この穴は、革命なんかで、ましてや人間の手で出来るはずの無い物だ。……いや、
――そもそも、革命で一つの先進国が滅びるものなのか?
穴の縁に立ったリディアは息をのんだ。踏みしめた足元の砂に混じった小石がパラパラと、崖とも言えるような穴の壁面を伝って落ちていく。
その音が遠く、遠く、ゆっくりと聞こえなくなっていった。
間違いなく、深い。微かに底は見えるものの、一度底へ降りたら、地上へ上がることは困難を極めるだろう。
……これを降りるのか。
ディールスが連れてきたのだから、降りることはほとんど確定している。この穴の底に、四番が居るのだろう。
頭では分かっていても、恐怖心はコントロール出来ない。
背中からにじみ出る冷や汗、無意識に速くなる呼吸と鼓動、震えが止まらない足、空っぽの胃が異物を含んだと警鐘を鳴らすように吐き気を訴える。
死。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
何度も死んだようなものなのに、私は未だ死が怖いらしい。死にたくないらしい。
全身をガラスで、首を槍で、背を斧で斬られ、手をガラスで、胴を槍と矢で貫かれ、弾いた指で頭が落ちたことのある罪人は、今度は転落で頭が潰れることを恐れている。
罪を償うためなら命を懸けていいといったリディアは、初めて自分の言葉の重みに潰された。
――いやだ、死にたくない……!
震える手で、自分の頭を覆う。穴の底で潰れて脳が零れることを恐れるかのように。
真っ白になる頭、青白くなる顔、端から黒くなる視界。
しかし、何度も頑なにしたはずの決意を反故にはしたくなかった。無駄にはしたくなかった。それすらも無価値にはしたくなかった。したくないのに……。
髪を搔きむしった少女の手を温かな、震える少年の手がふわりと包んだ。
キジェはこちらを慮るように、静かに軽く微笑む。顔の大部分を包帯で覆われているにも関わらず、彼のほほえみはいつだって優しくて、周囲をとろけさせるような愛らしさがあった。
隠された瞳には、どんな宝石が宿っているのだろう。
いつか、キジェから見せてくれる日が来ることを願っている。
勇気を、分けてもらったような気がした。そうだ、一人じゃない。ディールスも、キジェもいる。
守るべき愛しい仲間がいる。一緒に抗ってくれる仲間がいる。
「ありがとう、キジェ。行こうか」
不器用な笑顔を精一杯作る。実際には口角を僅かに上げることしか出来ていないが。
僅かにうなずいたキジェの手を握る。彼の手の温かさが、今のリディアの心の拠り所だった。誰かの手を握るだけで、こんなにも安堵できる。幸せだなぁ。
震える少年少女は息を吐いて、思い切り、穴の縁を蹴って落ちた。