15 一つ目の記憶
* * *
無音の世界で、目を覚ました。
何処までも広がる端の見えない真っ白な場所。
何も無い所だからか、逆に自分の姿に目を惹かれた。
純白のワンピース、膝まである白い髪、すらりとした長い手足。それがわたしだった。
とりあえず歩き始めた。きっと誰かいる気がして。
焦りから走り始めた。終わりがない気がして。
走って、走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って走って。
ゆっくりと立ち止まった。期待が、希望が打ち砕かれたような気がして。
世界の終わりも、同類も、色も、音も、影も、希望も、何も無かった。
何一つ無かった。いや、わたしだけ。何者でもないわたしだけが居た。
膝を抱えて座り込んだ。自分までも消えてしまいそうな気がして。
怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
心が締め付けられる。
何故こんな所で一人ぼっちなのだろう。誰も居ないのなら、わたしも居なければよかった。
このまま、ここに居た証も残さずに消えてしまいたい。
視界が歪んだ。ぽろぽろと、とめどなく涙が頬を伝って落ちた。
自分から落ちたその涙に唖然とした、が慌てて手で掬う。両手で出来る限り多く、零れないように。
心の奥底から嬉しかった。
――この世界でわたし以外のものがあることが。
おかしい話だ。わたしの一部だったものが手のひらにあるだけなのに。
長い孤独でいたわたしの心はそれ程壊れてしまったのか。それでも、喜ばずにはいられなかった。
この忌まわしくも美しい世界で初めて見つけたもの。
手のひらの涙が愛おしく感じる。涙には、わたしが映っていた。
そこで初めて知った。わたしの瞳、——これも白ではなかった。
長い間、探していたものはすごくすごく近くにあった。
時間はかかったけど、ようやく二つも見つけられた。
涙が止まらない。集めることも忘れてただ泣き叫んだ。泣いて泣いて泣きわめいて涙が枯れた。
でも、まるで自分の涙と瞳に元気づけられたみたいな。だから立ち上がることが出来た。
――何だか分かった気がしたの。ここに何も無いのは、わたしが0から創るためだって。
目を閉じ、涙に力を注ぐように、優しく息を吹きかけた。瞳から、体から、何かが抜け落ちる感覚。
手の中の涙はとても可憐な青色の花へと変貌を遂げた、がすぐに枯れ、しおれた灰茶色の枯草になってしまった。
だが、前向きに成功したと捉えよう。枯れてしまっても、この子は美しいのだから。
時間はいくらでもあるのだ。少しずつ、歩んでいこう。
今までの孤独を取り戻すために。
* * *
今度こそ、長い夢を覚えていた。いや、夢なんかじゃない。夢なんかじゃなかった。あの方の記憶を見ていた。
涙がリディアの頬を伝って静かに落ちた。
これは、あの方の孤独の涙なんかじゃない。あの方が一人じゃない喜びの涙だ。
床に落ちた涙をじっと見つめる。その時、一つ、記憶の違和感に気が付いた。
あの夜のあの方は可愛らしい少女の姿をしていたが、記憶のあの方は大人らしい美しい女性の姿だったことだ。
神は不老不死だから、姿が変わらないのではなかったのか?
そして、あの方の記憶を一つ思い出した今だから言えるが、キジェとあの方は少しだけ過去が似ていると思った。
――何処にも行けず、一人だったキジェと何処に行っても何も無くて、一人だったあの方。
「起きてください、レディ・リディア!」
ぼんやりとしていたリディアの頭に低い声が響いた。朝早くのディールスの大声に仰天して飛び起きる。慌てて目を擦り、涙を隠した。
初めてだった。初めて彼の大声なんて聞いたし、焦った表情なんてすると思っていなかった。
何よりも彼の瞳がほのかに輝いていることに驚いた。海を閉じ込めたように澄んだアクアマリンが今だけは深い青水晶のようだった。
かつて両親と見た水平線がフラッシュバックした。
「急いで出発します、目的地はルジャダ国からクラネーシュ帝国跡に変更。今すぐ四番目のディディに会いに行きます!」
四番目⁉まさか――
「たった今、ディディに変じた者が現れました……!」
唇を嚙み締めた悲しげな彼の表情を、私は一生忘れられないだろう。