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12 トラウマに追い打ち

少年が泣き止むまで、リディアは彼の側に居続けた。


少年の風貌でも何十年と生きているはずだが、内面はさらに幼い少年のようだった。

おかげですっかり毒気を抜かれた。害をなそうとは思っていなかったが。


「ごめんなさい、泣くつもりはなくって」


「大丈夫?」


「はい、おかげさまで」


鼻をすすり、目の辺りを必死に擦っていた少年はようやく落ち着いたようだ。


もう少し待ってもいいが、あまり時間が無い。

手を貸りたいのなら、手早くこちらから挨拶するべきだろう。


「遅れてしまったけど、私はリディア・ハートフォード。半人前の三番目のディディ。あなたにお願いしたいことがあってここまで来たの」


「……えっと、リディアさん。ディディって何ですか?」


ディディを知らない……⁉

いや、この世界で生きているのなら知らないはずがない。だとしたら、――


「……ごめんなさい。ディディというものも、自分のことも何も知らないんです。気が付いたらここにいて、ずっと……」


彼が記憶喪失だとすれば、口調と内面が幼いことにも納得がいった。ディディを知らなくてもおかしくはない。


失望されるとでも思ったのか、少年は俯いてしまった。

リディアは少年の肩を震わせる姿が、幼い自分の姿と重なって見えた。教会の大人に殴られた時の自分と。


「私達と一緒にここから逃げない?私、君のことが必要なの。大変な旅になるかもしれないけど、君に辛い思いはさせないわ」


出来る限り優しく語りかける。今は説明をしない方が良いだろう。

何も知らない彼に、焦って全てを教えるのは酷だ。ゆっくりと、時間をかけて教えていきたい。


「それに、三人だもの。きっと賑やかで楽しいわ」


彼が誰であっても、泣いている人を一人にはしたくなかった。

自分勝手な同情とか、自己満足の哀れみなんだと思う。でも、さっきの言葉も今の心も嘘ではなかった。


 ――私は今、この泣き虫さんを飛び切り幸せにしてあげたい。


「良いんですか⁉……ボク、期待に応えられるか分かんないし、泣いてばっかりだし。でも」


「でも?」


「ひ、一人はもっと嫌です」


「うん、決まりね。……ディールス!足枷取るの手伝ってくれない?」


憂鬱そうに開いていた本を閉じ、彼は視線だけを向ける。

必要最低限で完結された動作が実に彼らしい。


「ようやくこちらを見たと思ったら今度は雑用ですか。別に構わないのですが……」


足枷をゆっくりと眺めた彼は重い口を開いた。


「鍵も無いですし、何よりあまりに錆びすぎている。取り外しは不可能だと思います」


壊せば取れる。しかし、壊すにしても怪我は避けられないだろう。

ディディでも痛みは感じる。それをこの少年には、出来る限り感じさせたくはなかった。


どうするべきか。悩んでいるとディールスがこちらに近づいてきた。足音が空虚に響く。

何か策でもあるのだろうか。


「彼女を殺すのに使用したガラスを渡しなさい」


「え?……えぇ」


きっぱりとした口調。若干命令じみた言い方に少し違和感を覚えた。

こんな時に必要なものだろうか。だが、彼が言うのだからおそらく重要な役割を果たすのだろう。

彼の口数はあまりに少ないが、話す言葉は必ず意義がある。その点では彼を信用していた。


「どうぞ?」


微かな迷いが消え、アクアマリンに決意が宿っているように見えた。


慎重にディールスの手のひらに置こうとする、が彼は強引にガラスを奪い取った。


尖ったガラスは案外簡単に傷つけることが出来る。

ディールスの手にも真新しい切り傷が作られた、はずだった。


彼に出来た傷は一瞬で塞がり、血の一滴すら流れなかった。

リディアは呆然として言葉を失った。


傷が塞がったことに対してではなく、彼の不自然な行動でもない。もう無い怪我に対してだ。


 ――また、傷付けてしまった。


ただただ罪悪感が込み上げてくる。あの夜から何を学んだんだ。何も、何も変わってなかった。

また同じ失敗を繰り返して、多くの人を泣かせるのか。目の前の彼のように!


脳裏に浮かんだのは、あの方の死に顔だった。


吸っても吸っても肺に空気が入らない。息の仕方を思い出せない。寒いのに汗が止まらない。溢れる涙を止められない。手足が震えて言うことを聞かない。

さっさと、止まれよ……!言うことを聞け!


 ――誰よりも泣きたいのは、愛する人を殺した罪人の近くにいる彼でしょ……!


「痛っ」


ディールスがリディアの手を乱暴に掴み、引き寄せる。

泣いている少女に心配の声をかけるような気配りをしないのはいつも通りだが、本当に彼らしくない。

しかし、彼はいつもの無表情だった。本を読んでいる時と何一つ違わない凛とした顔。


少しだけその顔が悲しげに見えたのは、彼が私に今していることへ罪悪感を抱いて欲しいと願っているからだろうか。


「失礼」


 ――ディールスは躊躇なく、リディアの手にガラスを突き立てた。


手の平を貫通してガラスが深々と刺さる。血が滴り、床に跳ね返って二人の服の裾を汚した。


手が焼けているかと錯覚する程痛い。さらに彼はガラスが刺さったままの傷口に指を押し込んだ。

いつもなら耐えられる痛みが、今は耐えられなかった。

泣いて叫びながら彼の手を振り払おうとする。


「リディアさん!」


廃墟に少年の声が響いた。包帯で目を覆われているが見えているらしい。

真っ青な顔でこちらを助けようとしているが、足枷の音が鳴るだけだった。

彼自身、本当は怖くて逃げだしたいだろうに。


まるで無力なあの夜の私を見ているよう。彼が私を庇って死にかけたのに何も出来なかった私。


彼と私の決定的な違いは逃げ出さなかったことだろうか。


リディアの頭を強引に掴み、ディールスは力ずくでガラスに刺さった手に近づける。

華奢な少女の筋力では勝てるはずもなく、リディアはむせび泣くことしか出来なかった。


「――何が、見えますか?」


淡々と言い放った言葉。涙で視界が歪んだリディアに鮮明に届いた。


止まらなかった涙が突然止まる。あの夜と同じ違和感を再び目に覚えた。

彼のしようとしていたことがようやく分かった。


使いたくないのに、見たくないのに、ガラスに映ったあの方の目がより一層と輝く。


 ――いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!


少女の我儘な願いは叶わず、映ったあの方の姿が消え、ガラスは新たな予言を映した。

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