11 世界初の教会
生い茂る草木に足を引っかかれ、木に体をぶつけながらもリディアは、ディールスを見失わないようにするので精一杯だった。
フルーフの森はかつてルジャダ国の支配地だった。だが、呪いが掛けられてからは王国は所有権を放棄し、今はどこにも属さない土地となった。呪われた地を欲しがる変人が現れるはずもなく、放置され続けている。
子供の頃、言うことを聞かなかったら両親にフルーフの森に置いていくと笑って脅されていたっけ。
そんな禁断の地を歩いて数日、意外にも何も起こらなかった。何の変哲もない森だった。強いて言えば動物たちをほとんど見かけないことぐらいで。
呪いがかかっている森で何も起こらないのは、私がディディで彼が神だからだろうか。
……いや、そもそも呪いをかけられていない?
当たり前だが、誰もが都合の悪いこと、後ろめたいことは隠そうとする。神であっても。
それはディールスも言っていた。
――誰かが知られたくない秘密がこの先にある?だから偽の情報を流した?
あり得ないことではない。誰が、何のためにしたのかも、この先に答えがある。
もちろん、知ろうとすれば阻止しようとする輩も現れるはずだが。
「到着しました」
ディールスの声を聞いてようやく、ずっと下を向いていたリディアは青空の下、目の前の白い建物に気が付いた。
ボロボロだったがかろうじて教会だと分かった。周囲にはまばらに草木が生えている。壁には無数の亀裂と穴があり、ツタに覆われているところばかり。
しかし、朽ち果てていても、その教会は立派なものだったことがうかがえる。大きさも従来の教会の比にならない。
「世界で初めての教会です」
珍しく質問するより先に彼が答えた。
呪われた森に、世界初の教会。これを隠したがっていたのだろうか。
迷いなく入っていくディールス。
この様子だと彼の目的のものはこの中らしい。歴史的なものが欲しかったのか?
入口だったと思われる所にかかっている蜘蛛の巣をくぐり、見上げた教会の中の作りは村のものに酷似していた。
土を微かに被った身廊。数本のうち、1本に黒くなった血が付いている柱。天井の穴。
若干、祭壇のスペースが大きい構造になってはいるものの、何故か祭壇は無かった。が、驚くべきことに――
――祭壇があるべき場所には知らない少年がいた。
白を基調とした祭典用に似た服、頭を覆う汚れた包帯、包帯から僅かに出る肩まであるホワイトブロンドの髪、目は包帯で隠れているが整った顔立ちと分かる少年だ。両足に付けられた不似合いな錆びた足枷を後ろの柱に結び付けられていた。
人が暮らせるような所ではない。周りに人が居る様子もない。
状況的に誰かに無理やり閉じ込められたのだろう。
一歩を踏み出した時、何かを踏んだ感覚があった。
静かに寝息を立てる少年の周囲には、青緑に輝く鉱石が散乱していた。種類までは特定できない程の小さいが加工されていないことが分かる。天井の穴から太陽の光に照らすとより一層輝きを増した。
「――貴方とミスター・レイヴァーンを二人合わせて三番目のディディとすると、彼は正真正銘二番目のディディですね」
ディールスの紹介に咄嗟に言葉が出なかった。目の前の少年がディディなのは百歩譲って分かる。
だが――
「ディディが二人……⁉」
「言ったでしょう。あの本は不都合なことを数多く消された、信用してはいけないと。もっとも、彼は本が完成した後にディディになりましたが」
神を殺した罪人が、私と彼以外に二人。
目の前の少年は何か理由があって神を殺したのだろうか、それとも殺したくて殺したのだろうか。
それによって少年への印象が変わってくる。
とりあえず少年を起こし、話を聞いてもらおう。
エドワーズを神界から連れ出すためには彼の協力が必要だ。
リディアは震える手で彼の肩を軽く叩き、「あの……」と気に触れないように声をかけた。
天井の穴から木漏れ日を受ける少年の眠りは案外浅かったようで、すぐに目を覚ました。包帯で目は見えないが。
寝顔を見て思ったが、顔立ちが可愛らしくあどけない少年だ。
十三か十四歳のように見えたが、ディディにその推測は通用しないだろう。
教会の孤児で弟のように可愛がっていた子に雰囲気が似ていた。もう二度と会えないだろう。
リディアは思い出に浸るのをやめて彼の言葉を待った。
「――こんにちは。嬉しいなぁ、誰かがここに来てくれるのは初めてなんです。ずっと誰かが来てくれるのを待っていて」
少年は朗らかに笑みを浮かべる。敵意も害意も無い、純粋な笑顔。
長い間、本当に人を待っていたのだろう。
突然、包帯の目の辺りにシミが作られていく。笑っていても、少年の涙は止まらなかった。