10 旅の会話
「そういえば、貴方の中に彼女の記憶は無いのですか?」
リディアとエドワーズの手配書が発行される前にグレスター王国の手薄の国境を越え、早二ヶ月。
ディールスに案内されて、北東の方角を歩いている途中のことだった。
まさか彼から質問されるとは。
道中リディアは罪悪感と気まずさからろくに彼に話を振れなかった。彼も自ら話をするタイプでもないので、この二ヶ月間、二人はまともに会話をしていなかった。
また、リディアに関しては会話どころではなかった。
あの夜から人の視線が怖くなった。誰しもが私を憎んでいると感じるから。
あの夜から人の瞳を見るのが苦痛になった。見つめた人に見透かされている気がして。
それでも絞り出すように彼の言葉に答えようとする。久しぶりに出した声はかすれて絶え絶えだった。
「……他のディディはあるの?」
「はい、ありましたね。やはり半人前には無いのでしょうか」
無意識なのだろうか、その言い方は。
目を瞑り、過去へと遡る。
両親との最後の日のこと、教会の大人に殴られたこと、エドワーズに初めて会った日のことなど。
自分の思い出しかなさそうだが二つだけ、私の知らない景色があった。
とても綺麗な場所。おそらくこの世界の何処でもない場所だ。
「……二つあった。一つは真っ白なところで目を覚ました記憶。もう一つは知らない部屋で泣いている記憶。後ろにあなたが居たわ」
「たった二つだけでしたか」
吐き捨てるように聞こえたが、呆れる訳でも悲しむ訳でもなく、ただの確認だったようだ。
段々と彼の性格が分かってきた。しかし、彼のことが少し分かっても、この世には知らないこと、知らなくてはならないことが多すぎる。
「私からも質問させて。知りたいことがたくさんだから」
「どうぞ。ただし、三つだけ質問に答えます」
何故三つなのか、と考えても無駄なんだろう。
神の考えることを人類は理解できない、永遠に。それが世界のルールだ。
ならば、せめて質問を間違えるな。恐怖を忘れて彼と向き合い、情報を奪え。
「一つ目。ディディになった人はどうして神を殺すことができたの?神は不老不死のはずでしょ」
「また神を殺したいんですか。……神を殺す方法は一つ。死の間際、明確な殺意を持って自身の血の付いた武器で神を傷つける、それだけです。信仰が力の神にとって敵意は毒。たったそれだけで神は消え、ディディが誕生します。彼女も毒には勝てませんでした」
彼の一言がリディアの心に刺さる。そうだ、私は彼の大切な人を殺した罪人。
だが、方法が分かれば対策も出来る。もうこれ以上、神も人も傷つけたくない。
「二つ目。あの方が人類のためと言って私を殺そうとしたのは何故?」
「答えは貴方の記憶にあります。正確には貴方の中の彼女の記憶に。ふとした衝撃で思い出すかもしれないですね」
あくまで答える気はないらしい。こちらも深掘りする気はないが。
あの方は、私が人類の脅威になる予言でもされたのだろうか。
予言は回避出来ることは知っている。私があの夜、彼が死ぬ予言を回避出来たからだ。
――あの方は予言を回避出来たのだろうか?
「三つ目。私、予言の力を使いたくないの。だから私の神の力の発動条件を教えて」
「貴方の発動条件は、おそらくそのガラスで自身を切ることです。あと、貴方が嫌がっても私は貴方に神の力を使わせます」
何のために、と開こうとした口を渋々閉じる。
……最悪だ。三つ目の質問を最初に持ってくるべきだった。
質問の順番を間違えたせいでさらに疑問が増えてしまった。彼は私があの方の力を使うのを嫌がるとばかり思っていたのに。
そんなリディアの思考を遮るように、彼はぽつりと言った。
「そろそろ着きますよ、フルーフの森」
「……は?」
彼は今なんて言った。フルーフ、の森?
ディディが呪いをかけたと言われる禁忌の森に向かっていたの……⁉
「何で怖がるんですか。ディディの貴方が」
「……」
彼の一言に衝撃を受けた。あの方の記憶は戻らなかったが。
言われてみれば、確かにそうだ。そうだった。不覚にも彼の言葉で冷静になれた。それに――
――あの夜程、怖いものは無い。