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94 『面影の鏡』、其の三

”お兄様?入るよ”


その声を、聞き焦がれていた。その声の主の安否を、確かめたかった。


 ――あぁ、良かった。あなたも、無事だったのね……!


部屋に入ってきたカダチに、華のような笑顔はありませんでした。家族を失ったばかりの少し昔のように暗い表情。

無事だって、分かったけど何だか腑に落ちない。無事であって、笑っていて欲しい。性悪な自覚はあるのに、そんなに強欲な自覚はなかったのですが……。


”お兄様、あたしとオーウィルはそれぞれ焼悪、罪遠方面に行って現地の人に聞き込みしてくるのよ。夜だけど、ギリギリまだ起きている人が居るはずだから”


”…………”


”……気に病むのも仕方がないって思うけど、お姉様が起きた時に今ある障害だけでも片付けておかないと、お姉様が困っちゃうわ。……大体、あんな条件の人探し、受けるしかなかったとはいえ、やはり無謀じゃない……?”


”……そう、ですね”


”暇さえあれば、お姉様の面倒見てくれているのは助かるけど、そのままの生活を続けていればお兄様も壊れちゃう。せめて寝て。……ただでさえ、神として不完全なのに”


返事はなかった。いや、ディールスはカダチの方を一回たりとも見向きもしなかった。

ディールス……?どうしちゃったのよ。あなたは、誰よりもカダチのことを、妹のことを気に掛けて、いたじゃない……。


”…………知らない。意地張るのも、大概にして”


カダチが部屋を出ていったのを最後に、再び静寂が辺りを包みました。初めて、二人が喧嘩している所を見ました。


カダチと、オーウィル。二人が無事なことは知ることが出来きましたが……。でも、私のせいで、こんなことになってしまった。


置いていかれた彼は、大きなため息を漏れらしていました。

それは、たった今、喧嘩した妹へのものではなく、自責の念から生まれたもののような、ただ単に疲れ切ってしまったような、そんな感じに聞こえました。


一つだけ出たフタロブルーの月が、窓ガラス越しに端麗な彼に月光を送る。照らされた髪が、光を滑らせるまつ毛が、ただでさえ色白の肌が、酷く悲しげなアクアマリンの瞳が、より青く、碧く、蒼く、全てがやつれて見える。


 ——あ、手、握ってくれてる。


ずっとそうしてくれたんですね。自分にも、他人にも、誰にでも厳しいあなたが、随分と珍しい。まぁ、一見公平無私に見える彼の天秤は、案外ガタガタですが。


彼が握ってることは、現実の出来事なので、今、魂の状態である私に彼の熱は伝わらない。それでも、気のせいかもしれませんが、温かいですよ。……えぇ、心が温かい。


”いつまで、眠り続けるつもりですか?”


え――?


”やりずらい。貴方相手だと、本当に調子が狂います。そのくせに、居なかったら居なかったでまた調子が狂う。いつも身勝手に自分が傷付くように行動するくせに、今度はこうなりますか。速く帰ってきてください。……誰かを待つのは、誰かに置いていかれるくらい辛いのですから”


「ディールス!!ごめんなさい、私——」


最低だ、私。いつも誰かを傷付けまいとして、代わりに傷付いて満足していたのに、そのせいで誰かを悲しませて。


弱音を吐く彼も、初めて見た。誰も居ない部屋で、平静を装う彼を見てられなかった。


手を伸ばす。でも、指先が触れるのは机の上だけ。隣に居る、手が触れ合ってる。なのに、ものすごく遠い――。


フッと、机に映し出されていた景色が消える。

『魔術師』が再びカップを持ち、お茶を飲みながら言った。


「のめり込み過ぎだよ。……まだ向こうに帰れないのにあの景色を見続けさせるのは酷かと思ってね」


……そう、でしたね。これはあくまで映し出された現実の映像。劇に感情移入し過ぎるのと同じ。どんな感情をキャラクターに抱こうが、観客側から伝えられることはない。


思わず立ち上がってしまっていたけど、椅子に座り直した。頭を冷やすために、カップのお茶を一口飲んだ。……味は、薄くて分かりずらい。


冷静になれたからか、唐突にこう思いました。


「……私は、あなたに救われたのですね」


『サクラのお茶会』では、彼女は魔術師という名前の役割にも関わらず、大したことは出来ないと言っていた。でも、こんな魔法のような奇跡を起こしてくれたから、取り敢えず私は夢の中とはいえ、生きていられる。


「ありがとう、ございました」


そんな言葉では言い尽くせない。命を救われた所の話ではない。

彼女が居なければ、行動を起こさなければ、見捨てていれば、この先、ずっと惨めに醜態を晒す生きる屍になり果てる所だったのだから。

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