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93 『面影の鏡』、其の二

「あ、本が伸びてる。申し訳ないけど、切ってもらっても良いかい?」


……ん?『魔術師』、さん?


「本が……?」


「ここでは伸びるんだよ。常識は非常識に、非常識が常識に。むしろ非常識がマナーみたいなもんかね。中のページ五十五ページから五十八ページ。手でも良いから破いてちょうだいな」


あぁ、良かった。本全体が横に伸びるとかではなく、中身が、もっと言えば物語が長くなったのですね。


いや、何言っているんだ、私。


適度な厚さの本が一冊浮かんでいます。表紙は、何だかぼやけて読めないですね。目が疲れたのでしょうか。辺りには千切れたページが浮いていますが、どうしましょう?


「浮いてるページは放置してて良いよ。後で集めるからね」


「分かり、まし、た?」


……取り敢えず、指示には従いましょう。席に戻り、本を手に取り、適当なページを開く。当然、内容は全く見ていない。見ているのは左下だけ。そこから、数ページごとに適当にめくり、彼女の言うページにたどり着きました。五十五、五十七ページの根本を手で破き、彼女を見ると


「適当にビリビリに破いて風にでも運んでもらってちょうだい」


と言われました。


いえ、風はありますが、他にも浮いているページは山程あっても、飛んでいきませんよ。それなのに、飛ばせるでしょうか……?


……まぁ、やってみますか。


二枚同時に持って、思いっきりビリビリに破いてみる。一切の躊躇もなく、手加減もない。ひたっすらに今までの鬱憤を八つ当たりのようにぶつける。両手をどっさりと埋め尽くす程大量に出来た紙屑を思いっきり上に撒き散らしてみました。さて、飛ぶのか、飛ばないのか。


その結果、私が破いたページだけが風に乗って遠くの空へ飛んで行ってしまいました。


すごい、全く理屈が分からない。ここは、いえ、この空間は何なんでしょう。

本のページが増えたり、風に飛ぶものと飛ばないものがあったり、知ってる風景なのにそこではなかったり。


「……さて、そろそろ説明してあげようか。このまま放っておくのも可哀想だ」


カップをそっと置いた『魔術師』が、こちらに向かって神妙になりました。私としては、聞くまで無口なタイプの方よりも、聞く前に疑問を察し、話してくれる彼女のタイプの方が非常にありがたいですね。


「アンタが一番と出会って、心が折れた瞬間に、流石にマズイと思って、お節介にもちょっかい出しちゃっんだよ。あんまり老い先長くない人を怖がらせないでおくれ。まぁ、具体的に言うと、砕けたアンタの魂を無理やり縛って霧散することを防ぎつつ、そこの彼と意識を繋いでアンタを招き入れたんだ。そこでお菓子食べてる子、彼がキジェ君だね。可愛いねぇ、一目で分かったよ。で、ここは彼の意識の奥深く、本人も自覚していない無意識間ならぬ無意識館の領域、みたいなもんさ。『面影の鏡』、とワタシは勝手に呼んでいる」


「面影……」


「割とそのままの名付けだよ。ワタシの名付けって実直で安直だから。ここは過去を見るというには、いささか不確かで不十分。だから、面影。そして、鏡は自分を映すもの。合わせて『面影の鏡』ってわけさ」


照れるように、はにかんで笑って誤魔化そうとする彼女の姿は、そんな大それた奇跡のような大魔法じみたことをした天才には、正直見えませんでした。


手の届かない尊敬すべき人物というよりも、たまに帰省した時に暖炉の近くで悩みを聞いて、共感してくれて、乾いたパンに近いお菓子をくれるような、優しい祖母の姿に近いと感じました。不思議ですね、……。祖母には会ったことないはずですが。


「アンタが精神崩壊して、もう八日。そんなに長い時間現実を離れて、あんなに埃っぽい『面影の鏡』なんかに引きこもっていたら帰ってこれなくなる所だったよ」


「そんなに、長い間……」


キジェ以外の三人は無事でしょうか?八日間も何をしているのでしょうか?

……いえ、願望に近いですが、おそらく全員無事でしょう。向こうにはディールスが居ますから。


私は、一番の会話の後から意識がなかった。おそらくそこからずっと自分の『面影の鏡』に閉じこもっていたからでしょう。閉じこもっていた、と言っても、帰り方も、そもそもどうやって『面影の鏡』に来たのかも覚えていませんし、心当たりもありません。

『面影の鏡』という領域に関しては、おそらく彼女の専門でしょうし。


「現実世界が気になるかい?」


「……!分かりますか?」


「もちろん。……ここはキジェ君の『面影の鏡』だけど、全ての『面影の鏡』は魔術師であるワタシの庭。特別、出血大サービスだよ」


彼女が机を軽くこずくと、机がまるで水面のように揺らぎ、何処かの風景を映し出しました。安い宿の一室に見えます。


良く目を凝らすと、——あの夜の、あの方とエドワーズの姿……?


いや、違う。


目を開けたまま、時々意味のない笑みを浮かべる、ベットに横になった私(壊れた人形)と、そのすぐ隣の椅子に座って、私の方を向くディールスだ。あの夜とあまりにも似ていたから、重ねてしまっただけ。


「ディールス……!」


「声は届かないよ。ここから現実への干渉は、絶対に出来ない。これが限界」


……どんなに思っても、願っても、届かないのですね。私は無事だから、そんな死人みたいな顔しないでって、言いたかったのに。


突然、軽いノック音が二回、暗い部屋に響きました。

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