第五十九話 狼の獣人
店を出た俺たちは、店先で早速購入した魔石を使ってみることにした。
「で、どうやって使えばいいんだ? もしかしてこれも噛み砕いて使うのか?」
メアに正対して、購入した魔石を手の上で転がしながら俺がそう質すと、メアは「いえ」と言ってから「この魔石の場合は、まず手のひらにのせて、ああ夜雲も一緒にやって」と言葉を続けた。
俺は「おう」と応じると、手のひらの中心に魔石を据えた。
それを見るなり、メアが「で、手のひらにのっけたら、もう一方の手で叩くの、こんなふうに」と口にして「えい!」ともう一方の手を拳にして、それを勢いよく振りおろした。
すると、メアの拳と手のひらの間からパキンと小気味のいい音がした。
俺は一瞬ポカンとしたのだが、すぐに気を取り直すと「よし! えい!」と同様に拳を作り、それを魔石目がけて振りおろした。
そして、パキンと小気味のいい音が鳴ったその一瞬後、メアに視線を転じると、メアの身体が無数の白い光を帯びた泡に押し包まれていることを見出した。
その光景に目を瞬かせたそのとき、時間差で俺の全身もメアと同じように光を発する泡に抱かれる。
思わず驚きの声を発しようとしたときには、その無数の泡はパチパチと跡形もなく弾け、雲散霧消してしまった。
まさに一瞬の出来事に、おろおろしながら、再び目を前に向けると、ピカピカになったメアがいた。
「成功ね」
言われて、メアをためつすがめつ見つめると、衣服にこびりついていたスライムの粘液による、橙色の大きなシミが消えていた。
それを見て「おお!」と感嘆の声を漏らした俺は、自身の身体に目を転じる。
と、今までの道のりで、汚れた制服が新品同様と言っても過言ではないくらいに、ピカピカになっていた。
ズボンの裾やサンダルにこびりついていた細かな泥すらもすっかり綺麗になくなっている。
「これが魔石の力か」
そう独りごちるとメアがニコッと笑んで言った。
「こういう感じで魔石は便利だから、クエストに行くときは、そのクエストの内容に合わせて何がしかの魔石を携帯しておいた方が賢明だと思うわ」
「たしかにそのとおりだな。じゃあ、これからはクエストが決まったらこの店に足を運ぶことにするよ」
「その方が絶対いいわ。それじゃあ、ギルドに帰って、ご飯にしましょうか」
「それがいいな。初のクエストも成功したわけだし、パァーッとやるか」
ギルドに戻った俺たちは、中央付近の丸テーブルに陣取ると、複数の料理やドリンクを注文して、言葉どおりパァーとやっていた。
次から次へと肉料理や魚料理、パンや米なんかを口に運び、それを冷たいドリンクで流し込んでを繰り返していると、急に机上に影が差した。
給仕か、と思い、料理から目をあげて見ると、蜂蜜色の目に青色のボブショートの女がニィッと笑いながらこちらを見据えていた。
眉を寄せて、口をつぐんで彼女を繁々見ると、口から八重歯というか鋭い犬歯のようなものが覗いており、はてな? と思って、彼女の全身を見ると、犬か狼の耳のようなものが頭でぴこぴこ、犬か狼の尻尾のようなものが臀部でゆらゆらと生き物よろしく動いていた。
眼前の女は獣人に違いなかった。この都市に来てから、数回目にしたことがあったから、そこまで驚くことはしなかった。
俺は、我知らずその獣人の彼女から目を逸らすと、目の前でスプーンを握り、もう一方の手で皿を持って、ものすごい勢いで炒めた米をかき込んでいるエルフ——メアを認めて、つくづく俺は異世界にいるんだなぁ、とそのまま感慨に耽けろうとした。
そんな矢先、俺を現実に引き戻すかの如く、左手から声が飛んできた。
「ねぇ、あなたたち、強いんでしょ?」
問われて、我に返った俺は「はい?」と声に出しつつ目を投げると、前のめりになったその獣人が俺にそう問いかけたのだとわかった。
露出の多い黒いレザーの腹出しファション(革鎧だと思われる)に身を包んだ彼女の谷間に一瞬気を取られた俺だったが、すぐにかぶりを振って、意識的に彼女の目に自分の目を釘づけにして、彼女の言葉を待った。
そうすると、すぐに彼女が白い牙を覗かせた。
「スライム倒したんでしょ、あなたたち?」
「どうしてそれを?」
俺がそう反問すると「どうしてってみんな噂してるわよ。スライムなんて害悪中の害悪、みんな気軽にクエストなんて受けないわ」と彼女は平然とした口ぶりで告げた。
「はい。倒しましたよ、一応」
そう答えると、彼女はキラキラとその一対の黄色い瞳を輝かせる。
「やっぱりそうなのね。二人でパーティー組んでるの?」
「ええ、まあそんな感じですね」
俺はそう応えると自身の胸を開いた手の五指で指し「夜雲龍彦です。ピチピチの十七歳です」と言ってから、それらの指先を今度はメアに向けて「こっちはメアと言います。ちなみに年齢はなんと驚愕の二百十七歳です」と言った。
メアを紹介した時分に、吊りあがった俺の口辺を目敏く認めたのか、俺の言い方が気に食わなかったのか、メアが俺を睨み据えて声を低めて言う。
「夜雲」
瞬間、メアの手に握られたスプーンが、みるみる赤く色づいて、その周囲の空気が熱でかすかに揺らぎ始めた。
俺は即座に「申し訳ありませんでした」と口にすると、腰を据えたまま椅子を少しだけ後ろに引いて、メアからわずかに距離を取った。
メアは、聞こえよがしに舌打ちすると、手近にあったスープにそのスプーンを突っ込んだ。
わずかに冷めかけていたスープから湯気が立ちのぼり、ボコボコと泡が立つ。
メアは軽く咳払いすると、獣人の彼女に目を配って「メア、見てのとおりエルフよ。あなたは? 犬? それとも狼?」と言った。
「あたしの名前はジェルサ、狼よ。よろしくね」
「狼? 獣人ってやつですか?」
「ええ、狼は珍しいのよ、見たことある?」
どこか自慢げなジェルサの言を耳にして、やっぱり獣人か! と独白した俺は「初めてです。そもそも獣人自体あまり見慣れなくて、数日前、この都市に来て、初めて見た感じです」と赤裸々に述懐した。
「獣人が初めて……そんな人もいるのね」
目を丸くするジェルサにメアが言う。
「夜雲は、外国出身で、モンスターとか魔石のこともぜんぜん知らないのよ」
その刹那ジェルサが目をさらに丸くして「え?」と驚きを内包した声を出す。
「そうなんですよ。故郷にはモンスターも魔石もない感じなんですよね」
俺が苦笑を浮かべて後頭部掻きつつ、そう言うと「そんな平和な場所があるのね。寡聞にして知らなかったわ」とジェルサはさも感心したように言った。
それから俺は、ややもなく、ふいと疑問に思ったことを口に出した。
「ところで、ジェルサさんは、俺たちに何かご用が?」
「ジェルサでいいわ。あと敬語も結構よ。そうそう、相談があって、率直に言うとよかったら一緒にクエスト受けない? っていう相談なんだけど」
「おお、えーと、もしかして高難易度クエストだったり?」
「ええお察しのとおりよ」
言われて、思わず心中でガッポーズをした俺は「それはありがたい! ちなみに何を討伐する感じで?」と口にした。
と、ジェルサは一瞬目を伏せて、一拍あけてから、顔をあげると、敢然とした様子で、やや声を低めて言った。
「……それはコカトリスよ」
刹那、満面に米をくらった。
「ぶぅふー! コカトリス!」
俺は思わず立ちあがると、手の甲で顔に張りついた米を拭い落として、メアを睨み据えて言い募った。
「汚ねぇだろ! ふざけんな!」
それから、はっとして、笑顔を取り繕うと「ああ、失礼。……で、そのコカトリスというのは?」と口に出した。
「え? コカトリス知らないの?」
キョトンとしたジェルサの面持ちを見つつ、記憶を探ると、ゲームで、コカトリスというモンスターを倒したことがあったことを朧げながら思い出した。
「鶏の親戚みたいなのでしたっけ?」
俺が確認するようにそう言うと、ジェルサは「ええ、一応あってるわ」と言ってうなずいた。
俺は自身のゲーム知識が正しいらしいことを確認すると、なぜか安堵感を覚えて、腰を再び椅子に据えた。
直後、俺の耳が異音を拾い、俺の心を掻き乱した。
「ふごふごふごふご! ふごごごご! ふご!」
果たしてメアだった。頬袋を米でパンパンにしながら、眉根を吊りあげてつつ、何かを訴えている。
俺は傍にあったコップをひったくるようにして掴むと、それをメアに差し向け、嘆息混じりに言った。
「一回飲み込んでから、話せよ。ほら水」
メアはコップを空けると硬い声音で言った。
「コカトリスなんて、スライムより害悪よ。初心者の冒険者には無理よ!」
メアが言うと、ジェルサが暗い声で応えた。
「そうね、彼女、メアの言うとおり、スライムより厄介かもね、毒液を吐き出すから」
「毒液?」
「いわゆる、毒竜ってやつよ」
「毒竜?」
「ええ、一般的な飛竜ほどの大きさはないのだけれど、一応竜よ」
「あれすよね、鶏の卵を蛙が温めて生まれるっていう」
「蛙? ぜんぜん違うわよ。鶏の卵を竜が温めると、どう言うわけか鶏の鶏冠をもった小型の竜が生まれるのよ」
「ああ、じゃあ凶暴な鶏みたいな認識でいいんで?」
「どちらかって言うと、毒を吐く凶暴で巨大な鶏ね、全長は二メートルほどあるから」
「つまり、毒を吐く恐竜とか始祖鳥みたいなもんで?」
「恐竜? 始祖鳥?」
「あ、気にしないでくれ」
ゲームで倒したコカトリスと、こっちの世界のコカトリスに差異があることを知った俺は、スライムと対峙したことを思い出して、ふと嫌な予感を覚えた。
が、すぐにふぅーと息をついて意識的に気を取り直すと「……それでクエストの詳細は?」と接ぎ穂を見いだして、ジェルサに問うた。
「ここからさほど遠くない、農村近くの森に出現するそうで、家畜が襲われて困っている、とのことよ。それで討伐のクエストということで、報酬はなんと破格の四十五万」
「四十五万! スライムの九倍!」
俺が瞠目して、心ならずも大きな声を出すと、ジェルサが俺を指差しうなずく。
「そう! 一人あたり十五万ずつ、山分けってことで、どうかしら? 毒消しの魔石も用意してあるわ」
したり顔のジェルサから目を離し、目の前で頬杖をつきながら、スプーンで火明りを照り返すメアに視線を投げて問う。
「メア受けても構わないか?」
「うーん、毒消しの魔石があるなら、いいんじゃない」
メアの渋々といった調子で紡がれた言を耳に留めた俺は、「じゃあ決まりだ! そんじゃあ、よろしく頼むよ」と決然と言って、ジェルサに手を差し出す。
ジェルサは俺の握手に応じると、微笑して「はい、よろしくね。じゃあ出発は翌朝ということでいいかしら、ギルドの前、集合ということで」と口にした。
「わかった」
「了解よ」
「じゃあよろしく頼むわよ、二人とも」
ジェルサはそう言い置くと、踵を返して、ギルドをあとにした。




