第五十七話 砂漠の魔王
依頼主の婆さんから依頼料を受け取ると、俺とメアは村をあとにした。
街道を歩きながら、肩を並べるメアの横顔に目をやって言う。
「何はともあれ、クエスト上手くいってよかったな」
「そうね。スライム討伐に行くってことになったときは、正直言って不安でいっぱいだったけど、まあなんとかなってよかったわ。ひどい目には遭ったけど……」
メアは言うと、スライムの粘液で湿り気を帯びた衣服の右の肩口を右の人差し指と親指でつまんで言った。
俺は「ああ」と応じると、スライムとの戦闘を思い出して「スライムがあんな醜悪な生き物だとは思いもよらなかったぜ」と述懐した。
その発言を耳に留めて「ってことは、夜雲はあれが初見?」とメアが訊く。
「初めて見た。俺の故郷はモンスターとかいないからさ」
「外国には、そんな平和な場所があるのね」
「外国か……そういえば、ここってなんて名前の国なんだ?」
自身が転移してきた場所の名称を知らないことに気づいた俺は、臆面もなくメアをそう質す。
すると、メアが急に足を止める。
つられて俺も歩みを止め、メアの顔に目を注ぐと、メアは目を大きく見開いていた。
「へ? 国の名前? なんでそんなことも知らないの? どうやってここまで来たわけ?」
立て続けに飛んできた疑問を受けて、俺は「気がついたら、平原のど真ん中にいたんだよ」と正直に答えた。
「平原って、『エルフ大平原』?」
「エルフの集落のある平原だよ。そうか、『エルフ大平原』って言うんだけな、そういえば」
「気がついたら、いたってことは、空間系の魔法で飛ばされたのかしら?」
メアが思案顔を作って、憶測を口にする。
メアの憶測を耳にして「俺は魔法で飛ばされてここに来たのか?」と思わず俺はそう口に出した。
「その可能性は全然あるわよ。そういえば魔王を倒すとか、言ってたけど、もしかして夜雲は魔王に飛ばされたっていうか、なんかされたの?」
メアの問いに俺はやおら首を横に振る。
「いや、しゃべる雲にこの国まで飛ばされてきたんだと思う」
「しゃべる雲? それはモンスターか何か?」
「たぶん、違うと思う、平原で気がつく直前、見ていた夢なんだ。その雲曰く、魔王を倒せれば、俺は故郷に帰れるらしいんだ。それで魔王を討伐しようと思ってるってわけ」
言うと、メアは自身の左頬に触れながら「夢ね」と呟き、直後、はっとしたように眉を開くと「あ、夜雲の故郷ってなんて呼ばれてるの?」と俺を質した。
俺はふぅーと小さく吐息すると「『日本』だよ。聞いたことないだろ?」と淡白な調子で答えた。
案の定メアは「聞いたことないわね」と零すと「魔王を倒すと帰れるということは、伝説の仙境とかそういった何かしらの条件を満たさないといけない土地って可能性もありそうね」とまた憶測を口にする。
だが、その憶測には、些か興味をそそられた。
「そんな場所があるのか?」
「らしいわ。噂程度だけど、人が仙人になると至れるという場所があるらしいわ」
そんな場所があるのか、さすが異世界、と思った俺は「そうか」と相槌を打つ。
と、「それに」とメアが言葉を続ける。
「あなたがそういった地域の出身だって言うなら、夜雲が常人離れした能力を持っていることにもうなずけるわ」
そういう解釈もできるな、と思った俺は「そうなるか」と応えて、その数瞬後ふと頭をよぎった疑問を口にする。
「てか、そういえばさ、魔王ってどこにいるんだ? 魔王がたくさんいるらしいってことは知ってんだけど」
「基本、魔王は地獄にいるんだけれど、地上でも見られるわよ、一応」
地獄があるのか? と思って、瞠目した俺は「そうなのか」とだけ言って、耳に神経を集中させた。
「ええ、この王国と北の帝国の間に介在する広大な砂漠にいるはずだわ」
「へー砂漠に、じゃあ、早速帰ったら行ってみようぜ、上手くいけば、家に帰れるかもしれない」
案外、魔王という存在は身近にいるのか、と思った俺は、軽い調子でそう提案した。
「それはダメよ。砂漠に立ち入るのは危険だわ」と硬い声でメアが言う。
メアの声の色に、少し、驚いた俺は「……大丈夫だろ」と口にした。
と、メアがきびしい表情を作って言う。
「ダメよ! 駆け出しの冒険者が単身で行っていい場所じゃないわ。それに装備もしっかり整えないと、そんな軽装で行ったら、ほんの一、二時間で暑さにやられたり、砂嵐に巻き込まれたり、盗賊やモンスターに襲われたりして命がいくつあっても足りないわよ」
メアの物腰とうずたかく重ねられた物騒な言葉に思わずたじろいで、ポツリと質す。
「じゃあ……具体的にどんな装備を整えればいいんだよ?」
訊くと、メアは眉を開いて、暫時虚空を仰ぐと、ややあってから指折り数えながら答えた。
「そうね、『冷薬』と『冷衣』は絶対必要だし、あと、コンパスと防塵ゴーグルはあった方がいいわよね」
「何、その『冷薬』と『冷衣』って言うのは?」
「『冷薬』と『冷衣』って言うのは、簡単にいえば暑さを妨げるアイテムね。『冷薬』が体温の上昇を防ぐ薬で、『冷衣』は体温の上昇を防ぐ装備よ」
「じゃあ、そのどちらかを買えばいいわけか」
言うと、一瞬小首を傾げて、メアが言う。
「できれば、どっちも買うべきね。砂漠の暑さは尋常じゃないから、二つ揃えれば、効果は単純に二倍なるはずだから」
「そうか、じゃあまずその『冷薬』と『冷衣』を買うことにするか。……それって都市で買えんの?」
「売ってるはずよ。もの凄い高価だけど」
「高価っていくらくらい?」
「『冷薬』が十万くらいで、『冷衣』が二百万くらいね」
聞いた瞬間、心臓がびくんと跳ねあがるのがわかった。そして、心ならずも言い募る。
「は⁉︎ 高過ぎだろ!」
そんな大仰な態度の俺に、メアは冷静な調子で淡々と言葉を紡ぐ。
「暑さを差し引いても砂漠は危険だから、凄腕の冒険者とかじゃないと、赴けないようにする処置みたいなものね」
メアの言に納得する一方で、我知らず溜息が口腔から躍り出る。
「そうか、はぁ〜メアのぶんも合わせると四百二十万は必要か……」
「ちなみに、『冷薬』は効果時間が五、六時間だから十本は買っておいた方がいいと思うわ」
「まじか」
「魔王がいる砂漠の中心まで行きで丸一日かかるから、行って、帰ってくること考えたら……ってああやっぱり五本でいいわ」
「なんで急に?」
俺が眉根を寄せて問うと、メアは「砂漠は夜になるともの凄い寒くなることを忘れてたわ」と言って自身のこめかみを小突いた。
その刹那、嫌な予感が鎌首をもたげた。
「そうか、寒くなるってことは?」
恐る恐る訊くと、果たして嫌な予感は的中した。
「そうね。『熱薬』と『熱衣』も必須ね』
「それも高いのか?」
観念したように精彩を欠いた声でそう問うと、メアは朗々たる声で「もちろんそうよ。『冷薬』と『冷衣』と同じくらい」と俺の気も知らないでそう答えた。
「じゃあ、九百万くらい必要なのか……」
俺がそう弱々しい声で言うと、トドメとばかりに「そうなるわね。あと、コンパスと防塵ゴーグルもお忘れなく」と平然と言って、メアはその満面に屈託のない笑みを浮かべた。
俺は堪らず頭を抱えて街道に目を落とすと「ぐあー、クエストコツコツやって貯めるかー」と言って髪を両手で掻いてくしゃくしゃにした。
すると、メアはまたぞろ俺の気も知らないで「コツコツ頑張りましょう。えいえいおー!」と明け透けに口にして、拳を突きあげた。
俺は顔をあげると、元気のない声で「おー」と言って、肘を曲げたまま、拳を頭の位置に移動させた。




