第三十二話 話が通じないエルフ
勾配のある道をくだり切ると、すぐ目の前には、縦六メートル、横三メートルほどの大きな通路がぽっかり口を開け、俺たちを待ち構えていた。
「たぶん……これね」
「ぜんぜん、人一人通れるじゃねーか! むしろ五、六人が横一列でも余裕で通れそうじゃねーか!」
「だ・か・ら! 小さいときに、数回来ただけだから記憶が曖昧なのよ!」
俺の指摘に苛立たしげに言うメアを見つつ、ダメ押しするように軽口を叩く。
「年齢的なものではなく?」
「年齢的なものではなく!」
そうオウム返しをして、きっぱり否定するメアを横目に、通路を覗き込んでパクパク口を動かす。
「まあ年齢のことはいいとして、年だけに……。ふふ……。奥に灯りが見えるな」
「ほんとね……。年齢いじりはどうでもよくないし。そういうのホントしょうもないけど……奥に誰かいるのは間違いないみたいね。にしても、さっきから妙に静かね……」
先ほどから、ずっと聞こえていた邪竜のいびき声は、いつの間にか聞こえなくなり、洞窟内部は水を打ったかのようにしんと静まり返っていた。
「たしかに……ってことは……起きたのか?」
俺は軽く相槌を打つと、疑問を口にしながら、恐る恐る通路に聞き耳を立てた。
と、待ってました! と言わんばかりに、腹の底に響くようなグオオオオオオオ! という聞き覚えのある重低音が、突然俺の耳に襲いかかった。
「うるさ‼︎ 起きてない! 起きてない!」
肩を跳ねあげながら、両耳に指を突っ込み、その轟音をシャットアウトする俺の滑稽な姿を前にして、メアはやれやれ、と言わんばかりに大仰に肩をすくめてみせる。
それから、改めて、洞窟の奥で輝く琥珀色の光に、メアが赤いルビーのような目を向ける。
「まあ、とにかく、この奥に邪竜がいるのは間違いないようね」
その言を聞いて、尻込みするような名状し難い恐怖感と胸が熱くなるような形容し難いワクワク感が、同時に胸裏に去来し、複雑に混ざり合う。
「マジか〜! なんかドキドキするな〜! そういえば、近くにセーブポイントとかねぇのかな? お決まりだろ。ボスステージの前にセーブポイントあるの!」
「せ、セーブポイント? 何よそれ?」
額に手をくっつけ、キョロキョロと辺りを見回して、何気なく口から溢れた俺のユーモラスな冗談に、メアが軽く首を捻る。
「死んでもやり直せる魔法の結界的なやつだよ」
「死んでもやり直せるって? ネクロマンサーが腐敗の進んだ死体を蘇らせて使役するみたいなことを言ってるの?」
「……いや、単純に腐敗してない状態で生き返るやつのことだよ」
「そんなの聞いたことないわ」
戸惑うように、一層首を捻るメアを眺める一方で、一連の会話からゾンビ的な存在が、この世界にいるらしいことを悟り、空恐ろしい気持ちになりかけたのだが、「ははは……。まあいいや、それより、どうやって邪竜と戦う? 一応、作戦立てようぜ!」発して、なかば強引に話題をスイッチする。
「作戦?」
「ああ、その方が効率よく邪竜を叩けるだろ? たとえば、俺が邪竜と接近戦をするとして、その間、お前が遠距離から魔法で攻撃するみたいな」
前世で培ったゲームの知識をフル活用して、一目置かれてやろう、と意気揚々とメアに提案するが、返ってきたのは予想外の反応だった。
「なんだよその顔は?」
キョトンとするメアに、眉根を寄せながら、思わずそう疑問を呈する。
「いえ、作戦とか関係なく、全力で攻撃すればどうにかなるんじゃない? あ、あと、お前じゃなくてメアよ」
メアのとりあえずやってやろうぜ! みたいな発言に、にわかに疼き出したこめかみを必死に抑え込み、あたかも、ろくろを回すようなジェスチャーを交えて、幼子を宥めすかすように言葉を口にする。
「あ……うん……メア……。落ち着いて聞いてくれ、その方法で突っ込んだら高い確率で負けてしまう」
「なんでよ……? 寝込みを袋叩きにするんだし、なんとかなりそうじゃない」
その言葉を受けて、思わず絶句してしまったが、即座に満面を弾けるような作り笑顔で満たし、再度、柔い声で数度説得を試みてみたが、まったく話が通じなかった……。
その後、痺れを切らした俺は顔がピクピクするのを感覚しながら、根本的なことを問いただすべく言葉を紡ぐ。
「ぐぬぬ……。メアさん……ところで、その……戦闘経験はおありですか?」
「ないわよ!」
ドヤ顔でそう言い切るメアを目に留めて、へなへなとその場に頽れそうになるのを必死で踏み堪えて、百年以上、いったい何をしていたんだ! お前は! という言葉を胸に畳んで仕舞い込んで、ふにゃふにゃの声で質問を投げかける。
「そっか〜ですよね〜。じゃあ俺の言うとおりに動いてもらえるかな? あと、どんな魔法が使えるか教えてもらえるかな〜?」
「わかったわ! えーと、私の使える魔法は——」
そんなやり取りをする一方で、柔らかい物腰でメアに接する俺の胸裏は、嵐の海を喚起させるほどに荒れていた。
あああああああああ‼︎ という叫び声を胸のうちであげて、ついで、頭が頭がいでえよ! 先が思いやられるよ! と胸中で頭を抱えて喚く。
一方、そんな心情を知ってか知らずか(たぶん知らずに)邪竜の呑気ないびき声が轟いて、俺の神経を無神経に逆撫でた。




