第二十四話 必殺技
次々と木々が切り倒される。
土煙が濛々とあがり、不明瞭な視界の中、煌々と輝く魔法の斬撃が乱舞する。
俺の身代わりとなり、真っ二つに切断された森のおびただしい数の木々を見て、肌が粟立つのを感じた俺は、すかさずかぶりを振って視線を前に向ける。
そうして、薄れつつある土煙の奥に鎮座する巨大な物影を認めて、舌打ちする。
徐々に姿を現したのは、二メートルを超える人間の上半身に、大蛇の尻尾を生やした怪物——ナーガである。
「戦うだ! 化け物‼︎」
なんの変哲もないただの人間であるはずの俺を、『化け物』と呼ぶ『半人半蛇の化け物』の不満げな怒号が、耳朶をぐらりと大きく揺り動かす。
ナーガとの戦闘が始まってから、十分ほどの時間が経過した。
十分ほど前、俺はナーガに『この俺を怒らせたこと! 必ず後悔させてやる! 覚悟しろ! 化け物‼︎』と気炎を吐いた。
しかし、俺はナーガの攻撃を、自慢の怪力を駆使して防いだり回避することで手一杯で、このままでは後悔することになるのはナーガではなく俺になりそうな雰囲気である。
それもそのはずだ。俺は『天の剣』という伝説の武器と、それに付随した怪力などを始めとした強力な能力を有しているとはいえ、ほんの数時間前まで高校生として生きていた身の上。
目の前の巨大なハルバートを振り回す巨大な怪物と、サシでやって勝てるはずがない……。
近づけば、硬い鱗に覆われた尻尾が襲いかかってくるし、逆に離れれば、禍々しい魔法の斬撃が襲いかかってくる。
加えて、こちらの魔法による遠距離攻撃はハルバードの風車のような回転によって相殺される。
まったく、八方塞がりとはこのことだ……。
だが、焦りはない。
なぜなら、俺には奥の手が二つもあるからだ。
何を隠そう、それらの奥の手とは『水鮫』と『水鬼』——伝説級のウォーターゴーレムたちだ。
こいつらの存在が、目下俺の精神を安定化させることに、一役勝っている。
しかしながら、召喚する隙がない。
ナーガという怪物の攻撃パターンは、前述したとおり単純明快だ。
たぶん、大きくわけて三パターンしかない。
きっとあまり頭はよろしくないタイプのクリーチャーなのだろう。
だが、その脆弱な頭脳を補うほどの体力を保持しており、馬鹿の一つ覚えのように、先ほどから休みなく攻撃を繰り出し続けてきている……。
逆に、俺はというと、もう限界だったりする……。
汗が滝のように身体からあふれてくる。
さらに、追い討ちをかけるようにぜいぜいという荒い呼吸音が頭の中で反響している。
そして、焼けるように喉と胸が痛い。
シャトルランくらいシンドイ……マジで。
「うるせえ……。はぁ……はぁ……だまり……やがれ……」
ふらふらと持ちあげた剣の切先をナーガに向け、切れ切れに吠える。
すると、ナーガが片手でハルバードを握り直して、口を開く。
「まったく……。つまらねぇだ……。お前……ぜんぜん……強くねぇだ……。損した気分だべ……。もういいだ……。これで……終わり……だべよ」
息を落としながら、そう呟くとナーガは片方の肩口を後ろにぐいっと引いた。
それからすぐにハルバードの握られた手を前に勢いよく突き出すと、放たれた矢のように、俺に向かって一目散に突進を開始した。
魔法のオーラを纏ったハルバードの穂先が、怒涛が如く、俺、目がけて一直線に肉薄する。
「うわあああああああああ‼︎」
その凄まじさに圧倒され情けない声をあげながら尻餅をつくと、ハルバードが俺の頭のすぐ上を通過する。
そうして、オーラの眩しい光に目を瞬かせる、俺のすぐ目の前に、ナーガが陣取る。
破顔する怪物の表情を目にして、諦めに似た形容し難い感情がにわかに胸中に芽生える。
もう限界だ……。
そう胸中で零して諦めかけたとき、突然身体に違和感が生じる。
その違和感は、かつて体験したことのある感覚だった。
その違和感の正体を思い出そうとした次の瞬間、水の膜に俺の全身が包み込まれる。
その矢先、ウォーターベール⁉︎ と心中で驚く俺を見おろして、ナーガが、憐憫の眼差しを彷彿させる視線を俺へと向けて、諭すように言葉を口にする。
「もう……観念するだ……。おいらの……必殺技で……一思いに終わらせて……やるだ」
幸運なことに、どうやらナーガは俺の『ウォーターベール』に気がついていないらしかった。
だが、耳を疑うようなことを耳にした俺は、思わず胸中で、必殺技だと⁉︎ そんなのがあるのか⁇ と驚きの声をあげる。
そんなことを考え、目をぱちくりさせながら、驚愕していると、俺の目の前からナーガが忽然とその姿を消した。
「な⁉︎ 消えた‼︎」
慌てて周囲をキョロキョロと見回すが、ナーガの影はどこにも見当たらない。
「こっち向くだ‼︎ 化け物‼︎」
不意に鼓膜を打つような大きな声が、上空から雷鳴のように轟く。
急いで声のする方向に目を向けると、三十メートルほど上空に、いなくなったはずのナーガがいることに気がつき、驚愕から我知らず口を大きく開く。
いつの間にあんな高さまで飛びあがったのだろうか?
そう疑問に思いながら、常人離れしたナーガの跳躍力に瞠目していると、ナーガがやにわに片手で持っていたハルバードの向きを逆転させ穂先を地面へと向ける。
そうすると今度は、間髪入れずにそのハルバードの柄の部分を両手で目一杯握りしめる。
直後、ナーガは釘づけになる俺を目に留めると、ニヤリとほくそ笑み一際大きな声を喉から絞り出す。
「バーニングサンメテオスピア‼︎」
魔法か? そう思う俺を尻目に、ナーガのカタカナ語に反応するように、赤と黒をないまぜにしたかのような色を湛えていたハルバードが瞬く間に変色し白く輝く。
そのまま、燦々と輝く太陽のような光を帯びたハルバードを握り締めたナーガが、地面に落ちる影が如く落下し始める。
そして、想定される落下地点のすぐそばには、なんと俺がいる。
つまり、どういうことかと言うと、ヤバイ! と言うことがわかる。
「やばぁ……」
そう漏らしながら別の何かを漏らしそうになるが、その何かが漏れるよりも早くナーガが地面へとさながら隕石のように接近する。
一寸先に迫りくるナーガを認めて、ふとある光景がありありと目に浮かびあがる。
それは俗に言う走馬灯……ではなく、それは『水の魔導書』に書かれていた魔法の効果に関する記憶だった。
水の超級魔法『ウォーターベール』は、どんなダメージでも一回耐えることができる。
……たしかそんな効果が記載されていたはずだ……。つまり、これは……。
夜闇に包まれた現状に一筋の光が差す寸前で、目と鼻の先にある苔に覆われた地面にぐさりとハルバードの穂先が突き刺さる。
と見る間に、その地面は急速に膨れあがり、回避する間もなく、巨大な泡のように破裂する。
視界は一瞬で真っ白になり、追従するように爆風と轟音が周囲に巻き起こる。
続いて、異世界に転移して一日も経たずして、死の淵へと滑り落ちる……はずだった俺の耳にパチンという何かが弾けるような小気味のいい音が入り込んできた。




