第二十一話 三体の怪物
オロチ山洞窟最奥部。
洞窟最奥部の壁面には、等間隔で火のついた松明が設えられており、それらがパチパチと小気味のいい音を立てながら、漆黒の闇を追い払い最奥部を明るく照らし出していた。
全貌が詳らかになったその場所には、一つの錆びれた鉄製の玉座が置かれており、そこには一人の青年が足を組みながら、どかりと腰を据えていた。
青年の髪は白に近い金髪で肌は褐色、耳は悪魔のように尖っており、まるでダークエルフを彷彿させるかのような風貌をしている。
が、禍々しく光る彼の双眸が、青年がダークエルフではないことを言外に滲ませていた。
彼のエメラルドを喚起させる一対の瞳には、それぞれ縦に裂けた蛇のような瞳孔が、威圧感を放ちながら堂々と鎮座していた。
彼はおぞましい一対の瞳を、自身の手元に据える。
彼の瞳に映るのは、頭蓋骨だ。
一週間前までエルフとして生きていたそれを、まるでボールのように弄び退屈を殺している。
ふと、彼の動きが止まる。
視線を髑髏から外し、「いたのか」と言って前方へと転じる。
しかし、彼の双眼に映る物影はない。
と次の瞬間「何をしている? 姿を現せ」と青年が言葉を口にした。
その言葉を口火に、何もないところから突然現れる幽霊のように、二体の怪物が虚空から突如姿を現した。
松明の揺蕩う炎によって照らされた、二体の怪物の姿が青年の瞳の中へと踊り込む。
青年の瞳の中の二体の怪物はそれぞれ異なる外見を有していた。
一体は無造作に伸びた暗い色合いの茶髪に、深い海を想起させる青い瞳を持った野生的な顔立ちをした大柄の男……のような見てくれの怪物だった。
上半身だけでも二メートルはありそうな巨躯を持ち、その大きな身体は分厚い筋肉によって覆われていた。
誰もが憧憬の眼差しを向けるであろうその鍛え抜かれた男の上半身に猛獣みたく喰いさがるのは、太い丸太を想起させる脚……ではなく太い丸太の如き尻尾であり、とどのつまり、鍛えあげられた人間の上半身と相反するその下半身は、人間のそれではなかった。
そうそれは、男を人間ではなく怪物であると断定するのに、十分過ぎる証左であった。
その怪物は、人間の上半身を持ち、人間の下半身の代わりに、黒い大蛇の尻尾を生やした俗に『ナーガ』と呼ばれる半男半蛇の怪物であった。
ナーガの大きな手には到底人間では扱え切れないほどに大きなハルバードが握られており、それが松明の光を照り返し、キラキラと神秘的な輝きを放っていた。
そんな屈強な怪物の真横に並ぶのは、怪物の半分以下ほどの大きさの美しい女だ。
男の怪物と同じような色合いの茶色の長髪に、これまた同じような仄暗い碧眼を有した、その女は息を呑むほどの美しさをその身に湛えている。
整った顔、裸の上体の順に目を動かすたびに、健全な男子ならば情欲を掻き立てられることだろう。
しかし、二度あることは三度あると言うように、その蠱惑的な女の半身は、縦に裂けた青年の瞳孔や隣で肩を並べる怪物の下半部同様、怪物じみていた。言葉を濁さず言えばそれは漆黒の鱗に覆われた大虫の尻尾であった。
恐ろしさとおぞましさを兼ね備えるその美女……否……怪物は俗に『ラミア』と呼ばれる半女半蛇の怪物であった。
その女の怪物——ラミアの華奢な手には錫杖のような銀製のスタッフが握られており、ハルバードと同じように松明の光を跳ね返しキラキラとした月光に似た輝きを放っている。
姿を現した二体の怪物は頭を深々とさげ黙礼した。
そうして、示し合わせたように同時に頭をあげると、ナーガ同様、術を解くことを失念して青年に見惚れていたラミアが、自身のおちょこちょいを誤魔化すようにコホンと軽く咳払いをしてからその小さな口から言葉を紡いだ。
「邪竜さま。ただいま戻りました。貢ぎ物と生け贄のエルフは御命令どおり洞窟の出入口の真横に、しっかり並べて置きました。是非お召しあがりください」
「お召し……あがり……くだ……さい……ですだ」
ラミアの鈴を転がすような声を追うように、男の怪物——ナーガが地を這うような低い声をたどたどしく響かせる。
「そうか……ご苦労……」
その『邪竜』と呼ばれた青年はそう短く呟くと、二体の怪物へ交互に視線を送る。
そこで、ラミアとナーガの表情が少々曇っているのに気がついたのか、金文字のようなそれらの眉をいささか曇らせた。
「……どうかしたのか?」
「……邪竜さま。その……言い難いのですが……今日連れてきたエルフが、最後の魔力持ちの個体になります……」
重々しく告げられた事実に、青年——邪竜がパチパチと目を瞬かせる。
そして、顎に手を当て、数秒考えるような仕草をしてからゆっくりと口を開き、白い牙を覗かせる。
「ふむ。では、次の獲物を探さねばならぬということか……。まったく……養殖でもすればよかったか? それとも一匹いれば今からでも間に合うか?」
首を傾げつつ、そう述懐する邪竜にラミアが進言する。
「邪竜さま……お言葉ですが……長命な種族であるエルフ族は繁殖力が低いことに加え、ただでさえ魔力を持ったエルフはなかなか生まれないと聞き及んでおりますから、魔力を持ったエルフ以外の種族を探すべきかと愚考します」
「ふむ。そういえば、喰った十体の白いエルフのうち、四体くらいは魔力を持たない個体だったなぁ……」
「も、申し訳ありません! きちんと調べずに、すべて私の責任です。何か罰をお与えください!」
自身のミスに遅まきながら気がついて、悔恨に打たれて渋面を作ったラミアをじっと見据えて、邪竜は一瞬黙考に耽るように、目を瞑る。
そうして、おもむろに目を開けると、語りかけるように言葉を紡ぎ出した。
「まあよい。魔力に長けているはずの白い髪のエルフに、魔力を扱えない落ちこぼれが混じっているとはこの邪竜でさえも夢にも思わなかった。だから、今回だけは目を瞑ろう」
「寛大な御処置を賜り痛み入ります! 邪竜さま!」
そう言って、涙ぐみながら、手を美しい髪で隠された胸の前で組み、なんて邪竜さまは器が大きいんだろう、と感嘆するラミアを尻目に、邪竜が言葉を口にする。
「ところで、ラミアよ。何か……次の目星のほどはもうついているのか?」
「はい! もちろんです! 邪竜さま! この山から南西にある王都には魔法使いの学院があると聞きます。その『魔法学院』の生徒を誘拐したいと考えております」
臆面もなく物騒なことを言うラミアに、眉一つ動かさず邪竜が澄ました顔で言葉を返す。
「魔法学院の生徒ならば、反撃されても容易に対処できるな。それに、お前らの『不可視化の術』ならば、手練れの魔法使いに勘づかれることなく最も簡単に誘拐できそうだな」
「はい! ですので、失敗する確率も低いと思われます!」
「それは素晴らしい! しかし、それはそうと……あと何体喰えば、力が戻るのだろうか? 強大な魔力持ちを喰らえば、すぐに回復できるのだろうが……不死性を欠いた今の俺さまでは……。ちぃ! まったく……これもすべてあのくそ野郎のせいだ……。ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう‼︎」
ラミアの言葉を聞き、破顔しつつ上機嫌に応える邪竜であったが、にわかにその表情は山の天気が如く崩れ、暗澹とした面持ちになると、鼻に皺を寄せポツリポツリとうつむきながら独り言を零し始めた。
遂には、嫌な記憶でもを思い出したのか、額に青筋を浮かべると、急にのしかかったそのストレスを発散するように腹立ち紛れに持っていた髑髏をバキリと片手で握り潰し粉々に破壊する。
「「………………」」
その光景を見たラミアとナーガは、互いにビクリと身体を震わせると、そのまま野辺の石ころのように押し黙る。
たちどころに生じたそんなひりついた空気が領する洞窟内を松明のパチパチという快音が、縫うように動きブルブルと彼らの鼓膜を震わせる。
そんな重苦しい空気を何かの拍子に察したのか、邪竜が、ふと我に返ったかのように顔をあげると、その重々しい雰囲気を切り裂くように明るい調子で口を切る。
「ああ、すまぬすまぬ。情けない話だが、これからもよろしく頼むぞ」
邪竜の口から迸った言葉に、どぎまぎしながら、ラミアとナーガが答える。
「も、もちろんでございます! 邪竜さま!」
「も、もちろんで……ござい……ますだ!」
「うむ。では、気分転換に食事でもしようか」
話が一段落して、邪竜が、そう言って玉座から立ちあがりかけたところで、「……ん? いや、待てなんだ⁉︎」と突然邪竜が零して、両の目を大きく見開いた。
続いて、ラミアが「は?」と訝るような声音で声をあげる。
「どうしただ? 邪竜さま? ねぇちゃん?」
異様な雰囲気の邪竜とラミアを心配するようにナーガが慌てて声をかけるが、返ってきたのはラミアの怒気の籠った叫びであった。
「黙りなさい‼︎」
ラミアの怒声を呼水にナーガが目を白黒させていると、邪竜がラミアに呼びかける。
「おい! ラミア! 魔水晶だ!」
「はい! ただいま!」
邪竜の呼びかけに、ラミアがどこからともなく薄紫色の水晶玉を取り出し、食い入るようにためつすがめつ覗き込む。
そうして、数分の沈黙ののちに、ラミアが声を発する。
「邪竜さま! たぶん、こいつです!」
ラミアの長くか細い指が指し示す先に邪竜が視線をやると、邪竜の緑の目に飛び込んできたのは一人の少年がポツンと青い草原に佇立する姿だった。
邪竜は少年の姿が映る水晶玉を両手でガッシリと掴みあげると、顔を近づけ目を凝らす。そして、驚愕したように疑問を口にする。
「何? このわっぱか? そんな馬鹿な⁉︎」
戸惑う邪竜を落ち着かせようとしてラミアが言葉を口に出す。
「『エルフ大草原』にいる魔力持ちは……どうやら、この少年だけのようです……。この少年がそうに違いありません」
その言葉を耳に入れて、いくらか冷静さを取り戻した様子の邪竜がこめかみに手を当てて、呻くように呟く。
「……そうか、ならばこいつは相当な魔力の持ち主ということなのか……? しかし、どこから現れた? 魔王並みの魔力……魔王というのは、ぼうふらが湧くみたいにどこからともなく現れるものなのか? まったくわからんことばかりだ……」
滔々と語られた邪竜の言葉には、混乱の色がありありと滲んでいた。そんな邪竜を見て、ナーガが思わずといったふうに口を開く。
「ねぇちゃん……どういうことだ? ……何が起きてんだ?」
心配そうに訊ねるナーガに目を投げて、やれやれ、と思ったラミアが嘆息まじりに状況を説明する。
「そうね。あんたは魔力感知ができないから仕方ないわね。エルフ大草原に突然魔王並みの魔力の持ち主が現れたから、邪竜さまと私は驚いているの……魔王ってわかるわよね? 理解できる?」
ラミアの子どもに説明するような噛んで含めるような物言いに、ナーガは眉を顰めることなく、代わりに首を捻って、とつとつと疑問を口に出す。
「うんわかるだが……そんな……ことあるだか?」
「知らないわよ‼︎ だから、今それを調べようとしてるんじゃない‼︎」
「う……ねぇちゃん……ごめん」
恐慌をきたす一歩手前といった態度で、声を荒げるラミアに、たじろぎながらナーガが謝罪する。
数瞬後、その謝罪を聞いたラミアは深呼吸すると、「まあいいわ」と小さく呟いてから、邪竜に顔を向け進言する。
「邪竜さま。暫くこの子どもを監視しましょう。こいつを胃に収めることができれば、確実に邪竜さまの不死性も魔力も回復すると思いますので……」
ラミアの言葉に得心した様子で、ポンと拳で手のひらを叩き、直後邪竜が引き結んでいた口元を緩める。
「おお! たしかにそのとおりだ! が、しかし、こいつは本当に何者なのだ? 明らかに、手練れの者という雰囲気は微塵も感じられないが、内包する魔力は絶大……皮と中身が一致していないような……。……子羊の皮を被った狼……。いや、グリフォン……。いや、ドラゴンか……? ほんとうにどういうことなんだ……?」
邪竜はポツリポツリと疑問を口にして、頭を掻きむしりながら、少年の動向を繁々と観察する。
三体の怪物の鋭い視線が、水晶玉に映る少年に殺到する、そこには、ブレザーを着た黒髪の少年の姿が映っており、彼の満面には怪物に狙われているなどとは微塵も考えていないかのような、大輪の花のと見紛うばかりの笑顔が咲いていた。




