第十八話 輝く黄金の瞳
ヒュドラ村長老宅。
木の丸椅子に腰を据えた俺は、前方へと視線を向ける。
節くれだった木製のテーブルを挟んで、目に映るのは、長い髭を蓄えた老齢のエルフ——長老だ。
その髭は完全に白んでおり、顔には深い皺が刻まれている。
下手したら、百歳に近いのではないか、と思えるほどにヨボヨボだ……。
しかし、落ち窪んだ一対の目には、そのヨボヨボな見た目と相反する、あたかも少年が憧れのヒーローを見るかのような憧憬の色が湛えられており、精彩を放つその目を見ていると、その迫力に圧倒され、思わず目を背けそうになってしまう。
まあ、そんな熱烈な視線を送ってくる長老の話はひとまず置いておくとして、なぜ俺がここ——長老宅にいるのかというと、端的に言えば断れなかったからである。
あの一悶着のあと、長老は俺に「話を聞いて欲しい、ぜひ家に来て欲しい」と言って、足元に身を投げ出すとちょうど蝉の幼虫みたく脚に縋りついてきた……。
その長老の村の長とは思えぬ行動にドン引き……否……一抹の恐怖を感じた俺は丁重にお断りしようと口を動かそうとしたのだが、ふと顔をあげると懇願する長老の向こう側で、俺に熱い視線を送る金髪、銀髪、緑髪の村人たちの姿が目に飛び込んできた。
そして、村人から放たれる光線みたいな視線が、さながらゴルゴーンのように俺の両唇を忽ち硬直させた。
そう……明らかに断れる雰囲気ではなかった……。
数秒の間を置いて、不承不承ではあるが長老の願いを聞き入ることにした俺は、同意を示すようにコクリと頷いてみせた。
その上下する頤を仰ぎ見た長老は、水を得た魚というか岸に打ちあげられた魚の如く欣喜雀躍すると、そのまま血に飢えたマーマンのように俺を恐怖の淵——長老宅へと誘った。
それで、現在俺はこうしてある種の居心地の悪さに苛まれている、というわけである……。
ちなみに、その件の長老宅は、ほかの家屋と寸分違わぬ見た目の茅葺き屋根の小さな平屋で、村の出入口から入ってすぐの円形の広場を通り抜けた先——村の最奥に位置していた。
あと、来る途中の広場の真ん中には、首のもげた石像が置かれていたが、触れたら面倒くさいことに巻き込まれそうな気がしたので、リアクションすることなくスルーした。
そう、『事なかれ主義』というやつである。
面倒ごとに巻き込まれるのが大大大嫌いな俺にとって、『事なかれ主義』とは無二の友と言っても過言ではない人生の指針である。
それゆえに、トラブルになり得る事象を察知する嗅覚は抜群であり、たとえトラブルに巻き込まれたとしても、慌てず焦らずただただ小石のように波風立てず、嵐が過ぎ去るのをじっと堪えられるだけの精神的なタフさが俺にはある……そうあるはずだったのだが……あのときの俺は、どうかしていたのだろうか?
脳中に蘇るのは、村の前で柄の悪い村人たちを完膚なきまでに叩きのめしたときの記憶だ。
力を得たから気が大きくなったのだろうか?
仮にそうだとしても……頭にきたからといって、手をあげるだなんて、俺らしくもない。
今までどんなに業腹な想いをしても、最低最悪な憂き目に遭っても、奥歯をぎりぎり噛んで、ぎりぎり堪えることができていたのにどうして?
どうしてあんなことをしてしまったのか……?
いつもの自分なら……引きつった笑みを浮かべて適当に受け流すはずなのに……受け流せるはずなのに……。
どうも、この異世界に訪れてから何かがおかしい……気が短くなったというか……耐えるということができなくなってしまったように感じる。
やはり、怪力や魔法といった『力』を手に入れたことが原因なのだろうか?
だが、そんなことで性格までもがこんな短期間に、変わってしまうことが果たしてあるのだろうか?
臍を噛む思いで、くよくよ思案していると、出し抜けに嗄れた声が耳に届く。
「英雄さま! なにとぞなにとぞ! 我らをお救ください!」
英雄さま?
初対面のときもそうだが、この爺さんはいったいなんの話しをしてるんだ?
俺は、我にもなく眉根を寄せると、すかさず長老に訊ねた。
「そのさっきから意味がわからないんですが? 何をもって俺が英雄だと仰ってるんですか? それに……何から救えって言うんですか?」
長老が俺の疑問を受けて、一瞬キョトンとする。
「ああ! これは失礼。あまりの感動に我を忘れてしまいました。何をもってと言いますと……そうそれは、先ほどのあなたさまの怪力! そして、あなたさまの眼窩で輝く黄金の瞳です! わしが幼き頃、見た大英雄さまと同じ瞳なのです! わしは確信しました! あなたこそ、かの大英雄さまの生まれ変わりであると! あのおぞましい邪竜から我々を救ってくださると!」
立て板に水を流すように語る長老は話の途中で、熱が入ったのか勢いよく椅子から立ちあがり、テーブルに両手をついて前のめりになると、今度は立て板に熱湯を流すが如く、物凄い熱量で、過去、エルフ族に何が起こり、その大英雄とやらがどのくらい凄かったのか、という思い出話を、俺へとぶつけてきた。
言い淀むことなく過去を語り終えたその茹だるような長老の熱気に、俺は若干怯みながらも、頭の中でその話を整理した。
つぶさに語られた長老の話をまとめると、長老が子どもだった頃、エルフ族が『邪竜』によって襲われた。で、そのピンチを『大英雄』が救ってくれた。で、なぜか俺とその大英雄さまとの間にはいくつかの共通点があって、たまたま村を訪れただけの俺をその大英雄さまの『生まれ変わり』だと思い込んでいるということ……らしい。
正直言って、意味がわからない!
俺の『事なかれ主義』がけたたましく、今すぐここから離れろ! と警鐘を鳴らしている。
が、まあ一旦クールになろう。
ぶっちゃけ、意味がわからないが、『大英雄』と『邪竜』という言葉には、些かではあるが興味がある。
だから、俺は長老のわけのわからない話につき合うことにした。
う〜ん、俺を生まれ変わりだと思っているということは、その大英雄さまとやらはもうとっくにお亡くなりになっているのだろうか?
あと、俺の怪力を見て、俺をその大英雄の生まれ変わりだと勘違いしたということには、ギリギリ納得がいくが、もう一つの方……そう黄金の瞳っていったいなんのことを言ってるんだ?
与えられた情報から思考を巡らせ、さまざまなことを憶測する。
だが、どうしてもその黄金の瞳とやらについては心当たりがない。
なんせ俺の瞳の色は生まれたときから真っ黒だし、カラーコンタクトの類いをつけた記憶もない。
頭を悩ませ無駄にモヤモヤした俺は、長老に視線を向けると、反発するように言った。
「あの長老! お言葉ですけど俺の瞳の色は黒ですよ! 黄金色なんかじゃありません! どっからどう見ても真っ黒でしょ? よく見てください!」
俺の言葉を受けた長老は、またキョトンとすると、言われるがままに、繁々と俺の瞳を覗き込んだ。
が、俺の瞳をじっくり見つめた長老は、なぜか腑に落ちないといった様子で、白い髭を触りながら眉間に皺を刻んだ。
俺は、そのまま黙考に耽る長老を暫くの間、無言で見守っていた。
それから、ややあって、痺れを切らした俺が「あ、あの長——」と口火を切ったところで、「そうじゃ!」と出し抜けに長老の声が弾み、その弾みに倣らうように俺の肩がびくりとわずかに跳ねあがった。
そうして、目の前にいる『長老』が語尾に「じゃ」とかつけるタイプの『長老』であることを知った俺を尻目に、長老はゴソゴソと鼠色の着物の裾をまさぐり始めた。
「ど、どうしたんですか?」
「少々、お待ちを英雄さま……おお! ありました! ありました!」
何があったというのだろうか? あと、いつの間にか呼称が『英雄さま』になってやがる!
そんな言いたいことだらけの俺の目の前に、長老が何かを差し出す。
「長老……これは……か、鏡ですか?」
すっと俺の目の前に差し出されたのは、飾り気のない持ち手のついた小さな手鏡であった。
俺はわけがわからないといった心地で、その鏡を手に取ると、無意識のうちに、鏡面を自分の目と鼻の先に近づけて、自身の虚像を見据えた。
小さなその鏡に映るのは、俺だった。
そう……真っ黒な……闇を照らす、輝く黄金の瞳がチャームポイントの……お……俺?
俺は、口を手で覆って暫時絶句した。
そうして、ほどなくしてから、鏡を見つつ、とつとつと疑問を口にした。
「な、何……これ?」
自分の目がコスプレイヤーの目みたいになっていた……。
コスプレをする趣味なんてないのにもかかわらず……。
コンタクトとかカラコンとか怖くて入れられないのにもかかわらず……。
双眼がコスプレイヤーのようになっていた……。
そして、その突然の出来事に、目をぱちつかせ、口をパクパクさせながら、不意に鏡から視線を外し、前方にその視線を投げると、そこには顔を綻ばせる老人がいた。
しかし、その湛えられた柔和な笑みとは裏腹に、老人の金壺眼は真剣そのもので、有無を言わせない凄みのようなものを放射していた。
わかっていただけましたね? と言いたげな長老の無言の圧力を受けて……遅まきながら悟る。
そうか……俺、実は……大英雄の生まれ代わりだったのか……と。
そう悟った瞬間、「ははは……」という乾いた笑いが唇から漏れ出し、続いて二筋の涙が頬を伝った。
そんなわけねぇだろ! と言う気力はとうに残されてはいなかった……。




