第十六話 ヒュドラ村
『ヒュドラ村』。
ヒュドラ村は、『エルフ大草原』と言われる茫洋たる草原の南方に位置する『エルフ族』の村である。
ヒュドラ村の中央には、かつて、エルフ族を『邪竜』とその眷属たちから救い出した『大英雄の石像』が鎮座している広場があり、その円形の広場を中心に、村人の住む茅葺きの家屋が広がるようにして三十軒以上も軒を連ねている。
また、村には、モンスターなどを阻害する防壁のような強固な囲いは見られず、何の変哲もない木の柵が村を囲むように巡らされている。
村の防御が手薄なのは、村の中心に鎮座する石像が魔除けの効果を、長期間に渡って発揮していたからである。
その強力な魔除けの効果で、村の周辺、ひいてはエルフ大草原に、モンスターの影が見られるということは、村ができてからはほとんどと言っていいほどなかった。
そして、この村には、異なる特徴を有したエルフの一族が、一部例外を除いて仲良く暮らしている。
たとえば、非常に長い耳と白に近い金髪が特徴で、猛禽類を凌駕する視力が自慢の弓を得意とするエルフの一族。
または、一般的なエルフのイメージから遠くかけ離れたたくましい体躯を誇る、素手や剣、棍棒で戦う、近接戦に特化した薄い緑髪が特徴的なエルフの一族。
さらに、薬師や鍛治師などを始めとした手先を器用に使うことに長けた暗い銀髪をしたエルフの一族。
そうして、最後に魔法を得意とする燃えるのような赤い瞳に、凍えるような白い髪が特徴の村で忌み嫌われるエルフの一族……。
元々、エルフ大草原には、こうした別々の特徴を有するエルフの一族が暮らす小さな集落が点在し、それぞれの一族が互いに、何百年もの間、ほとんど干渉することなく安閑と暮らしていた。
しかし、今から三百年ほど前、平和だった大草原に突如として、邪竜の魔の手が及ぶ。
邪竜は、ヒュドラ村近くの『ヤマタ山』の洞窟を根城にすると、エルフ大草原を領するために、自らの眷属である『毒蛇』、女頭蛇身で魔法を操る『ラミア』、また男頭蛇身でラミアの作り出した魔法の武器を操り戦う怪力自慢の『ナーガ』などといった総勢五千を超えるモンスターに命令をくだし、大草原のあちこちに点在していたエルフ族の集落を襲わせた。
その結果、半年も経たないうちに、その茫漠とした緑の大海に暮らすエルフ族の八割以上が、無惨にも殺害されることになってしまった。
そこで、多くの同胞を失ったエルフたちは徒党を組み、邪竜の眷属たちと戦うのだが、自慢の弓術や剣術などの近接戦闘術を誇るエルフたちも、ラミアやナーガが行使する強力な魔法の力の前では、あたかも羽虫の如く命を散らしてしまった。
最終的には、一年経たずして、エルフのその泥縄で組まれたグループに属していたエルフの戦闘員の過半数が死に絶え、結句そのグループは敢えなく壊滅状態に陥いることとなった。
そんな絶対絶命の状況下で、エルフ族の誰もが諦めかけたそのとき、陰惨な空気がまざまざと漂う大草原に、突如として、光明さながら一縷の希望の光が差した。
それが、件の石像の大英雄である。
大英雄は、右手に棍棒を握りしめ、獅子の毛皮を被った偉丈夫で、半日で草原に跋扈していたラミアやナーガたちを最も簡単に駆逐してみせた。
その後、オロチ山の洞窟に赴いた大英雄は、邪竜を完膚なきまでに叩きのめすと戦意喪失した邪竜を草原まで引きずり、数分で大穴を掘ってそこに塵紙のようにずたずたになった邪竜を投げ捨てると、封印魔法の文様が刻印された途轍もなく巨大な白い岩石を左の手のひらから出現させ、あたかも臭いものに蓋をするようにして邪竜を完全に封じ込めてしまった。
爾後、その大英雄は邪竜の封印が完了すると、エルフ族の生き残りを手招きして呼び寄せ、今度は手から大英雄の背丈くらいの大きさの岩石を生み出し、「この岩で私の石像を作り、その周囲に家を建てて暮らしなさい。さすれば、同じような惨劇が起きることは今後三百年はないと約束しましょう」と告げて、エルフたちに背を向けて颯爽と彼らをあとにしたという伝説が残っていたりする。
また、余談ではあるが、その光景を見ていた邪竜の眷属であるおびただしい数の毒蛇たちは、恐怖で毒牙がすべて抜け落ち、ただの蛇と化して、オロチ山の麓に茂る森に逃げ込んだという滑稽な伝説も残っており、その森をエルフたちは皮肉と親しみを込めて『弱虫蛇の森』と呼んで、よく蛇たちを狩って食べていたりするらしい。
そういったいくつかの伝説が残る村の前で、伝説が生まれて三百年以上経過した現在、灰色のブレザーを身につけた黒髪の少年が、腰にショートソードをさげたいかつい風貌の緑髪のエルフたちに絡まれて、どぎまぎしながら、心底家に帰りたいという思いに駆られていた。




