第十四話 大穴
「それにしてもデカいな……」
感嘆にも似た声を漏らしながら、巨大なその岩を仰ぎ見る。
少し離れたところから見たときには気づかなかったが、近づいてよくよく見てみるとドームのように大きいその巨岩には、びっしりと古代文字然とした文様のようなものが刻まれていた。
それを認めて、こういった物体には、アイテムや財宝の在処のヒントとなる何かが隠されているものだと、相場が決まっている! とピンときた俺はその文様を繁々と見つめながら、巨岩の周りを公転する惑星みたく歩き始める。
なんの根拠もない憶測に期待し、胸をパンパンに膨らませた俺は、異世界のしんどさに沈んでいた、気を取り直して、いそいそとソックスに覆われた自身の足を運ぶ。
そうして、自分のいた場所から反対側にさしかかる途中で、顔目がけて夏の虫みたいに飛んできた光景に、思わず目を瞬き驚愕する。
「な……なんだよ……これ?」
眼前に広がるのは、巨岩がすっぽり入るほどの大穴であった。
そこに何があるのか詳らかにすべく、その大穴を恐る恐る覗き込むが、深度が高過ぎるせいなのか、底を見ることは叶わなかった。
また、巨岩の高さと大穴の深度を目視で比べてみると、圧倒的に大穴の深度の方が優っているように思えた。
巨岩にびっしり刻まれた文様や巨岩の高さを上回る大穴の深度などといった情報を、映画や漫画、ゲームといったカルチャーで培った知識と照らし合わせる。
そして、暫しの黙考ののちに、ある結論に辿り着く。
「もしかして? 何かが封印されていたのか……この穴に?」
もしそうだとしたら、どれだけ巨大な化け物が、世に解き放たれたというのだろうか?
空恐ろしい気持ちが心の底から濛々と込みあげ、呑み込まれそうになるが、すかさず正気に戻るように首を左右にぶんぶんと振って、なんとかことなきを得る……。
「まさかな……映画じゃあるまいし……」
自分のどうしようもないくらいに心配性な性格に、苦笑しながら自身を落ち着かせるそんな言葉を口にする。
それから、数十分間、巨岩や大穴の周辺を隈なく探すが、財宝の在処か、ましてやアイテムさえ見出すことができなかった。
「こういう場所には珍しいアイテムとかあると思ったんだけどな……。骨折り損のくたびれ儲けだぜ……。たく、ただのデカい石ころかよ!」
俺はそう吐き捨てるやいなや、腹立ち紛れに、巨岩に蹴りを入れる。
すると、叩けば響くように、みしりという鈍い音が耳に届いた。
「え?」
最初、骨が折れたのか、と思い、心ならずもギョッとしたのだが、すぐに蹴った場所を確認して別の意味でギョッとする。
巨岩に自分の足がゲームのバグが如く、ガッツリめり込んでいたのである。
「な……な……な⁉︎」
俺は突然のことに、なを連呼しながら、目をぱちつかせたのだが、すぐに気を取り直し、冷静に独りごつ。
「ああそういえば、俺には怪力のスキルが付与されてるんだっけか?」
剣の装備者に付与される能力にそんなのがあるみたいなことを、しゃべる雲から聞いたという模糊たる記憶を思い出し、一応、納得する。
「それにしても……岩にめり込むほどの蹴りとか、どんだけ凄い馬鹿力なんだ……」
若干、自分の凄さに引きつつ、めり込んだ薄汚れた白いソックスに包まれた足を、ゆっくりと引き抜く。
「足はなんともないな……。それに、しっかり……穴が空いている……靴下にではなく、岩に……穴が……」
足と穿った穴とを交互に見比べ、能力の凄まじさに改めて瞠目する。
靴を履いていないのに、なぜか怪我一つなく、痛みすら感じない。
これも剣の効果なのだろうか?
「じゃあこっちはどうだろう?」
俺はそう言って、右手で拳骨を作り見据える。
失敗したら骨が折れるかも、という漠たる恐怖感が鎌首をもたげるが、そういえばポーションとかいう回復薬があったことをなんとなく思い出し、そのとぐろを巻いた嫌な感情を草むらへと追い払う。
俺は、さっきから乱れがちな呼吸を整えると、ボクサーのファイティングポーズ風の構えをした。
そうしてから、ロングボウを引き絞るように右肘を後ろに引く。
それから、「うりゃあ‼︎」と裂帛を想起させる大声をあげ、右ストレートを岩にめがけて放つと、目を眦が避けてしまうくらいに剥いて、手放しで仰天する。
まず右手に痛みは一切感じなかった。
同様に、拳が岩のように砕けるようなこともなかった。
そう砕けたのは、巨岩の方であった。
右手が足と同じように、巨岩にめり込んでいる。
だが、足のときとは異なり、今度はそれだけでは終わらなかった。
めり込んだ右手を中心に、鏡面に亀裂が蜘蛛の巣状に走るようにして、巨岩にひびが入る。
そうして、ボゴンという音が耳を強かに打ち、爆発的にクレーターが生じた。
「とんでもねぇ‼︎」
口を突いて飛び出した言葉には、自分の能力を畏怖する心情がまざまざと滲んでいた。
こんな威力のパンチを、もし仮に人間にくらわせたら……固い地面に叩きつけたトマトのようになるに違いない……。
そんな物騒な空想をして、胴震いしながら、拳を引き抜き、ためつすがめつ眺める。
やはり、素手なのにもかかわらず、足と同様に、怪我一つない。
身体が剣のチカラで強化され、頑丈になったのだろうか?
だが、水鬼のストレートパンチの風圧で、吹っ飛んだときにできた傷は未だ癒えずに、ひりひりと微熱を発散し続けている。
つまり、どういうことだ?
う〜ん……わからん!
まあ、いつかわかるだろう!
せっかく強い能力を獲得したんだ!
そんな些細なことで、時間を無駄にするのはもったいない!
とにかく、身体が頑丈になっているかどうかはさて置いて、俺の筋力が常人離れしていることはたしかだ。
今は、この凄まじい筋力で何ができるのかに、焦点を絞って考えることが先決だろう。
さて、いったいほかに何ができるのだろうか?
単純に筋力があがっているのならできることは、いろいろとあるはずだ。
今思いつくだけでも、重量挙げやアクロバット、命綱なしで断崖絶壁をのぼることもできるだろうし、さらに、エスエヌエス上でよく見かけるパルクール的なこともできるかもしれない。
とりあえず、今思いついたことを試してみよう。
そう考えて、ふいとあることを思い出す。
それは先刻、矛を交えたレプリカのことであった……。
俺の下位互換であるレプリカが人間離れした動きをしていたことが、ありありと目睫に浮かびあがり思わずハッとする。
「レプリカがあれだけのことをできるということは、オリジナルである俺は……いったいどれだけのことができると言うんだ……」
そう口に出した瞬間、目の前の巨岩に刻まれた文様が目に入り、それを呼水にあることを閃く。
そのあることが追い風となり、おもむろに靴下を脱ぎ、一塊にまとめてブレザーのポケットに放り込む。
そして、巨岩に刻まれた文様に指をかける。
「きっと筋力があがっているなら……できるはずだ」
自分自身に言い聞かせるように言って、ジャングルジムをのぼるようにして、器用に両腕両脚を動かして、敢然と巨岩を直登する。
刻まれた文様は、幸運なことにギリギリ手足の指の第一関節が、引っかけられるくらいの深さになっていた。
「よいしょ、よいしょ」
かけ声をリズミカルに発しながら、ズンズンてっぺんを目指す。
筋力が大幅に強化されているせいか、腕や脚に負担のようなものは一切感じない。
むしろ、ジャングルジムをのぼるよりも楽かもしれない。
そんな軽口を胸中で叩きながら、どんどん上を目指すうちに、ついに頂上に辿り着く。
目視で、だいたい五、六十メートル前後もの高さがある巨岩を三十分も経たずに踏破できたのは、明らかに怪力というスキルのおかげであり、我知らず得た能力の凄まじさに嘆息する。
「はぁ〜いや〜本当に凄い能力を手に入れたもんだ」
俺はそう言いながら、大きく伸びをしつつ周囲を見渡す。
と、そのとき、興味深いものが、続々と目に飛び込んできた。
「うーんと、あれは村か? あとは……森と、山があるな……。遠くに見えていたのはあの山か……。なるほどなるほど……。ちょっと待てよ……。この白い巨岩もそうだけど……すげぇ見覚えがあるな……。俺マジで千里眼……開眼した?」
眉根を寄せて独り言を言う俺の視線の先には、村らしきもの、その奥には森、さらに奥には山があった。
山は目視で、千メートルあるかないかくらいの高さがあり、そのたぶん千メートルあるかないかくらいの高さがある山を囲むようにして、綺麗なエメラルド色の広大な森が広がっていた。
「とりあえず、千里眼を開眼したかどうかは確認のしようがないから……一先ず置いておいて、今度はあの村みたいな場所に行ってみようかな……」
ポツリとそんなことを呟きながら眼下に映る光景を眺めていると、にわかにある考えが稲妻の如く頭を去来した。
ビリリと頭に焼きがまわった俺は、ここで、バク宙したら面白いんじゃないか? となぜだか思ってしまった。
普通の人間ならそんな愚劣なアイデアが脳裏をよぎったとしても、理性が実行に移すことを決して許可することはしない。
そんなことはわかっている。
しかし、怪力という異能を手に入れた元男子高校生の俺は違う。
俺のように、エスエヌエスなんかでたまに見かける無謀なチャレンジに、心惹かれる若者は少なくない。
だが、そのチャレンジができるほどの能力や度胸がないため、結局実行に移すことはしない。
俺もそうだった。
時折、能力や度胸などないが、頭がバグっているやからがとんでもない事件を起こすことはあるが、ああいうのは論外だ。
まあ話を戻すと、怪力というスキルを持ち、巨岩登頂という小さな成功体験を得た俺こと若き夜雲龍彦は行うのだ。
バク宙を、こんな場所で、曲芸士が如く。
今、俺の満面には不退転の覚悟が浮かんでいるに相違ない。
そう、その顔は深夜テンションでおかしくなった大学生を連想させるに違いない。
少し大人びた元男子高校生の俺は、両瞼を閉じて深呼吸をした。
直後、目をクワっとかっぴらくと、巨岩を両足でドンと踏みつけ跳びあがった。
驚くことに、面白いくらいに、身体が垂直に空に、あたかも天に召されるようにして浮かびあがる。
その勢いにまかせて三メートル以上もの高さを跳びあがると、そのまま勢いよくもんどりを打つ。
そうして、今度は重力に、あたかも地獄に誘われるようにして落下し、そのまま、すたっと見事着地に成功する。
「よっしゃあああああ‼︎」
今まで味わったことのないスリルを感覚し、今まで体験したことのない危険を乗り越えたことで、胸中が高揚感でいっぱいになった。
その強い感情に触発され、堪らず、勝鬨のような雄叫びを一人であげ、飛び跳ねながら笑顔で喜びを周囲にぶち撒ける。
「もう誰にも俺を止められねええええええ! うおおおおおおおおおおお!」
あたかも荒武者みたく叫ぶさなか、「うわ!」と驚きの声が両唇からこぼれ落ちる。
突然、水を差すみたいに、重力が、俺を絶望の淵へと引きずり込んだ。
「なぁ⁉︎」
約五、六十メートルという距離を、のぼるよりも早く垂直に、真っ逆様に、木から落ちる豚と同じスピードで落下する。
おだてられてすらいないのにもかかわらず、あろうことか……俺は……調子に乗って、愚かにも足を踏み外してしまった……。
こういうとき、怪力というスキルはまったくと言っていいほど役には立たない。
突然の出来事に、手足をペンギンの翼のように、ばたつかせることしかできない。
さらに、どんなに凄まじい筋力をもってしても、流石に空気を掴むことはできない。
虚空を握り、虚空を蹴る。
そんな無意味なことを繰り返すうちに、絶望感が毒みたく身体中を駆け巡る。
そうこうしているうちに、容赦なく肉薄してくる草の生い茂った大地に、反射的に両目をギュッと瞑る。
もうだめだ……。
そう思うが、その思いを言葉にする暇もなく、吸い込まれるように草の生えた地面に激突する。
その刹那、ある音が俺の鼓膜にさざ波を立てた。
その音は肉の塊が潰れるような、おぞましい音ではなく……シャボン玉か何かが弾けるような、パチンというメルヘンチックな音であった。




