第十三話 巨岩
広大な草原をとぼとぼ歩くこと約二時間、俺は人も村もモンスターも何もかも発見できずにいた。
なぜか一瞬だけ見えた巨岩だと思われるその何かを目指し、ここまで後ろを顧みることなく歩みを進めてきたが、正直そろそろ飽きてきた。
最初のうちは、見たこともないようなどこまでも続く茫々とした平原に目を輝かせてはいたが、三十分もすればその有り難みも薄れてしまった。
まあ、現代っ子だから仕方がない。
それに、こういった風景はぶっちゃけ海外旅行にでも、行けば見られるような光景だ。
俺が異世界に期待していたのは、俺の元いた世界では見られないような……たとえばそう、モンスターや魔王なんかが根城にする、見るからに邪悪な城があるだとか、そんなファンタジー成分多めな光景だ。
あの空にドラゴンでも飛んでいれば、まだぎりぎりこの目睫に広がる光景に対する興味を保つことができていたかもしれないが、無情にも雲一つない快晴の空にはそんな空飛ぶトカゲらしき影はまったく見受けられず、代わりに燦々と輝く太陽らしき天体がぷかぷか浮かび光芒を放っているだけだった。
そんな天体がぽつねんと佇む青空を、漫然と眺めていると、異世界に転移したとしても思いどおりにいかないものはいかない、という冷厳な現実をまざまざ見せつけられているような気がしてきて、上の空とは裏腹に俺の心模様は段々と曇っていき……今にも心がポキリと折れてしまうかに思われた。
そこで、気を紛らわせようとした俺は、歌を大声で歌ったり、大音声で独り言を言ったりしてみたのだが、これらの泥縄を編むみたいに用意した暇つぶしにもすぐに飽いてしまった。
そんなわけで、斬新な暇つぶしを希求した俺は、剣を出し入れしながら歩くことに決めた。
俺には武器やアイテムを自分の身体に、収納できるという摩訶不思議な能力がある。
……というか、何者かによって人間アイテムボックスに改造されてしまった……という複雑な過去があったりする。
よくよく考えてみれば、目が覚めたら知らない場所に連れて行かれていて、肉体をゲームのインベントリ風にアレンジされたという今の状況は、実のところ、俺が異世界転移をしたのではなく、アブダクション的なことをされたということの傍証で、実は地球から同じ銀河にある別の惑星に無理矢理移動させられた、と言うこともできるのではないだろうか?
そういえば、夢に出てきたあのしゃべる雲に神さまかどうか訊ねたとき、秘密だとか曖昧なことを言われて、誤魔化されたことを思うと、あのしゃべる雲は、神さまではなく、宇宙人だったのでは? という懐疑の念が湧いてくる。
そうして、不意にどこかにマイクロチップが埋め込まれているのでは? と一抹の不安が胸を兆し、袖を捲ったり、裾を捲りあげたりして、食い入るように両腕や腹部を確認するが、インプラントされたような形跡は幸い見当たらなかった。
ほっと胸を撫でおろした俺は、急激に逸れた話を、時空を捻じ曲げるが如く、なかば強引に元に戻す。
それで、まあ話を戻すと、素早く剣を取り出せるようにするための練習といった意味合いも兼ねて、剣の出し入れをしながら歩くことに決めた。
ハサミなどの刃物を持って歩き回ることを危険だと大人は言うが、ここには俺を窘める大人はいない。
そう孤独なのだ!
ちなみに、俺はハサミや刃物を持って歩き回ったり、走り回ったりしても怪我をしない!
そういった特殊な訓練を受けているので、いい子も悪い子も真似しないように!
俺はそんな風に世間に配慮しつつ、右手に剣を出現させては消すということを繰り返す、さながらマジックの練習のようなことをしながらひたすら前に突き進む。
剣を出し入れしながら、歩くこと約三十分。
あと、もう少しで剣の出し入れのプロになれそうな俺を邪魔するように、細長くてにょろにょろっとしたクリーチャーが、突然、俺の目の前を手刀も切らずに横切った。
何かが横切ったということを朧げに認識した俺は、その長細い影を目で追う。
そして、驚きから後方に飛び叫ぶ。
「うわ! 蛇か⁉︎ うわ! 蛇だ!」
喚きながら、右斜め前にいる蛇を見据える。
蛇は大声を出した俺に一瞥くれると、すぐ興味を失ったのか、即座に前へと向き直って、するすると草むらに消えていってしまった。
「マジか? 異世界にも蛇がいるのか? てか、ここ本当に異世界か? 実は大規模なドッキリ番組か何かで、お茶の間からみんなで俺を笑って……るんじゃ」
そんな不安が鎌首をもたげるが、すぐにそんな不安とやらは模糊とした霧が霧散するようにして消え失せる。
そう……蛇との遭遇なんかを、遥かに凌ぐ驚きによって……。
その驚きは不意に視線を下に逸らしたときに、俺のまなこに映じた何かによってもたらされた。
その何かとは何か?
それは見慣れた剣の刀身であった。
そんな刀身が生えていた……。
突き破るようにして生えていた。
どこから生えていたか?
俺の腹部から生えていた。
約三十分かけて出し入れしていた我が愛刀『天の剣』が……なぜか俺の腹を制服ごと突き破るようにして、タケノコのようにニョキっと腹から生えていた。
「ぎゃああああああああ! 何何何何怖い怖い怖い⁉︎」
そう言い募るが、誰も俺の身にいったい何が起こっているのか説明してはくれない……。
理由はそう孤独だからだ!
突如降って湧いた孤独感を首をぶんぶん振ることで、振り飛ばし目の前の現実に目を凝らす。
「い……痛くは……な……い?」
言い淀みながら、腹を突き破っている……ように見えるその剣を注視する。
それから、一度大きく深呼吸をして、恐る恐る剣を仕舞うイメージを膨らませる。
と、剣が即座に消え、狸につままれたかのような心持ちになり呆然とするが、すぐ我に返ると、ブレザーとシャツを慌てて捲り、剣が生えていた腹部を、穴はないか? と穴が空くくらいに繁々と確認する。
が、腹部には剣によって穿たれたことを示す穴の類いはなく、出血をともなう切り傷などの怪我の類いも見受けられなかった。
加えて、右手に握られたブレザーやシャツにも、穴の類いは一切確認できなかった。
膨らませたよくないイメージが杞憂に終わり、対照的に穴の空いた風船が如く自身が萎まずにすんだことに、大きく安堵の溜息を漏らす。
そうして、今度は休む間もなく、剣を取り出すイメージを、さながらバランスボールみたく膨らませる。
そうすると、瞬く間に、右手に剣が出現した。
「もしかして……もしかするのか?」
俺は、もしかもしか、と呟きながら剣を体内に戻すと、すぐに腹から剣が飛び出している自分を想像する。
なんと滑稽なのだろう……。
そう心中で力なく呟き苦笑する。
しかし、そんな考えも表情もアルコールみたく瞬時に蒸発する。
「やっぱり……そうか」
俺は得心がいったように言葉を紡ぎ、視線を腹部に向ける。
見ると、また腹から剣の刀身が飛び出していた……。
「手以外からも出せるんだ……」
そうポツリと溢しながら、腹から飛び出た自身の剣を仔細に眺める。
そして、一閃、ある面白い考えが脳裏に浮かびあがる。
俺は好奇心に突き動かされるままに、額、肩、胸、膝、背中、手の甲と剣をあらゆる身体の部位から出現させる。
それから、粗方の部位から剣を生やすことができることを確認すると、最も気になっていた少年なら誰しもが憧れるであろうアレの再現に取りかかることにした。
俺は慣れたように剣を体内に収めると、深く深く息を吸い込み大きく吐き出す。
それから、マジシャンになった気分で、イメージを膨らませる。
イメージするのは、そう、マジシャンのように口から剣を取り出すイメージ。
そのイメージが浮かんだ瞬間、にわかに喉に違和感が生じる。
「おええええ……。ぐはぁ……はぁ……はぁ……おええええ」
俺は反吐を吐くように呻き声をあげ、ゆっくり、そして慎重に鞘から刀を抜く侍が如く、剣を体内から取り出す。
「うぇ……ちくしょう……。もう……二度とやらねぇ……おええええ」
慣れてないのにもかかわらず、調子に乗ってお酒を浴びるように呑んだ大学生のようにそう吐き出すと、右手に掴んだ愛刀に目を向ける。
なぜかあんなにえずいていたのに、剣には唾液や胃液のような液体は、一滴たりとも付着していなかった。
ただ息を呑むような輝きを湛えた刀身がそこにあった。
その幽玄な輝きを見つめながら、ふと思い出す。
……そういえば、レプリカと戦ったとき、この剣どっかに飛んでったよな?
いつの間に体内に収納されたんだ?
そんなことを考えつつ、不意に前を見据えると、出し抜けに、目に巨大な物体が飛び込んできた。
公園でスマートフォンを見ながらウォーキングしているスマホジャンキーが如く、剣で遊び……じゃなくて、剣の出し入れの練習しながら歩いていたから気がつくことができなかった。
何かに熱中しながら歩くとこんな大きな物体に気がつくこともできないのか? と、空恐ろしい気持ちになり慄きながら呟く。
「でけぇ岩……」
そう目に映った物体……。
それは、数万人は余裕で呑み込んでしまえそうな、ドームぐらいの大きさを誇る……白亜のような色合いの巨岩であった……。




