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暴虐のかなたに一縷  作者: 猫屋敷 中吉
6/6

ママ

 よろしくお願いします。


 翌日。


 快活に回るエンジン。

 鼻歌まじりにハンドルを握る俺。

 車窓を流れるのは、新芽の萌ゆる田園風景。


「ねぇ、ねぇ、ジンタン」


 愛車の時計に目を向けるとAM6:12分。

 フロントガラスが無いのも悪くはないかも。朝の爽やかな風は意外と心地いいから。


「どうにかなんないの、この風」


 俺たちを乗せたスーパーデラックス流星号は時速60キロで街に向かって移動中。


「超ウザいんでけど。髪がグシャグシャになっちゃうんですけど」


 この小洒落た農道を走る車は俺たち車のみ。アルカ04を出発して、既に30分ほど経つ……。


「ねぇねぇ、ジンタン。聴いてる?」

「だあっ! うっせぇなあ!」


 さもオープンカーに乗ってような、ブルジョワ気分が台無しだ。


「うっせぇってなによっ! お婆ちゃんに『ジンタンにパワハラ受けました』って、告げ口するわよ!」


 またチクるんか。


 そう、俺たち。うるさいコイツと俺。

 当初はカニ爺と男二人旅になる予定だった。

 だがあの爺さん、前日のガラクタ回収で頑張り過ぎたみたいで腰をイワしやがった。


 急遽、代打で同伴するハメになったのが、こいつ。


「そうだ。ジンタンにお城みたいなホテルに連れ込まれそうになったって、告げ口するのも面白いかもね」


 全然面白くねぇよ。

 後部座席でどこぞの大臣みたいに、偉そうにふんぞり返っているコイツは、ハルさんだ。


 正直お外は怖い。怖いから緑牛に植つけられたトラウマを一掃すべくブルジョワリーな妄想に浸っていたら、これだよ。


 実際はガタガタの農道を小汚い田んぼや畑を眺めながら進んでいる。

 車内は爽やかな風どころか、泥と生水臭い風が充満して渦を巻き、彼女の黒くて長い髪はこの生温い風にぐるぐると遊ばれていた。


「はいはい、すんまへん」

「すんまへんじゃなくて、何とかしなさいって言ってるの!」


 無茶言うなよ。

 彼女はせわしない振り子のような髪をひとつにまとめ、手首に巻いていたヘアゴムで縛りつける。


「あい、すんまへん」

「すぐに謝って誤魔化す。男って興味のない事だと、ちっとも考えようとしないんだから。それで済むと思ってるんだから楽なもんよね」


 男を一括りに語る女尊男卑思考です。

 それと車のフロントガラスを砕いたのは、あんたの爺さんじゃん。


 とか、言ってやりたい。

 でも、怖いから言えない。言えないから頭を捻って。


「……そうそう。やっぱ、ハルさん的には街に行くより、一時帰宅とかしたかったんじゃない?」


 媚びるよう、別の話題を振る。

 ぶつぶつと文句ばかりを垂れ流されても、嫌な気分になるだけだから。


「仕方ないじゃん。戸田さんには秘境村は絶対に入っちゃダメって釘を刺されてるんだから」


 お客人、馬鹿ップルの情報だ。


 秘境村は既にクリーチャー共の巣窟かもと、頭の良い戸田さんは懸念していた。


「はあー。……それで、あんたのボロアパートって、駅のこっち側?」


 ボロじゃねぇし、決めつけんなよ。築年数だって、たったの40年だっつうの。


「いんや。俺の住んでるタワマンは駅の東口。つまりは駅の向こう側。岩間駅から徒歩20分だから超駅近物件だ」


「はあ? 徒歩20分で駅近? めっちゃ遠いじゃん。もろ海ん中じゃん」


 そこまで遠くねぇし。

 ジョークも通じんとは、つまんねーヤツだな。しかも俺は魚類じゃないから海中には住まん。


「違ぇし。ギリ、陸地だし」

「ギリって……」


 港は近いし、潮臭いし、薄汚れた野良猫もわんさと居るし、超楽園だし。


「はあ〜、使えない」


 使えない!? 俺が、か!


「……俺みたいな万能人間を捕まえて、失礼な事を言いな」

「万能人間……ケッ! あんたもそうだけど、あんたのボロアパートも使えない」


「アパート? 俺は我慢するけどアパートは関係ねぇだろ。セゾンひだまり(アパート名)に謝れ」


「はあ? ダッサい名前。わたしが言いたいのは、あんたん家が近くにあったら、何かあった時の隠れ場所に便利でしょってこと。それと、どうせ汚いあんたの家だから、汚しても平気だしね」


 その汚す前提はやめろ。


 それでも彼女の言い分は一理ある。

 車渋滞の予想も出来る町中で、前回みたく大勢のマッドマン達に追いかけられたら逃げ切れるか怪しい。

 そうなると一時的に身を隠す安全な場所、四畳半一間でも我が家が一番安心安全な気もする。


「確かに……。じゃあどうする。俺んち寄ってから探索する?」

「……女の子をボロ家に誘うなんて。あんたいま、変な事を想像したでしょう。いやらしい」


 自分で振っといてなんなんだよ!


「……まかり間違っても、お前とだけは100パーねぇし」


「は? お前に『お前』呼ばわりされるのって、ムカつくんですけど。それと今の言葉は女の子に対して絶対に言っちゃダメな発言なんですけど」


 知らんがな。


「ムカついたからお婆ちゃんに告げ口します。ジンタンに傷者にされたって」


 ググ、冤罪かよ。

 こいつだきゃあ、許せん。今すぐ車から引き摺りだして、引っぱたいてやりたい。


 ハルさんの勝ち誇ったようなニヤけ面に、俺の血圧はだだあがりだ。


「いや〜、犯される〜」


 腹立つわ〜。

 ワザとらしく怯えるアホに翻弄される。


 大人の俺はこめかみを揉んで冷静さを取り戻す。閉口到底、話題の転換を余儀なくされた。


「はあ……頭が痛い。……それよか、爺さんの容態はどうなのよ。酷いのか?」


 腰痛は侮れない。

 二足歩行を始めた人類にとって腰痛はつきもの、永遠の課題らしい。

 N〇Kで小難しい顔した黒縁眼鏡の解説者が、それっぽく論じていたから間違いない。眼鏡男子は頭が良いと思ってるジンタンだった。


「うん。戸田さんに診てもらったんだけど、過労による腰痛症だって。二、三日大人しくしてれば治るって」


「そっか、良かったじゃん」


 俺も経験はある。

 腰痛は辛いもんだ。

 トイレに行くのも、横になるのも寝返り打つのも辛い。


 寝ててもしんどいって酷くない?

 ギックリ腰経験者から言わせて貰えば、健康体とはいえ腰痛は誰もがなりうる疾患だ。

 若くても歳をとってても関係ない。年齢関わらず全ての人間が抱えている爆弾だ。


「お婆ちゃんやわたしの為にって、頑張り過ぎたみたい。ふふ、お爺ちゃんらしい」


 嬉しそうに、彼女は子供っぽい笑みを浮かべる。


 ……ドキッとした。

 髪をまとめているせいか。

 彼女の細くて白い首と、その上にちょこんと乗っかる小ぶりなフェイスが際立つ。


 ハルさんは普通に喋る分には、可愛いらしい女の子である。


 ……なんだこの、フワフワした感じ?


 自分を見失いそうになった。

 バックミラー越しの彼女に見惚れてしまっていた。

 己を諌める為にも、敢えて突っかかっていく。


「……あー、アホのハルさん」


 刹那にドオンッ! 

 運転席の背もたれに衝撃が走り、俺の体は前に弾かれてハンドルを抱きかかえた。


 犯人は言わずもがなのハルさんだ。


「つっ! なにすんの……」


 瞬間沸騰した怒りは彼女の凍った視線で冷却される。


「アホにアホ呼ばわりされたんだけど。これってグーで殴れる条件よね」


 指の骨をポキポキと鳴らし、身を乗り出して、めっちゃメンチを切ってくる。

 もう、まんま歌舞伎町の裏路地あたりにいるチンピラの荒っぽさだ。


「……グーはちょっと勘弁してください。なにせ僕って、親父にも殴られた事は無いので……」


 しどろもどろになっていたら、ハルさんは車の進行方向を指さし。


「ジンタン、前っ! 前を見てっ!」


 鬼の形相を一瞬で驚愕の色に変えた。


「前……。えっ! ええっ!!」


 彷徨せていた視線を前方に向けて、俺も驚嘆する。


 直線距離で500メートル先。前を流れる白州川の向こう。『なごみ橋』って橋を渡り、道なりに進むと目的地に着くはず、だったのに……。


「……バリケードか」


 そう。橋の向こう側には濃淡の緑色トラックが横に止まっていた。

 いわゆる軍用のトラックだ。橋を隙間なくぴっちりと塞いでいる。トラックの横にはご丁寧に、車止め用の柵まで設置済み。


「ねぇっ、どういうことよっ!」


 耳元でうるせぇなぁ。

 運転席をパシパシ叩いて、ハルさんはヒステリックに説明を求める。

 驚きはしたが、彼女がパニくるから逆に冷めてしまった。


「普通に通行止めだろ。……ただ、こっちからの侵入を阻止したいのか、その逆か、はたまた両方なのか。そこら辺の事情はよう分からん」


 実際問題、俺らにパンデミック発生当初の状況は全く見えてはいない。

 語るとしても憶測でモノを語る事になる。ハルさんの命を預かる俺としては、無責任な判断は些か憚れる。


 正しい情報を認識する。

 今回の探索の目的はその為でもあった。


「……どうするの?」

「どうするったって、どうしようもねぇだろ。とりあえず、車では町には入れんって事だし……」


 愛車を橋の手前にある路肩に停車。

 溜息を吐いて時計を見る。ただ今の時刻はAM6:37分。


「自衛隊の車両だと思うけど。……一旦様子見だな」

「……わかった」


 ハルさんはすんなりと後部座席に戻り、脚を組んで、苛立ちを紛らわすようピンクのスリッポンをゆらゆら揺らす。


 俺は念の為にエンジンをつけたまま、バリケードを監視する事にした。


 緊張感のある時間はゆっくりと流れた。


 車の時計を見る。

 時間はAM6:42分。

 体感的には十分以上かと思いきや、張り込み開始から五分しか経っていない。


「……絶対無人よね」


 顔近ぇよ。

 ぬっと運転席と助手席の間に顔を出し、ハルさんはアンパンと牛乳の似合いそうな表情で口を開く。


「……おそらく」


 俺も負けじと張り込み刑事の如く、眉間に皺を寄せて厳しい顔で返す。


「……ジンタン変な顔」

「お前もな……」


 ハルさんに後ろから首を絞められた。死ぬかと思った。


 おふざけはこのぐらいにして、俺たちはもう一度バリケードを見据える。


「ねぇ、無人よね」


 ハルさんの問いかけ。

 正味、バリケードには人の気配はおろか物音すら皆無。

 辺りは草木のザワめきや川のせせらぎが聞こえるほど静まり返っていた。


「無人、かも……」

「どう見たって無人よ!」


 だから運転席をバンバン叩くなよ、うるせぇなぁ。


「どう? あの柵、越えれる」

「まあ、簡単な柵だし。時間さえあれば余裕で越えられる、かも」


 ハルさんの表情は呆れたようにスーンだ。


「かもかもって、さっきから煮え切らない男ね。どうすんの、ねぇどうすんの!」


 耳元でうるせぇなぁ。たまにはテメェで考えろや。


 ハルさんを放置したまま封鎖箇所を再確認。


 よくよく見れば急遽こさえたバリケード。穴は沢山ある。歩いて抜ける分にはあの防壁は欠陥だらけだ。


「ここまで来たんだ、行くしかねぇだろ」


『作戦は命大事に。無理も無茶もいらないから。立川さんが危険だと判断したら、ハルさんを連れて一目散に逃げなさい』


 不意に、戸田さんから念押しされた言葉が脳裏を過ぎった。

 俺は彼女の言葉を胸に据え置き、エンジンを切って車から下車する。


「さてと。まずは、着替えますか……」


 固まった腰を伸ばしてやる気を出す。


「え〜、わたしはパスしたいんですけど」


 早速わがままか。

 後部座席にドッカと座り直して、不貞腐れるハルさん。


「お外に出る時はEPスーツを着るって、ハルさんも戸田さんと約束したでしょ」


「そうだけど……。あっ、そうだ。わたしは着たことにしてさ、ジンタンだけあのダッサいスーツ着ればいいじゃん」


 ダッサいスーツ……。


 命を大事に。

 肝に銘じた言葉が秒で揺らぐ。

 ダダを捏ねだしたハルさんに困り果てる。


「僕は生まれてこの方、嘘をついた事がありません。よってハルさんの行動は全て、余す事なく戸田さんに報告します。よろしいですか?」


 証拠として俺はスマホをかざし、動画の撮影を開始する。


「……チクり魔かよ」


 つ、お前にだけは言われたくないよ!


 天誅だな。

 後部座席のドアを開け放ち、俺はハルさんを下から上へと舐めるように撮影し続ける。


「……なによ。なんなのよっ! やめなさいよっ!」


 彼女は犯罪者みたくカメラに掌をかざす。顔を隠そうとする。

 俺的には、犯人を追い詰めるの私人逮捕系YouTuberみたいな自己満な気持ちになってきて、だんだん気分が高揚してきた。


「はあ……。わかった、分かりました! 着替えればいいんでしょ! 着替えれば! ……だから撮影はやめろ!」


 お。

 口は尖っているが、ようやく観念したようだ。俺はカメラを下ろして大きく頷いてやる。


 ちょっとクセになりそうだった。ヤバい、ヤバい。


 新たな性癖に目覚めつつ。

 俺は後部の狭いトランクから重いジュラルミンケースを二つと、猟銃入りのバック、それと組み立て式の俺の武器をアスファルトの上に引っ張りだした。


「はい、よろしくちゃん」


 ジュラルミンケースを持って、彼女にケースごと渡す。


「……絶対に着替えているところを見ないでよ。撮影もダメ。見つけ次第、あんたは射殺だから」


 ハルさんは淀みない滑舌で脅しをかけてくる。


「す、するかボケッ!」


 本気の警告に本気でビビった。

 恐ろしい女からは距離をとり、お互い見えない位置でお着替えタイム。


 さっさと着替え終えた俺は、ネジ式で組み立てる俺専用武器の作成に取り掛かる。

 コレは出がけに戸田さんから渡された物だ。大事に使わせて貰わんと。


 それから三分ほど経ち。


 車のドアを開け、バイク風ヘルメットを小脇に抱えたハルさんは太陽の下に姿を現した。


 ……うん、野暮ったい。


 彼女の着こなすオレンジと艶消し銀のスーツはややダボついる。

 なんて言うか。初めて月面着陸に成功した『アームストロ〇グ船長』のようだった。


 ……思ってたのと違う。この格好って結構ダサいのか?


「……どう? 変じゃない?」

「え! あー、うん。変じゃないよ。全然いいよ」


「そうかな?」


「……たぶん」


 目が泳ぐ。

 おんなじ格好をしている俺は何も言えん。

 適当に大嘘を吐いて、しょっぱい顔で親指を立てた。


 脱ぎ散らかした服をトランクに仕舞い、俺は婆さん手作りのショルダーバックをたすき掛けで背負った。

 ハルさんも婆さん手作りウエストバックを装備。


 シーツ生地とはいえ、しっかりとした造りのバックだ。裁縫が趣味とは言っていたが、サチエ婆さんは器用な人だな。


「一応、コレを持ってて」


 愛車のメインキーを彼女に渡す。


「え、いいの?」


 もちろんメインキーに格納されていたエマージェンシーキー(予備キー)は俺のバックの中。考えたくは無いが、俺に何かあった時の保険だ。


「ああ。ハルさんの事だから、免許が無くても車の運転ぐらい余裕で出来るよね」

「ふ、ふふん。当然でしょ。オートマ車なんてラジコンより簡単だし。そうねぇ、わたしが仮に三歳児でも、運転なんて余裕よ」


 さいですか。

 冗談で煽ったつもりが、かなり強気の発言が返ってきた。

 オートマ車は『誰もが運転を楽しめる』と、こんなコンセプトの元に造られた車だ。

 とはいえ、オートマ軽自動車でも軽く見ちゃいけない。一度走り出すと自分も他人も巻き込む殺人凶器となりうる。


 なので、嫌がらるハルさんに五分ほど運転のレクチャーを施し、納得した所で。


「じゃあ、出陣と参りますか」

「ふふ。大将に遅れないでよ、足軽」


 誰が足軽じゃ!

 二人でヘルメットを装着し。

 俺はサスマタ、ハルさんは猟銃を肩に担ぎ。初陣の狼煙をあげるべく、重たい一歩を俺達は踏み出した。


「……コスプレ衣装みたいで恥ずかしい。やっぱ、抜いでもいい?」


「ダメ……」


 一歩目で文句かよ。

 早速頭を抱えるジンタンだった。わがまま女子との潜入任務は前途多難である。





『この二日間、夜は山道を徘徊する数体は確認出来たけど、お日様が出ている間は気持ちが悪いぐらいにマッドマン達の動きは無いの』


 これは戸田さん独自の調査結果だ。

 俺らに作業を押し付けて何をしているのかと思いきや。

 昼となく夜となく、彼女は暇を見つけては防壁の上から外の様子を監視していたらしい。


『これはあくまで私の予想だけど、感染者の彼らは太陽に弱いのかも……』


 日中はマッドマン達はいない。

 戸田さんの出した結論だった。


 なんとかバリケードを越えて町中まで来た俺らである。


 結果として、彼女の予想は的中していた。


 街中は人っこ一人いない。

 見かけるのは何かに群がるカラスか、側溝から飛び出すドブねずみだけ。


 町は驚くほど閑散としていた。


 荒れ果てた街の景色に呆然とし。

 ハルさんに急かされながら町の現状をスマホで記録。

 現在の俺らはもう一つの任務である、物資の調達任務を敢行中である。


 そして中腰で車道に放置されている黒のセダンから、チューリップ(薬局)を監視しているんだが……。


「……すげぇいるな」


 薬局の中はマッドマンだらけだ。


 そうなんだ。彼らはお日様の届かない建物の中にはいる。


 見た目はゾンビ。似た感じだけど、彼らはゾンビとは違う。あくまで狂人化ウイルスの感染者であって、奴等は生きている。

 生きている奴等はエネルギーを消費して活動する。故に活動する為にもエネルギー補充は必須。


 ようはマッドマン達も飯を食うって事だ。


 薬局の店舗はコンビニほどの大きさ。

 チラシの貼られたガラス張りの店内は老若男女二十人ぐらいのマッドマン達がひしめいている。

 彼らは食品だろうが、薬品だろうが手当たり次第に棚から商品を奪い、袋を強引に破いては貪り食う。


 まさに獣のような食事風景。


 想像に難く、おそらく食品を扱っている店舗は軒並みこんな状態だろう。


 理屈では解っていたつもりでも、目の前の光景にはやっぱり引いてしまう。


「……臭くね?」

「……」


 眉間に皺がよる。

 ヘルメット越しでもツーンと香るのは田舎の便所臭。糞尿の匂いだ。


 当然ながら、食べるから排泄する。当たり前の事だ。

 壁代わりのガラスに、所々に手で塗りたくったような茶色いモノが付着していた。


「……ウゲッ。店ん中クソまみれじゃん。なあ、無理だって。頑張ってアイツらを蹴散らしても入る気なんて起きねぇよ」


「……」


 真剣に店内の様子を窺うハルさん。


「なあ、ハルさん聴いてる?」


 彼女の肩を揺すると、パシッと払われた。


「……」


 怒ってる風の目つきだ。「うるさい黙れ」と、無言の圧をかけてくる。


「はあ……。ご自由にどうぞ」


 訳も分からず、こう投げやりに返して待つ事しばし。


「……駅前にもう一軒あるよね」


 彼女も納得いったようで。


「……ああ」


「行くわよ」

「おい、ちょっと」


 ハルさんはさっさと車列の間を進んで行く。

 地べたに座っていた俺は、慌てて彼女を追いかける。


「……」

「今度はなんだよ」


 ハタと足をとめ、ハルさんは歩行者用通路を眺めていた。


「あんま見ない方がいい。飯が食えなくなるぞ」


 そこには革靴の爪先を空に向けた、ハエの(たか)る遺体があった。


「……ジンタンは、ああならないでよ」

「……ハルさんもな」


「ふん。生意気ね」

「どっちが……」


 死は常に間近にある。このことを胸に刻み、俺達は次の薬局まで急いだ。


「うわぁ……」


 やはり駅前店舗だけあって、人が多い。

 思わず悲鳴が出るくらい、店内はマッドマンだらけだ。


「ハルさん、これはもう──」

「ごめん。ジンタン、黙ってて……」


 まただ。ハルさんは俺の言葉を遮り、店舗内の一人一人を入念にチェックする。


「ねぇ、さっきから何なの? 俺らそんなに暇じゃないんだけど」

「いいから、静かにしてて……」


 歩道の植え込みとガードレールに隠れる俺ら。

 ざっと見で、さっきの店舗の1.5倍。数で言えば奴等は三十人強は居そうだ。

 先程の店舗同様、物を食い漁る奴等とボーと突っ立っているだけの奴もいる。


「……寝てる、のかな?」


 学生時代の通勤電車を思い出す。

 店内でゆらゆら佇んでいる奴等は、電車の吊り革に掴まりウトウトしているサラリーマンそのもの。


「ハルさん、ハルさん。駅前はヤバいって、早く移動しよう」


「……」


 見つかるリスクもゼロじゃない。

 腕時計を見れば10時半。タイムリミットは日没まで。

 出来れば日没の一時間前には街から出たいのに。

 必要な物資も碌に調達出来て無いのに、ハルさんは俺をガン無視する。


「はあ……。はいはい、好きにして下さい」


 それから一分ほど経ち。


「……あ、マ……」

「えっ!」


「ジンタン、もういいわ。行こう──」


 これだけ言い残して中腰で走り去る彼女。


「お、おい。ちょっと待てよ」


 いきなりの事で焦った。

 次に向かう場所も決めていないのに、ハルさんは単独で車列の間を逃げていく。


「おい、って……」


 中腰小走りでなんとか追いつき、捕まえて。

 振り向いたハルさんのその顔に俺はギョッとしてしまった。


「……どうした」


 彼女は吊り上げた瞳から、大粒の涙を流していたんだ。


「……なんでもない」

「何でもない事はないだろ!」


「なんでもないったら、何でもない! ジンタンには関係ないっ!」


 ハルさんはダッシュで逃げようとする。

 俺は間一髪で彼女を腕を掴んだ。

 腕を振り回して暴れる彼女を、俺は意地でも離さない。


 ポカポカ叩かれながらも、首を振って探し……あった。

 サイドドアが開けっ放しの白いミニバンを見つけ、問答無用で彼女を押し込んだ。


「騒ぐと通りでは目立つから、まずはここで落ち着こう……な」


 後ろ手でドアを閉め、結構な力で叩いてくる彼女を薄ら笑みで(なだ)める。


「ジンタンは出てって! 一人にしてっ!」


 悲鳴みたいに叫んで、広いベンチシートの上で華奢な背中を丸めたハルさんは、ヘルメットを被った。


 あからさまな拒絶だった。

 ヘルメットで表情は見えんが、彼女は閉じた太ももに震える握り拳を押し付けていた。


 喉まで出かかった言葉を呑みこむ。


「うん。……わかった」


 不意にフロントのアームレストに置かれた小物を手に取り、俺はそそくさと車から出ていく。


 そろりと車のスライドドアを閉めると、ガチャリ。ハルさんは内側からドアをロックした。


「……逃げられるよりマシか」


 これも共感と呼べるのかな。

 彼女の辛そうな態度に、俺は酷く落ち込んでいた。ふと手にした物に視線を落とし。


「物資第一号がコレか……」


 入手した品は上が赤で下が白の箱。

 手のひらサイズのこの箱には『lucky 〇strike』と書かれていた。嫌煙家の俺でも知ってるタバコの銘柄だ。


「ハハ、嫌味かよ。こっちはアンラッキーのてんこ盛りだっつうのに……」


 封の切られているタバコを開けると茶色と白のタバコが十本と、青い100円ライターも入っていて。


 俺は左手にぶら下げていたヘルメットを地べたに置き、そのヘルメットに腰をおろす。


 一本だけ箱から取り出し、匂いに顔をしかめて口に咥えた。

 無音の世界。風の音以外消えた去った街でライターに火を点け、タバコに着火。


「スー、ん? っげへ、げほっ、げへっ……」


 肺が痛い。涙が止まらん。

 人生初のタバコを堪能してみたが、苦い煙と苦い経験を味わう事となった。


 俺は紫炎を燻らすタバコを指に挿したまま、沈黙しているミニバンの様子をチラ見。


「はあ……」


 察しの悪い俺でも解る。

 彼女はあの時『ママ』と言いかけた。そしてあの中に居たって事は100パーの確率で感染者だろう。


「はあ……」


 ハルさんはずっと母親の事を気にしてたのかな。彼女はいま、どんな気持ちでいるんだろう。


 ……ゴメン。分からん。


 俺に親なんて元々いないし。

 親なしだから親戚と呼べる奴等もいない。

 近しい肉親が感染したらと想像しても、俺には本当の意味で共感すら出来んかも知れん。


 擁護の先生達を母親に置き換えればいいのか? 

 田島先生が感染したと仮定すると……。


 うん。まあ、結構つらいかも。

 

 ……それだけか?


 アレ、俺って冷た過ぎない? 俺、ヤバくない? 心死んでる?


 いやいや俺はヤバくない、ヤバくないぞ。

 公立高校は卒業できたし、キチンと会社勤めをしてるし、国にしっかりと税金を搾取されている。


 国民の三代義務である『教育・勤労・納税』は余裕でコンプリートしている。


 それに逮捕歴はゼロだし、交通事故も無い。

 人生でお巡りさんにお世話になったのは一時停止を見落とした一回きりだ。


 どうだ。俺はヤバくないだろ。

 俺は常識人で世間に優しい人間なんだ。

 ヤバいどころか、むしろ絵に描いたような真人間で善良な市民だ。


「ジンタン最高、オンリーワン!」


 己は悪魔の如き冷酷なサイコパスかもと。


 こんな妄想に取り憑かれ、ジンタンは挫けそうになった心を自己修復する。彼は何の気なしにタバコを咥え。


「スー。ッゲヘ、ガハッ、げほっ!」


 大いに(むせ)かえった。


 彼が涙目で悶絶していると、ガチャリ。

 ヌーとミニバンのスライドドアは僅かに解放された。

 数秒待ち、沈黙に耐えきれずジンタンは車に乗り込んだ。


「……もう大丈夫だから」


 シートの下は大量のテッシュ。

 彼女は俺を見ようともしない。


「なあ。……いったん戻んねぇか? シェルターに……」


「……なんで」

「なんでって、そりゃあ。……お前さ、何て言うか、色々あったんだろ」


「ジンタンには関係ない事だから、別にいいでしょ。わたしは大丈夫だから……」

「俺に関係無いことでも……。ほら、ハルさん泣いてるし……」


「……泣いてない」

「いや、泣いてただろ」


「泣いてないっ」

「いや、泣いて……」


「泣いてないっ!」

「……」


 なんなんだよ、こいつ。

 堂々巡りだ。泣いて無いと一点張りのハルさんに気負わされる。


 本当なら気の利いた台詞でも吐いて彼女を元気付けてやりたい所だが。

 俺の頭の中は真っ白で、何にも出てきやしない。情けないにも程がある。俺はダメなヤツだ。


「……じゃあ、本当に大丈夫なんだな」

「さっきから大丈夫だって言ってるでしょ。あんたの記憶容量なんビット? 初期のファミコン並みじゃない?」

 

 俺はドット絵で動いちゃいねぇぞ!


 とか、言い返せしてやりたいが。

 赤く腫れた目で噛みつくなよ、なんも言い返せんだろ。


「大丈夫ならいいけど……。じゃあさ。食料品を扱っている店舗を諦めて……あ、そうだ。田中銃砲店に行こっか!」


「別にいいけど……」


 ハルさんはティッシュで鼻をかみ。


「途中に『しま〇ら』があるから寄ってもいい?」


 少しだけ元気になる。


「服屋か。服屋ならアイツ等も居ないと思うし、もちろんだ」


「やったー!」


 タンクトップ姿のハルさんはツルツルの脇の下を晒して喜んでくれた。めでたし、めでたしだ。


 次なる目的地も決まり、善は急げだ。

 俺達は装備を整え、ミニバンを後にした。


「……ジンタン」


 フル装備のハルさんは俺に肩をぶつけてくる。


「なんだ」


「……何も聞かないでくれて、ありがと」

「いや、別に……」


「ジンタンには気持ちの整理が着いたら、必ず話すから。それまで待って……」

「うん……。でも、無理すんなよ。……俺はハルさんが生きててくれたら、なんも文句はねぇから」


 素直な気持ちをハルさんに送った。

 急にハルさんは俺の手を掴み、ヘルメットをコツンとぶつけてきて。


「なに? 弱っている女子高生を、ここぞとばかりに口説いてんの?」


 下心なしで吐いた台詞なのに。

 こいつときたら、小悪魔的な笑みで茶化してきやがる。不届千万なヤツだ。


「違ぇよ、バカ」

「またまた〜。ジンタンって女子高生が好きなんでしょう」


 呆れてしまう。

 自意識過剰にも程がある。

 催眠術でもいいから、コイツを黙らせてくれ。


 ……でも、まあ。俺も含めて、若い男なら女子高生は嫌いじゃ無いだろう。


 女子高生は大人と子供の境目?

 いい意味で真っ新なキャンバス、みたいな? 

 従順に従わせるには頃合いな年頃っつうか。彼女等は好奇心の塊だから、色々と教えがいがあるっつうか……。


 おいっ、何を言わせるんだ!


 ぶっちゃけると、女子高生はみんな好きだ。おっさんになってもな!


 だけどコイツは別だ。

 俺の中じゃあコイツは規格外だ。野菜で例えるなら定価の半値以下で売らる訳アリ野菜とおんなじだ。


 喋るだけでストレスが溜まるヤツってどうよ。いくら可愛いくたってコイツだきゃあ、ある訳なくなくない?


「だから、違うっつってんだろ」

「どうだか」


 車列の間でハルさんにイジられていた。


 と。


「ッガッハ!」


 突然だった。

 脇腹に強烈な衝撃を受けて、俺の視界はグルグルと回る。


「ジンタンッ!」


「が、がぼっ……」


 貨物車赤帽に背中をしこたまぶつけた。口から血反吐を吐く。


 ヘルメットのシールドが赤く染まる。

 顔をあげれば、俺とハルさんの間。俺にタックルをかましてきたヤツがいた。


「……こいつは」


 毛むくじゃらの頭に緑の体躯。四つ足で小型犬ぐらいの小っこいエイリアンがそこに居たんだ。


「ポォ〜〜ッ!」


 前回遭遇したヤツと別の個体。

 毛だらけの顔面を縦に切り裂き、赤黒い口腔内にサメみたいな鋭利な牙を生やしてコイツは、俺を威嚇してくる。


「ハルさん、ハルさん逃げろ!」


 小さくてもクリーチャーだ。

 サスマタを握り締めて俺は、固まってるハルさんに全身全霊で叫んでいた。




 “ ドンッ! ”

 “ 〜〜〜! ”


 なんだろう。

 何かがぶつかる音? それと人の声もする。


 遮光カーテンの締め切った薄暗い部屋で子供は顔をあげた。


 頭を覆うのは愛らしいパンダの被り物。その下にある瞳は澱んで虚なモノである。


 子供は寝不足だった。

 原因は、連日続く日没から日の出までの乱痴気騒ぎ。

 誰かしらの悲鳴や怒号、暴徒等の破壊音は継続して町中に響き渡り。

 目の前の道路は見知った住人達が奇声をあげ、恐ろしい形相で徘徊していた。


 夜は別世界、まさしく地獄だった。


 すっかり怯えに憑かれ、悪夢により碌に眠れず、疲弊しきったこの子の体力はすでに限界だった。


 室温35度を超える子供部屋で、この子は渇きと飢えと睡眠不足に苦しめられていた。


「……ヒーロー」


 しゃがれた声だ。

 言葉を乗せた唇は、水分を失いカサカサに乾いている。

 この子の握り締めているペットボトルは昨日から空っぽ。思考は白濁し、意識も朦朧としていた。


 “ ッドン! ”


 ドアが乱暴に叩かれ、子供の肩は跳ねた。


「っひ!」


 思わず悲鳴をあげてしまった。


「ドン、ドン、ドン! がああああああっ、ガリガリガリガリ……」


 子供の声は更なる恐怖を誘う。

 子供部屋のドアには、本棚や勉強机で開かぬように細工はしていた。


「ドンッ、ダンッ、ダンッ! ガガアアアア。ドドン、ガンッ、ドンッ、ドンッ!」


「お爺ちゃん、やめて」


 この子の部屋に侵入しようとしているのは祖父だ。

 祖父の感染によりパンデミック以降、この子は自室から一歩も出れずにいた。


「ガァアア! ガンガンガンッ! ガリガリガリガリガリガリ……」


「………静かにして。お願いだから、お爺ちゃん」


 乾いた声を絞りだした。

 泣きたくても涙すら一滴たりとも出てこない。


 ……でも。


 もう、半分は諦めかけていた。ママのいる天国に行きたいって100回は思った。


 “ ふざ〜〜っ!”

 “ 〜〜〜ドン! ”

 “ ハル〜〜ッッ! ”


 耳が拾ったのはカタコトの言葉。

 だけど、何日ぶりかのマトモな人の声がこの子に期待を持たせる。


「……この人が本物のヒーローだったら、僕は──」


 奇跡があるならと。


「ガンガンッ! ぐがぁ! ドンドン、ガンドンドンッ!」


 ドアを叩く音は激しさを増す。

 薄い扉は悲鳴をあげている。バリケードの本棚も大きく揺らいだ。限界が近いのは事実。


 ダメだ、無理だ。


 布団を剥いだ。

 なけなしの勇気を振り絞った。

 何十時間ぶりにベッドから降りて、感覚の失せた両脚を叩いて窓まで這って進んだ。


 本当にママの語ってくれたヒーローがいるなら──


 カーテンを開いて胸に手を置き、一呼吸吐いてスッと目を閉じる。


「僕は……。僕は(ヒーロー)に、一目でもいいから会いたい」


 窪んだ瞳を見開き、施錠を解く。

 青白くコケた頬に笑みを滲ませこの子は、煤けたサッシに手をかけて、大きくその窓を開け放っていた。

 ありがとうございました。

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