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暴虐のかなたに一縷  作者: 猫屋敷 中吉
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めげないヤツ

 よろしくお願いします。


 俺は開け放った扉から力強い一歩を踏み出す。光りの洪水に負けじと、意を決して。


 しかしだ。この後すぐに俺は凍りついた。


 視力を奪う光は消えて。

 代わりに、両目1.5の視力は網膜に直で地上の様子を脳につたえる。

 

 焦土と化した庭園の有様を──


 彩り豊かな花びらの舞う、酷く荒んだこの場所に俺は、立ち尽くしていた。


 昨夜の艶やかな庭は幻だった?

 そう思えるぐらい、美しかった薔薇園は変わり果てていて。

 いま、視界の先。

 手入れされ綺麗に群生していた薔薇達は潰れて弾き飛ばされ。

 地面は大穴だらけで、文字通り根こそぎ掘り返されたような、化けの皮の剥がされたように醜く、『美』の文字から程遠い姿を晒している。


 この施設にある唯一の建物。鉄筋コンクリートの高須医科学研究所だった物も、土台を僅かに残すだけで。一夜にしてコンクリート片の山、残骸の塊と変貌していた。


 なんだよ、これ。


 見晴らしが良くなった所為か。

 昨日にも増して、防壁がやけに威圧感を与えてくる。


 守りの要でもある四方を囲むコンクリートの壁は、異様に高く感じて。

 夕方の学校にひとりで取り残されたみたいな、知らない土地で袋小路に迷いこんだ時みたいな。

 そんな畏怖を抱かせるぐらいに、息の詰まるような感覚を押し付けてきた。


 そびえ立つ壁は黒よりの灰色だ。

 切り立つ崖の下にいるみたいに、壁から切り取られた空は水色。

 その能天気なぐらいに明るい水色は鮮明に、余す事なく、無粋で無遠慮に、破壊し尽くされた退廃的な荒地の様相を嫌と言いほど曝け出す。


「……」


 時間が重い。

 強制的に停止ボタンを押された機械のようだ。


 そう。俺は非常口から一歩を踏み出して、途方に暮れたんだ。


 サステナブルな未来なんて何処にある。

 綺麗事みたいな希望なんて有りはしない。

 ただ、そこに居るのはコイツだけ。俺もよく知っているコイツだけだ。


 真っ黒い顔をした絶望ってヤツだけだ。


 …………

 ………

 ……


 記憶の扉が一つだけ開く。


「ゲロゴミカスが、知った風な顔してんじゃねぇよ、ボケ!」


 ピクリと眉は吊りあがる。


 これは養護施設で弟分として可愛かっていたやつから言われた言葉だ。

 忙しいからと養護の教員に頼まれ、渋々万引きで捕まった弟分を引き取りに行った際に言われた言葉だった。


 今思うと、笑っちゃぐらい酷い言われようだ。


 反抗期とはいえ、アイツが小ちゃい頃から俺はアイツの面倒をみてきた。

 あんなに可愛いがったの……告白した彼女にもフラれてヘコんでたのに。全く、最低な日だった。


 ひらりと、白い花びらが鼻先を掠めた。


「街は……」


 見知った顔が脳裏に浮かぶ。

 無力感という名の殻は砕けた。

 棒となっていた足が一歩、また一歩と前に出る。


 そして──「クソがっ!」


 弾かれたように破片だらけの地面を蹴飛ばした。


 瓦礫につまづきコケそうになった。折れた薔薇を踏んづけて足をとられた。尖った石がコンバースの靴底に刺さる。盛大に蹈鞴を踏んだ。


 それでも尚。

 めげずに俺は懸命に腕を振って前へ前へと足を運ぶ。会社の同僚達を案じた純粋な願いにも似た思いで。


「こんちくしょうがっ!」


 目的地は視界に捉えていた。

 東壁と北壁の接地箇所に見えてる、防壁に設置されてる登り階段。


 鼓動は悲鳴をあげる。肺が酸素を渇望する。足場が悪くて階段までがやけに遠く感じた。


 ── だから、なんだ!


「ぬおおおおおおおおっ!」


 やっとの思いで階段手すりを掴み、ジグザグな螺旋階段を一気に駆け上がった。


 ダムを思わせる防壁の天辺を、東南の方向、街のある方角へとつま先を向けて急ぐ。


「んなっ……」


 だが、到着してすぐに意気消沈。


 街の様子が見えない。

 首を伸ばしても、屈んでも、ジャンプしても、背の高い杉林が視界を遮る。目に入るのは太い木ばかりで街の影すら拝めない。


 杉林の隙間から、かろうじて確認出来たのはふたつ。

 一つは比較的近場にある『秘境村』の様子だ。それも、黒煙をあげる限界集落の惨状。

 そして、もう一つは。

 広い海原に浮かんだ巨大な脅威。『黒い三角の宇宙船』だった。

 ここからでも分かるぐらいの大きさと迫力。図体ばかりの馬鹿デカい物体は悠々と凪いだ海上に鎮座している。


 この光景で思い知る。

 日本の防衛は麻痺状態、もしくは壊滅状態であると認識せざるを得ない。


「だあっ! クソッ!」


 力任せに防壁の柵を蹴飛ばした。

 けれど鬱憤は微塵も晴れず。茹で上がった脳味噌は、助けに行くなら飛び降りろ、と無謀な提案を持ちかける。


 ゴクリ。

 行くしかないのか。

 柵から体を乗り出し、およそ30メートルはあろう地表を見下ろして、


「だああっ! 無理言うなや!」


 身のすくむような高さに、泣き言を叫んで留まった。


「どうすりゃあいいんだよ……」


 冷えてきた脳に、思考も冷めていく。

 街の様子が知りたい、ただそれだけなのに。

 それすら叶ず、胸に抱えた不安はどんどん膨らみ、苦しいぐらいに破裂寸前だ


「クソがっ!」


 ジンタンは防壁の柵を蹴りつける。やり場のない怒りをぶつける。


「……国は国民を守る義務があんだろ、日米安保もあるし。どうなってんだよっ!」


 平和に慣れきった俺は、どこかでこう思っていた。


 舐め腐っていたんだ。警察が、自衛隊が、駐留しているアメリカ軍が、未知なる脅威から俺たちを守ってくれるから平気だと。自分の間抜けさに腹が立つ。


 だが、実際はどうだ。国軍が全く歯が立たない相手なんだ。


「……俺に何が出来るんだよ」

 

 消え入りそうな声で呟く。ジンタンは柵を背にしてズルズルとヘタりこんでしまった。


「はあ〜〜。キンキンに冷えたビールが飲みてぇ……」


 喉越し最高のプレミアムなビールを思い出したら。


 あっ。


 婆さんの存在を思い出す。


「やっちまった。戻んなきゃ」


 小難しい先の事なんて棚上げで後回しだ。

 なにせ先の戦争で、焼け野原から奇跡の復活を果たした国民の子孫なんだよ、俺たちは!


 奮い立つジンタン。

 オツムの弱いジンタンは考える事を諦め、目の前の事だけに専念する。


 うん。なんとかなる!


 他力本願上等。途端にストレスも緩和されて元気になった。


「ふう。……まずは施設の安全確認だな」


 彼は立ち上がってお尻の埃を払い、グルリと防壁を見回した。


「……そうだよ、俺たちは生きてる。これが現実なんだ。……俺たちは死なない、死ぬもんか。明るい未来に真っしぐらだ、再起動だぜ」


 根拠のない自信でジンタンまた走り出した。その表情は明るいモノだ。

 明晰な頭脳も先見の明も、ましてや戦闘力もチート級の運さえも待ち合わせはいない彼。


 彼の唯一の武器は『めげない強さ』のみだ。


「ぬおおおおおおおおっ!」


 婆さんに叱られると、ジンタンはガムシャラに走る。

 未来を切り裂く『意思の剣(めげない強さ)』を携えて、彼は力強い一歩を踏みだしていた。



「あれ、ジンタンは? 一緒じゃないの?」


 非常扉からひょこっりと現れたのは、ピンクのもふもふパーカーとショートパンツ姿のハルだ。


「ええ、ちょと前までは一緒だったんだけど……。どこに行ったのかしら……」


 サチエ婆さんは防壁の壁際に生えていた野草を摘みながら、困った様子をみせている。


「……でも、ひっどい有様ね」


 ポツリと。

 潰された庭園を眺め、ハルは表情を歪めて嘆いた。


「……そうね、酷い有様。……でも、全てが終わったら、泣き言も言えないぐらい忙しくなるわよ」


「そんな、見透かしたように言って。……あ」


「そうよ。私達は何も無い所から始めた世代よ。だから、今度は──」


 こう言ってサチエ婆さんは、小一時間かけて集めた野草をハルに手渡す。


「私達が繋いできた物をあなた達に託すの。いっぱい食べて、いっぱい頑張ってね、ハル」


 口元に笑みを湛えたサチエ婆さんは、若い世代にエールを送る。


「……言われなくても、頑張るわよ。だって、ディズニーランドにも行きたいし、USJにも行きたいし、素敵な彼氏にも巡り会いたいもん」


 こう恥ずかしそうに夢を語る彼女の腕に、婆さんはもう一たば野草の塊を乗せ。


「未来はあなた達の物よ。諦めなきゃ、ハルの願いもいつの日か必ず叶うわ」


 サチエ婆さんは満面の笑みだ。


「そんな無責任な事を……。一緒に行くんだから。ディズニーにもUSJにも、お婆ちゃんとお爺ちゃんにも当然、付き合ってもらうんだからね!」


「はいはい、楽しみにしているわ」


 と、こんな二人の微笑ましい会話は中断する。


「はあ、はあ、はあ。悪ぃ、遅くなった。はあ、はあ、はあ……」


 二人を邪魔したのは、汗をダラダラにかいたジンタンだ。

 

「チッ……」


 この女、いま舌打ちしたよ。

 あからさまに嫌な顔をしたハルさんに憤りを覚える。が、まずは朗報を伝えなきゃならん。


「はあ、はあ。……んぐ。こ、ここは安全だぞ」


「……なんで、どうしてそう言い切れるの?」


 朝から喧嘩ごしのハルさんは詰め寄ってくる。


「防壁の上から確認した。あの、緑牛もいねぇし、キチガイ共もいねぇ」


 むっちり太ももを晒す彼女に詰め寄られて、引き気味の俺は見たまんまを素直に答えた。


「……なんで消えたの?」


 知らんがな。こっちが聴きたいよ。

 俺だって、てっきり待ち伏せされていると思ってたもん。


「じゃあ、こうしましょ。朝食がてらに皆んなで考えましょ ♪」


 こう嬉しそうに提案してきたのは婆さんだ。


 てな事で……。

 食堂のテーブルは緑一色。お皿に盛り付けられた謎の草が並んでいた。


「全て食べられる野草よ。おかわりもあるから沢山食べてね」


 謎のおひたしが皿にてんこ盛りだ。

 味付けは婆さんが法事に行った際に貰った、お清めの塩のみと。

 俺らは、ビーガンの好みそうなグルテンフリーな朝食を無言で頂いた。


「……それで。外の様子はどうなの?」


 口火を切ったのは戸田さん。

 質問を受けて俺は、敵の脅威が去った事や見えた秘境村の現状、それと海上に浮かぶ母艦らしき巨大宇宙船の存在も伝えた。


 そして戸田さんは。


「ふ〜ん、そう。……ズズ」


 ドライな反応でお茶をすする。


「ふ〜ん、そうって、それだけ!」


「あら、気を悪くしたらごめんなさい。ただね、想定内の事態だったから、あんまり興味が湧かなくて……。ズズ、お茶が美味しいわ。産地はどこかしら?」


「キッチンに置かれていた物ですよ。確か……埼玉県の狭山茶とか」

「記憶したわ。気に入ったから、今度は自腹で買いに行かないと。産地を応援したいからね」


「私も気に入りましたから、そのう……」

「もちろん、一緒に行きましょう。埼玉県のアンテナショップに……」


「埼玉と言ったら、小江戸川越の芋菓子も有名ですね」

「鴻巣の川幅うどんとか、味噌つけまんじゅうとかもね」


「そうそう、絶対に食べに行きましょ。それとね──」


 ……どうでもいいわ。

 話しが全然進まん。

 婆さんと会話を弾ませる戸田さんにちょいイラっち。


 グルメ話に盛り上がる二人を横目に、爺さんをチラ見する。

 黙々とおひたしを食べていたのでパス。

 ハルさんをチラリ。

 テーブルに肩肘をついてお皿をカチャカチャ。明らかに不機嫌な様子なので断念する。


 しゃーないなぁと、仕方なく俺から口を開いた。


「……あのう。想定内と言った戸田さんの意見ですが、そこら辺をもうちょい伺いたいのですが……。奴等が消えた事で、戸田さん的には壁の外は、この施設もだけど、安全だと思います?」


 聞く立場なので、下から物を訪ねる。


「……立川さん。あなた大丈夫? お味噌が縮んでるんじゃないの? ダンゴムシ並みに退化してるんじゃない?」


 ダンゴムシって……。

 この、いちいち癪に触る言い方を辞めてもらいたい。


「ふぅ。……安全な訳ないでしょう。外はもちろんのこと、ここだって敵の侵入は回避出来たけど攻撃は届くのよ。私とサチエさんの話しだって半分はジョークよ、ジョーク」


 やれやれといった感じの戸田さんに、婆さんはえっ!? て、顔をしているけど。


「……その、緑牛。エイリアンと『マッドマン』達の退避行動は、おそらく理由があっての事だと思えるわ。そうねぇ、例えば……」


「先生質問。『マッドマン』ってなんですか?」


 ダンゴムシにも解るよう語りだした戸田さんに、ハルさんは質問する。


「ふんふん。私の命名した『狂人化ウイルス感染者』の総称よ。いつまでもアイツ等とか奇病持ちじゃあ、締まらないでしょ。……ちなみに言うと、ルナティックとかマニアックとか狂人を意味する言葉もあるけれど、他の意味でも使われるから私的にはマッドが最適かなぁ〜なんて思ってね。あと、候補に挙がったのは宇宙人に従う狂戦士って意味でbersarkerバーサーカーやノルウェー語のberserkベルセルクも有りだけど、なんかゲームのキャラみたいでちょっと違うかなって。そうなるとやっぱり『マッドマン』がシックリくるかなぁ〜ってね」


 名前なんてマッドマンだろうが、タ〇ウマンだろうが、どうでもいいわ!


「分かりました〜。先生、続けて下さい」


 お、学校のノリだな、懐かしいぜ。


 先生と呼ばれて嬉しそうな戸田さんは、コホンとそれっぽく咳払いをし。


「え〜、話しを続けますが。立川さんの説明から解ると思いますが、彼等、マッドマン達は人智を超えた活動をしますよね?」


「あぁ、老体の爺さんや婆さんでも、めっちゃ走って追いかけてきたし……」


「走るとどうなります?」

「……疲れる。……腹が減る」


「そう、疲れてお腹が空きます。つまりは、エネルギーを大量に消費します。だったら?」


「帰って、飯を食ってクソして寝る」

「クソ……。まあ、正解です。疲れたから自宅に戻り、食事を摂り、充分に休む」


 普通だな、おい。


「それと立川さんは、秘境村に人影は見えなかったって言っていたでしょう」

「はあ。家屋は燃えっぱなしなのに、野次馬もいないし、騒いでいる奴も居なかったようですけど……」


「ふんふん。立川さんのお話しを間に受けると……」


 間に受けるって、相変わらず引っかかる言い方をするよなぁ。


「おそらく集落は昨日の晩、エイリアンの襲撃を受けて謎の奇病を撒かれてパンデミックに陥った。そこまでは解りますよね。……でも、おかしくないですか? 奇病を発症した『マッドマン』達、立川さん達を追いかけていた人達も朝方には集落に戻ったと思えるのに、なんで人の姿が見えないのでしょう。これって、変じゃないですか?」


 確かに。キチガイ共に秩序だった消化活動ができるとは思えんし。

 無人なのも不気味に感じる。ゾンビみたく無駄にうろついて奴等が居てもおかしくないもんな。


 だけど、俺が目撃した秘境村には人っ子一人いなかった。なんでだ?


「え〜と、では。立川さんに苦手な物はありますか?」


「俺っすか? ……ハルさん、とか?」


 ご本人にギュンと睨まれた。

 急に振られて、思わず近々の脅威を素直に答えてしまった。……気まずいなぁ。


「では、苦手なハルちゃんに近寄られたらどうします?」


「……逃げる、かな」


 やんわり答えたつもりなんだが、凄んでくるハルさん。


 蛇に睨まれたカエル状態だ。

 冷や汗が止まらんぜ。

 滅茶苦茶殺意のこもった目に怯えてしまった。


「前に狂犬病患者は水を怖がるって説明したけど、覚えてる?」


「……はあ」


 ハルさんから目を逸らしながら答える。


「もし、狂犬病患者みたく狂人化ウイルス感染者にも怖がる物があるとしたら、なんだと思う?」


 あたしの歳、いくつに見える?

 そんな感じの回りくどい言い方をしてくる戸田先生。


「……ひ」

「はい、はい、っ太陽!」


「はい。ハルちゃん、正解です。よく出来ました」


 俺だって光って答えようとしたのに。


 パチパチと手を叩く戸田先生に、挙手した手を下ろして俺にドヤ顔を向けてくるアホのハルさん。……ぐぬぬ。悔しいったら、ありゃしない。


「紫外線か純粋に太陽光かは、まだ予測の範疇で判断はつき兼ねますが。私が思うに、彼等は太陽を嫌う傾向があると思われます。この事から、日中はマッドマン達との遭遇率は低く比較的安全で、日没後、夜は危険極まりないと推測されます」


 じゃあ、行動するなら昼日中に動けと。そゆこと?


「だったら、こうしちゃいられんわい。太陽の昇っている今の内に、足りない物資の補充をせんといかんだろ!」


 爺さんは箸をテーブルに叩きつけて、イキり立ちながらの提案をしてきた。


「……えっと、ごめんなさい。猿渡さんの気持ちは分からないでもないんですけど、まだ施設から出ない方がいいと思うわ。これは昨日の今日の彼等の行動を元にした、ただの予測に過ぎない話しだから。あとせめて三日、いや二日でもいいから、彼等の行動を、彼等の生態を探ってから動いた方がいいんじゃないかと私は思います」


 戸田先生はほんのりと、でもしっかり危険だと爺さんに警告する。


「……生態を探ったところで、安全な場所なんぞどこにも無いじゃろ」


 吐き捨てるような爺さんの台詞に、戸田さんの表情も硬くなった。


 だけど俺も戸田さんの意見には賛成だ。安心、安全が一番だ。

 医者見習いの頭の良い彼女がそう言うんだから素直に従った方が良さげだし。


 なので……。


「あー、なんだ。もう二日の缶詰状態は決定なんでしょ。だったら暇だしな。……ねぇ戸田さん、何かやる事あります?」


 決定事項と決めつけ、戸田さんをチラ見する。戸田さんは戸惑っていたが、まあいいや。


 もちろん重く沈んだ空気を払拭したいのもそうだけど。

 避難生活も始まったばかりで環境改善も必要不可欠だ。話しもまとまるし、俺はお手伝いを申し出たんだ。


「え! うん、まあ、色々とやる事はあるから、手伝ってくれると助かるわね」


「だとよ、爺さん。飯食ったら忙しくなるな」

「ふん。勝手にせえ」


 とまあ、不貞腐れている爺さんの背中を叩いて丸く収まって所で。


 フと、ハルさんと目が合い、そっぽを向かれた。

 婆さんとひそひそ話をしてる。陰口を言われているみたいで凄く嫌な感じだ。


(ほらね。ジンちゃんて、そんなに悪い人じゃあ無いでしょ)

(悪くは無いけど、あんなダンゴムシなんか興味ゼロよ)


(あら、ダンゴムシは凄いのよ。とってもしぶとい生き物なんだから。ハルも農作業のお手伝いをして知っているとは思うけど、ダンゴムシって駆除しても駆除しても、幾らでも湧いてくるのよ。ゴキブリ並みの生命力なんだから)

(……だから、さっきからなんなの! くだらない!)


 ゴキブリ、ダンゴムシと酷い言われようなんだが。

 何故かジンタン推しの婆さんに、ハルはウンザリする。

 もちろん、この会話は彼の耳には届かない、二人だけ内緒の話だ。


 そして朝食後。

 俺はカニ爺を伴い地上にいた。

 戸田さんに言いつけられた仕事の依頼だ。


「……これが原因か」

「間違いなかろう。これじゃあ、開かんじゃろうて……」


 研究所前の駐車場に立つ俺ら。

 足元にはどこから飛んで来たの、かなり重量のありそうな馬鹿デカい鉄板がある。


 昇降機を使えるようにして欲しい。

 彼女はそう依頼してきた。そして仕事の内容は昇降機の搬出口を塞いでいるコレの撤去である。


 彼女曰く、電磁波対策もバッチリの昇降機なのに壊れた理由の皆目検討も付かない、との事だった。

 

 でも当然、昇降機があれば助かる。

 クソ長い階段を登らなくても良くなるし、何より俺の愛車も地下に置きっぱだから、地上に出せればまた乗れる。


 win-winの関係だな。

 そこで二つ返事で依頼を受託し、早々に原因を突き止め、早速頭を抱えてるんだが……。


 焼け焦げてベコベコの鉄板を見下ろす。


 不幸中の幸いというべきか。

 この馬鹿デカい鉄板が搬出口に被さってくれたお陰で、エイリアンからの攻撃に晒されずに済んだと思われる。そこはまあ、良しとして……。


「どうする?」

「どうするもこうするもあるまい。力づくで退かすだけじゃ」


 ……でしょうね。

 腕捲りでやる気の爺さんは、枯れ枝みたいな細っそい腕に、ゆで卵みたいなちっこい力こぶを作る。


 ……この依頼、今日中に終わるのかなぁ。


 そんな愚痴を我慢している俺の頭上を、トンビはピーヒョロリーと鳴いて飛んで行った。



 羽ばたくトンビは杉林を越えて山を抜けていく。

 山の麓、緑の絨毯を敷き詰めたような田畑を見下ろして滑空する。


 そこは秘境村の上空。

 無人の村の様子をその鋭い茶色の瞳に映して慌ててトンビは旋回した。

 黒々と立ち昇る黒煙を避ける為だった。

 餌場を求めて人里に降りてきた彼ではあったが。

 断念した様子で水色の空へと視線を戻して、彼はひと鳴きしてから右手にそびえる山へと飛び去っていく。


 “ ピーヒョロリー ”


 トンビの鳴き声は、薄暗い厩舎の屋根裏部屋に響く。


「……りんりん。まだ足は痛むか?」

「えぇ、少し。……ねぇ、恭ちゃん。あたし、これから真面目に話すから、真面目に聞いてちょうだい」


 声を殺して話す二人。

 お揃いの作業着姿のこの男女は、敷き詰めた藁の上で手に手を取って見つめ合っていた。


「……あたしを置いて、逃げて」

「何言ってんだよ。そんなの無理だよ。俺はりんりんが居ないと生きていけないんだからっ」


 壁の隙間から溢れる光に、彼と彼女の左手薬指の嵌められいる真新しい指輪は、悲しく輝く。


「嬉しい、嬉しいけど。恭ちゃんだけでも、生きて欲しいから……」

「……クソ、何がどうなってのか分かんないよ。クソッ」


 恭太郎は彼女の右足に目線を落とす。

 痛々しまでに腫れている妻の足首に表情を歪めて、次に階下……。


「グチャ、ガリ、グチャリ、ぐるる。グチャグチャ、ゴリ、ガリ……」


 男が四人いて、みんな知っている顔ばかりだ。

 しかも、狂人みたいな恐ろしい顔つきで、全身血まみれにして自らが殺した牛を貪り食っている。


 赤一色の景色。身の毛のよだつ光景だった。恭太郎は戦慄を覚えてブルリと体を震わせた。


 ── いったい、何が起きているんだ。


 突如として起きた騒動に、恭太郎は分からない事だらけだ。


 若夫婦の恭太郎と凛は、秘境村からやや離れ場所で酪農業を営んでいた。

 若さ故の冒険、いわゆる都会から移住してきた『脱都市化』の流れに乗った、軽い気持ちで起こした事業だった。


 前日の夕方。

 動物相手の業種、年中無給の酪農業だ。

 この若夫婦はいつものように牛の世話をしていたんだ。


 しかし、牛は突然騒ぎだし。

 集落の異変に気付いた若夫婦は、身の危険を感じて厩舎を施錠。乳牛に隠れて身を潜めていた。

 だが暴漢共はこの厩舎を襲撃し。

 扉を開けまいと朝まで奮闘する事となり、結局この有様だった。


 二人だけでは数の暴力には勝てず。

 厩舎は瞬く間に占拠されて、逃げる際に妻は負傷。

 外に逃げ出す事を断念して、妻を抱えて恭太郎は階段を駆け上がり、二階の屋根裏部屋へと籠城した。


「……あの人は田渕さん。それに鈴木さんも川辺さんと森さんもいる。絶対、変だよ。みんな普通じゃないもん。ここに隠れてたらあたし達も──」


 愛妻を抱きしめて、恭太郎は彼女の言葉に蓋をする。彼は彼女の描く最悪なシナリオを揉み消した。


「……大丈夫だから。誰かが助けに来てくれるから」


 110番は繋がらない、119番も。

 スマホはいつの間にか不通となり、連絡手段は皆無となったいた。


「……来なくて、きっと逃げだすチャンスは訪れるから、だから……」


「無かったら? 逃げるチャンスなんて無かったら?」


 彼女はもう泣きそうな声だった。


「無かったら……。俺達は夫婦なんだ、それも飛びっきりラブラブの夫婦だ。だからさ、そうなったら俺と一緒に天国に行こう、な」


 彼女の溢れ出す涙を胸で受け止め、恭太郎は優しい声音で愛妻を説き伏せる。


「……うん。絶対だから。約束だから。天国でもずっと一緒にいようね」


「ああ、ずっと一緒だよ」


 愛妻の二つに結った髪に、優しくキスをする恭太郎。


 心なしか、ほんのりピンク色に染まる屋根裏を他所に。

 階下。乳牛を貪り食っていた四人は食べるのを中断し、厩舎の出入り口を注目していた。


 時間を空けず、のそりのそりと緑色の妙な生物は納屋の入り口を潜った。


「……パパポ」


 静かな厩舎に奇妙な鳴き声は駆ける。


「「!?」」


 若夫婦は異様な声に気づき、試練は未だ続くのかと息を呑む。


「……」


 恭太郎はこっそりと、床の隙間から覗きみる。


「……!?」


 ゆるりと室内を歩くそいつはいきなり、毛だらけの顔面を縦にパックリと開き。

 ドロリとした粘膜の滴る、赤黒い口腔内を晒した。そして……。


「バクッ!」


 入り口に最もちかい場所にいた田渕さんの頭に、かぶり付いたんだ。


 田渕さんの首を筋ごと食いちぎり、ゴリゴリと気持ちの悪い咀嚼音を立てて噛み砕く。


「プシュ───ッ!」


 切断面から噴水のように真っ赤な血を噴き出した田渕さんは、首の無いまま倒れてしまった。


 恭太郎は唖然とした。戦慄を超えて呆然とした。


「ひっ!」


 床から真っ赤な血が吹いて凛は悲鳴をあげた。


 恭太郎は慌てて妻の口を塞ぐ。

 優しさの欠片もない、力任せにだ。


「ゴリゴリ、グチャ、ズル、バキ……」


 耳障りな咀嚼音は響き渡る。

 もう一度階下を覗き、一瞬だけ上を気にする素振りをみせた緑色の生物に、恭太郎は生きた心地はしなかった。


 数秒佇んだそいつは、何事も無かったように今度は鈴木さんに歩み寄り。


「〜ガリ。ゴリ、グチャ」


 田渕さん同様、頭からガブリつく。

 

 床下を叩く鈴木さんの血がうるさかった。

 そんな事より、この生物に気付かれず済んだ事に、恭太郎は心底ホッとしていた。


 食す者と食される者。

 狩る側と狩られる側。

 圧倒的な恐怖は恭太郎に『自分は純粋な獲物である』と認識させていた。


 この生物によって彼は、未だ味わった事の無い別次元の恐怖を植え付けられた。


「んー、んー……」


 真っ青な顔で己の腕をタップする妻に、恭太郎は我に返る。


「……あ、ごめん。本当にごめん。あまりにショッキングな出来事だったから、つい力が入っちゃった。本当にごめん」


 先程より声のトーンを下げて、蚊の鳴くよう声で恭太郎は平謝りだ。


 階下の惨劇を見ていない凛は、自分より青ざめている旦那様の様子に驚きを隠せない。

 だが、それも一瞬の事のように、次の瞬間にはクスリと笑い。


「いいよ。もういいよ。恭ちゃんの愛はいっぱい貰ったから、もう十分だよ。あたしがアイツの囮になるから。恭ちゃん、貴方だけでも逃げて、お願いだから……」


 全てを察して、全てを諦めて。

 ガタガタと震えている愛する旦那様に、凛は柔らかい表情でこう諭す。


「……マジで。……い、いやダメだ。りんりんも、りんりんも一緒じゃなきゃ嫌だ」


 僅かに挫けそいになった自分に蹴りを入れ、恭太郎は精一杯の強がりをみせた。


「……恭ちゃん」

「りんりん……」


 凛の黒い瞳からは一雫の涙は溢れ落ちて。二人は恐れを払うかのように、熱い抱擁を交わす。


 それから一時間ほど経過し。


「ポフ〜、ポフ〜……」


 階下より寝息のような声は聞こえてきた。


「しっ」と、恭太郎は口元に指を置き、眠そうな凛からそっと離れる。

 彼は四つ這いになり、床の隙間から下を覗き込んで。


「……チャンス到来だよ、りんりん」

「え、でも……」


 彼女の言葉を遮るよう、恭太郎は屈んで愛妻に背中を向けて。

 

「いいから、早く乗って……」


 彼は背中に乗れと催促をした。


「恭ちゃん……」

「俺達はずっと一緒だ。神様の前でもちゃんと誓っただろ。だから、ほら」


 躊躇する妻を強引に牽制するも、恭太郎は引きつった笑みを浮かべていた。


「……うん。……あたし、恭ちゃん大好き」

「奇遇だね。俺もりんりんの事を大好きなんだ」


 背中に凛をおぶり、恭太郎は慎重に足音も立てずに、恐る恐る階段を降りていく。


(しっかりと掴まってて……)

(……うん)


 言葉にはせず、口の動きだけで若い二人は意思の疎通をする。


 幾つもの屍体が無造作に転がる厩舎の一階。


 鉄の匂い、血の匂いの充満する一階で。

 臓腑と血溜まりの中でヤツは、緑色の生物は四肢を畳んで草食動物みたいに寝ていた。


(……行くよ)

(……うん)


 コクリと頷き合い。

 恭太郎は走り出した。回した両手で愛妻の腰をしっかりと掴んで。


 些事とばかりに。

 エイリアンは薄目で若夫婦を見送る。

 そしてコイツ。エイリアンは顔面の剛毛を伸ばして自らを包み、大きな黒い繭となった。


「やった、脱出成功だ!」

「恭ちゃん。恭ちゃん。あたし、恭ちゃんのこと、大好き!」


 恭太郎は懸命に走る。

 厩舎内ではそんなことになっているとは露ほども知れず、若夫婦は生き延びた今を喜び合う。


「ねぇ、恭ちゃん。逃げ出せたのはいいけど、このあとどうするの?」


「この集落いたらマズいしな。……そうだ、たしか、山の天辺になんちゃら研究所って施設を造ってるって聞いた事がある」


「あたしも聴いた事があるよ。なんだっけ、そうそう、高須医科学研究所。だったと思うけど……」


「そうそう、それ。高須研究所。見てきた奴等は口々に、異常なぐらい塀が高くて不気味な施設だって噂していたから。そこなら安全だと思うんだ。とりあえず、そこに避難しようと思うんだけど、いいかな?」


「……恭ちゃん言ってたよね。あたし達はずっと一緒だって……」


「だよな。ハハ、よっしゃ決まりだ。高須研究所にひとっ飛びだ!」


「恭ちゃん、恭ちゃん」

「なんだい?」


「あたし、恭ちゃんのこと大、大、大好き!」

「俺もりんりんのこと大、大、大好きだあっ!」


 なんとか生き延びた二人である。

 若い夫婦は人気のない薮の中を突っ切り、険しい道もなんのその。


「恭ちゃんこと大、大、大、大、大好き!」

「うおおおおっ! 俺もりんりんのこと大、大、大、大、大好きだああっ!」


 胸焼けしそうな愛を糧にして一路、高須医科学研究所、アルカ04に向かって全力で活路を切り開く。


 この若夫婦もまた、ジンタン同様めげないヤツ等である。


 ありがとうございました。

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