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暴虐のかなたに一縷  作者: 猫屋敷 中吉
3/6

じゃんけん

 よろしくお願いします。


 城壁外の攻撃開始から、およそ一時間ぐらい経ったあたりだろうか。


 あれほどうるさかったバカ牛の砲撃は突然に終わりを告げ、地下倉庫内は水を打ったような静かになった。


「……終わったのかな? どう思います?」


 車内でくつろぐ戸田さんにお伺いを立ててみた。

 壁の一枚向こう、運転席のドアを一枚隔てた距離に彼女はいる。天井を見上げて地上を気にする彼女の決断は。


「……もう少しだけ様子を見ましょう」


 洗練された指示である。


「ウイッ」


 配下のごとく俺は、大人しく冷たい床にお尻をおとして体育座りで待機だ。

 カチャカチャと隣りで散弾銃の手入れに夢中になっているのは、俺と同じくハブられた爺さんだ。


 既に聡明なる皆様ならお察しの通り。

 俺の愛車、スペシャルデラックス流星号(どノーマル、ダイハツムーブ。ナビ無し)は、万が一の避難場所の避難場所として、女子専用車両となっていた。


 ゆるゆると、まんじりともしない時間は流れる。


 俺は暇を持て余していた。

 オレンジ色の非常灯を何の気なしに見つめながら、膝を抱えてゆさゆさと揺れていたら。


「……ねぇ。戸田さんって、ここで働いているんですか?」


 こいつも暇なのだろう。ハルさんは、戸田さんに質問を投げかける。


「……そうね。正確に言うと、働く予定だった、かな。この施設を造った高須教授に誘われてね」


「高須医科学研究所だから、高須教授……。もしかして戸田さんて、医大卒なんですか?」

「ハハ、一応ね。……落ちこぼれだけど」


「ふ〜ん。戸田さんはお医者さんかぁ。ふ〜ん……」

「なり損ないよ。研修医止まりだから。……うふふ。そうねぇ、最初は学費稼ぎのアルバイト感覚だったんだけどね。高須教授からコロナワクチンの開発に誘われて、携わってね。なんて言うか、これだっ! って思っちゃったわけ。単純な故に進化し続けるウイルス、そのワクチン開発に魅力を感じちゃったの。……それで結局は全部投げ出して、医者になる事を諦めて、私は研究職を選んだの」


 自分の夢を語る戸田さん。カッケェっす。


「ふ〜ん。でも、研究職でも、周りはお医者さんの卵ばっかりでしょう。もしかして戸田さんって、お医者さんの彼氏さんとかいたりして……。ねぇ、実際どうなんですか?」


「これこれ、ハル。そんなに根掘り葉掘り、聞いちゃあ戸田さんに失礼でしょ」


「なんで? 別に訊いてもいいじゃない。いいですよねっ、戸田さん♡」


「……ええ、まぁ」

「ほらねっ♪」


 ほらねっ♪ じゃねぇよ。

 おれの戸田さんになんて質問してんだよ、このガキ。

 脳味噌にタンポポでも咲いてんのか? 

 こんな非常時に彼氏だぁ、はあ? ったく。彼女、困ってんだろ。


 ジンタンの戸田さんではないが。

 ぶつぶつと文句を言いつつ、彼は耳をダンボにして、車内の会話に聞き耳を立てる。


「……彼氏かぁ。残念ながらいないかなぁ。……でも」


「でも? その続きは?」


 でも? その続きは?


 測らずも、ジンタンとハルでシンクロニシティ。


「……気になる人なら、いるかな?」


 ガボーン。


「えーっ! 教えて、教えてっ! どんな人、どんな人っ!」


 ハルは身を乗り出してはしゃぎ出す。


 俺はショックだった。かなりヘコんだ。既に戸田さんには意中の人がいたから……。


 イヤまて。

 まだ分からん。

 落ち込むにはまだ早いぞ。

 俺に一目惚れってのも有るかも知れんし。戸田さんの好きな人は俺かも知れんし。いや、多分そうかも、そうだったらいいなぁ。


 僅かな望みを賭けて、耳の穴をかっぽじいたジンタンは祈る思いで盗み聴きだ。


「……内緒だからね」

「うん、うん」


 うん、うん。


「……ほんとに、ほんとよ」

「うん、うん」


 うん、うん。


「……ふう。……その人はね、私の尊敬する人なの。歳も私より二回り以上も離れた、凄く大人のひと……」


 ガボーン。完璧に俺とちゃうやん!


「っ恥ずかしい! ねっ、ハルさんは? ハルさんはどうなの? 私は白状したのだから、ハルさんの好きな人も教えてよ!」


「え〜、私の好きな人ですか〜」

「いいじゃない。教えなさいよ」

「お婆ちゃんも知りたいわ、ハルの好きな人」

「え〜……」


 キラキラとした会話は車内を明るくする。それとは裏腹に、車外は寂れた墓地のようにドンヨリしていた。


「あー。私の通っている学校、女子高なんですよ。男子なんて学校のイベント事には来るんですけど。それがキモい奴らばっかりで、下心丸出しの馬鹿しか遊びに来ないし、先生の中にはダンディな先生もいるんですけど──」


 興味がねぇ。

 ハルさんの好みなんて、ぶっちゃけどうでもいいわ。


 何より俺がショックしたのは、戸田さんの好きな人は『俺では無い』という事実だ。


 知的な美人さんだから。

 元気づけてくれたから。

 優しく微笑んでくれたから。


 なんそれ。

 中坊じゃあるまいし。

 そんな事で好きになるなんて、お笑い草だよな。


 俺って奴は「次の授業は体育だよね?」って、気さくに喋りかけてくれたクラスの真里ちゃんに粘膜して、三年間まるまるストーカー紛いに付き纏って。

 毛嫌いされてたとも知らずに「真里ちゃんは俺の推しだから」と、友達にドン引きされてた中坊の頃となんら変わってねぇ。


 戸田さんって俺の事を好きかも。

 とか、勝手に勘違いして一人で舞い上がって。


 なんか、カッコわる。

 めちゃくちゃ気持ち悪いな、俺。


 彼女からすれば、俺なんて路傍の石。ノーオブ眼中。告白前にフラれた気分だ。


 ガックリと肩を落として、ジンタンはしょぼくれている。そんな彼を他所に、車内では。


「……なんかお腹空かない?」

「そうねぇ。お夕飯、まだでしたから」

「あのぅ、私の夜食で良ければ有りますけど、皆さんの分も。食べます?」


「やったぁ!」

「何から何まで……本当に助かります」

「いえ、いえ……。カップ麺ですから、逆に恥ずかしい限りです」


 女子会もようやくひと段落。

 運転席から出てきて戸田さんはギョっとした。


「どうしたんですか! 怪我!? では無いようですね。どこか痛い所でもあるんですか? 立川さん……?」


 路傍の石ころにも戸田さんは優しい。

 項垂れている俺を心配してくれている。

 でもさ。じゃないなりに、これでも頑張って微笑んではいるんだぜ。


「いえいえ、何でもあらへんです。気にせんといて下さい。とかく世の中ってヤツは世知辛いなぁ、なんて思ってただけですから……」


 タハハと笑うジンタンの笑みは引きつっていた。


 いかんな。笑顔がどうしても煤けたもんになってしまうな。


「いや、ほんと、何でもないですから……」

「……そうですか」


 涙目で強がる俺を戸田さんは訝しむ。


「えーと、私用にカップ麺の備蓄がありますので、ささやかな夕飯となりますが、お二人もいかがでしょうか?」


「はい……。すんません」

「悪いのう、お嬢ちゃん」


 いえいえと、戸田さんは俺らにしょっぱい愛想笑いを残して急ぎ足で離れていく。私物の段ボール箱からビニール袋を掴み出し、奥の部屋へと消えていった。


 数分後。

 皆さんもどうぞと、戸田からのお招きされて、俺らも奥の部屋へと通される。


 非常用階段の脇。施設内へと続く唯一の通路を通ると、右はトイレで左は食堂とあり。通路の奥には幾つか扉は見えて、更に奥は下へと続く階段を確認。


 彼女からどうぞと招かれるまま食堂に入ると、室内は二十畳ほどの広さ。カウンターキッチンと長テーブルと長椅子が有るだけの殺風景な場所だった。


 ドリンクバーまでとは言わんが、せめてコーヒーかお茶だけでも飲み放題ならと思うのだが。

 それも仕方なし、本格稼働前の施設だから、こんなもんだろう。


「すみませんけど、明かりはこのままで我慢して下さい。発電用の軽油も心許ないもので……」


 オレンジ灯に照らされる戸田さんは、申し訳無さそうにしている。彼女が謝る必要は無いのに。


 勧められたまま大人しく席に着く俺ら。テーブルの上には完成間近のカップ麺が五つ並んでいた。

 CMでお馴染みの赤いうどんと緑の蕎麦、あとは謎肉ラーメン二つと、もう一つ。なんと、ぺヤ〇グ様がいらっしゃった。


 砕けた心は再生、元気が出てきた。


「俺っ、決まり! 焼きそば〜!」

「何言ってんの、勝手に決めないでよ! ペ〇ングは私も食べたい!」


 焼きそばに手を伸ばしたら、ハルさんにその手をペチンと叩かれた。


「……私もかな」


 おずおずと手を挙げる戸田さんもいて。


 てな事で。

 俺とハルさんと戸田さんは焼きそばを賭けてガチンコ勝負だ。協議の結果、じゃんけんと相成る。


「じゃあ、行くよ!」


「「さいしよはグー。じゃんけんっ!」」

「じゃんけんジャガイモッ、さつまいも!」


「うおいっ! 誰だよっ、変な掛け声があったぞ!」


 レフェリーストップだ。

 俺は勝負を中断させる。じゃんけん勝負以前の問題発覚だ。


「誰だ、いま変な掛け声かけたのは?」


 そして犯人探し。ああ、分かりきっている。

 俺と戸田さんは目配せをし、犯人はお前だと言わんばかりにハルさんを指差す。


「はあ? わたしは幼稚園の頃から、このスタイルなんですけど! っはあ!?」


 ごめんねで済む話しなのに。

 言い訳ばかりの女だな、往生際の悪いヤツ。


「……ふっ、ハルさん。そんなローカルな、ど田舎スタイルを誇示されても困るんだけど。都会ルールでよろしくちゃん」


 イケメン風に前髪をかき上げて、俺はこの田舎娘に優しく諭す。


「なによ。茨城人のクセにっ! 都会人ヅラすんな、バカ!」


 カチンときた。

 酷い言われようだ。

 今すぐにでも、全茨城県民に謝って欲しい。


「……そういうハルさんは、どこの出身なんだよ」

「……は? ……東京に決まってんじゃん」


 言ってるそばから、ハルさんの目は泳ぎまくる。


「おめぇ、ちぐぬぐなよ!」

 ※『ちぐぬぐな』とは、茨城弁で『嘘つくな』の意味です。


「ちぐぬぐって何よ! ちゃんと日本語を喋りなさいよ、ど田舎もん!」


 ムキーッ!


 かっとなる。

 沸き立つ脳天にゴングは鳴り響いた。バトル開始合図だ。


 色々あって沸点の低くなっていた俺だ。

 口からは彼女の性格、態度を(けな)(そし)りは止めどなく溢れてくる。もれなくハルさんからの一方的な猫パンチの連打を食らい、それに全力で抗う。


 あわあわと戸惑う戸田さんに対して、俺とハルさんは見苦しい醜態を晒す事となった。


「仲がいいこって……」

「えっ、そうなの?」


 呆れた物言いのジジイに、驚き、ニヤける戸田さん。


「「違うっ!!」」


 全力で否定する。

 故にまた、このくそ女とハモっちまった。


 間に入った婆さんに、やんわりと治めて貰ったが。

 狂犬みたいに鼻息の荒いこのバカ女は、ずっと俺を睨んでくる。


 で。

 勝負も有耶無耶のまま、婆さんの采配で喧嘩両成敗と成り、ペヤン〇様は戸田さんへと渡った。

 俺とハルさんは伸び伸びにのびた、謎肉ラーメンを啜るハメになった。


「あんたの所為よ!」

「うっせぇ、バカ!」


 牽制し合うバカ二人。


「仲がいいこって……」

「やっぱりそうなの!?」


「「違うっ!!」」


 ほくそ笑む爺さんの機転で、バカ二人の第二ラウンドは回避された。


 もの悲しい夕焼け色の食堂。

 俺らは、簡易な夕飯を摂りながら今更に自己紹介をしていた。


 まずは戸田さん。本名は『戸田 圭さん』。年齢は非公開なので想像となるが、見た目は20代半ばって感じ。

 ふわふらロングヘアーで丸眼鏡の似合う理知的な女子だ。イメージとしては、宝塚で男性役の似合いそうな格好いいひとだ。


 次にカニ爺。上下よれたスウェット姿の普通の爺さん。

 本業は農家で猟友会にも所属。集落の皆んなの為に、畑を食い荒らす害獣を時々駆除するんだと。


 カニ爺の奥さん、婆さんな。名前はサチエさんで、趣味は山菜取りと手芸なんだって。凶暴なお孫さんと違って、柔らかい雰囲気のお婆ちゃんだ。


 ほいで、凶暴なお孫さん、ハルさん。アホのハルさん。ちょっと顔がいいだけのクソ生意気な高ニ。以上。


「ジンタンはニート?」


 ぐぬぬ。

 早速、俺をいじってくるアホのハルさん。


「ちゃう。ちゃんと働いてるっつーの。……運送屋。ハタチ。大器晩成型の偉人候補」


「偉人候補? ふっ、奇人変人候補でしょ」


 鼻で笑いやがったよ、このガキ。

 マッハでイラつき眼光鋭く睨みつけてやると、こいつときたら。小学生みたくベーと舌を出す始末……ほんと腹立つわ。


「早速だけど、ウイルスに多少の知見のある私としては、貴方達の言っていた普通の人が狂人へと変貌する事例に、とても興味があるんだけど……。誰でもいいから、その時の状況を詳しく教えてくれない?」


 食後のお茶を一口啜り、戸田さんはキラリと眼鏡を光らした。

 質問のままに、爺さんとハルさんは当時の状況、有り得ぬ状況を説明する。

 

 言葉も無く、戸田さんは静かに耳を傾けていた。

 爺さん達が話し終えると、ズズッとお茶を飲み、喉を潤してから、神妙な面持ちで口を開いた。


「……やはり、新型のウイルス感染が妥当な線ね」

「……新型ウイルス?」


「そう。新型、未知なるウイルス。貴方達の説明を加味すると、ウイルスに感染すると脳は蝕まれ破壊され、痛みを忘れて攻撃性を増し、果ては正気を失う」


「そんな病気あるんすか?」


 俺は聞き返す。


「あることはあるけど、狂犬病が最も近いかしら。狂犬病ウイルスは感染した動物に咬まれる事でさまざまな症状が引き起こされる病気よ」


「じゃあ、狂犬病ってこと?」


 ハルさんがしゃしゃり出てきた。


「その線も否定はしかねるわ。現に感染した人の症状は主に、発熱、頭痛、倦怠感、筋肉痛、疲労感といった風邪のような症状にはじまり、咬まれた部位の痛みや知覚異常を伴うの。そこから興奮や不安状態、錯乱、幻覚、攻撃状態になるわ。あと、水も怖がるようになるわね」


 水も怖がるって意味分からん。でも、それなら。


「だったらワクチンとかも既にあるんじゃあ……」


 ハルさんのクセにナイス!


「仮に、の話しよ。症状も似てるしね」


 ハルさん残念、あっさり否定された。たんぽぽ脳味噌の知ったかぶりぶり、ザマーだ。


「それでも狂犬病ウイルスと仮定して考えてみると、通常感染した犬に咬まれた事で発症する病気だと思われがちだけど、他の動物に噛まれた事で発症した例も幾つもあるのよ。だから動物である人間もあり得そうだけど、今までの事例から人から人への感染は無いの、ゼロなの。しかも、発症するとほぼ100パーセント死に至る病……。ねっ、これでピグミーマーモセット並みの知能の立川さんでも理解したでしょ。感染者達は、狂犬病ウイルスとは別のウイルス感染者となるわ」


 俺をどんだけ馬鹿だと思ってんだろ。ちょいちょい癪に触る言い方をするよなぁ、このひと。


「未知なるウイルスなんだよね! え、えっ、じゃあ、空気感染とかあるかもじゃん! だったら私達も……」


 ハルさんは真っ青な顔色でテーブルに身を乗りだした。


「その点は安心して。蔓延の速度と貴方達の様子を見ると解る事だけど、このウイルスはおそらく空気感染はしないわ。だとすると血や粘膜を通しての接触型のウイルスになるわね。運が良かったのね、ハルさん♪」


 安心したのか、ハルさんは空気の抜けたボールみたいにしぼんでいく。


「……噛まれて感染って、ほぼゾンビやん」


 俺は感じたままをボヤいていた。


「……そう、まるでホラー映画みたい。だけど映画と違うのは感染者は死体じゃない、まだ生きている。心臓は動いているし、ただの病人で感染者よ。彼らはまだ人間なの」


 そう。アイツらは血管バキバキに浮き出させ、目を真っ赤に血走らせて、ゼーハー息をしていた。


 感染しても、狂人化しても、奴らはまだ生きている。


 物も食うし、クソもする、歴とした人間なんだ。


「……だから、この病原菌に対抗するワクチンさえ見つかれば、十分治る見込みはあるの」


 不敵にニヤリと笑い、戸田さんはこう締め括った。彼女は研究者として、未知なるウイルスと戦う意志を示したんだ。


「奴らを救える可能性があるのは分かったよ。でもさ、襲われても手出しすんなってことになるの? 間違って殺しちゃったら犯罪者になるってこと?」


 お縄になるのは御免です。

 この歳で死刑になるなんて嫌です、はい。


「立川さん、何言ってんの。貴方もニュースを見たでしょう。おそらく、もうこの国は無政府状態よ。とっくに治安は崩壊していると思われるわ。警察も自衛隊も当てにならない。だったら襲われたら真っ先に逃げる。無理なら対峙する。貴方の命は貴方のモノなんだから、誰にも奪われる権利は無いわ! これは肝に銘じておきなさい!」


 自分の身は自分で守れと強く仰る。

 目には目を、暴力には暴力で抗えと、戸田さんからお墨付きを頂きました。


「……ウィっす」

「よろしい」


 戸田さんの微笑みに、また救われた気分にさせられた。


 正当防衛とはいえ、既に愛車で数人轢いちゃっている俺としては、この上なく気持ちの軽くなるお言葉だった。


 でも、また戦わなきゃいけない状況に陥ったとしたら多分、気が咎めてしまいそうだ。


 襲われても、普通に生きている人を手にかけるなんてやっぱり……怖いよ。


「ふふん。国体にも行った、私のクレーン射撃の腕がやっと役に立つのね ♪」


 揚々と語るハルさんは俺とは真逆の様子で。


「これで心置きなく、ぶっ放せるって事よね ♪」


 エア、クレーン射撃で構えるハルさん。


 ヤル気だよ、殺る気満々だよ、この女子高生。

 怖いんですけど。この人、すんごく怖いんですけど。今すぐにでも通報したい。お巡りさんに危険人物として、しょっ引いてもらいたい。


「……次は、立川さんの言っていた、ゴリラ牛だっけ? そいつの詳細を出来るだけ細かく教えてちょうだい」


 説明に夢中になっていたら、いつの間にか夜も更けていて。疲れからか、サチエさんはウトウトと船を漕ぎ始めている。


「じゃあ、もう遅いですし、今日の所はこの辺でお終いにしましょう。立川さん、お話の続きは明日にまた……」


「ウイ」


 話しの途中だったが、察した戸田さんからのお開きの提案だ。


「みなさん、この先、通路の先には空き部屋は十部屋ほど有りますから、好きな部屋を使って休んで下さい。あと、電力節約でお湯は出せませんけど、シャワーは完備されてますから」


 戸田さんに促され。

 サチエさんを支えるカニ爺とハルさんの三人は食堂から出ていく。お言葉に甘えて、俺も重い腰をあげた。


 今日は大変な一日だったから、正直ヘトヘトだった。


 予期せぬ残業を皮切りに、訳もわからずキチガイ共に追い回されて。

 妙ちくりんな緑牛から死に物狂いで逃げ回って。

 振り返って思い起こすと、よくもまあ生きてたもんだと自分で自分を褒めてやりたいぐらい散々な一日だったと思う。


 フラフラと通路を進み。

 おやすみの一言で、各々は好きな部屋に入っていく。

 ハルさん一家はトイレの横の部屋へと消えて、戸田さんは食堂隣りの部屋を陣取る。俺は通路の一番奥へと歩き、下階段手前の部屋へと入った。


 スライド扉の中に入ると、部屋は八畳ほどのワンルーム。シングルベットと机のみの簡素な部屋だった。


 はあと、ひときわ重い溜息を溢し。

 早速着ていた服をベットに投げ捨て、真水のシャワーを浴びた。

 脱いだパンツとランニングシャツをまた着て、ベットに体を投げ出し。


 色々ありすぎた今日の出来事を、一旦頭の中で整理しようとして目を閉じたら……そのまま寝落ちしていた。


 次の日。

 たぶん朝。

 暖色の非常灯に目をしばしばさせる。

 ボケた頭で、添い寝しているスマホの画面を俺は見た。


「……21時9分。……日付も昨日のまんまじゃねぇか」


 そうボヤき。

 洗面台で顔を洗って歯ブラシがわりに指で歯を磨き、寝癖を水でちゃちゃっと直して、ベットに腰掛け一分ほどボーとする。


「……おっしゃ。動くか」


 パチンと膝を叩いて、避難生活二日目の始動だ。

 昨日と同じ、デニムとグレーのパーカーを羽織り自室を後にした。


「おはよっす!」

「……おはよう」


 爽やかな俺の挨拶に対して、お疲れ気味の声が帰ってきた。


 食堂に顔を出して、最初に目についた人物。テーブルに肘をついて、眠そうな戸田さんだ。


 はぁ、溜息を吐き。

 彼女は体制を変えて腰を伸ばすと、椅子に浅く腰掛け、スラックスの膝を組んで肩をコキコキ鳴らした。

 そして作業の再開と、続きとなる自身のスマホに長文を入力中。朝から忙しそうな雰囲気を醸し出していた。


「……なんすかソレ。誰か宛にメールっすか?」


 黙っているのも何だし、適当に話しを振ってみる。


「あ〜、昨日のみんなからの報告を情報としてまとめているの。どこに狂人化ウイルスの解決のヒントが隠されているか、解らないから……。あと、昨日の話しの続きだけど、お昼過ぎにでも訊かせてちょうだい……」


 集中しているのだろう。おざなりな話し方だった。


 それにしても。

 彼女の親指が尋常ではない動きをしていた。残像のように見える。高速の指捌きは圧巻だった。

 LINEの一文をあーでもない、こーでもないと数十秒かける俺とはえらい違いだ。


 戸田さんの手元に見惚れていたら。


「あら、ジンちゃん。おはよう」


 柔らかい挨拶をくれたのは、カウンターキッチンから現れたサチエさん。

 洗い物をしていたのであろう。

 彼女の割烹着を捲ったその腕には、女性らしい細身の腕時計が光る。


「おはようございます。どうすか? よく寝むれました?」

「枕が変わるとダメね。途中で何度か目が覚めちゃったわ。ジンちゃんはどうだった?」


 お婆ちゃんらしい、気さくな語り口だ。


「ハハ、俺はベットに入ったら速攻で爆睡でした。寝癖すごかったっす」

「フフフ、若いっていいわね。そうだ、アメちゃんでも食べる? ポケットに入れっぱなしのヤツだけど……」


「すんません。食べます」

「こんな物しか無いけど、どうぞ……」


 半透明な飴を二つ貰い、ひとつを頬張ると、ハッカ独特の清涼感あふれる懐かしい味は舌の上に広がった。


「戸田さんもどうですか?」


 もう一つを戸田さんに差し出す。


「あー、私も貰ったから大丈夫。ありがと……」


 だそうで。

 余ったハッカ飴をパーカーのポケットにしまった。


(ジンちゃん、これもどうぞ)


 小言のサチエさんに手を取られて驚く。

 何が嬉しいのか、ニコニコしている婆さんは、また追加で二つほど飴をくれた。


(すんません……)

(いいのよ。あとね、それとなくでいいから、ハルの事をよろしくね)


 ググ。それは、ちょっと……嫌かも。


 でも、まあ、なんだ。婆さんとの何気ない会話はほっこりする。


 次いでと言っては何だが。

 口の中でハッカ飴を転がしつつ、昨日から気になっていた事をサチエさんに質問してみた。


「あのぅ、今の時間って分かります?」

「ええ。……朝の八時ちょっとすぎね」


 俺のスマホ時間は止まったままだけど、サチエさんの時計は進んでいた。


 地下だから電波が届かない? いや、やっぱりHEMP攻撃の所為と考えるのが普通か。


 おそらくサチエさんの腕時計は正常に時を刻んでいると思う。

 だとしたら、朝になってもスマホの時間が変わらないのは、携帯基地局の復旧もままならない状態であると考えるのが妥当だ。


 まさかとは思うが。無政府状態と語った戸田さんの予想に、真実味が帯びてきた事になる訳だ。


 ふぅ。

 考えれば考える程、ネガティブな方向に思考は引っ張られる。

 ダメだな。頭の整理が追っつかないや。もっと単純に考えないとだな。


 パンクしそうな頭の中身を空っぽにして、スースーするハッカ味に集中した。


 ……でもなんだ。

 俺の体内時計も大したもんだなって思えてきた。

 だって出社前のいつもの時間で目が覚めてるもん。長年の習慣ってヤツは恐ろしいもんだな。


 自画自賛で感慨深げに頷いていたら、スススとサチエさんは俺に近寄り。


「ジンちゃんは、これから何か予定はある?」


 予定と訊かれても……。

 当然仕事どころじゃないし、やるとしたら地施設の探検か地上の偵察ぐらいだ。なので。


「別に無いっす」

「だったら、わたしに付き合ってくれない?」


 手を叩いてサチエさんはお願いしてくる。


「そういえば、爺さんとハルさんは?」

「あの二人なら、何か役立つ物を探してくるとかなんとかで、施設内を探検ごっこしてるわ」


 うん、決まりだな。

 俺は婆さんに付き合うよ。

 特に施設の探検は後回しだ。朝一からハルさんの暴言なんて聞きたくもないし。


「それで、俺は何をすればいいんすか?」

「フフ、朝食ゲットよ」


 うん。よく分からんが。

 話しを聞くと、婆さんは地上に出たいらしい。


 それから10分後。

 サチエさんと、手作りの肩掛けカバンを下げてる俺は、外へと繋がる扉。つまりは地上への出口である鉄扉の前にいた。


 婆さんの願いを叶えるべく地上に出るにあたり、戸田さんにも一応お伺いを立ててみたら。


「いいんじゃない。いってらっしゃい」とのことで。

 長い螺旋状の非常階段を婆さんの手を引いて、ひーこら登り。

 現在、一服がてらにペットボトル入りのお水を飲みながら、鉄扉の前で一呼吸ついている所だ。


「そろそろ行きますけど、いいっすか?」

 

 俺はドアノブを握った。

 サチエさんはペットボトルごと祈るよう、胸の前で手を組む。


「ドキドキするわね ♪」


 シワシワの瞳を輝かすサチエさん。

 あんな減らず口ばかりのお孫さんがいるとは思えないぐらい、この人は可愛いらしいお婆ちゃんだ。


「いいですか、これだけは守って下さい。まずは俺が先に外に出て安全を確認しますから。サチエさんは俺がいいって言うまで、ここで大人しく待っていてください」


 戸田さんから預かった鍵で開錠しつつ、婆さんに念押しをする。


「……フフ。ジンちゃんはこんなお婆ちゃんにも、ちゃんと男の子らしい事をしてくれるのね。長生きもしてみるものね、嬉しいわ」


 こそばゆいぜ。俺なんか褒めても何も出ないけどな。


 少しだけ頬を染めながら、俺は意を決して、イザッと扉を開け放った。


「……眩しッ」


 まばゆさに目が眩んだ。

 解放されたドアから、真っ白な光りの束が大量に押し寄せてきて、俺の眼球を容赦なく潰しにかかる。


「何も見えん……」


 思わず右手で日差しを作り、瞳を細めてしまった。踏み出す一歩を躊躇(ためら)ってしまった。


 数秒経ち、ようやく目も小慣れてきた所で、やっとこ俺は外に踏み出す。そして……。


「……んな。マジかよ」


 言葉を飲み込んでしまった。

 地上は昨日とははまるで違う別世界になっていた。


 俺の出た扉は、高須研究所の裏手の防壁に設置されていたモノで。


 その目の前にある筈の研究所は。


「……瓦礫の山じゃん」


 ゴミと化したコンクリート片は、うず高く積もり。

 あれほど綺麗だった薔薇園は穴だらけで、破壊されていて、とても無惨な姿を晒していた。


 壊滅状態の光景に、無傷の防壁が異様に思えて。

 俺は婆さんとの約束も忘れて、ただただ呆然と立ち尽くしてしまった。



 場所は変わり、東京都内港区の某所、執務室のような造りの一室にて。


 間接照明だけの室内は仄暗い。

 無音の空間にキーボードを打ち込む音だけが響く。


 この薄暗い部屋に、明かりの灯るアンティーク調の机のみが存在を主張していた。

 壁際に設置された古びた机の前は、これまた年季の入った白衣姿の男性が座っていた。


「……フフ」


 笑い声と共に、キーボードの音も止まった。


 この白髪の男性は動かしていた手を休め、卓上に置かれたノート型PCのワイプ画像に魅入っている。


「……いよいよアルカ04も稼働したか」


 また無音の室内にカタカタと音は流れた。

 口元を緩ませている彼は、滑らかな指捌きで自前のノート型PCに文字を打ち込んでいく。


「……戸田君。戸田圭君。フフ、君を派遣したのは私だからね。私は君に期待をしているんだよ。君なら私の想像を超えてくれると……」


 独り言を呟きつつ。

 PC画面に連なる彼の入力する文字は、地球のどの文字にも当て嵌まらない異質な文字列だった。


「……私の尊敬してやまないあのお方。自然人類学の権威でもある『戸田宗近』のご息女、戸田圭君」


 彼はキーボード上で踊らせていた指をまた止めた。画面上のワイプ画像に指を添えて彼女の画像を引き伸ばす。


「君は私の作ったこの世界で、どんな決断を下すのかな? 本当に楽しみでならないよ」


 彼は、ベテラン俳優然としたダンディな面差しに、偽善的な笑みを滲ませた。


 コンコンと、ドアをノックする音で彼の表情は穏やかな物へと変わる。


「……失礼します。教授、避難民の中から発症者が出ました」


 一礼し、彼の部屋に入って来たのは服の上からでも分かる、筋骨隆々で上下迷彩服の中年の男だ。しかも彼の胸には、陸上自衛隊幹部、一等陸尉の徽章が光っている。


「はい。いま行くよ」


 初老の男性、教授は重そうに腰をあげた。


 ノートPCを閉じる。

 彼は一瞬だけ時を止めた。

 視線は閉じたPCの裏側で、そこにはデカデカとラメ入りのステッカーで『イエスッ!』と、貼られていた。


「ハハ、いつのまに……」


 こんな子供っぽいイタズラに、犯人の目星はただひとり。


「……まだまだ君も子供だな、圭君」


 クスリと笑い、教授は歩きだす。


「それと『高須教授』。今回の作戦行動における被害状況なのですが──」


 一等陸尉と高須教授は部屋を後にした。

 自動でゆっくりと閉ざされていく扉には『アルカ01』の文字が記されいる。


 “ ピロン♪ ”


 メールが届いたのであろう。

 卓上で閉じたノートPCのLEDライトは光る。

 無人の室内にて、彼のPCは休みなく仕事をこなしていた。


 と。

 ノートPCの光を反射する何か。

 積まれファイルの奥に、鏡のような長方形の何かが光った。

 

 隠すように、目立たぬように置かれていたそれは、埃の被った古い写真立てである。


 その写真に映るのは……。


『祝・アルカ01ついに完成』と、垂れ幕を前に喜ぶ若かりし頃の高須教授と戸田宗近教授の姿だ。


 それともうひとり。


 戸田教授が宝物のように抱く、まだ乳飲子だった『戸田圭』の姿も、そこには映っていた。

 ありがとうございました。

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