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暴虐のかなたに一縷  作者: 猫屋敷 中吉
1/6

バカも休み休み言えってんだ、バカ

 よろしくお願いします。


 これさぁ、単なる独り言なんだけどさぁ。


 誰でも一度は考える事だと思うんだァ。

 若気の至りつーか、学生時代とか特に。


 例えば、今日はかったるいなぁとか、ゲームに夢中になり過ぎて寝不足だとか。

 数学の小テストあるから嫌だなぁとか、友達と喧嘩しちゃって顔合わすの気まずいなぁとか……。そんな、くだらない理由でさぁ。


 “ こんな世界なんて滅んじゃえばいいのに ”


 なんてこと、誰でも一度は考えると思うんだァ。


 でもさ、でもな。

 もしさぁ、もしもだよ。

 本当に世界が滅んだとしたら、どうする?


 たぶんだけど。

 頭、真っ白になって、だらしなく口をポカーンと空けてさ。

 両目をかっ開いて、二宮金次郎像みたくガチガチに固まると思うんだ。


 なんでそんな、たらればを言うのかって? 


 だって、今の俺がそうだし。


 ちょっと前まで賑わっていた地元の商店街に立ってさぁ、それが跡形もなく滅茶苦茶に壊されてな、俺。


 間抜けヅラして、なんも考えられなくなって、めちゃくちゃ顔ひきつってるもん。最悪だよほんと、笑うに笑えねぇよ。


「ジンタン!」


 なんだよ、ったく。

 

 地方都市。

 片田舎の駅前でこの二人は、煙立つ街並みを背にして身を潜めていた。


 交通量ゼロの車道。連なる車列の影に隠れている。この国道は住宅街を抜けて駅へと続く国道。

 街中なのに喧騒も消えた、まるでゴーストタウンのような街だ。


「なに、ボーとしてんのよっ、さっさと準備してっ!」

「ウイ……」


 こうるさい彼女にせっつかれ、ジンタンは辟易しながら動き出す。


 天気は晴れ。

 朝から蒸し暑い。

 

 視線を落として、女性物の腕時計を見れば日付は木曜日、時刻は午前7時を回っていた。初夏の平日である。


 浮かない表情でジンタンはカバンを漁る。


 閑散とした街。

 田舎町とはいえ、通常ならこの時間帯は駅に向かうスーツ姿のサラリーマンや、やたらと化粧くさいOLさん達、朝から無駄にはしゃぐ学生等で、ごった返している時間帯だ。


 なのに……。


 無人。

 今はハルさんと二人きり。

 視界に映るのは、時間が止まったような街並みだけ。恐怖もさることながら、虚無感も半端ない。


「早くしなさいよね」

「ウイ……」


 ハルさんはイラついてる。

 つらそうに眉間に皺を寄せている。

 ……ハルさん。

 これが俗に言う女の子の日ってヤツなのかな? 大変だなぁ、女子って。

 

 ……全然違うが。

 したり顔でほくそ笑むジンタンは不気味だった。


 彼は辺りを警戒しつつ、肩掛けカバンからスマホを取り出し。いつものクセなのかスマホの時計を見て表情を硬くする。


「……21時9分」


 やはり変わってない。昨日と全く同じ時間で、時計は止まっている。


「……とに、人工衛星の野朗、ちゃんと仕事しろよな」


 ボヤくジンタンは最新のスマホ画面をタップ。

 ん? タップ。んん? 無反応だ。

 はめているグローブの所為だ。有機EL画面の反応はすこぶる悪い。彼はイキリたち。


 タップ。

 タップ、タップ、タップ。

 タッ、タッ、タッ、タッ、タ、タ、タ、タ、タ、タ、タァップ!


 起動。


「チッ、鈍くさっ」


 ハルさんは冷ややかな目を向けてくる。

 でも、もう馴れた。こんな時はマンキンでスルーだ。


 素知らぬ顔でスマホを操作。

 街の様子にレンズをかざし、動画で撮影。画面越しに映るのは。


「……」


 街のあらゆる所から煙は立ち昇っていた。

 電気の消えた信号。駅まで続く車の列。

 500メートルほど先にある駅の看板には日の丸戦闘機は突き刺さっている。

 半分に折れた十階建てマンション。五階建ての駅ビルからヘリコプターのお尻が生えていた。


「……」


 カメラを動かし、近場の景色も撮影する。


 ひしゃげたガードレール。割れたガラスは歩道を埋め尽くす。

 コンビニに頭から突っ込んでいる救急車に、大型トラックに潰されて黒焦げになったハイエース。

 横倒しの消防車。パトカーのバリケード。ドアを開けっ放しのミニパトから、無線機はだらしなくぶら下がり、軽自動車にカマを掘られている。緊張した面持ちのハルさん。


「どう? バッチリ撮れてる?」


 コツンと、ハルさんのヘルメットは俺のヘルメットに当たる。


「あ、ああ。……まあ。……まぁ、まぁ」


 シールド越しでも彼女は美人さんだ。

 暑さのせいで火照った彼女の面差しは色っぽく、ちょっとドキドキさせられた。


 もうお分かりだろうが。

 俺たちはフル装備の消防隊員みたいな格好をしている、

 これは出がけに戸田さんから「外は危ないから」と、無理矢理着せられた防疫防護スーツだ。


 名称はEPスーツ。

 全体は艶消しのシルバー。アクセントにオレンジ色の太ラインは肩から足の先まで入っている二色のスーツ。

 体にフィットするタイプの防護スーツの筈なのだが、華奢な俺とハルさんにはややダボつく。


 ハルさんはどうか知らんが、見た目はなんとなく昭和のウルトラ警備隊みたいで、俺的にはカッコいいかもと、思ったりもしている。


 戸田さん曰く。こいつは相当優秀なスーツらしい、とのこと。


 このスーツのメリットとしては、鉛入りの為、放射能はもちろんの事、あらゆる細菌やウイルスから俺らの身を守ってくれると。大気汚染された場所に行くには最強のスーツなんだとか。


 ふ〜ん、だ。

 ただ、デメリットとしては──とにかく重たい。


 小型のエアボンプやらも付いてる所為で、体感の重量としては十キロ近く、いやそれ以上に感じる。


 それと、めちゃくちゃ暑い。


 密閉性の高い防護スーツに七月の日差しはキツい。スーツの中はサウナ状態で、まさに地獄だ。何かの拷問か? とも思える。


 フと、助っ人アルバイトで着た、ご当地ゆるキャラの着ぐるを思い出した。アレもヤバかった。死ぬかと思ったし。


 何故こんな格好をしているかというと。

 戸田さんは突如発生した『奇病』と同じぐらい、電源喪失による原発のメルトダウンを懸念していた。バカな俺でもこれには同意見だった。だから。


 フル装備で挑んで来たものの、いま滅茶苦茶後悔している。


 原発の水素爆発、奇病の蔓延により始まったパンデミック。そして、妙ちくりんな生物の出現。


 俺たちはこの三つを警戒して、地元でもある、この駅前に潜入していた。


 でも今更言っても始まらない。

 諦めて、スーツの中を汗まみれにしながらスマホを駅前商店街にも向ける。


 ……空気は白かった。煙っていた。


 燻る商店街。テラス部分を焦がした喫茶店から、急にカラスが飛び出して来て驚かされた。


 あちこちに黒い水たまり。

 水溜り周りには、さも当たり前のように人の残骸は転がっていた。五体満足に倒れている人もいるが、動く気配は感じられず。血濡れた彼ら、ハエの(たか)る彼らはもはや屍のようだ。


 陥没した道路。

 へこんだアスファルトは点々と商店街の奥まで続いている。店先を抉られた商店は酷い有様だ、軒並み倒壊している。


「……クソ牛の仕業か」


 俺自身も食らい、心当たりがあるだけに、胸糞が悪くなる。やるせなさより怒りが先に立つ。


 (たかぶ)る怒りを深呼吸で沈めた。落ち着きを取り戻した所で撮影を再開する。


 この駅前商店街は、肉屋や魚屋な八百屋、大衆居酒屋や昔ながらのスナックなども含めて、四十件近くが通りを挟んで軒を連ねていた。


 しかし今は半数近くが半壊、もしくは全壊。


 かつて賑わいを見せていた繁華街は、もうどこにも無い。

 まともに建っている建物でも、壁が焼けていたり大穴が空いていたりと散々な有様だ。


 古臭いけど、人情味の溢れた下町風情のある商店街。俺のお気に入りスポットだった。


 ──なのに、何故こうなった。


 馴染みの惣菜屋の三浦さん、田中おばちゃん。肉屋のガンプラ好きの大将。

 威勢のいい魚屋のタモっつぁん、アゴ髭の似合うフレンチシェフの佐々木さん。


 全員仕事のお得意様だった。

 毎日当たり前のように会っていた人達だ。

 それが、この有様だ。贔屓にしてくれた、この人達の笑顔が脳裏にチラつく。


「……大丈夫。まだ何処かで、生きてるはず。……たぶん」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

 そうじゃなきゃあ、やってられない。


 ── こんな理不尽、あり得ない。


 街に蔓延るのは静寂。

 火の消えた商店街を記録して俺は、盛大に奥歯を噛み締めていた。


 ── いったいこれは、誰の所為だ。


 この問いに、答えはとっくに出ている。



「ほら、もう十分撮ったでしょっ、さっさと次に行くわよ!」


「……う、ウイ」


 気持ちを落としたまま。

 空気を読まないハルさんに急かされて、俺は撮影を終えた。スマホをカバンへとしまい、小さな溜息を吐く。


「しっかし、暑っついわねぇ。どうにかなんないの? この暑さ……」


 汗で前髪がクリクリしているハルさんからの苦情だ。


「戸田さんは着とけって言ってたけど……。奇病は奴らに遭遇しなきゃ問題ないし。放射線量も低かったら、脱いでもいいよな?」


 病気と被爆は怖いけど。戸田さん悪い、俺も限界だ。


「私に聞かないでよ。責任を押し付けないで! ……でも、いいんじゃない?」


「責任は折半な。ちょっとガイガーカウンターで調べてみる」


 急いでカバンに手を突っ込み、手の平サイズの装置、放射線測定器を取り出した。すぐに電源をポチッと。


 汗だくフル装備の俺とハルさんは、固唾を飲んで測定結果を待つ。


 その頃、件の戸田さんはというと……。


「ズズズ、ズズ……。あー、お茶がうまい」


 避難シェルター内の食堂にて、新緑の香り立つ淹れたての緑茶を啜っていた。


「ズズズ……。あー、……あっ!?」


 しみじみとお茶の渋みを堪能していたら、何かを思い出したようだ。


「ヤバ、あの二人に『EPスーツ(防疫防護スーツ)』のスイッチ、教えて無かった。かも……」


 やっちまったとばかりに、彼女はやにわにパイプ椅子から立ち上がった。

 けれどそれもほんの数秒で。

 彼女は白衣を翻してまたパイプ椅子に浅く腰掛け、グレーのスラックスをクロスさせて優雅に足を組む。


「……今更だし。ま、いっか」


 苦笑いにえくぼを添えて。

 立ち上がった拍子にズレた眼鏡を直して彼女は、開き直った。


 ちなみに、このEPスーツ(防疫防護スーツ)とは。

 過酷な環境下での作業を想定して作られた防護服だ。

 着用者の安全を第一目的として、危険を伴う作業をサポートすべく作られた災害作業用スーツである。

 特徴としては、介護スーツなどにも使われいる人工筋肉や、着用者に快適な作業環境を提供する自動体温調節機能など、さまざまなサポート機能が備わっている。


 まさしく緊急時に特化した、着用者にも優しいハイテクスーツである。


「ズズ……。美味しい」


 天然パーマの彼女はモシャモシャな長い髪を揺らして緑茶を啜る。渋い表情で数秒悩む。


「……epidemicprevention,protectスーツ。……ふふ。二人とも若いし、少しぐらい重くても平気でしょ♪ 」


 結局、丸投げだ。

 彼女は呑気にモーニングティー楽しむ。


 その一方で、少しぐらい重いEPスーツを着た若い二人は……。


「あづい〜、重い〜、無理〜」


 熱にうなされるよう、ハルさんは泣き言を言っていた。


「へいへい、ちょっと待てって……」


 俺も汗だくで放射線測定器を凝視していた。


「水風呂入りたい〜。シャワー浴びてサッパリしたい〜」

「うるせぇなぁ。もうすぐだって……。おっ、出た出た。0.054マイクロシーベルト。平時の数量だな」


「て、ことは?」


「大丈夫そうだ。まだメルトダウンは起きてない」


 ホッとする俺たち。そしてすぐさま。

 “プシュー!”

 俺とハルさんはマッハでヘルメットを脱ぎ捨てた。

 

「「っだは!」」

 

 風が心地いい。

 涼しい、生き返る。外気が肌に染みる。


「はぁー。死ぬかと思った……」


 汗に濡れる長い黒髪をハルさんはかきあげ、宙に煌めく雫を弾かせた。


「あ〜喉、からっから。ジンタン、お水ちょうだい」

「へ、へい……どぞ」


 見惚れていた事を悟られぬよう。

 カバンからさっと500ミリ入りのペットポトルを差し出す。


「あんがと。……んぐ、んぐ、んぐ、ぷはぁ〜。あー、ぬるくて、まっず!」


 豪快に『シェルターの美味しい水』を煽り、大胆に腕で口を拭って、平気で文句を言う。


 ……萎える。急激に冷めてしまった。まるで、おっさんだ。


 ハルさんと行動を共にしていると、女子に抱いていた幻想(優しくて清らかなもの)は崩れていく。


「んぐ、んぐっ、まっず!」


 まだ文句を言ってるし。

 不味い水でも満足した様子のハルさんは、半分ほど残したペットボトルのキャップを閉めながら。


「……でもさぁ、ジンタン。戸田さんは言ってだけど、あの狂犬病みたいな『奇病』って、ほんとに空気感染しないの? どう思う?」


「医者の戸田さんが言ってるんだから信じてやれよ。……そうだ。そんなに心配なら、またメットを被れば?」


「いやよ! 二度と嫌! 頭はぺったんこになるし、汗で前髪くねるし、最悪! もう被んない、あんなの!」


 お前の一番は髪型かい。


 ツッコミたいが、後が怖いので我慢する。


 ハルさんは何処から出したのか、手鏡を片手に、一生懸命に前髪を直している。


「なあ、ハルさん。とりあえず何処から攻める? 俺的には八百屋あたりから順繰り周りたいんだけど……」


 そう、俺達は遊びに来たわけじゃない。

 この狂人共の巣窟に重要な任務を受けて来たんだ。しかも任務は三つもある、何気に責任重大だ。


「ちょっと待って、前髪が決まんないから後で……」


「……」


 俺の事は散々急かしたクセに……。

 忙しそうなハルさんを放っといて、任務のおさらいをする。


 まずは一つは、正確な情報の収集。

 現在あらゆる通信、電波は使用不能、破壊されている。

 なのでテレビやラジオ、インターネット等から情報は拾えず、面倒だが、わざわざこうして出向いて来た訳だ。


 避難生活を強いられてる俺らにとって、他の生存者や救援隊の有無、街の被災状況、災害の規模など、正確な情報は喉から手が出るほど欲しいものだ。

 そこで、俺とハルさんは(俺の愛車)を使って、この危険地帯(街の繁華街)まで乗り込んできていた。


 そして二つ目は、食料の調達。

 俺たちはひょんな事から『アルカ04』なる核シェルターに身を寄せている。

 もちろんそこには俺とハルさん以外にも避難している住民は三人ほど居て。まぁ、俺を含めて五人ほどだが。

 

 少ない人数だから、余裕そうにも見えるが、そうでもない。

 そもそも逃げ込んだ避難場所は稼働前の核シェルター。

 この出来たてホヤホヤのシェルターには、食糧や医療品、生活必需品の備蓄は皆無だった。

 どうやら物資を備蓄する前に、この騒動(パンデミック)は起きてしまったようで……。


 要するに、ガワだけの空っぽの施設で俺たちは避難生活を強いられている。それ故、生活物資の調達は急を要する案件だ。


 実際、一昨日から渋いだけの知らん雑草を食っている。飢えは凌げるが、とにかくマズい。

 飽食の時代なんて呼ばれていた時期もあったけど、もう懐かしく思える。ちなみに、日本が崩壊してまだ三日だけど。

 

 最後の三つ目は、武器、弾薬の調達。

 これは重要だ。最低でも弾薬の補充は必要を迫らせている。

 なにせ、敵は普通にいる。どこで遭遇してもおかしくない状況だ。

 だがいかんせん。いま俺らが持っている武器は猟銃一本。それのみ。なんとも心許ない状態だ。


 だけど運良く、この街には銃を扱う店はあるとのことで(長年住んでた俺も知らんかったけど、ハルさんが教えてくれました)敵の存在する世界に、自分の身を守る為にも、どうしても火力は欲しいところ。

 故に、手持ちの猟銃の弾の補充とあわよくば後二、三丁、店からかっばらい……。もとい、購入できればラッキー♡、的な? そんな感じだ。


「……うわ、悪人顔。キんも……」


 キんも!? 

 ぐぬぬ。

 ハルさんは容赦なく俺の心をエグってくる。またしても彼女を基準に、俺の中にある女子への評価はダダ下がる。


 前髪直しも一段落して「まだ暑いわね」と文句を溢したハルさんは、後ろのジッパーを降ろして上着を腰に巻く。


 上半身を白のタンクトップ姿にした彼女。手首にはめていた黒の髪留めゴムで、長い髪を後ろで一つに束ねていた。


「……ゴクリ」


 眩しっス。

 俺の視線は、彼女のツルピカの脇の下に釘付けにされた。


「ウザいんだけど。なに見てんのよ、変態!」


 彼女は在らん限りに瞳を吊り上げ、サッと両腕でお胸を隠す。


「……違ぇし」


 お前の胸なんかに興味はねぇ!


 とは言えず。

 平たいお胸を隠すハルさんを前に、俺は下唇を噛んで耐え忍ぶ。

 

「……で、八百屋からでいいよな」


 外した視線で、彼女に再度確認。


「は? 何言ってんの。最初は薬局からでしょ、普通……」


 は?

 普通って言われても。

 こいつこそ、何言ってんの?

 薬も大事だけど、俺ら一昨日から碌なもん食ってないんだよ。まずは日持ちしそうな食料確保からでしょ、普通。


 こう、喉まで出かかった言葉を。


「女の子には色々と事情があるの! 薬局じゃないと売ってないのよ、バカ! 女の子の口から言わせないでよ、バカ! ちょっとは察しなさいよ、バカ!」


 ……えらい剣幕で捲したてられて。しょっぱい顔の俺は言葉を呑み込んだ。なんも言えなくなった。


「……だけど、アイツ等。あのキチッたヤツらは居ないんだな……」


 奇病を患った人達だ。

 この街の住民はおそらく、全員手遅れだ。敵が現れた時点で、同時に『奇病』も発生していた。


 俺もハルさんもその渦中に居たから知っている。奇病を発症した人間を知っている。


 あれはもう人じゃない──ただの『ケダモノ』だ


「戸田さんは『マッドマン(キチッた奴等)』達って、太陽が苦手かもって言っていたけど、このゴーストタウンみたいな街を見ると、本当みたいね。通りはひとっ子一人見当たらないし」


「じゃあ、何処に行ったんだ?」


「私が知るわけないじゃん。……ちょっと待って、閃いた。アイツ等、日陰に隠れているんじゃない? マッドマンになるとシミやそばかすが出来やすくなるとか?」


 ドヤッて感じだけど、まんまの答えだな。それと、シミそばかすは気にせんだろ。


「じゃあアレだな。太陽の当たってる崩れた店から漁るか?」

「嘘でしょっ。嫌よ、埃まみれのコスメなんて!」


「だって、まともな店舗だったら店の中真っ暗で日陰もあって、アイツ等が潜んでる可能性だってあんじゃん!」


 わがまま女子高生を正論で諭す。つもりだったのに、彼女は。


「ふふん。これが見えないの?」


 得意満面で肩にかかっている鉄色の長物、猟銃をチラつかせてきた。


「……ズルいよな。ハルさんだけ、ズルい」


 ハルさんはクレーン射撃を嗜んでいる。

 故にだが、恨めしそうに見ている俺にハルさんは鼻で笑いながら。


「あら、ジンタンも持っているじゃない。素敵な武器」


 素敵な武器とバカにする。

 俺の得物は『刺又』だ。あの、犯人を押さえ付けるだけの護身具だ。


「こんなん武器とは呼ばん!」

「あら、それも立派な武器よ。だって、ちい〇わだって刺又で強敵と戦っているのよ」


 ニヤニヤしながら、こうほざく。


「ち〇かわと一緒にするな!」


 あっちは漫画で、こっちはリアルだ。


「でも大丈夫よ、安心して。ジンタン一人ぐらいなら、私が守ってあげるから ♪」


 かっけぇぇ!

 ハルさんは男前な台詞を吐いて、狙撃手っぽく猟銃を構えた。


「ということで、憂いも晴れた事だし。さっそくチューリップのお店へGO!」

「へい、へい……」


 楽しそうなハルさんと俺は、コソコソと国道に並ぶ車列を縫う。目的地へと向かった。


 でも、なぜこの街は壊れた。


 頭の片隅にいる、もう一人の俺からの問いかけだ。


 答えは出てる──アイツ等の所為だ。


 あの日、未確認飛行物体を発見してからだ。

 飽き飽きするぐらい擦られ過ぎた三流漫画みたいな話しだ。そう、三日前のあの日から、この悪夢は始まったんだ。

 

 理不尽の塊みてぇなアイツ等の侵略。その所為なんだ──



 時間は遡り、三日まえ。


 俺は納豆で有名な県。つーか、全国人気のある県ランキングで、最下位の常連でもある県で暮らしていた。


 そこで、高校時代からアルバイトをしていた『ニコニコ運送』なる、ニコリともしない上司の元で俺は働いていた。もちろん、高校卒業後に就職して今は正社員で。


 そして、いつものように定時に仕事を終えて事務所に戻ると。


「おい、立川っ。立川、ちょっと来い! お前、暇だろ!」


 係長のダミ声に呼び止められた。


 何言ってんだ、このハゲと。

 ムカついたので、ハゲ散らかった強面のデブ上司を無視。自分のデスクに戻り、くたびれた椅子に深々と腰をかける。


「また、佐藤の爺さんがやらかしちまったんだわ。悪ぃが、これからお前に一件、配送を頼んでもいいか? いいよな!」


 ほぼ強制かよ。


「……嫌っス。俺、帰るっス」

「そこにあるヤツだから、頼んだぞ!」


 耳、腐ってんのかな? このハゲ。

 ほぼじゃなく、完全に強制だ。


「急ぎだからな! 頼んだぞ!」


 急ぎなら、お前が持って行けよハゲ。


「へい、へい……」


 上司に睨みを効かされ、萎縮する俺は渋々了承した。


「佐藤の爺さん、ヤバくないっスか? もう何回目ですか、これ。ボケてんじゃ無いっスか?」


 腹いせにボヤく。


「しょうがねぇんだよ。運送業界は万年人不足なんだ。あんな爺さんでも使わにゃあ、この業界は回らん。ウチもずっと新人募集かけてるが、誰も引っかからんし」


「……給料安いからじゃん」


 色々さっ引かれて、手取り12万だもん。新人なんか来るわけないじゃん。頭と一緒で脳味噌もツルツルなんじゃねぇの、このおっさん。


「……なんか言ったか?」

「いえ、何も……」


 ギョロりとした目で凄まれた。俺は縮こまる。


 そんなこんなで残業の決定したこの日。

 直帰したい俺はハゲ上司に、マイカー(ダイハツムーブ)の使用を打診し、アッサリとOKを貰い。

 ダサい作業着から私服のパーカーとデニムに着替え、やたらと重い段ボール箱二つを抱えて、愛車に乗り込んだ。


 届け先は『高須医科学研究所』と。

 聞き慣れない名前だが、住所をみて納得した。


 この住所は管轄の外れにある山の天辺だ。しかも同僚から「最近出来た施設だから、もしかしたらお得意さまになるかもよ」と、言われていた場所だった。


 今朝のテレビでは気象庁による梅雨明け宣言が発表されていた。車内時計を見ると、現在の時刻は午後5時半を周っている。


 本来ならアパートに帰って、ひとっ風呂浴びている時間。あとは夕飯と大好きなゾンビ映画を肴に、ビールでも飲んで日頃のストレスを解消する筈だった。


 それが、この有様だ。


 真っ赤な夕日を背に受けて、俺は田舎臭い田んぼ道を愛車で急いでいる。


「バカも休み休み言えってもんだ、バカ!」


 車中、上司への不満を叫ぶ。

 不機嫌を貼り付けて運転する事しばし。

 目的地の山のてっぺんにある『高須医科学研究科』に到着した。


 森に覆われた施設だった。

 異常なまでの威圧感を感じる。

 それもこれも、バカみたいに高いコンクリート塀の所為だろう。


 夕日は深い森に遮られて、茜色の空だけが枝の隙間から覗いている。

 スマホの時計を確認すると午後6時ちょい過ぎ。荷物のお届け時間は午後4時となっていた。もう2時間も遅れている。


 不気味な施設を前に、ゴクリと生唾を飲んで気合いを入れる。俺は急いで荷物を抱えて研究所のインターフォンを押した。


「……はい」


 やや待つと、確実に怒っている風の声が帰ってきた。


「あの、ニコニコ運送です。荷物のお届けに参りました」


 努めて明るい声色を出し、俺はインターフォン越しに頭を下げる。


「……」


 ガチャンと無言でぶっきらぼうに切られ、待つこと数十秒。

 門前の重厚な扉の脇、人ひとり通れそうな小さな扉から、丸眼鏡と白衣を纏った不機嫌丸出しのお姉さんは現れた。


「っ遅れてすんません!」


 怒られる前に、思いっきり腰を折って謝罪する。


「……ねぇ。あんたの名前を教えて」


 あー、こりゃあ、本社にクレームを入れるパターンだ。

 彼女の雰囲気から察して、荷物を渡しつつ。


「……佐藤 友蔵です」


 偽名を使う。

 蚊の鳴くような声で、佐藤の爺さんの名前を言った。

 別にいいだろ。そもそも俺の所為じゃないし、佐藤の爺さんのミスだし。


「……ともぞう? 古くさい名前ね」


 しかめっツラの彼女。

 失礼な人だな。もし本当に本名だったら傷つくだろ。違うからいいけど。


 難色を示す彼女に頑張って薄ら笑いを作った俺はサインをもらい、本日の業務は終了した。


 彼女のモシャモシャヘアーと一緒に重い扉は閉まり。愛車を停めた入り口前のロータリーから俺は、改めて研究施設を見上げた。


「……まるで進撃の巨〇だな」


 威圧感を与えてくる10階建て相当のコンクリート塀を下から眺め、大人気漫画をもじった見たまんまの感想を溢し、踵を返す。


「さってと、帰ってビールでも飲むか ♪」


 嫌なことはさっさと忘れて、ほくほくしながら愛車に乗り込み、俺はこの不思議施設を後にした。


 帰り道。

 くねくねの山道を下り。最近『秘境村』と、ゲームみたいな村名に変えた集落の信号に捕まり、俺は気持ち悪いぐらいにニヤけていた。


 俺のご機嫌な理由はコレだ。


 今朝方撮ったUFO画像にご満悦だからだ。

 しかも、一機や二機なんてショボくれた数じゃなくて、編隊を組む大量のUFO画像だから。


 カルト雑誌、ムー大好きっ子の俺からしたら、まさにお宝画像だ。……不意に思いつく。


「これってテレビ局に売れるかも……。フジとかだったら、結構な高値で買ってくれたりして……ぐふふ」


 獲らぬ狸の皮算用である。

 それでも、幸せな気分で欲しい物をいくつかリストアップしていたら。


「助けてくださいっ!」


 車道脇から急に若い女性が飛び出してきた。

 俺の愛車のボンネットを叩く。しかも、慌てた様子で思いっきりバンバンと。


 何してくれてんの? と、ちょいイラつく。

 彼女は淡いピンクの半袖パーカーとショートパンツ姿で、長い髪を振り乱して、しきりに集落の方向を気にしていた。


 この時、俺の第六感は警鐘を鳴らした。これは危険な匂いがすると。


 思考タイム一秒で知らんフリを決めた俺は、ここで重大なミスに気づく。


 ──あ、鍵あけっぱだ。


 速攻で車にロックをかけようとしたが、遅かった。


「っす、すみません!」


 俊敏な彼女に後部席を開けられ、彼女の申し訳なさそうな声と同じタイミングで、ガチャリ。


「……」

「……」


 無情にも扉のロック音は車内に響き、なんか気まずくなる。


「……私、助けてくださいって言いましたよね。それなのにあなた、いま車をロックして逃げようとしましたよね?」


 汗だくの彼女にめっちゃ睨まれた。


「ハハ、ま、まっさかぁ。ほ、ほら、ドア開けようとして間違って鍵かけちゃった? みたいな……ハハ、ハハハ」


 空笑いで誤魔化したが、苦しい言い訳だった。


「……」


 無言の彼女。

 ……解せぬ。


 つーか、なんで俺がこんな嫌な気持ちにさせられるんだよ!

 正味、逃げようとしたさ、当然だろ!

 人助けなんて俺のガラじゃ無いし、お前は赤の他人だし、助けて欲しいなら俺じゃなくて警察呼べってんだ!

 俺は面倒事は嫌いだし、今日は残業して疲れてるんだから、さっさと帰ってキンキンに冷えたビールが飲みたいんだよ!


 言葉にしないが、開き直る。


「お爺ちゃん、お婆ちゃん、っ早く!」


 しかしだ。

 俺の面倒くさいオーラを無視して、緊迫した表情の彼女は道路脇の草むらに手招きをしていた。


 彼女の呼びかけに応えるよう。

 今度は、草むらからゴルフバックみたいなのを担いだ、くたびたスウェット姿の爺さんと、もうひとり。

 あずき色のスカートと割烹着を羽織った婆さんが車のヘッドライトの前に現れて、この三人は勝手に俺の愛車に乗り込んできた。


「ゼー、ゼー、心臓が痛い。ゼー、ゼー、老骨を走らすとは。ゼー、ゼー、とんだ孫じゃ。ゼー、ゼー……」


 必死こいて走ってきたのか、助手席には死にそうなぐらい息を切らしている爺さんが座り。


「すまないねぇ、お若いひと……」

「お婆ちゃんもそんなのいいから! あんたっ、早く出して!」


 後部席に乗り込んだ婆さんを制して、彼女は命令口調で叫ぶ。カチンときた俺は。


「おいおい、俺はタクシーの運ちゃんじゃねぇんだよ」


 気の強そうな彼女に言ってやったさ。


「つべこべ言わず、早く出して!」


 頭上の信号も青に変わったので「へいへい、お急ぎのお客様ですね。行き先はどこに── ドンッ!」


 皮肉を言って車を出そうとした。

 そしたらどっかのバカが結構強めに運転席のドアに体当たりをかまして来た。


「てめぇっ、この野朗! 何してくれてんだよ……って、へ??」


 色々あって、溜まった苛立ちをこのバカにぶつけようとしたら。

 ぶつかって来た兄ちゃんの顔を見て、苛立ちなんて一瞬でぶっ飛ぶ。


「あがががががががっ!!」


 だって、このツナギを着た兄ちゃんったら、目ぇイッちゃってるし、鼻もげてるし。

 口の周りとか胸元とかにべったりとした赤いモノをつけていたから、てっきり。


「ががぁ、あがががっ! ががががが!!」


 てっきり、鼻もげるぐらい大皿てんこ盛りのナポリタンにかぶりついて、食あたりになって、現在相当ご立腹中とか? 思ったちゃったりした次第で。……って、んな訳あるか!


「あが! あがっ! あががががが!」

 

 兄ちゃんは奇声をあげる。力任せに愛車を揺さぶる。


「ガリガリガリガリガリガリガリ」


 揺さぶるだけじゃあ飽きたらず、兄ちゃんはドアに付いてる雨避けを真っ赤なお口で齧りだした。


 ショッキングな出来事に、俺の目は点になる。


「……あのぅ、お知り合いの方ですか?」

 

 後部席の彼女に一応、聞いてみた。


「っんな訳ないでしょバカ! そんな事より早く車を走らせてっ!」

「ガガガガガガガガガガガガッ!!」


 でしょうねぇ。

 雨避けを一心不乱に齧る兄ちゃんから視線を剥がして、シフトレバーに手を置く。イザ前を見ると……。


「がああああああああああああっ!」

「ぎゃあああああああああああっ!」

「ぐがぐが、ががががががががっ!」


 兄ちゃんに負けず劣らずの恐ろしい形相の集団が、雪崩のように押し寄せてくる。


「洒落になんねぇ!!」迷わずギアをドライブからバックに切り替え、思いっきりアクセルを踏んだ。


 ギャギャッとタイヤはアスファルトを噛んで元気に走りだす。

 愛車をガジガジしていた兄ちゃんは腰をドアミラーにぶつけて、もつどり打って倒れた。


 陽も落ちて街灯も乏しい暗い田舎道。俺は小っこいバックライトのみで逃げ出していた。


「ど、ど、どこに行きます!」

「知らないわよっ! あんたが運転してるんだから、あんたが決めてっ!」


 えぇぇっ! まさかの丸投げ!

 バックミラー越しに運転しながら困惑する。

 どうする。

 地元とはいえ、アホみたいに釣りだ海水浴だと海でばっか遊んできた俺には、こんな山奥での土地勘なんてほぼ無い。

 

「げげげげげぎゃ、げげげげげげげ!」

「ぐおおおおおわおおおわおおおお!」

「いやぁあああ! キャアアアアッ!」

「やめてくれぇ! ぎゃああああっ!」


 キチガイじみた叫び声に混じり、悲痛な叫び声や怒鳴り声も聞こえてくる。混乱する思考に拍車がかかる。


「いったい、何がどうなってんだよ!」

「ほれ、暴漢どもが次々と湧いておるぞ!」


 俺の問いをシカトし、助手席に座る爺さんはフロントガラスを見つめて声を荒げた。

 バックミラーばかりに注視して俺は前に視線を戻して── 絶句した。


「……マジか」


 それは出走間近の、ホノルルマラソンのスタート地点に迷い込んだ気分だった。


「ぼおおおおおおおおおおあおおおっ!」

「ごぉえ、ごぉえ、ごぉえええええっ!」

「がわわわわわわわわわわわわわわっ!」


 人、人、人の波が押し寄せてくる。

 頭が真っ白になった。

 現実逃避している場合じゃねぇ! 首をブンブンと振って正気を保つ。


「さっきより人数、増えとるやんっ!」


 ヘッドライトに照らされたのは、アグレッシブに全力疾走をかます爺さんと婆さんの群れ、群れ、群れ!


 四方からの群れ。獣みたいな吠声の爺婆に混じり、若いのもちらほらいる。その数はざっと100人はくだらない。と思う。


「だから、なんなんだよっ、こいつらはっ!」


 もうなんて言えばいいのか分からん。

 でも、バカな俺でも分かる。コイツ等はヤベェ奴等で捕まったら最後、たぶんゾンビ映画みたく生きたまま食われて終わるヤツに決まってる。


「クソがっ! 俺はまだ女の子とチューすらしたことねぇんだよっ! 本物のおっぱい揉めずに死ねるかっつーの!」


 決死のカミングアウトだ。恐怖を剥き出しの欲望で塗りつぶす。


「……チューとか、キモ。……童貞、ダサ」


「俺を童貞って決めつけんな!」


 童貞だが。

 後ろの女子から心を抉るような中傷を受けるも、強がりを叫んで揉み消した。

 知った風な顔でうんうんと頷く爺さんを横目に、再度バックミラーへと視線を戻す。


 どうする、どうすればいいっ!


 アクセルはべた踏みのままだ。

 それでも、バック走行のままじゃあ追いつかれるのも時間の問題、ジリ貧だ。

 まずはどっかでUターンをしなきゃと、目を皿のようにして空きスペースを探していたら。


「婆さんとハルは頭を下げておれ。危ないからのう……」

「うん、分かった」

「そいつを使うのかい?」

「仕方あるめい。お前らの命に変えられんで」


 必死こいてる俺の横で三人はお喋りだ。

 そして厳しい顔で爺さんは、細目のゴルフバックから鉄色の長物を取り出す。

 出てきたモノを一目みて、俺は血相を変えてしまった。


「……なにそれ。……おもちゃか?」


 出て来たモノはライフルっぽい銃だった。所詮エアガンじゃあ、威嚇するにもお粗末だ。

 混乱の極みにいる俺は、銃規制のある日本において、まさか本物とは思わず茶化す。


「バカこくな……これは本物じゃ。こう見えてワシは、地元の猟友会に所属しておるからのう」


 ……猟友会。本物の銃。

 へぇー、へぇー。本物の鉄砲って初めて見た、へぇー。一転、テンションのあがる俺。


 真剣な眼差しで爺さんは、手馴れた手つきで本物の猟銃を真ん中から折り、黄緑がかった筒状の弾をこめている。


「……それって、ライフル銃ってヤツ?」

「……いんや、散弾銃じゃよ」


 だそうです。

 爺さんの散弾銃に気を取られていたら、視界の隅。

 バックミラーに何者かの影が写り「っんな!」と、慌てて急ブレーキと急ハンドルを切るハメになった。


「きゃっ!」

「おや、まぁ……」

「しっかりと後ろを見て運転せんかっ!」


 後ろをしっかり見ろって、なんぞ!

 爺さんにツッコむ余裕は無く。車体は旋回、タイヤはロック。


「こな、クソッ!」


 ステアリングを回して車体の制御を試みるも。

 白煙をあげる後輪はゴム臭を撒き散らしてアスファルトに黒の半円を描く。もれなく俺の愛車は道路脇の植え込みへとケツから突っ込んだ。

 

「つつ……。あっぶねぇ。なんか轢きそうになった、どうなった!?」


 心臓バクバクだ。

 俺の瞳孔は開きまくりだ。

 余所見運転で人様を引っかけるなんて、マジで洒落になんねぇ。


 恐る恐る轢きそうになった相手を見て……ホッと安堵した。


「なんだよ牛じゃねぇか。ビビらせやがって……ったく。無駄に事故ったじゃねぇかよ……」


「……牛? 小僧にはアレが牛に見えるのか?」


「どういう意味だよ」

「いやなに、ワシには違う生物に見えるがのう」


 違う生物ってなんだよ。

 ハッキリしろや、ジジイ。爺さんの軽いボケに失笑する。


「おい、爺さん」


 何を思ったのか、爺さんはおもむろに銃口を牛に向けて引き金に指を置く。険しい表情で牛に標準を合わせた。


 老眼か? 

 老眼鏡を忘れたんか?

 このサイズ的に、牛以外の何だって言うんだよ。

 ほら四つ足だし、筋肉質なデカい体だし、顔は毛むくじゃらだし、チュッパチャップスみたいのも顎から生えてるし……。


 疑問を呈すも。


 ん? 顔が毛むくじゃらで。 んん? 顎からチュッパチャップスが生えてる? よくよく見るとあの牛、体の色グリーンだな……。


 て事は、アレはなんて生き物?


 鼓動は早まる。瞬きの回数が増える。プチパニックに陥った。


 はああ??? だ。


 イカンイカン。俺はいい大人なんだし、こういう時こそ冷静にならなきゃ。深呼吸だ、まずは深呼吸をしよう。


 妙ちくりんな生物に視線を張り付けたまま、大きく深呼吸をして気持ちを整え。


 そんなんで整うか、ボケ!


 緊張感を高めたまま、隣りにいる酸いも辛いも経験してきたであろう人生の大先輩に質問を投げかけてみた。


「爺さんの言う通りだ、アレは牛じゃない。……だったら、アレは何だ?」


「……知らんがな」


 簡潔な回答。俺も知らんし。


 暗がりにいた不思議生物は動きをみせた。

 こいつは街灯の下までゆっくりと歩を進めて、薄ぼんやりした灯りに照らされた。これでヤツの全貌は明らかとなった。

 

 緑の肌は光沢を放ち、筋肉質な体は言わずもがな。肩の盛り上がりは異常なぐらいに膨らんでいて、代わりに後ろの足は小さく見える。

 爺さんの言うように、牛っつーよりむしろ、ゴリラに近い体つきだ。


 顔面はごわついた毛で覆われており、顎付近から二本、先の丸い、やっぱチュッパチャップスにしか見えんモノが真下に向かって生えていた。


 正直、あんなんテレビでも見た事ないし、ましてや牧場でもリアル動物園でも見た事はない。


 だったらアレは何!?

 0.1秒で俺の富岳を超えるスーパーマイ頭脳が答えを導きだす。


 UMA。これ一択な。


 伝説の生き物が目の前にいるスゲーッ!

 推しと出会ったアホの子みたく、胸を熱くしていたら。


「があああああああああああああ」


 怖気を誘う声がして、我に返る。

 道路右。老若男女目の逝っちゃってる奴等がもの凄い勢いで迫ってくる。


「……じゃあ、あの方たちは?」

「知らんて、ワシにばっか聞くんじゃない!」


 うん。俺も知らん。

 夜叉ヅラの婆さんは髪を振り乱し、狂気をヅラしたジジイは唾を飛ばす。

 血走った目をひん剥き、血管ビキビキに浮き出たせて奴等は、山姥の如き形相で駆けてくる。


 ブルッと体が震えた。

 ツナギの兄ちゃんに襲われた時の恐怖が、今になって蘇る。


 エンジンは生きてる。

 車のギアは無意識に抜いていた。

 シフトレバーに手を伸ばし──と、その時。

 

 視界の端にいたゴリラ牛が笑ったんだ。

 それも縦に。

 UMAはその毛だらけの顔面を縦にパックリと裂いて、赤紫色のびらびらした内臓チックな内側を晒した。


 うわー、グロッ! モザイクかけろや!


 とか思っていたら。

 ゴリ牛の割れ目の中心、ポッカリと空いた穴から光は漏れ出し。

 俺の第六感は警鐘どころか、激しく警報を鳴らす。体のあらゆる毛穴は総毛立つ。


 逃げな!

 頭では解っているはずなのに、金縛りにあったみたいに体は硬直した。


「耳……」

「「はい!」」


 息ぴったりの三人。「っえ?」と置いてけぼりの俺。閃光は視界を白く染めた。と。


「ドォオオンッ!!」


 轟音は車内を震わせた。フロントガラスは粉々に砕け散った。


 何が起きた!?


 爺さんはゴリ牛に銃口を向けてたまま。散弾銃の先端から煙は立ち昇る。瞬時に察する。


 このジジイ、いきなり発砲しやがったんだ!


 お陰で俺の無防備だった耳はキーンだ。


 顎で前を示す爺さん。瞬間沸騰した怒りを押し留め、前を見た。

 爺の放った弾丸はゴリ牛の顔面を直撃だった。弾丸の勢いでゴリ牛は開いた頭をややズラしていた。

 間髪入れず。

 発射間際だったこいつは、中途半端な格好で「んぽっ!」と、間抜けた声で光の弾を放った。


 閃光で目は眩む。

 ゴリ牛の吐き出した光弾は超速で目の前を通過した。そのまま道路を猛ダッシュしてくるツナギの兄ちゃんに着弾して。


「チュドォオオオオオオンッ!!」


 アスファルトと一緒に兄ちゃんは派手に爆散。長閑な田園にメガトン級の爆音は響き渡った。


 また目が点だ。は? だ。


 雷で打たれたような戦慄が全身を走る。

 愛車に道路の破片と一瞬前まで人だったモノは、ボトボトと赤黒い雨となって降り注ぐ。


「爺さん! なんだよアレ! なんなんだよっ!」

「だから知らんて……」


 焦りまくりの俺と迷惑そうにする爺さん。


「ヤバくないっ! ヤバいってレベルを超えてヤバくないっ!」


 語彙力は死んだ。ヤバいしか出てこない。


「なあ小僧よ。ヤバいと思うなら、ちゃっちゃと逃げんかい」


 ごもっとも!

 弾かれたようにシフトレバーに手を伸ばす。セカンドレンジに今日一の速さでシフトチェンジ。アクセルに全体重を乗せて、これでもかとフルスロットル。


「んにゃああああああっ!」


 猛るエンジン。タコメーターはレッドゾーンを振り切った。前輪は道路にガッチリ噛みつき、愛車は白煙と共に加速する。


 が、一歩遅かった。包囲網は出来ていた。既に俺の車はキチッた奴等に囲まれていたんだ。


「っんな!?」


 躊躇したんだ。

 アクセルを緩めてしまった。

 顔面凶器みたいな奴等は襲いかかってくる。四方八方からしがみ付いてくる。


「「「がばばばばばばばばばばばばっ!」」」


「──ッ! こんのっ、クソがっ!」


 もう四の五の言ってられん。

 心を鬼にしてアクセルを踏みつける。愛車で狂人どもを薙倒す。ハンドルを滅茶苦茶に振り回した。


「落ちろおおおおおおおおっ!」

「だばばばばばばばばばばっ!」


 落ちん。

 ならばとガードレールに車体をぶつける。ガードレールと車の接地面から火花は散った。でも落ちない! 


「ぐげえ、ぐげえええええええっ!」

「クソがぁあああああああああっ!」

 

 吠える奴等に、俺も負けじと吠えた。

 そんなに俺とドライブしたいのかよ!

 もう一度ガードレールに車体をぶつけた。だが、奴等はしぶとくしがみ付いたままだ。

 ならもう一丁っ!!

 アクセル全開でガードレールにぶち当たる。細かな破片は飛び散った。車体は軋む、ギャリギャリと嫌な悲鳴をあげる。後ろの女子も悲鳴をあげている。


 だからなんだ! もうヤケ糞なんだよ!

 俺は何度もハンドルを切って苔むしたガードレールに愛車を打ちつけた。何度も何度も叩きつけた。


「ぐがっ、ががっ、んががががががっ!」

「うっせぇんだよっ!!」


 何回も続けていたら、一人、また一人とヤツ等は落っこちてアクション映画さやがら車道をゴロゴロと転がる。

 気づけば、残っているのはあと二人。俺の横と前。

 運転席のドアに黒服の眼鏡と、ボンネットにいるケツ丸出しの小っさい爺のみだ。


「ぐげ、ぐげ、ぐげ、ぐげ」

「ごぼ、ごおお、ごぼおお」


 狐憑きみたく、狂気に取り憑かれた人の顔だった。

 狂人じみたこいつ等の汚い顔を見ていたら不意に。


 これは夢かも思ってしまった。

 だって、あまりに現実ばなれしていて、過酷すぎるから。

 もし夢ならと、淡い期待を胸を膨らませていた。


「ごおおおぉ……。ジョボ、ジョボボボボボ……」


 ジジイッ。てめぇっ、この野朗。


 ケツ丸出しの小人爺は、しなびたチンチンから黄色の液体を放出。白色のヘッドライトをレモン色に変えた。


「しょんべんジジイッ! ふざけんなよっ、てめぇっ!」


 頭はかっとなる。

 怒りで現実に戻された。


 マジでムカつく。最悪だ……クッセ! しょんべんクッセ!


 破損したフロントガラスのせいだ。車内にキツいアンモニア臭は広がっていく。


「ごべべ、ごべべべべ」


 しょんべん小人ジジイが笑ってら。ハハ、ハハハ……このっ、クソ虫がっ!

 

 俺はブチギレた。

 怒り心頭のままにアクセルを踏みつける。

 目の前は生い茂る薮。

 後部座席の女子から悲鳴に似た叱責をもらうが、オール無視。

 俺は躊躇もせずに道路脇の薮へと突っ込んだ。


 ドゴドゴと車体を大きく揺らし、車は草の生い茂る悪路を疾走する。

 開放されたフロント部分から小石やら葉っぱやらが大量に入り込む。


「っ!?」


 横にくっ付いてる黒服眼鏡はそのフロント部分から腕を差し込んできやがった。俺を掴もうとする。

 当然、死ね、死ね、死ね、と激しく抵抗した。


 しつこい眼鏡に埒が開かず、助手席に助けを乞えば。

 爺さんはちんちんジジイと格闘中。猟銃爺さんとちんちん爺のマジバトルだ。


 爺さんは車内に侵入しようとするちんちんジジイの口に、散弾銃の銃口を突っ込んで、車への侵入を必死に阻止している。

 

 カオスだ。どうする。こんなとこで終わるのか!?


 絶望がチラつく。思考は鈍る。こんがらがる頭に助かる秘策は浮かばない。


 スッと、視界を掠めたのはいい感じの大木。これは使えると瞬時に判断。


「爺さんっ! シートベルトッ!」

「言わずもがなじゃ!」


 よっしゃ、行ったる!


 俺は大木を目標にハンドルを切った。グングンと近づく太い幹── いまだ! 

 左にステアリングをグルグルと回した。ブレーキを目一杯踏んだ。


「落ちろやっ、老害露出狂っ!!」


 泥を跳ね上げ後輪は滑る。車体は大きく右に傾く。スピードを殺して俺は、愛車の前輪右横を巨木に叩きつけた。


「ドンッ! ごあっ!」


 ぶつかった衝撃でしょんべん爺は真横に飛ばされた。岩に背中を強打して動かなくなった。


「おしっ、もう一丁!」


 すかさずフルスロットル。タイヤは泥を撒き散らして空転する。


「にゃろめぇええええええええっ!」


 頑張っている俺に神様からの贈り物だ。

 前輪が地面を捉えた。一気に前に出た。

 車は急発進、急加速して右側面をガリガリと擦る。未だ横に張り付いている黒服眼鏡をドアミラーごと大木で──削ぐ。


「ぐげぇ…」


 見ると、車から剥がれた眼鏡のおっさんは腕をプラプラと有り得ない方向にひん曲げ、ゴキゲンな酔っ払いみたいにクルクル回ってら。


「はっ! ざまぁっ!」


 俺は拳を振りあげ雄叫びをあげていた。


 はっ!?

 

 冷静になって我に帰る。

 これって、危険運転致死傷罪に当たるのではと。

 俺、道路交通法に引っかかるのでは無いか? まさか捕まるの? 急に不安になる。


 テンション爆上げからの墜落。血の気の失せた顔で、捕まった時の言い訳を考えていたら。


「……耳」

「「はい!」」


「っえ!」不意を突かれた。


「ズドォオオオッ!!」


 耳っ、キーンッ!

 鼓膜はビリビリと震える。目はチカチカする。


 このジジイッ!


 視線の隅でゴリ牛はよろけていた。

 爺さんの散弾はキモ牛の前脚を砕いて……無かった。弾かれていた。

 どんだけ硬いの、この牛!

 バランスを崩したキモ牛は俺たちに向けて、さっきと同じ間抜けた声で光る球を発射。


「……」


 案の定、脚カックンで放った白球は車の天井を越えた。豪速球で明後日の方向へ飛んでいく。


「チュドォオオオオオンッ!」


 背後の木に当たり爆発、周りの木を巻き込んで豪快に爆散した。

 

「……マジか」


 冷や汗たらり。

 爆風は大気を震わせていた。

 飛んできた小石はリアガラスにヒビを入れる。突風に震える愛車と同じく、俺もカタカタと震えていた。


 UMAだ、なんだと、胸熱に語っていた数分前の自分をぶん殴りたい。


 戦々恐々。俺は化け物から逃げる為、悪路も構わず愛車を全速力で走らせた。


 ──だから、なんなんこいつ。直撃喰らったら、洒落にならんて!


「じ、じ、爺さん。ぐ、グッジョブ。……ニッ!」


 しけた笑みを作る。

 これでも爺さんを労う為に頑張って作ったヤツだった。ウプッ、怖すぎてゲロ吐きそう。


「ふん。ワシは孫と婆さんを守っただけじゃ……」


 険しい表情の爺さんは僅かばかり口元を緩ませ、またすぐに険しい顔に戻す。ピンピンしている化け物を睨みつけると。

 

「ヤツにバードショットは効かんようじゃ。ふ〜む……それならば」


 更なる秘策がありそう。

 爺さんは散弾銃を脇に立てかけ、バックをごそごそと漁る。


「……あのぅ。バードショットってなんすっか?」


「小僧。悪いが、あの化け物に近づいてくれんか」


 質問はシカトされたが気にしません。爺さんはバックから取り出した物は、真っ黒のスプレー缶。


「ええっ!!」


 俺はもの凄く嫌な顔を返す。


「……いや。ちょっと……どんぐらい?」


 強気な爺さんの眼差しに蹴負わされ、嫌々聞き返していた。


「近ければ近いほどいい。……どうじゃ?」


 不敵な笑みを浮かべる爺さん。秘策に勝算でもありそうだ。


 でも怖い。

 死ぬほど怖い。

 一発アウトの攻撃をしてくる相手だ。出来れば1ミリも近づきたくはない。


 だがしかし、原っぱの奥は林。逃げ場は無し。

 結局は道路に沿って、この悪路を走るしかない。


 チラッと化け物の様子をバックミラーで確認する。

 ヤツの隙を突いて、多少の距離は稼いだつもりだが。

 お話にならない。ヤツはカエルみたいに気持ち悪く跳ねながら、車を上回る速さで追いあげてくる。


 ── もうなんだ。嫌でもヤルしかない状況だ。


「……近づけばいいんだな」


 ボソっと言う。爺さんはニヤリ。


「……小僧。ふふ、化けモン相手によう言うたわ。ワシはお前さんを気に入ったぞ」


 ジジイに好かれても、大して嬉しくもないが。


「ワシは『猿渡 蟹助(さるわたりかにすけ)』じゃ。みんなから『カニ爺』と呼ばれておる。お前さんの名は?」


「……俺は『立川 仁太(たちかわじんた)』」


 乗り気じゃないので、俺の声には覇気はない。


「ジンタンか、いい名じゃな。お前さんには、後でキビ団子をたらふく食わしてやるから、楽しみにしておれ」


 ジンタンちゃうし。

 俺、桃太郎に出てくる、お友の動物ちゃうし。


 やる気を漲らせている爺さんと、テンションだだ下がりの俺。


 車は草の多かった原っぱを抜けて農道に出た。左は国道、右はサツマイモ畑。未舗装ゆえに相変わらずの悪路は変わらず。


 冥土の土産にと、伏せてるハルさんのむっちりした太腿を盗み見。


「いくぞっ、爺さん!」

「おうよ!」


 エロパワーで気合いを漲らせて。

 視界に捉えたガードレールの隙間に愛車を捩じ込ませた。ドンと、車体の腹を擦り、車は国道に戻る。


 泥だらけの車を道路の真ん中で急停止。逃げたい衝動を蹴り飛ばして、しばしのアイドリングでその時を待つ。

 

 鼓動は暴力的に騒ぎたてる。

 ゴリ牛は開いたザクロみたいな顔面を晒し、興奮しきった闘牛みたくヨダレを撒き散らして猪突猛進で突っ込んでくる。


「カニ爺っ!!」


 恐怖のあまり、俺は覚えたての爺さんの愛称を叫ぶ。


「まだじゃ。もっちょいじゃ……」


 焦らすジジイは引きつった笑みでサイドウインドウを下げた。スプレー缶のセーフティーを外して、上部のトリガーに親指を置く。


 緊迫した時間は流れる。

 一秒が途轍もなく長く感じる。

 ゴリ牛との距離はおよそ10メートル。

 奴は割れた口から新たな閃光を生み出そうとしていた。

 何度も外して学習したのだろう。こいつは至近距離で当てて来るつもりだ。


「ッジジイ!」もう悲鳴だった。

「もうちょい……」


 ゴリ牛は眼前。牛の放つ光に目は眩む。

 発射直前。熊マークのついたスプレー缶を握り締めていた爺さんは──

 

「食らえっ! ブシュウウウウウウウウウウウウッ!!」


 スプレー缶の中身を全噴射。猛烈に刺激臭のする霧はゴリ牛の顔面に直撃だ。


「ッジンタン!」

「おおよっ!」


 僅かに余波を食らい、涙目を堪えて叫ぶ爺に呼応する。ギアはセカンドに入れたままだ。床に穴が空くぐらい、思いっきりアクセルを踏みつけた。


 山道入り口。FFの前輪は煙を吐いてフル回転。「んぽっ」と放たれた閃光弾。

 ほんの一瞬だけ俺の方が速かった。光弾は車のケツを掠めた。愛車のリアバンパーを掻っ攫い、山肌、勾配のキツくなっていた斜面に激突。大音響を轟かせて爆発した。


「パポポン。パポン、パパパッ、ポポポポポポポッ!」


 次いで聞いた事のない鳴き声が暗い山道に木霊する。

 

 振り返ると、なんと。

 光りの残滓をまとったあのゴリ牛は七転八倒。道路上で悶え苦しむように転げ回っていた。


 熊さんマークのスプレー缶っ、しゅげええええっ!


 爺にキスしたい気分だ。

 だが、感心している場合じゃない。 

 憎悪に満ちた狂声が聞こえてくるから。

 激しく苦悶するゴリ牛の後ろから、狂ったように駆けてくるのは腰曲がりの爺さんとほっかむりの婆さん。

 間をおかず、半裸の爺さんや干からびた乳を振り回す婆さんは湧いてくる。次々とイっちゃっている目をした爺婆は大群で押し寄せてきた。


 ギアをサードにシフトアップ。エンジンに喝を入れる。


「ジジイとババアばっかかよ。しかもみんな滅茶苦茶怒っているし、親の仇みたいな顔してずっと追いかけてくるし……」


「近くに老人ホームがあるからよ!」


 ハルさんの答えに納得する。

 だけど、何食わせば80オーバーの年寄りをこんなに元気にさせれるんだ。怪しすぎるだろ、その老人ホーム!


 奴等は常軌を逸していた。暴漢なんて生易しいもんじゃない。

 緑の景色を置き去りにしながら、鈍感な俺でも気づく。何かしらの悪い伝染病の蔓延を疑う。


 これはモラルハザードとちゃう、バイオハザードだ。


 ホラーゲームっぽいもんが、リアルに起きたんだと。


 未知なる奇病を確信した瞬間だった。

 それと同時に、既にこの街はパンデミックの真っ只中にあると──。


 ヒステリックな怒号は山道を埋め尽くす。俺は愛車のケツを振りながら、細い坂道を加速させた。


「頼むからパンクだけはすんなよっ、俺のウルトラ流星号!」


 唸るエンジン。猛るエキゾースト。

 急な坂道なんて何のその、俺はギアをDレンジにシフトアップして660ccのエンジンをぶん回す。


 数分後。


 バックミラーに映る影は無かった。

 どうやら奴等をチギれたようだった。

 日光いろは坂並みのくねくね道を全速力で駆け上がってきた俺たちは、件の医科学研究所の前まで来ていた。


 ボロボロの愛車を門前のロータリーに停めて、急いで下車。30分ほど前に訪れたインターフォンの前に立ち、呼び出しボタンを連打した。そして数十秒後。


「うっさいわね! セールスならお断りよ!」


 苛立ちを乗せた声はスピーカーを通して鼓膜を叩く。一瞬引く、それでもメゲない。


「夜分にすんません! さっき来た配送業者の者ですけど。唐突なお願いですけど、建物の中に俺達を入れて貰えませんか!」


「はあ? 佐藤さんだっけ。配送忘れか何か?」


 めっちゃ面倒そうな声だ。


「いえ違います。変な奴等に追われているんです。たすけ──」

「はあ? だったら警察呼びなさいよ!」


 食い気味で怒鳴られた。

 真っ当な意見だ。彼女の言い分は正しい。関わりたく無い気持ちも解る。

 だけど、警察も救急も既に連絡済み。全く繋がらない状態だった。


「警察に電話したけどダメなんですっ、繋がらないんですっ! すんませんっ、後生ですから中に入れてくださいっ!」


 内臓カメラに、拝むように手を合わた。


「……」


 堅牢な壁の上部。設置されている防犯カメラは静かな機械音を立てて動く。

 カメラのレンズは開いたり絞ったりと、せわしない。おそらく俺達の様子を窺っているのだろう。


 異様に長く感じた数秒間を経て。


「……ここは民間人の避難所じゃないから。警察が来るまでの間だけ── プツン」


 話し途中の小言は頂いたが了承してくれたようだ。


 高さ30メートルはあろう、ぶ厚そうな鉄扉はゆっくりと動きだす。

 黄色のパトランプと警報音は鳴り響く。鉄扉は真ん中から開き、ゆっくりと左右の壁に呑まれていった。


 まだ幾分は離れてはいるが、坂道の下から幾つもの獣じみた吠声は届いてくる。

 俺は見る影もなくなった愛車に急いで戻り、ハンドルを握り締めた。


「それでは、行きます」


「……刑務所か? ここは」

「これこれ爺さん、口を謹んで下さいね。ご好意で避難させて頂くのですから……」

「高須医科学研究所。CMでヘリコプターに乗ってる、あの包茎先生の病院? まさか、あんたの通ってた病院なの?」


「……」


 バカも休み休み言って欲しい。

 緊張もほぐれ、俺を除いた三人は思い思いに喋る。

 車で重工な門をくぐり、俺達は全員無事に『アルカ04』なる施設へと避難する事が出来た。


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