あの日の私と、その時と。
いつも有り難うございます
東日本大震災の話になります。
怖い事は書いてありませんが、思い出すのが辛い方はお控え下さい。
無事だった事で、笑い話として話している事も書いてあります。
不快に思うようでしたら、お控え下さい。
よろしくお願いします。
その日私は、午後から出社する旦那さんにくっついて、電車に乗って表参道に行った。
そして表参道駅のパン屋さんで早めのランチをする。
アイスティーを頼んだと思います。
11:30。
「この後どうするの?」
「うーん。せっかくだから…原宿辺りまでぷらぷらしてお店見て、ゆっくり2:30頃の電車で帰ろっかな」
「わかった」
11:45。
「行ってらっしゃ〜い。頑張ってね」
表参道ヒルズの前、横断歩道を渡る旦那さんに手を振った。
原宿まで歩き、チラチラとお店を見る。
さっきまで2人でいたのが1人になってなんとなく心細くなった。
すぐにヒルズまで戻ってトイレに行く。
その後入ったお店でジャケットを買ったら、もう帰りたくなった。
12:40。
買い物もしたし帰る事にした。
家に帰って少し休んでから、近所のスーパーまで車で行く。
ポテトサラダを作ろうと、きゅうりとハム、卵、じゃがいもなどをカゴに入れた。
14:46。
レジに並んでいると、カシャカシャとガラス製品のぶつかる音が響き、ゴー…という地鳴りとともにグラグラと大きく揺れ出した。
東日本大震災。
前にいた同じ年くらいの女性が「怖い!」と言って私にくっついてきたので、手を取って「大丈夫大丈夫」と言う。
天井が落ちてこないかな?と思って上を見ていたら「外に行きましょう!」とその女性が言うのだが、私は入り口付近のガラス戸に近寄りたくないと思った。
でも、その人が手を引っ張るので一緒に外に行く。
揺れが収まったところで「気をつけてくださいね!」と声を掛け合い、皆んなそれぞれ「今すること」の為に去っていく。
私はすぐ旦那さんに電話する。
直後だったからか、すぐ電話が繋がり旦那さんの無事を確認。
私が「14:30に電車に乗る」って言ってたから、電車に閉じ込められてるかもって心配したそう。
家族の安全を確認し、そのままガソリンスタンドに行き、ガソリンを満タンにした。
まだガソリンスタンドには人もいなくてすぐに入れる事ができた。
少し落ち着いたところで、もう一度旦那さんや家族に携帯から電話を掛けるが、携帯では繋がらなかった。
家の固定電話で電話すると、一回で繋がった。
旦那さんはビルの7階で、ドアの取っ手に捕まってドアを開けていたそう。
大きく揺れるビル。
それはもちろんほかのビルも同じで、窓の外には普段は絶対見えない隣りのビルの向こうのビルが、揺れて見え隠れしていたそう。
旦那さんはそのまま会社に泊まり、翌日落ち着いた時に帰ってきました。
あの日はそんな感じでした。
知人は当時23階にいて、立っている事ができずに、揺れに合わせて床を転がるしか出来なかったそう。
その人が無事だったから笑った。
他にも、知人がガソリンスタンドの大行列に並んでいたら、黒塗りの車に乗った、いかにも悪そうな若者が並びもせずにスタンドに入り店員に「先に入れろ!」と喚いたと。
すると、行列に並んでいた軽自動車のドアが開き、中からもっと悪そうな大人が出てきて「にいちゃん…こういう時こそちゃんと並べ」と言ったそう。
最初はごちゃごちゃ言ってた若者も、最後は正座させられて大人しくスタンドから出て行ったって。
もうね、それ聞いた時大笑いしたし「悪そうな大人の正義って、本当に怖いんだな〜笑」って思った笑
そこにいた人たちは、悪そうな大人に「ありがとう!」って言ってたって。
みんなが無事だから笑って話せる。
そして旦那さんはこの後、北海道に出張中、北海道胆振東部地震にあう。
でも、無事に帰って来た。
その、2週間後だったかな?沖縄出張で大型台風の直撃に合う。
帰りの飛行機は、東京に行く全ての便は欠航だったのに、何故か仙台までは出ていて、それに乗って仙台まで行き、そこから東京に戻って来ました。
笑い話にしている。
災害時、固定電話は強かった。
私はもともとシンプルなモノが好きで、固定電話は電話線しかついてないタイプのものを使っていたので、停電でも使えた。
旦那さんがお仕事している内は、固定電話解約できないな。と思っています。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございました。