チャップリンも怖かったんだって
いつも有り難うございます
よろしくお願いします
1987年に纏められた「20世紀全記録chronic 1900〜1986」という、1328ページの分厚い本が手元にある。
そこには西暦と元号、月が書かれていて、何年、何月何日にどんな事があったのか写真付きでわかるようになっています。
ずーっと読み続けていけば、1900年からの世界の流れがよくわかるし、出来事への比較がさまざまな角度から出来るのです。
開いてみると…
20世紀の始まりは10〜11ページ。
見開きいっぱいの白黒写真。
船の甲板に座る場所もなく満員電車並みに人が乗っている船。1906年に撮影された、アメリカへの移民の人々が写っています。
そして12ページから、1900年明治33年1月が始まる。
その日、ニューヨークは雪が降っていた。
日本の有力紙『時事新報』には
「わが国が外国人に接して真実対等の地位を保たんとするには、商売実業の自由競争に一歩もおくれをとらざる覚悟はむろん、社交上には高尚清潔の気風を養いもって文明社会の士人たるに恥じざるの対面をそなえざるべからず。
日清戦争の結果についで、新条約の実施をまっとうし、我が国もいよいよ進んで世界強国の班位に列したるについては、列国のこれを見ること、従来に異なると同時にわが国民もまた自ら重んざるべからず」
と、書かれていたそう。
ごめん、ちょっとよくわかんない。
そして1年後、1901年明治34年1月ページ
20世紀は1901から。とする西欧思想導入トップの慶應義塾大学は、この年、創立者の福沢諭吉の病気欠席するなか「ゆく世紀くる世紀」の送迎会を開いたそう。
そして新聞各社は、「世界はこうなる!世紀の予言」を試みている。
そこには「鉄道のスピードは急行で時速240メートル。東京ー神戸間は2時間半」や「市街鉄道は街路上から消え、空中、地中へ」「馬車は廃止、自動車が安く買える」などが予想されていました。
馬は廃止されていますので、まあまあ当たって?いますね笑
そんな感じで色々書かれているのですが、様々な有名人も出来事と共に登場します。
1905年明治38年7月ページには
アインシュタイン「特殊相対性理論」を完成。
若干26歳、物理学の常識くつがえす
とあります。
ユダヤ人であった彼は就職先がなく、学友から紹介された職場で「特許局審査官」として働きながら、画期的な論文を発表し続けていた。
働きながら論文を書き続けていた…
凄いですね。
「特殊相対性理論」の論文は一部の専門家は激賞したが、一般人にはほとんど理解出来ず不評を買ったそう。
10年後に一般相対性理論へ発展し、実用性は40年後に原子エネルギーとなって現れることになった。
一般人はほとんど理解出来ず…って笑ってしまった。
100年経っても、理解出来ないよ。
有名な舌を出した写真ではなく、若いアインシュタインの写真が載っている。あのままだけど若くてキリッしてるやつ。
さて。
ここから本題なんですが。
え?
ええ、そうです
今までは前置きです。
最近、私の好きななろうの作者さんがひっそりとエッセイを書かれています。
そこに評価についての気持ちが綴られていました。
書籍化されている作者様でも、評価はプレッシャーだそうです。
まあ「評価なんて気にするな」って言う方が無理があると思うのです。
書いた物が、好まれたか、そうでなかったか。
評価として表されるなら、書いた側として、自分の作品はどうだったのか知りたいのは当然の事でしょう。
ただ、そこに翻弄される事はないよ。とは思いますが。。。
20世紀全記録chronic 1900〜1986
の1921年大正10年1月ページ。
チャップリンが登場します。
1月21日、ニューヨークのカーネギーホールにて、天才と謳われたチャップリンの新作映画「THE KID」(キッド)が公開されました。そして2月6日からニューヨークでの一般公開は大当たりとなる。
一般公開の時、カルフォルニアにいたチャップリン。
「べた褒め評価の切り抜きが毎日のように送られてきた……しかし私はニューヨークまで行って見る勇気はついになかった」と、『自伝』に書いている。
チャップリンがキッドをどこで観たのかは書かれていませんが、当時も絶大な人気があったチャップリン。
もちろん不評もあったと思いますが、それを上回る高評価であっても、自身の作品や評価について、チャップリンでも怖かったんですね。
ちょうど100年前ですね。
チャップリンのキッド。
もう一度観てみたくなりました。
(きっと泣く…しかも大泣きすると思う)
キッド、かなり昔に観たので「あらすじ」確認…して…泣いた。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございました、





