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水没世界に人魚と二人  作者: どくどく
「わたし」という存在
12/36

怖くないように優しくしてくれるんでしょ

 ちゃぷり、と足を水につからせて香魚に近づく。両手を広げる香魚。それに近づくたびにこれからする行為を意識してしまう。


 キス、口づけ、接吻。


 別に交際は大人になってからとか、そう言った行為ははしたないとか、そんな古風な価値観を持ってるわけじゃない。噂程度で性行為をした同級生がいることは聞いたことがある。私はそういうことをしたいと思う相手もいなかったけど。


 興味がないわけじゃないし、むしろどんなものかと言う興味もある。でも怖いものは怖い。ウェイトで言えば今は恐怖が勝ってる。お互いの為と気合を入れはしたものの、できれば他の方法もないものかと思ってたりもする。


「はぐー」


 近づいた私に抱き着いてくる香魚。水に濡れた上半身と、魚の鱗の感覚。抱き着いているこの子が人間じゃないことが伝わってくる。恐怖の割合がさらに増す。身が固まるのが、自分でもわかった。


「香魚、やっぱり私」

「ありがとうございます、香織お姉さま」


 何かを言おうとする私を制するように、香魚は感謝の言葉を告げた。


「怖いですよね。香魚は人間じゃありません。見た目もこんな化け物です。いつ見捨てられるんだろうって、ずっと思ってました。今でも、捨てられるかもしれないって思ってます」


 香魚が私を抱きしめる力が増す。


「そんな香魚に、香織お姉さまは名前を与えてくれました。香織お姉さまからすれば何でもない事かも知れませんけど、私にとってはとても嬉しい事なんです」


 ……この子もこの子で、不安が一杯なのだ。それが、言葉の一つ一つから伝わってくる。


「怖かったら怖いって言ってください。イヤだったら突き飛ばしてください。

 でも、その後で香魚の顔をあまり見ないでくださいね。バケモノの泣き顔とか見ても、面白くないでしょうし」


 私の胸の中で、そう呟く香魚。


 香魚の体は、治療できない病に侵されているようなものだ。取り込んだDNAの暴走。自分でも望まないまま、バケモノになりつつある体。自虐しながら私のことを思ってくれている。


「何言ってんのよ。貴方の泣き顔なんて、さっきさんざん見たわ」


 そうだ。何言ってんのよ、私。この子の泣き顔は、見たじゃない。


 私から名前をもらって、嬉しそうに泣いているあの姿。香魚にとって名前がどれほどの意味があるかが伝わるぐらいに、告げられた感謝の言葉。


 怖いのは、私だけじゃない。香魚だって怖いのだ。何自分だけ被害者ぶってるのよ。ちょっと恥ずかしくなってきた。


「でも……」

「デモもカモもないわ。香魚が人間じゃない事なんか今更だし、お互い生きる為なんだから。早く済ませましょ。

 怖くないように優しくしてくれるんでしょ」


 言って香魚の頭を撫でる。この子が人間じゃないとかそんなの今更だし、関係ない。怖いとかそんなの言ってらんないんだし。


「えへへー。やっぱり香織お姉さまは香魚のお姉さまです。じゃあ、行きますね」


 ほわっ、とした声で答える香魚。抱き着いている腕をいったん外し、私の首に抱きなおす。そのまま唇を近づけてくる。歯医者の治療の感覚で、目を閉じる私。


 ――ちゅ。


 香魚の唇が触れたのは、私の右ほほ。少し暖かく湿った感触。触れる度にその感覚は耳元まで近づいてくる。


「え? え?」

「香織お姉さま、香織お姉さま」


 耳元で優しくささやかれる。私の名前を、愛おしげに。私の名前の後に唇が私に触れる。甘く、熱く、そして優しいシーソー。言葉と唇の感覚。それは気が付いたら左側のほほでも行われていた。


「んちゅ、香織お姉さま、ちゅ、香織お姉さま、はむ、香織お姉さま」

「香織お姉さま、ちゅちゅ、香織お姉さま、んちゅー、香織お姉さま、ちゅー」

「ちゅっちゅっちゅっ、ぎゅー、香織お姉さま香織お姉さま香織お姉さま、香織お姉さまぁ……」


 口づけは時にリズミカルに時に長く。名前は囁くたびに徐々に熱を増していく。その度に私の脳は香魚で満たされていく。香魚の唇の感触、香魚の言葉。香魚の抱擁。気が付くと私の手は、香魚をぎゅっと抱きしめていた。


「香織お姉さまのハグ、きゅーっとしてきます。頭を撫でられた時の暖かさと優しさと違って、こっちもポカポカしてきます」

「ば、ばか……何言ってるのよ。水を飲ませてくれるんでしょ。早くしなさいよ」


 香魚に何かを言われるたびに、心臓がドキドキしてくる。体が熱くなって、喉が渇いてくる。もう、水飲ませるって言ったんだから早くしてよ。


「はい。じゃあ、シますね」


 宣告と同時に私のほほに手を当てる。ひんやりとした、小さい手。手は私のほほを軽くなでた。香魚の手。彼女が私の顔を撫でている。その感触が心地いい。唇の力が抜けて半開きになる。そこに、


「ん、っ」


 香魚の濡れた唇が触れる。優しく、そして温かい感覚。頬に触れた時のキスとは違う。ため込んだ我慢を解放するような、そんな勢いを感じる。そこから融けそうな、そんな錯覚さえ覚える。


「ん、ふぁ……ん、ぷ」

「ふぁ、ふぁぁ、は、っん」


 たっぷり十秒近くそうして、一度唇が離れる。ぐったりとした香魚が私に体重を預けてくる。私はそれを受け止めるように抱きしめていた。膝を崩し、半立ちの状態で再び唇を重ねる。


「んん、く、ちゅ……」

「ちゅ、んん、んちゅ、む……んっ!」


 今度は唇だけじゃない。舌先を絡めてのキス。香魚の舌が私の口腔内に入り込み、その中で丹念に動く。香魚の舌。それを意識するたびに、先ほどまで頭の中でため込んできた香魚の言葉と唇の感覚がリフレインする。


『んちゅ、香織お姉さま、ちゅ、香織お姉さま、はむ、香織お姉さま』

『香織お姉さま、ちゅちゅ、香織お姉さま、んちゅー、香織お姉さま、ちゅー』

『ちゅっちゅっちゅっ、ぎゅー、香織お姉さま香織お姉さま香織お姉さま、香織お姉さまぁ……』


 愛おしく刻まれるあの声。あの柔らかさ。それが口腔内にまで侵入する。私の口の中も、同じように刻まれていく。


 香魚、んゆ、香魚、ちゅ、香魚、んむぅ……。


 さっきされた様に、心の中で香魚を呼ぶ。唇が重なってなければ、熱を帯びた声が漏れていただろう。それができないから、私は香魚を抱きしめて舌を動かしていた。


 鼻先でする呼吸が荒い。顔を近づけているから、香魚にもそれが分かるのだろう。でも、止まらない。自分が香魚とキスして興奮してるんだ、って自覚すればするほど興奮は加速していく。


「あ、ぷぅ……じゃあ、いきますよ、香織お姉さま」


 わずかに唇を離す香魚。そして再度唇が重なり、閉じられる。香魚の舌が私の舌を押さえ込み、ヌルりとした粘液が交差する。同時に私を抱きしめる香魚の指が、軽く私の首筋をなぞった。ぞくぞくっとする感覚が私を震わせる。


「ん、ん、んんんんんっ!」


 そして、私の口の中に流れ込んでくる液体。何のことかわからず混乱しているうちに、液体は私の口の中を満たしていく。パニックから逃れるように、抱きしめてる香魚の体を強く抱きしめた。


「あの、早く水を飲み込んでほしいなーって……香織お姉さま?」


 ん? 水……? あ、れ。水?


 ふわふわした頭で思考が止まってた。香魚の言葉に従うように口の中の液体を飲み込む。澄んだ液体がのどを潤していく。


「……あ、そっか。飲み水の話だったわよね」

「もしかして忘れてたんですか? もう、キスに夢中になるなんて香織お姉さまったら可愛いですね」

「夢中になってなんかない! その、ちょっといろいろ考えてただけよ」

「色々って?」

「いろいろはいろいろよ。はい、もうおしまい! 貴方も唾液は十分に取ったんでしょ」


 いろいろ。香魚の事を考えてた、っていうか香魚以外の事を考えられなかった。やばい。いろいろやっばい。とにかく一旦クールにならないと。こういう時は円周率を唱えるのよ。さんてんいちよんいちごぉきゅうにぃろくごぉ――


「あ、それがですね。DNAはあまり十分量じゃなかったんですよ」

「さんごぉはちきゅうななきゅうさんにぃ……はい?」

「えへへ。さっき途中で終わったのもあるんで、できればもう少し欲しいなぁ、って」


 言いながら近づいてくる香魚の顔。いや待って。今続けられたら色々蕩けちゃう。いったん休憩ぐらいは――


「香織お姉さま、香魚……欲しいですぅ」


 その一言で、意識がくらっとしてしまう。力が抜けて香魚を受け入れるように薄く唇を開く。


「「っ、くちゅ……ん、うん、んふ、っ……!」」


 そして私たちは再び重なり合った。お互いの(DNAと喉の渇きが)満ちるまで――

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