出陣内定
■天文16年(1547)5月18日
甲斐国 山梨郡 古府中 躑躅ヶ崎館
姫の襲撃事件から2年後。
武田家では特に変わった事はなかったが1545年に武蔵国で有名な川越城の戦いが起きた。忠実通り北条家が山内上杉家、扇谷上杉家の大軍を破った事ぐらいだろう。
4歳になったのである程度身体が自由に動けるようになったので本格的に鍛え始め、木刀を振ったり腕立て伏せなど筋トレを何セットもしたりした。
そのお陰か、体調が良くなりこの調子で鍛えてしっかりと食事をすれば大丈夫だろう。だけどまだ身体は4歳なので無理は出来ない。
さて忠実だと7月の終わり頃から8月には信濃国佐久郡の志賀城に攻めることになる。この城攻めに参加する事にしよう。関東管領・上杉憲政が後詰としてくるはずだから、別動隊を編成して伏撃し、小田井原の戦いで大勝しなければならない。
この城攻めに参加しよう。まだ4歳だが歴史への介入するかどうか迷うのだが、迷ってては戦国時代を生き抜けないし、武田の信濃統一がかなり忠実では掛かったので早めに統一をさせなければいけない。
最悪、今川や北条との三国同盟は出来なくてもいい。
数日の間、志賀城の縄張りと周辺の地形の地図を描くため紙を侍女にお願いして母上からもらって描いた。その他にも周辺の城を出来るだけ落とせるようにしなくてはいけないな。
これを誰かに伝えて信玄に、いや父上の耳に届く様にしないといけない。取り敢えず傅役の信房(前年に馬場氏の名跡を継いで教来石 景政から馬場信房へ改名)に言うか。
「信房、話しがある、すまないが周囲の人払いを頼む。それが済んだら私の部屋まで来てくれ」
四年前は教来石景政と名乗っていたが馬場氏の名跡を継いで名も改めた。馬場信房、後の馬場信春である。こちらの方が知っている人は多いだろう。
ゲーム機の人物欄も変わっていた。
ーーーーーー馬場信房ーー1515〜1575年
【異名・不死身の鬼美濃。武田四天王、武田二十四将の1人。甲陽軍鑑には逸話が数多く記されており、教来石氏時代に足軽大将の山本勘助から城取(築城術)を教授された。深志城(後の松本城)、牧之島城、江尻城、諏訪原城、田中城、小山城など各地(特に東海道方面に多かった)の武田方の支城を築城したとされており、後代には築城の名手とも評されている。江戸時代後期に編纂された『甲斐国志』には「智勇常に諸将に冠たり」と記してあり、一国の太守になれる器量人であると評されている】
前にも見たが一言で言えばこの人は名将だ。武田3代(信虎、信玄、勝頼)に仕えた40数年の間に、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったというので本多忠勝並みに強いのだが、他の四天王が20代の時100騎持ち、40代で300騎持ちなどに出世しているのだが、信春は44歳にしてようやく120騎持ちと出世は遅れていて可哀想なのだ。
俺のしっかりとした言葉に初めは驚いた顔を見せた信房は、真剣な面持ちで肯いてくれた。
人払いをするため信房は部屋から出て行くのを見送り、俺は転生した直後に地図を書いといた内山城の縄張りとその周辺を。
元々母上に頼んで紙と筆を貰い地図を書いといたのだ。
ある程度の地形を覚えて居たので志賀城とその周辺を選んでそれを見ながら大小2本の筆を上手くそれぞれ使い別けて、平原や平地、川岸や山間、山道などを描き込んでいる。
製作に3日かかったが。身体を鍛えて残った時間はこれに費やしていた。
その3日間は徹夜でした。その時は睡魔との戦いだったが…。
それを思い出しつつ信房を待ってる間は孫子などの兵法書を読んで時間を潰す。
「三郎様、信房です。人払いが済みましたので参りました」
「ああ分かった、入ってくれ」
さてと、俺の初陣をかけて志賀城攻めの話をしますか…
「三郎様、何か大事な話でしょうか?」
俺の部屋に入って来た信房は、俺の手に持っていた紙に気づき問い掛けてくる。
「うむ、率直に聞くけどそろそろ志賀城攻めがあるだろう?」
俺は手に持っていた地図を信房に渡す。
すると信房は地図を見たとたん驚きこちらの心を探るように見てくる。
「三郎様何故これを、これは志賀城周辺の…。このような物どうやって手に入れたのでしょうか?」
文字は志賀城と近くの山の名前が書いてあるたげだが何の目的でこの地形を描いたのかを理解するととは、流石武田四天王だけの事はある。
「忍びを雇って、志賀城とその周辺を調べさせた」
「忍びですか?いつそのような者雇ったのですか?私や御屋形様に相談もなしに雇っては余りにも危険です」
それは十分に分かってる、敵国の間者だったりしたら俺の命もあぶない。というか忍びを雇ったというのは嘘だ。自分で地図を描きましたといったら父上からも危険視されてしまう。
「すまん、でも悪い人ではないから安心しろ」
「いえ、私も言い過ぎました。それはそれとして三郎様これをどう使うつもりですか」
「信房から父上に次の戦、俺を総大将に取り次いでくれ?いや初陣させてくれるだけでもいい、次の戦には役立ちたいんだ」
俺は自信があるように笑顔で言い放つ。
俺にいつの間にか、にじり寄っていた信房は難しい顔をして唸りながら顎に手を当て考える。2分くらいたっただろうか、ようやく答えをみつけたのか、
「分かりました。私の方からお館様にお伝えしときます。この地図をお借りしてもいいでしょうか?」
「いいぞ。」
俺は頷き、何か納得したような顔で信房は部屋の外に出た。
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
・馬場信房
信房は三郎が持っていた地図と言葉に内心驚いていた。
(三郎様がまさか志賀城の縄張り図を作っていたとは…それと同時に御屋形様に総大将になりたいと伝えてくれという。まだ4つだと言うのにな…)
信房は信玄が入る部屋へと急ぐ。
(果たして御屋形様がどうお答えするかだな……)
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館 武田晴信私室
「お館様、宜しいでしょうか?」
「信房か、どうした?」
「三郎様がお館様に志賀城攻めの話があると申しております」
「三郎が志賀城攻めのことを?」
晴信はまだ4歳になる三郎が戦に興味があることを内心では嬉しく思いつつも不思議そうに信房を見る。
「この図面を三郎様が、それと次の志賀城攻めは総大将、せめて初陣させて欲しいと…」
信房は志賀城の縄張り図とその周辺の地図を晴信に渡す。
「これは‼︎……信房、これは三郎が作ったのか?」
「はい、忍びを使ったと申しておりました」
「そうか…ふむ、確かに忍びを使えば三郎でも作れるか」
晴信は感心したように図面を見つめる。
しばらく考えたのち。
「……此度の戦の総大将は無理だし、初陣も無しじゃ。ただ連れていくのは決まりじゃ。信房、今すぐに皆の者を集めよ!」
晴信はその場から立ち上がり宣言した。
「ははっ!」
信房は驚きながらも晴信に頭を下げ部屋から出て行った。
この志賀城攻めが付き添いだか三郎にとっての初陣であり出陣すると言うのが決まった瞬間だった。
■天文16年(1547)5月18日
甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館館 大広間
「これより評定を始める」
晴信の言葉により志賀城攻めの評定が始まった。この場に集まっているのは両職の甘利虎泰、板垣信方をはじめ一門衆の武田信繁と武田信廉叔父上。原昌胤、駒井高白斎、横田高松、小幡虎盛、山本勘助、多田満頼、秋山虎繁、諸角昌清などなど名将たちが勢ぞろいしていた。そして俺はというと何故か、信繁叔父上の膝の中に座って参加している。
「此度の志賀城攻めに三郎を連れて行く」
父、晴信が宣言する。
するとその言葉を聞き諸将たちはざわつく。隣の者と話したり1人で考え込んだりと様々だ。
まさかこうも簡単に城攻めに参加できるとは…
「お…お待ちください。まだ三郎は4つです兄上。当然、元服もして無いのですよ?」
信繁叔父上が気を取り直して晴信に問いかける。
まぁ叔父上が心配して言ってることはわかる。まだ元服も済ませていないのに戦に出るからな…
「二郎(信繁の幼名)元服は済ませる。
それに皆の者これを見よ。この志賀城の縄張り図と周辺の地図と引き換えに総大将は無理でも初陣させろと三郎が信房に伝えて儂に言ってきた」
晴信は立ち上がり諸将たちが並ぶ中心に三郎が描いた紙を小姓にひろげさせる。それを見て諸将たちはさらに驚く。
「これは‼︎三郎、兄上が言った言葉は本当か?」
信繁は地図を見て膝のなかに座っている三郎に問いかける。
「はい、私から信房にお願いして父上に伝えてもらいました」
「し…しかし、もしもの事があれば…」
「二郎よ、大丈夫だ心配はない。儂が総大将だ。それに信方が率いる諏訪衆や他の者もおるからな。それに初陣もさせぬ。付き添いだけだ」
「そうじゃ、儂等がいるから心配せんでも大丈夫ですぞ典厩様」
そう言ったのは父、晴信の傅役だった板垣信方
俺はゲーム機で信方の説明を開く
ーーーーーー板垣信方ーー1489〜1548年
【武田信玄の傅役。武田晴信が父の信虎を追放し家臣団の筆頭格となる。諏訪氏が滅亡すると諏訪郡代(上原時代城代)となった。諏訪衆を率いて上田原の戦いで村上義清を先陣で初戦、村上勢を破るが、討死した】
晴信の言葉に信繁は半分納得がいかないような顔をして頷く。
これは志賀城攻めも何とかなるな、父上ありがとう。家臣といえば傅役の信房しか居ないな。これでは心許ない。志賀城を包囲しているときに関東管領の上杉憲政の援軍が来る、小田井原の戦いが起きる。
「三郎とて自信があるのだろう?」
晴信は突然三郎に優しい声で問いかけてくる。
「勿論です、父上。それと志賀城救援に関東管領の援軍が来るはずです。こちらの方を私にお任せください。この三郎の名にかけて上杉軍を打ち破ってみせます。それで二つお願いがあるのですが…」
「確かに上杉が救援に来るな。厄介だ。
信方と虎泰の兵をつけるゆえ、その時は頼むぞ!良いな信方、虎泰!」
「「はっ‼︎」」
「そして何としても笠原新三郎清繁が籠る志賀城を攻略する。してお願いとはなんじゃ?」
「父上の奥近習の飯富源四郎殿(山県昌景)と春日源五郎殿(高坂昌信)を私の近習にしたいのです。」
「成る程、信房1人だけではお主になんかあったら守りきれないやもしれぬからな…。よかろう、2人はお主の家臣といたせ」
「ありがとうございます、父上。」
三郎は晴信に頭を下げたのだった。
誤字脱字等ありましたご報告ください。
評価していただけると幸いです。