尻拭い
天文17年(1548)7月6日
平倉城
義信率いる武田軍は突如として小笠原・長尾連合軍に奇襲され成すすべもなく来た道を死にものぐるいで逃げ出す。殿軍を務めるのは板垣信方の嫡男・板垣信憲隊五百。
小笠原・長尾連合軍の追撃は激しく数を減らしながらも着実に後ろに後退していった。
平倉城に辿り着いた板垣隊は五十にも満たずどの者も返り血をつけたり自ら血を流している様であった。
「板垣殿よくぞご無事で」
虎昌は倒れそうになる信憲を支える。
「すまぬ飯富殿」
「これしきの事問題はござらん。しかし追撃は…」
「かなりのしつこさだったが凌いだ」
「小笠原も信濃の守護職という立場だから必死になるのは当たり前、むしろこの程度で終わったと思えば楽な方だ板垣殿」
「確かに、それで太郎様はいかに?」
「全くかすり傷は見当たらないが、戦の恐怖を知ってからか妙に怯えておる」
「無理もなかろう。初陣でお味方が総崩れで死にものぐるいで逃げてきたので有れば致し方ない」
「この恐怖で戦に出ないと言われると我々が困るが……」
「悩ましいな……」
「そうですな、板垣殿は早々にお休みに。城の守りはこの虎昌が引き受けましょうぞ」
「かたじけない」
信憲は虎昌に軽く頭を下げ家臣に体を半分預け負傷している右足を引きずりながら城内に入って行くのであった。
天文17年(1548)7月8日
信濃国 佐久郡 小諸城
小笠原・長尾連合軍に武田太郎改め武田義信率いる武田軍は根知城攻略戦は小笠原・長尾連合軍の圧勝で幕を閉じた。これにより北信濃の国衆、豪族たちの一部が離反する結果となり国内外にこの結果が知れ渡ったのである。当然、甲斐国にいる父、武田晴信は直ちに弟の武田信廉に三千の兵を預け深志城に向かわせたのだった。
当然、小諸城に自らの居城を構えている弟の武田信之の元にも良信の敗戦報告の知らせがいち早く入ってきていた。
「負けたか…。これで小笠原や武田に不満を持つ者は勢いづくか…。それに長尾まで出てきたか。戦うのは避けようとしていたがどうやら、あちらはやる気のようだな」
兄の良信に対して何をしてるんだと呆れた口調で言葉を発する。
「甘利殿や板垣殿がいたおかげで何とか撤退は出来たものの、しかしながら初鹿野伝右衛門様、甘利信益殿、今井信元、今井信隣、今井信員殿がお討ち死になされました」
側に控えていた千代女がそう告げる。
「そうか、残念なことをした。ここで死ぬはずは無い者たちが死んでしまったか…。そうか後で備前守(信益の父である甘利虎泰)に謝らなくてはな…。子に先に行かせてしまった事を…。父上は信廉叔父上の三千を深志城に送ったのか…ふむ、深志城まで落とされれば北信濃は危うくなるか…。千代女」
「はい」
「すまないが幸隆殿に至急、深志城に二千の兵を連れて向かってくれと伝えてくれ」
「承知しました」
千代女に深志城に援軍をと幸隆に伝言を託し自らも出陣の用意をする。
「皆の者出陣の準備をせよ!源四郎、源五郎、昌祐、祐長に伝えよ!手勢を率いて小諸に参陣せよ越後、飯山城へと進軍すると、信房、それと業正にはその間、北条に睨みを効かせよと!」
「「「はっ‼︎」」」
信之は小姓にそう伝え即座に部屋を後にするのだった。
信之が出陣の声をあげ砥石城から真田幸隆率いる二千が深志城へ向かって出陣。信之も即座に三千の兵を連れ小諸城を出陣。信房は業正と共にに北条に睨みを効かせるために残り、それ以外の者たちは即座に手勢を纏めると越後方面へと続々と出陣するのだった。
誤字脱字ですありましたらご報告ください。
ブックマーク、評価などして頂けると幸いです。




