転生②
天文12年1月10日(1543)
◾️甲斐国 山梨郡 古府中 躑躅ヶ崎館
「誰か!三郎が三郎が!」
躑躅ヶ崎館の一室で女性の叫び声が響き渡る。
叫び声を聞き、偶然近くにいた者がドタバタと走ってくる音が聞こえてきた。
「奥方様、禰々様どうかなされましたか!!ご無礼失礼いたしまする。先程悲鳴がありましたがどうかなさいましたか!?」
年齢的に20代後半から30代前半ぐらいの男性と供回りを何人かつれて慌てて部屋に入ってきた。
「か…景政殿!三郎が…私の可愛い三郎が部屋の隅へ移動していたのです!どうしましょう、どうしましょう…。この部屋には誰も居ないはずなのに…」
慌てて赤ん坊を抱き抱えて女性が先程まで寝転がっていた部屋の隅を指で指し示す。
景政と呼ばれた男性と供回りたちは一度指し示された部屋の隅の方へ顔を向け、天井や部屋の外に視線を向ける。暫く敵の間者がいないか調べたがいた形跡もないのでひと段落がついた。
「奥方様、落ち着きなされ。確認したところ間者のいた痕跡はありませぬ。それとここの警備は外からも内からもしっかりとしていますので敵によるものでは無いかと…。恐らく寝返りをしただけだと思われまする。ご心配する必要は無いかと」
景政は話しながら笑顔で赤ん坊へと顔を向ける。景政の言葉に赤ん坊を抱き抱えていた女性は納得したように安心したのか軽くため息をついた。
「安心しました…。私の早とちりでしたか。もしや間者が近くにいたと勘違いをしてしまいました。三郎、騒いでしまってごめんなさいね」
三郎を敷いてある布のような布団に寝かせ頭を優しく撫でる。しかし女性はまだ景政の言葉を聞いてもどこか不安そうな顔をしている。
ごめんなさい。俺が動いたせいで大騒ぎになるとは。今度からは考えて動かなければいけない。
謝罪のつもりで仕方がない。
騒ぎとなった原因をやりますか!
「あーう〜あっ!(よーし〜必殺!)」
ゴロゴロ…
ゴロゴロゴロ…
ゴロゴロゴロゴロ…
目が回るので勢いを殺しながら景政がいる方へ突き進む。
「なるほど…。寝返りがお上手でお元気ですなぁ三郎様は!」
景政は愉快に笑う。
「確かに寝返りがお上手ですね」
三郎様と様付けされることはこの景政と言う人は家臣なのだろう。気になったのでとりあえず鑑定をしてみるか…
「あぅあ(鑑定)」
鑑定結果▼
・教来石景政(馬場信房→信春)ーー
忠実:1515~1575年 :三郎の傅役
【異名・不死身の鬼美濃。武田四天王、武田二十四将の1人。甲陽軍鑑には逸話が数多く記されており、教来石氏時代に足軽大将の山本勘助から城取(築城術)を教授された。深志城(後の松本城)、牧之島城、江尻城、諏訪原城、田中城、小山城など各地(特に東海道方面に多かった)の武田方の支城を築城したとされており、後代には築城の名手とも評されている。江戸時代後期に編纂された『甲斐国志』には「智勇常に諸将に冠たり」と記してあり、一国の太守になれる器量人であると評されている。しかしながら高坂、内藤、山県は20代で100騎持ち、40代で300騎持ちなどに出世しているが、信春は44歳にしてようやく120騎持ちと出世は遅れている、苦労人】
おっ!四天王の馬場信春か、しかも俺の傅役。説明を見たが一言で言えばこの人は文句無しの名将だ。武田3代(信虎、信玄、勝頼)に仕えた40数年の間に、70回を越える戦闘に参加したが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったというので本多忠勝並みに強いのだが、それに似合わず出世が遅れており他の四天王より苦労していると思うと可哀想で仕方がないの俺の傅役となったからには出世させなくては。最低でも一国はあげたい。
ゴロゴロ…
ゴロゴロゴロ…
ゴロゴロゴロゴロ…
また女性の方へと転がる三郎。
「あら?あらあら、寝返りがお上手ですね三郎。しかし余り寝返りを打つと気持ち悪くなりますよ?」
女性に笑われてしまった。女性はそう言うと三郎の小さな身体を抱き抱えて布団に戻されたのだった。
女性に言われた通りに気持ち悪くなり暫く動く事が出来なかったのは別の話し。
天文12年1月10日(1543)
■甲斐国 山梨群 躑躅ヶ崎館
さて寝返りはこれぐらいにして、心を落ち着けて現状把握だ。
俺は出来る限りの寝返りで部屋をもう一度見渡したのだが、結論から言うと何も無い。あるとしたら俺が寝てるこの硬い布団、部屋の隅には座布団が3枚ほど、そして消えた金色のコントローラー(笑)
何とも、貧相な部屋である。ここは監獄か何かか?
つまり俺は囚人というわけか…!
転生したが、前世の記憶もある。名前だけは覚え出せないが…。
まず戦国時代に来てやる事は身体を鍛えていかないと10年後には仏様になってしまう。それとこの記憶、いや知識を活かして生き残る事が出来るかどうかだ。その知識を活かして忠実通りの歴史にするか、それとも歴史を変えるか、その2つしかない。前者は愚策だ。
まず俺が死ぬ!
歴史を変える方向でこの時代を生き抜くしかない。出来れば自分の名前が教科書などに残る活躍が出来ればいいと思う。
「失礼いたします」
そんな言葉とともに部屋に誰かがはいってきた。声からしてこの前の女性の人だ。
「三郎、お元気にしていましたか?クスッ、あらあら、布団からこんなに離れてまた寝返りですか?」
女性に笑われてしまった。
それもそのはず、寝返りばかりして部屋を見ていたのでかなり遠い位置にいる。
女性はそう言うと三郎の小さな身体を抱き抱えて布団に戻す。
「スクスク育って太郎を補佐するんですよ?信繁殿のようにね」
金太郎さん…ではなく、兄上である太郎、後の武田義信かぁ。父、信玄に対して謀反起こそうとした人を補佐するのか…。余り気が進まない。
おっと!いけないいけない。今まで忘れていたがこの女性を調べなければ。寝返りをして女性の方を向き鑑定する。
ーーーーーー三条頼子ーー
忠実:1521〜1570年
【左大臣・転法輪三条公頼の次女。姉は室町幕府・管領細川晴元の室である三条公子。妹は本願寺顕如の室である三条香子。三条夫人の名前で知られる。武田信玄の継室。子供に武田義信、海野信親、武田信之、黄梅院、見性院がいる。】
この方がこちらの時代の母か、喋れるようになったら母上と呼ぼう。
さてここで俺が生まれた武田家について話しをしよう。武田氏、よっぽどの事がない限り知らない人はいないくらい有名である。そう武田信玄。信玄の登場により知名度はかなりのものだと思う。現代に置いても信玄の名前を使った食べ物やお土産等が沢山あり、山梨県の象徴と言っても過言では無いと思う。
武田信玄は越後の龍、軍神上杉謙信、海道一の弓取り今川義元、相模の獅子北条氏康といった名将
天下人織田信長、と互角に渡り合い、領国を守った。それに俺は山梨で生まれたので甲斐国、現在の山梨県を中心に強くなっていったというのが嬉しい。
武田氏は四方を山々に囲まれた山国であり甲斐国、現在は山梨県であり北と東は関東山地であり2千メートル級の山々が連なっている。そして西には白根北岳を最高峰とする南アルプス、赤石山脈が南北に横たわっており、南には富士山もある。そんな山々に囲まれた甲府盆地には釜無川、笛吹川、御勅使川みだい、荒川などの川がある扇状地が特徴であるが決して豊かな国ではなかった。
江戸時代前期の石高(米の量)は約24万石なので、武田信玄が治めていた時代は20万石以下で甲斐国は貧国なのだ。
そんな甲斐国を治めてきた守護大名、武田氏。歴史は古く河内源氏の一門の源義光始祖とする名門甲斐源氏である。
その本拠地が甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館 城主(山梨県甲府市)が武田信玄を筆頭にキラ星の如く優れた家臣たちがいたので、甲斐国、信濃国、駿河国、上野国西側、飛騨国や遠江国、美濃国、三河国の一部を領有するまでに至り京へ上洛しようとした信玄は次々と三河遠江にある徳川家康の徳川方の城を落とし三方ヶ原の戦いで家康を圧勝したかその後持病が悪化して甲斐へ戻ろうとしたが4月12日、信濃国・駒場にて膈の病でなくなった。
まぁこれには傷が原因で亡くなった説や暗殺説があるが病死説が有力なのだが。
そのあとの信玄が死んだ武田家は滅亡の道を転げ落ちることになる。
信玄の死から2年後、後を継いだ勝頼は織田信長・徳川家康の連合軍との長篠・設楽ヶ原の戦いで大敗し重臣をたくさん無くした。
次々と徳川と織田に城を取られ、信玄が死んでから僅か9年後に天目山で滅亡したのだ。まぁ、信玄の死後言う事の聞かない家臣団を率いながら信長相手に9年間戦ったことは勝頼も無能では無かったと思う。
まあそれを止めるのが俺みたいだよね。
史実じゃあ武田信玄の三男、武田三郎信之は僅か11歳で亡くなってしまったので何も貢献でなかなかった。
これをどうにかしなくてはいけない。
でも本当は生きていて下総国の武田氏に養子に入った説もあるけど、それはまた置いといて後々、信長相手に戦うかもしれないし、その前に勢力を広げなければいけない。一つ目は信玄の弟、叔父の信繁同様、兄である義信を補佐し天下もしくは大勢力にすること。2つ目は義信を忠実同様、廃嫡し自らが武田家を継ぐ。3つ目は敵になるであろう勢力へ仕官し武田家に有利になるよう行動する。この三つが主な選択肢となるだろう。
それと越後の龍、上杉謙信と決着をつけないといけない。信濃を攻める上で長尾家、上杉家とは必然的に敵対する事は明確。川名島の戦いなど5回も必要ない。兵の損耗も激しくなるだろうし、信繁叔父上と山本勘助などの武田家を支える将がいなくなるのは出来る限り避けたい。
上杉謙信を敵にすると面倒なこと間違いなしだけど避けては通れない道だからな。
怖くて出来ないと言っている場合ではない。
そんなことを言っていたら戦国時代なんて生き抜くことは出来ない。滅亡させるのは困難な上に時間がかかるので、武田家が如何に強いか示せば簡単には攻めては来ないだろう。
それに北條氏と今川氏がいるのから油断は当然出来ない。出来れば北条氏の多摩川上流の森林資源とか今川氏の所にある鉱山の権利を早めに抑えておきたい。その為に俺の立場を利用して父上や家臣に相談して行動に移してもらわなくては…
色々とすることが多い。
とまぁ長い話しはこれぐらいにして母上はすごくきれいだった。それと、母上ともう1人の少女はやはり元気が無い。
「あぅあ(鑑定)」
・諏訪(武田)禰々ーー
忠実:1528~1543年 三郎の叔母
【諏訪頼重の正室。禰々御料人と言われる。武田信虎の三女。義信、信之、勝頼は甥。
諏訪頼重が同盟していた武田家に内密で上野の関東管領、上杉憲政と手を組んでいたため武田信玄に攻められ敗北。その後頼重が甲府に連行され自害をするとそれをあとを追うように死去した。子供に寅王丸(千代宮丸)がいる】
鑑定をしてみるとその女性は俺の叔母上、禰々さんだった。可愛い顔をしていたが、元気がなさそうだ。史実では今から1カ月後ぐらいに亡くなってしまい、父上に深い傷を残してしまうし、諏訪の統治にも影響があるかもしれない。出来る限り叔母上の死を回避しなくてはいけない。
史実では今から1カ月後ぐらいに亡くなってしまうから…