初陣、そして
第19話
・武田太郎
天文17年(1548)6月25日
■甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館
「おい!」
今誰かが呼んだ声がしたのだが…気のせいか?
信之はそのまま気にせず廊下を進む。
なんか今日は清々しい一日を過ごせそうだ。
「おい!止まれ!」
やはり声が聞こえる…。幻聴か?だとしたら俺は病気かもしれない。
「止まれと言っている!」
幻聴だと思っていた声がまさか本当だったと驚きながらも信之は振り返るとそこには少年が立っていた。
「あぁ、兄上ですか……。何か用ですか?自分は出陣の準備があるので忙しいのですが…」
「俺もな!その戦で初陣するのだ!」
「そうですか、それは良かったですねー」
信之は棒読みながらも褒める。
「それでだな!どちらが上か勝負しようじゃないか」
「嫌ですよ、めんどくさい…」
あっ!ヤベッ…声に出てしまった…
「嫌?あぁそうか、負けるのが怖くて逃げるのか?武士として情けない」
ほらね?普段から嫌味を言ってくるのに断ったりするともっと酷くなるのだ。正直うざい…。1538年生まれで12歳だ。俺より5歳年上の兄である。
「はぁ…」
・武田太郎ーー1538〜1567年
【武田信玄の嫡男。しかし後に廃嫡。史実では
1553年に室町幕府将軍の足利義藤、後の足利義輝から「義」の偏諱を貰い義信と名を変える。これは武田氏の歴代の中で始めてであり足利将軍家、清和源氏の通字でもある。1554年の佐久郡の知久氏攻めにおいて反乱を鎮め更に小諸城も降伏させている。しかし、同盟していた今川氏が衰退すると武田氏は同盟を破棄、駿河攻めを開始する。その駿河攻めに反対し父の信玄と対立し甲府東光寺に幽閉され死去した。 】
コントローラーで内容を見たのだが決して無能ではなかったのだが、真っ直ぐと言いますか正義感が強くて史実では亡くなったのだ。でもね…。本当に出陣の準備で忙しいのに話しかけてこないでよ!しかも兄上の後ろに取り巻きであろう譜代家臣たちの子供らがいるし、しかも兄上にバレないように申し訳なく頭を下げている。兄上は別として後ろにいる少年達は苦労してるのだな。弟としてなんかすまん。一応謝っとく。
「兄上、いいですか?兄上はゆくゆく、この武田家を父上から継ぐのです」
「そうだな、当然の事よ!」
「そのままでは、父上が兄上ではなく私に家督を譲られるかもしれませんよ」
「そんなはずはない。何故なら三郎より俺の方が優秀で秀でているからな。なんの心配もいらない」
駄目だ…。全くわかってないなコイツ…。この時から死亡フラグが立っているような発言ばっかりだし、なにその自信満々な態度は。喋っているだけでも嫌なのに態度まで…。
「次期当主である俺だから怖くて勝負もできないんだな?ww」
「いえ、兄上が負けて周りの者に八つ当たりをするのでその者達の為にもやりたくないです」
今までに何度も何度も勝負を仕掛けてきては負け続けその度に兄上の後ろにいる取り巻きたちに八つ当たりをするのだ。
兄上の後ろにいる取り巻きたちの表情は信之に救いを求める表情になっている。
「お…俺が、八つ当たりだと?お前たちに八つ当たりしてないよな!」
太郎が取り巻きたちの顔を見るが皆目線を逸らす。
「ほら、誰もそんな事はしていないと言っているではないか!」
いやいや誰もそんな事は言ってないし、みんな気まずそうに目線をを逸らしているじゃん!だからどこからそんな自信があるんだよ!
信之はツッコミを心の中で入れる。
「三郎、嘘をつくな!これも負けるのが嫌だから言い訳の1つなんだろう!」
こうなると、勝負しないと罵声が歯止めが効かなくなるので…。
「はぁ…。分かりましたよ兄上。では次の戦でどちらが戦功をあげるか勝負でいいですよね?」
「やっと…勝負する気になったか、絶対に負けないからな!行くぞ皆の者」
そういうと太郎は取り巻きたちを連れて来た道を引き返して行く。取り巻きたちはこちらに一礼をして太郎を追いかけるのであった。
天文17年(1548)7月5日
■信濃国 筑摩郡
深志城より北に位置しており信越の境の要の地にある根知城。そこに信濃の旧国主であった小笠原軍の旗が翻っていた。その情報を武田家は直ぐに察知、深志城に早急に先鋒の軍を出陣させた。率いるのは武田家当主・武田晴信が嫡男、武田太郎。後の武田義信である。
此度が初陣であり怖いもの知らずで意気揚々と根知城へと向かっていた。
「虎昌、此度の戦は楽勝だな!なにしろこの俺がいるからな!」
太郎は馬上から片腕を目の前に突き出して大きな声で発言する。
「太郎様、過信は行けませぬぞ。戦とは常に油断はしてはいけませぬ」
虎昌と呼ばれたのは太郎の傅役である飯富虎昌。初期の武田四天王であり家中でも指折りの猛将でもある。そんな彼が太郎を諌める。
「虎昌、何を心配することがある?この俺が初陣で負けるなどあり得ない」
「はぁ…」
「どうしたのだ、ため息などついて」
虎昌はあなたのせいですよ、と心の中で呟く。
「いえ、なんでもありません」
(お館様から頼まれて太郎様の傅役になったが…。弟君の信之様と違い、自分に自信を持ちすぎて傲慢な性格になってしまったのか…。)
虎昌は自分が太郎の傅役となった事を少しばかり後悔していた。しかしなってしまった以上今となっては仕方がない。太郎様に付き従うしかないのだが次期当主となる太郎の現状では到底無理であろうと思いながらも馬を進める。太郎と虎昌率いる武田軍6千は深志城でしばし休息を取り根知城の方角へと向かったのだった。
根知城攻略部隊
兵力・六千
大将
・武田太郎義信
副将
・飯富虎昌
・板垣信憲(板垣信方の嫡男)
将
・酒依昌光(板垣信方の次男)
・板垣信廣(板垣信方の三男)
・室住虎登
・諏訪頼満
・初鹿野伝右衛門
・浅利虎在
・浅利信種
・仁科盛康
・仁科盛政
・跡部信秋
・跡部勝忠
・穴山信友
・甘利虎泰
・甘利信益(甘利虎泰の嫡男)
・甘利信忠(甘利虎泰の次男)
・今井信元
・今井信隣
・今井信員
・今井信俊
・今井信甫
・今井虎甫
・今井信良
・今福友清
太郎率いる武田軍6千は根知城まであと少しの距離まで来た。
「太郎様、あと少しで根知城へ着きます」
虎昌が斥候からの話しを太郎に伝える。
「そうか!このまま進め!敵は少数な筈、恐るに足らず」
太郎は馬の速度を上げる。
「太郎様行けませぬ!隊が乱れてしまいます!」
虎昌や周りについていた家臣達が慌てて太郎を追いかける。虎昌の言ったとおりに隊列が徐々に乱れていく。 敵の領内で隊列が乱れれば敵が奇襲してくるのは間違えない。もし奇襲しない武将がいたらそれはそれで将では無い。
虎昌や他の重臣達が周りを警戒しながらも敵の城へ馬を走らせる太郎の背中をなおも追いかける。
(こ…このままではいかん!どうにかしなければ…)
「武田がいたぞ!」
虎昌達が危惧していたことが起こってしまった。街道の左右の森からいくつもの旗が翻っていた。
「小笠原の三階菱…。それにあれは!」
武田の将達は小笠原軍の旗と同じく翻っていたもう一つの旗印をみて驚く。
「巴が九つ……。上野の長尾…では無いな。あれは同族ではあるが今や信之様の配下、となれば越後守護代の長尾か!虎昌殿!」
虎昌と同じくこの部隊の副将である板垣信憲が馬上から槍を構えながら伝える。
「越後の長尾…。兵数も見たところこちらが少々不利のようだ…。信憲殿、ここはひとまず平倉城まで撤退してはいかがか!」
「承知した」
「だが殿軍は誰が!」
「虎昌殿は今後太郎様を立派な将にする役目があります、殿軍はこの板垣信憲が受け持ちます!」
「正気か信憲殿!?」
「勿論正気です!虎昌早く行かれよ!このままでは退路は完全に絶たれ壊滅しますぞ!」
後ろの方を槍の穂先で指す。
「とらまさぁぁぁ!のぶのりぃぃぃ!」
目元からは涙が溢れ鼻からは鼻水が垂れており口から涎も出ている情けない顔で2人を呼びながら近づいてくる若武者。そう隊を乱した張本人、武田太郎だ。
「太郎様、ここはひとまず平倉城まで撤退しましょう。このままでは壊滅してしまいます」
虎昌が太郎を慰めながらも撤退を進言する。
「あ…あぁ…そ、それで…か…構わないから早く!」
弱々しい大将を見て呆れながらも2人は目線を合わせて頷く。
「皆の者!撤退だぁぁあ!殿軍はこの板垣信憲が引き受ける!後のものは虎昌殿に続けぇぇ!」
信憲の怒号で乱れていた武田方も少しだが落ち着きを取り戻し撤退を開始する。
「さて…」
信憲は虎昌達が無事戦線を離脱したのを確認すると馬上から降りて槍を構える。その周りには主君である信憲を守る板垣隊五百。
「我こそは両職 板垣信方が嫡男、板垣信憲!ここから一歩たりとも進ませはしない!とくと甲斐の武士の恐ろしさ味合うがいい!者共かかれぇぇぇい!」
敵が虎昌の逃げた方角へ行かないように信憲は大きな声で名乗りを上げ注目を集める。それに答えて板垣隊の者達も大声で敵兵目掛けて刀、槍などをぶつける。
視点・小笠原軍
小笠原軍の大将、小笠原長時は口元をヘラヘラと綻ばしながら馬上で右手に持った扇子を左手にトンと何回も軽くぶつけながら劣勢の武田軍を眺める。
「ワッハッハッ!堂々と根知城へ行軍するなどこの長時を舐めているとしか思えないw。武田の大将はアホか?」
お腹を抑えて笑う長時、その笑いにつられて周りの家臣達も笑う。
「武田を率いている将は?」
後ろに控える家臣に問いかける。
「武田太郎という者です。情報によれば武田家当主 武田晴信の嫡男でこの戦が初陣と聞き及んでいます」
「あの甲斐山猿の嫡男か…。それにしても初陣がこの私とは、武田も舐めたことを」
長時は持っていた扇子を二つに折り投げ捨てる。
「殿、どうやら武田は撤退するようです」
「どれどれ…。本当のようだな。皆の者深追いはせずにある程度追いかけよ!」
「「はっ!」」
小笠原・長尾連合軍は武田軍への追撃を強めるのだった。
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