そう仰るなら、教養を身につけてくださいませ
初めての短編になります。
よろしくお願いします!
「私が王妃になるんです!!」
…………はい?
聞き間違い……では、無いわね。
「えっと、それはどういう……?」
目の前に座るピンク色の髪の可愛らしいご令嬢はもう一度こちらを睨み返す。
「だから! 私とアルベルト様は愛し合っているんです!! だからクララ様! さっさと身を引いてください!!」
貴族のご令嬢らしからぬ落ち着きのない口調。ここが我が屋敷のサロンでなければ、侯爵令嬢に楯突いた者として、不敬罪を問われていますわね。
「どういうことか、説明して頂いても?」
「何度言ったら分かるんですか!? 私とアルベルト様は愛し合っているのです!! だから、クララ様はアルベルト様との婚約を解消してください!」
貴重な読書時間に執事がやってきて、客だと言われ読書を中断せざるを得なくなって。
先触れもなくいきなりやってくる無礼な方はどなたかしらと思えば、苦手なタイプだと避けていたクラスメイトで。
何の話かと苛立っていたら、婚約解消をしろですって? ふざけるのもいい加減にしてくださらないかしら。
私の冷めた視線と対照的に、彼女の思考は熱くなっている。
「私とアルベルト殿下の婚約は王家と我が家の決まり事。そう簡単に覆せる訳がございません。……そもそも、子爵令嬢では少しだけ身分に不足があるのでは?」
歴代の王妃を思い浮かべても、殆どが伯爵家以上ですわね。
「愛に身分は関係ありません!!」
正義のヒロインぶるこの方は、なんともおめでたい頭をお持ちのようで……。
自然とため息をついてしまう。
……さあ、どうして差し上げましょうか。
彼女、ブラント子爵令嬢マリアはピンク色の髪に同じくピンク色の瞳を持つとても愛らしい令嬢だ。学園入学から、涙目に上目遣いのあざとい技を得意として、学園の男性たちを次々と虜にしていった。
伯爵家次男、大商人の息子、侯爵家嫡男……。
最近では、王太子殿下に狙いを定め張り付いている。
婚約者に色目を使う彼女を、当然の如く令嬢たちは嫌う。嫌がらせをされているところは何度も見かけたし、噂でも数え切れないほど聞いた。
彼女が王太子に付き纏うようになってからは、私に同情が集まり、私は全令嬢の支持を得ていた。
……あなたは誰のおかげで今、生きていると思っているのかしら。
目の前にいる彼女にそう問いかけたい。
婚約者を取られたご令嬢の中には中々の強硬策に出るものもいた。彼女を亡き者にしようとする計画は私が一生懸命説得してやめさせたというのに。
何も知らない無知で愚かな少女。
私は彼女が苦手だった。
シャゼル侯爵家の二女として生まれた私、クララ・シャゼルと第一王子、現在の王太子アルベルト様の婚約は5歳にもならない頃に決まった。
新事業が成功し莫大な富を得た侯爵家を後ろ盾にしようとしたのだ。
早い婚約だったことから、私は幼い頃から王妃教育が施された。他国の言葉を必死に覚え、難しい政治の本を読む。まだ10歳にもならない頃からヒールを履いてダンスに励み、礼儀作法は鬼の女官に叩き込まれた。
毎日半泣きになりながらも、逃げ出すことは許されなかった。走って部屋から出ようとすればたちまち大人の侍女に捕まえられる。
外で遊ぶことも許されず、年相応の可愛らしい絵本を読むことも許されず、幼い時はあまりの理不尽さに自分を呪った。
しかし、これが自分の運命なのだと悟るのはすぐだった。
諦めの境地に達したのだ。
いくら逃げても喚いても意味がない。それが分かってしまうと、ただ体力を浪費するだけの愚行だ。
それに気がついたのは9歳のある日のことだった。ベッドの中でそんな思考を巡らせた私は翌日から反抗しなくなった。
自分の感情は捨て置いて、何か神にでもなったかのように全てを客観視する。
自分の感情に蓋をして、押し殺して、微笑んだ。
虚しさもあったけれど、周りの大人たちが暴れなくなった私を嬉しそうに見つめるので、これで良いのだと思った。
言われたことをやる。私はまるで周りの人間に動かされている人形のようだった。いつでも次期王妃としての行動が求められる。国中の女性の頂点に立つため、どんな粗相もしてはいけないのだ。
初めは感じていた心苦しさや切なさも年々薄れていき、とうとう何も感じなくなった。
私はこんな女神のような性格ではなくて、本当はもっとわがままで明るい性格だったはずなのに。
子供の当たり前の楽しみも、時間も、自分自身さえ投げ捨ててきた私に、
「私が王妃になるんです!!」
ですって? 冗談の一種かしら?
『そう仰るなら、教養を身につけてくださいませ』
「はい……?」
『そう仰るなら、教養を身につけてくださいませ』
「何って言ってるんですか!?」
『そう仰るなら、教養を身につけてくださいませ』
「普通に話してください!!」
「そう仰るなら、教養を身につけてくださいませ」
「え……?」
「今のは、1回目がヤッドルッド語、2回目がシムフェ語、最後のがエリーテ語ですわ」
「……そんな、勉強ができるからって私を見下して。……酷いです」
目を潤ませる彼女に、怒りを通り越して呆れてくる。
「王妃は最低5カ国語がスラスラと話せなくてはなりません。あなたにそれはできまして?」
「できる訳ないじゃないですか!!」
「その話し方、いちいち大きな声を出さない。語尾は落ち着かせなさい。それすらできないのかしら?」
「だ、だって……」
「だって、ではありませんわ。……では、そうね……今の国内の貧困問題についてどう思われます?」
女だから政治や国内の問題について知らないなどという言い訳は、王妃には通用しないのですよ。
会議や夜会で大臣達と意見を交換する機会も数え切れないほどあること、ご存知かしら。
「そ、それは、改善しなくてはならないことです」
「ふふっ、そんなこと、3歳児でも言えましてよ。実際にどのような状況なのか、具体的な解決策は何なのか、何も考えていらっしゃらないようで…………愚かですわね」
扇子で口元を隠しながらも笑みを浮かべれば、彼女は今にも泣き出しそうな顔をする。
……まぁ、全て演技ですけれど。
「どうして……どうしてクララ様はこんな意地悪をするのですか!?」
「あら、いじめているつもりは無かったのだけれど……。そうね、なら難易度を落としましょうか。基礎の計算ですわ。14+12は?」
「……26」
「98×16は?」
「え、えっと……暗算じゃ無理に決まっているじゃないですか!! クララ様だって分からないでしょ!?」
「1568よ」
「そ、そんなの、最初から答えを知っているかもしれないじゃない!!」
「なら、あなたから問題を出して頂いてもよろしくてよ」
「覚悟してくださいね……158×623は? 流石に分から……」
「98434よ」
「えっ……」
「98434よ。答えは、合っているかしら?」
「あっと、えっと……」
「適当な数字を言ったのでしょう? 答えを知らずに人に問題を出すなんて、お話になりませんわね」
少し、頭のネジが外れているというか……はっきり言いましょう。馬鹿ですわね。
よくその口から王妃になるなどと言えたものですこと。言うからにはもう少し教養がお有りかと思っていたけれど。
「私がもともと平民だからって、そんな嫌がらせして……」
今は何の関係もないでしょう? 話の趣旨を理解できないなんて、本当に馬鹿なのね。
そもそも、あなたが元平民だなんて私が知っているはずがないじゃない。
荒れ狂う心を、我が家の使用人が入れてくれた紅茶で鎮める。
……これがないとやってられないわ。
殿方から見たら、守ってあげたいと思ってしまうのかしら。
嘘泣きにしては高度な技術で、それだけは感心する。
「そろそろお帰りくださらない? 私、あなたほど暇ではないのよ」
あなたのような子爵令嬢にかまっている暇は無いの。
彼女は嘘泣きをやめ、こちらを睨みつけてきた。
「こんな方が未来の国母だなんて良いわけありません!! やっぱり、私がなるべきです!!」
………………。
無理矢理、追い出してもらおうかしら。
彼女と話していると自分まで馬鹿になりそうだわ。
それに、早く帰ってくださらないと……、時間が……。
「クララ!!」
……遅かったみたいね。
「アルベルト殿下……」
扉を開けた彼は金髪碧眼の圧倒的な美貌を誇る、そう、王太子殿下その人だった。
「あ!! アルベル……」
彼女がソファから立ち上がったのにもかかわらず、彼は気付いていないようだ。
「クララ、会いたかった……」
私が押しつぶされないように優しく抱きしめられる。一度本気で抱きしめられて、息が吸えずに酸欠になりそうになった時から、こうして手加減してくれるようになった。
「お出迎え出来ず、申し訳ありません」
「いや、それは別に良いんだ。……だけど、どうしてかな?」
「実は、お客様がいらっしゃってて……」
私は恐る恐る彼から離れて彼女の方を見る。
目を驚愕に見開かせて、身動き一つしない彼女がいた。
「……あぁ、ブラント子爵のご令嬢か……」
……名前、覚えていらっしゃらないんですね。
彼は2人きりの時以外は、公私の区別をしっかりしている。それ故、人前でイチャつくなどの愚かな行為に出たことはない。そういう常識をきちんと持っているところが私は好きだ。
しかし今、人がいるにも関わらず、私を抱きしめてしまったことに少しだけ……そう、恥ずかしがっている。勿論私も。
「クララって、ブラント家のご令嬢と親しかったっけ?」
「いえ、特には」
「なら、どういう用件?」
「用件は……ご自分が王妃になるので、私にアルベルト様の婚約者をやめなさいというお話でした」
「は……?」
……声のトーンが下がったわ。怒らせてしまったかしら。
「そ、そうです! アルベルト様、クララ様のことお好きじゃないのでしょう? 私なら……私ならアルベルト様の……」
「いや、待て。そこがおかしい。俺はクララを愛している」
2人きりの時でも愛していると言われると、恥ずかしいのだけれど、人に宣言するのはその何倍も恥ずかしいですわね。
頬が赤くなるのを感じて、それはまたそれで恥ずかしい。
……それにしても、先程の抱擁を見ておきながら、仲が悪いなんて……。どうやったらそう思えるのかしら。
「だって! クララ様といると辛いって」
「あぁ、クララが美しすぎて辛い」
「っ、クララ様のこと悪魔だって!!」
「クララは無意識のうちに俺を煽るんだ。それでも可愛らしいから、本当に小悪魔だな」
……見事に撃沈。
話を聞く時は……盗み聞きかもしれませんが……きちんと聞きましょう。
「さあ、誤解が解けたところで今はクララとの貴重な時間なんだ。失礼するよ」
……誤解、誤解ね。それから、失礼してしまうのね。放っておくのね。……分かったわ。
「クララ、今日は庭園の薔薇を見に行こう。今が見頃だ」
「ええ。…………それでは、ブラント家のご令嬢の方、失礼いたしますわ」
彼の手をとり、部屋を出る。
振り返りはしなかった。後は執事が対応してくれることだろう。
部屋を出れば、もやもやしていた気持ちがスカッと晴れた。
彼を隣に感じるだけで、先程の客への対応の疲労も消え失せてしまった。
「ん? 何か良いことあった?」
「いいえ、…………いえ、はい」
「どっちだよ」
王太子の仮面を捨てて、彼の本当の姿が見えるこの瞬間が大好きだ。私だけの特権であるということも嬉しい。
「今日、アルと会えて、話して、こうして触れていることが幸せなのです」
私が私でいられるのは、あなたの隣にいる時だけですもの。
お読みくださり、ありがとうございました!!