まさか幼馴染みに勉強を教わる日が来ようとは……。
「ヤヴァイ……さっぱり分からん」
俺は数学の教科書をめくり、とても日本語で書かれているとは思えない文章に難色を示していた。
「え?どこどこ?」
茜がクローゼットから勢い良く飛び出し、俺の背中に両手を置いた。
「最初から」
何故茜が居るかとかのツッコミはしない。するだけ無駄だからだ。
「よし、それじゃあ今日はヒロ君の家庭教師になっちゃおうかな?」
茜は恐らく三角形のエア眼鏡を上げる仕草をし、机に向かう俺の隣へと立った。
「ここにヒロ君のXを入れて……上手♡……ほら、出来ちゃった!」
何か誤解を招きそうな言い方だが、とりあえず最初の躓きは何とか解消できそうだ。
「茜って何気に勉強出来るんだな」
「ちゃんと脳にも栄養がイッてるからね!」
茜は唯でさえ大きい胸を張り、エッヘンとポーズを決めた。
よく考えたらスタイルは良いし勉強は出来るし、実はハイスペックなのでは無いか?と言う疑問が頭を過る。しかしそれを上回る料理の下手さと愛情表現の歪みで全てをぶち壊している。
「ヒロ君勉強疲れたでしょ。どうする?1回する?」
「何をだ!?」
俺のストライプシャツのボタンを外しに掛かる茜の手を払いのけ教科書へと向き直した。
「ヒロ君になら私の初めてセットをあげても良いんだぞっ♡」
茜の目にハートマークが浮かぶのをひしひしと感じる。ダメだ、何か変なスイッチが入りやがったぞ……。
「今日は大丈夫な日だからあんしんして♪」
俺のベッドに寝転がりスイカップをよせる茜。正直そこだけ見ればクソエロい。俺の妖怪センサーが怒髪天である。
<お!?子作りか?>
<次は歩美タンともやれよ!俺が許すからよ!>
「茜よ、その手には乗らんぞ。俺は完全な安全日なんか無いことを授業で習ったからな!!」
問題はそこでは無いが、とりあえず茜の鼻っ柱をへし折っておこう……。
「ちっ!!あのハゲクソ眼鏡デブ陰金ハゲババァめ、余計な事をヒロ君に教えやがって……」
言いたい放題の茜だが、保健体育の先生は普通のオッサンです。まあ、ハゲと眼鏡とデブは合ってるけどね……。
「なぁ、茜よ」
「ん?なぁにヒロ君♡する気になった?」
「今まで聞いたこと無かったが、何がお前をそこまで駆り立てるんだ?」
茜は、すっとベッドへ座り潤んだ瞳で俺を見つめる…………
「私ね、子どもの頃から友達が居なかった……。一緒に遊んでも仲良くなれなくて、学校行き始めたらきっと友達も出来るんだろうなって、思ってたけど……皆余所余所しくて…………でもヒロ君だけは変わらず普通に接してくれた」
(小さい頃から茜の手料理で皆が死にまくってたのは、俺も鮮明に覚えている)
「中学生になって、この体が大人になるにつれて男子の見る目が変わったわ……。汚くて嫌らしい目、体しか見ていない。女子には色目使ってるって言われて、皆に嫌われてた。何回も告白されたけど、誰とも付き合う気にはなれなかった……。あの頃はお父さんが亡くなって、余計に荒んでた」
<茜…………>
「でも、そんな私を救ってくれたのはヒロ君だった」
「俺は何もしてないぞ?」
「ヒロ君は小さな時から変わらない。ずっとありのままの私を見ていてくれた。この人ならありのままの私を見せても大丈夫だ……って思ったの。だから私…………」
茜の眼には涙が溜まっており、もはや心のダムは決壊寸前だろう……。
「ヒロ君が居ないとダメ……!!自分が保てないの!!」
遂に茜は泣き出してしまった。
俺には何だか良く分からない理屈だが、本人がそう思うならそうなのだろう……。
……決してふざけている場合では無いのは承知している。だが俺は茜が出て来たクローゼットの反対側の扉を静かに開けた。
すると、そこにはひっそりと佇む歩美の姿があった。
「しーっ……先輩今だけは茜さんを抱きしめてあげて下さい」
歩美はクローゼットを静かに閉めた。
<歩美タン……>
<何とも出来た娘じゃないか……>
俺は………………どうしたらいい
その答えは、俺の中にしか無い
誰かに決めて貰うことでは無い
それでも俺は……茜を抱きしめる事は出来なかった
俺はベッドに腰掛けると、茜の頭を軽く撫でる。
「ヒロくーーーん!!」
茜が俺のシャツに顔を埋めた。
「うえーん!!ズビッ!スビビビビ!!チーーーン!!」
「おい!俺のシャツで鼻をかむな!」
俺は茜の顔を引き剥がす。茜の鼻水がベットリとついたシャツは煌びやかな光を放っている。
「ごめん、洗って返すから……」
と、マジシャンもビックリの早業で俺のシャツを脱がし、逃げる様に部屋から去って行った。
<良かったのかヒロ君……>
「分からん…………が俺の本心でもある」
<じゃあやっぱり歩美タンと……!!>
「さてな……」
俺は再びクローゼットを開けると、そこにはもう歩美の姿は無かった……。
「どうなってんだ俺の家は……」
ベッドに残された涙の跡は、俺の心をポッカリと空白にしていった。




