一話
いつの間にか、まどろんでいたらしく、近江さんの呼びかけで覚醒した。
手水を済ませ、支度する。
「こちらをお召しになってくださいませ」
近江さんが用意してくれた本日の小狩衣は、表が菜種・裏が萌黄の『菖蒲重』だった。
たんぽぽの色を濃くしたような菜種色の着物の袖口から、裏地の萌黄色がちらりと見える。
色あわせなどすべて近江さんに任せているが、その美的感覚にはいつも感服する。私にわかるのは明るい色合いということだけなのが、少しせつない。
朱の単を着て紫の指貫を履き、黄柳の小狩衣を纏って──
近江さんの輝く瞳を見ていると、着せ替え人形のような気持ちになる時がある。……この顔ならば、いろいろと着せてみたくなるのも理解はできるが。
支度が済むと、与えられている私室から御簾をくぐり、皆で朝餉を頂く広間へと向かう。
庇の間を通れば、朝日に映える庭が目に入る。
庭師さんが精魂込めて手入れをしてくれるので、塵ひとつ落ちていない光景が清々しい。
後でお礼に参ろう。
庭師さんには「やめてくだされ」などと言われそうだが、これが私なので──ん?
(……そうか……)
私は前世を思い出しても〝私〟だったか。
なんとなくもやもやしていたのがすっきりしたので、やはり後でお礼に参ろう。
✽ ✽ ✽
この世界は、歴史上の平安時代とは少し異なるようだ。
家の構造は、寝殿造に基づく書院造との融合住宅といえるだろうか。従来の寝殿造より、個人空間を意識した造りとなっている。
隣部屋との空間を仕切るのは、几帳ではなく塗り壁。しかも、防火壁らしい。
建坪だけでも相当なので、火事に備えて少しでも燃焼を防ぐためだろう。
几帳は室内装飾として使われるのがほとんどである。
住まいは、父上と正室・正室の子が住む寝殿を主体とし、東西北に向かって伸びる渡殿の先に対屋がある。
対屋には、側室の御三方がそれぞれの子──つまり、私の異母兄弟と暮らしていらっしゃる。
また、それぞれの対屋で仕えてくれる女房さんたちにも、ひとり一部屋づつある。
我が家は特殊で、就寝以外は寝殿の広間に集う。
学問は別室で行うが、武芸は庭で行うことが多いので、おはようからおやすみまで、ほぼ一緒にいるのだ。
家族仲が良いゆえにできることだろう。ただし、乳飲み子のうちは、それぞれの対屋で過ごす。
元服なさっている義兄上たちは、きちんと出仕をなさっている。自宅警備員ではないので、安心して頂きたい……と、どなたに申し上げているのだろうか、私は。
手水:手や顔などを水で清めること。
小狩衣:子ども用の狩衣。裾の後ろが前よりも短く、半尻とも呼ばれました。
単:裏地をつけない着物。1180年頃に肌小袖が発明されるまでは、単が肌着でした。
指貫:裾をくくることができるように紐を通した袴。
庇の間:廊下。
渡殿:渡り廊下。
対屋:別棟。
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