四話
「……よし……っ!」
腿の上で握った手に力を込め、気合いを入れる鶴千代殿。強い決意が目に現れ、生き生きとした〝気〟に満ちている。
私は己が10歳であることを忘れ、親のような心持ちで見守っていた。
それから間もなく、頃合いを見計らったかのように兵衛府の方がいらした。鶴千代殿が名を呼ばれる。
「鬼武者殿、このご恩は忘れません」
「瑣末なことゆえ、お気になさいませんよう。鶴千代殿のご活躍を、ご祈念申し上げます」
互いに礼をする。
鶴千代殿は立ち上がり、使者の方と退出していった。
鶴千代殿の姿が見えなくなるまでその場で見送ると、私は瞑想を始める──ことはできなかった。
主殿寮の方がいらしたのだ。
私は他の方々に礼をし、控えの間を辞した。
お迎えに来てくださったのは、史生の小槻広房殿だった。主殿寮長官を兼任なさっている正五位下・左大史、永業殿のご子息だそうだ。
4名のみの史生が一人抜けたら、業務が滞るのでは……と心配になったが、どうやら広房殿が直属の上司となられるらしい。
「主殿寮までは距離がありますから、その間に説明したほうが合理的でしょう」
「お手数をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ」
理知的な顔立ちの18歳は、年齢よりも大人に見える。算術を得意とする家系の方で、官位はまだないものの、管理業務の主力を担っていらっしゃる。
ご先祖の奉親殿が、長徳元年に外従五位下・左大史となられたのを初めとし、代々にわたって左大史を務められた功績により「官務家」と称されている。以来、太政官の記録・文書の伝領保存という重要な任に就いていらっしゃるとのこと。
「主殿寮は茶園の西にあります。達智門がすぐ傍にありますから、場所は覚えやすいでしょう」
大内裏は東西に384丈、南北に460丈にも広がり、移動するのも一苦労だ。
謁見の間、控えの間がある内裏は中心からやや東に、主殿寮は北東のほぼ隅に位置する。距離にして165丈。私の足に合わせて頂いているので、四半刻の半分はかかるだろうか。
こちらでは、よほどのことがなければ〝急歩〟は使わない。通常は〝平歩〟、儀式の際には〝緩歩〟を使うこともある。歩行も作法のうちなのだ。
「業務内容はどの程度ご存知ですか?」
「主に、内裏の施設管理と消耗品の管理・供給と伺っております」
「簡潔でよいですね。では、少し詳しく説明しましょう」
広房殿は少し間を置かれた。
「我々の職務は、行幸の際に御輿や蓋などの管理をします。供奉は、実務担当の殿部40名の仕事です」
土を踏むわずかな音の上に、清廉なお声が重なる。
「内裏では、帷帳の設営は殿部、御上の御湯殿に湯を沸かし運ぶのは釜殿、宮中の庭掃除・火番・薪炭の調達などの雑事は今良が担当しています。今良は男が141人、女が226人いますので、直接の指導役は駈使丁80名に担当させています」
書物を読み上げるように滑らかなご講義は、美しい調べのようにも聞こえる。大学寮にて教鞭をとられたら、良い師となられるに相違ない。
「後宮は男子禁制の場ですから女孺に油や蝋の管理を、それ以外の場所は駈使丁に管理をさせています。それらをひとつの書簡にまとめるのが、頭、助、允、大属・少属の上官6名と、事務官である我々4名の史生及び20名の使部です。上官の雑務は直丁2名に、我々の雑務は仕丁25名に任せています」
最後まで、一流アナウンサーのごとく無駄も淀みもなかった。たくさんの情報が一度に入って来たにも関わらず、しっかり記憶できたのは、広房殿の巧みなご説明と、この体の性能が良い相乗効果を生んだゆえだろう。
「こちらが、主殿寮です」
広房殿が足を止められ、門を手で示された。
計算したように──いや、計算なさったのだろう。何でもないことのように行動なさる広房殿に感銘を受けた私は、無意識に拝礼にて、敬服の意を表していた。
「精一杯努めますので、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます」
貢献とまでは行かずとも、せめてお荷物にはならぬようにせねば。
私は深々と頭をさげた。
史生:公文書の清書や書き写しなどを行う事務官。
左大史:上位の命を受けて公文書の記録・作成・内容の吟味をする太上官の職。
行幸:天皇の外出。
御輿:天皇の乗り物。
蓋:絹を張った長い柄の傘。貴人が外出の際、後ろから差しかざすものです。
供奉:行幸行列に加わるお供。
殿部:宮中の食事・灯火・清掃などの雑役に従った伴部。
伴部:古代の伴造を継承したもの。「伴」=君主に奉仕する「造」=集団です。下級役人として配属され、非常勤の交代制でした。
御上:天皇。
今良:8世紀に解放された官奴婢が良民となった際に、新たに与えられた隸属身分。
駈使丁:諸国から集められ、中央諸官庁で野外での力仕事などの雑役に従事した男子。
女孺:雑事担当の女官。
使部:官庁の雑役に従事した下級役人。
直丁:諸国から集められ、中央諸官丁の野外労役以外の雑役に従事した者。
仕丁:諸国から集められ、中央諸官庁の雑役に従事した者。文官の雑務から、造営事業の労力源まで、幅広く配置されました。
小槻広房の年齢について:生年未詳とされています。よって、12歳で元服を前提とし、官歴と没年から推測した年齢としております。
※敬称略
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