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【5万pv】ありあけの月 小話集【感謝申し上げます】  作者: 香居
新たな糸を結ぶ ──保元元年(1156)長月

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四話




「……よし……っ!」


 腿の上で握った手に力を込め、気合いを入れる鶴千代殿。強い決意が目に現れ、生き生きとした〝気〟に満ちている。

 私は己が10歳であることを忘れ、親のような心持ちで見守っていた。


 それから間もなく、頃合いを見計らったかのように兵衛府の方がいらした。鶴千代殿が名を呼ばれる。


「鬼武者殿、このご恩は忘れません」

「瑣末なことゆえ、お気になさいませんよう。鶴千代殿のご活躍を、ご祈念申し上げます」


 互いに礼をする。

 鶴千代殿は立ち上がり、使者の方と退出していった。


 鶴千代殿の姿が見えなくなるまでその場で見送ると、私は瞑想を始める──ことはできなかった。

 主殿寮の方がいらしたのだ。

 私は他の方々に礼をし、控えの間を辞した。


 お迎えに来てくださったのは、史生(ししょう)小槻広房(おづきのひろふさ)殿だった。主殿寮長官を兼任なさっている正五位下・左大史(たいし)永業(ながなり)殿のご子息だそうだ。

 4名のみの史生が一人抜けたら、業務が滞るのでは……と心配になったが、どうやら広房殿が直属の上司となられるらしい。


「主殿寮までは距離がありますから、その間に説明したほうが合理的でしょう」

「お手数をおかけしますが、よろしくお願い申し上げます」

「こちらこそ」


 理知的な顔立ちの18歳は、年齢よりも大人に見える。算術を得意とする家系の方で、官位はまだないものの、管理業務の主力を担っていらっしゃる。

 ご先祖の奉親(ともちか)殿が、長徳元年(995)に外従五位下・左大史となられたのを初めとし、代々にわたって左大史を務められた功績により「官務家」と称されている。以来、太政官の記録・文書の伝領保存という重要な任に就いていらっしゃるとのこと。


「主殿寮は茶園の西にあります。達智門(たっちもん)がすぐ傍にありますから、場所は覚えやすいでしょう」


 大内裏は東西に384丈(約1.2キロメートル)、南北に460丈(約1.4キロメートル)にも広がり、移動するのも一苦労だ。

 謁見の間、控えの間がある内裏は中心からやや東に、主殿寮は北東のほぼ隅に位置する。距離にして165丈(約500メートル)。私の足に合わせて頂いているので、四半刻の半分(15分ほど)はかかるだろうか。


 こちらでは、よほどのことがなければ〝急歩〟(一呼吸に四歩)は使わない。通常は〝平歩〟(一呼吸に二歩)、儀式の際には〝緩歩〟(一呼吸に一歩)を使うこともある。歩行も作法のうちなのだ。


「業務内容はどの程度ご存知ですか?」

「主に、内裏の施設管理と消耗品の管理・供給と伺っております」

「簡潔でよいですね。では、少し詳しく説明しましょう」


 広房殿は少し間を置かれた。


「我々の職務は、行幸(ぎょうこう)の際に御輿(みこし)(きぬがさ)などの管理をします。供奉(ぐぶ)は、実務担当の殿部(とのもり)40名の仕事です」


 土を踏むわずかな音の上に、清廉なお声が重なる。


「内裏では、帷帳(とばり)の設営は殿部、御上(おかみ)の御湯殿に湯を沸かし運ぶのは釜殿(かまどの)、宮中の庭掃除・火番・薪炭の調達などの雑事は今良(こんりょう)が担当しています。今良は男が141人、女が226人いますので、直接の指導役は駈使丁(くしちょう)80名に担当させています」


 書物を読み上げるように滑らかなご講義は、美しい調べのようにも聞こえる。大学寮(学問所)にて教鞭をとられたら、良い師となられるに相違ない。


「後宮は男子禁制の場ですから女孺(にょうじゅ)に油や蝋の管理を、それ以外の場所は駈使丁に管理をさせています。それらをひとつの書簡にまとめるのが、(長官)(次官)(判官)、大属(主典)少属の上官6名と、事務官である我々4名の史生及び20名の使部(つかいべ)です。上官の雑務は直丁(じきちょう)2名に、我々の雑務は仕丁(しちょう)25名に任せています」


 最後まで、一流アナウンサーのごとく無駄も淀みもなかった。たくさんの情報が一度に入って来たにも関わらず、しっかり記憶できたのは、広房殿の巧みなご説明と、この体の性能が良い相乗効果を生んだゆえだろう。


「こちらが、主殿寮です」


 広房殿が足を止められ、門を手で示された。

 計算したように──いや、計算なさったのだろう。何でもないことのように行動なさる広房殿に感銘を受けた私は、無意識に拝礼(90度の礼)にて、敬服の意を表していた。


「精一杯努めますので、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます」


 貢献とまでは行かずとも、せめてお荷物にはならぬようにせねば。

 私は深々と頭をさげた。


史生:公文書の清書や書き写しなどを行う事務官。

左大史:上位の命を受けて公文書の記録・作成・内容の吟味をする太上官の職。

行幸:天皇の外出。

御輿:天皇の乗り物。

蓋:絹を張った長い柄の傘。貴人が外出の際、後ろから差しかざすものです。

供奉:行幸行列に加わるお供。

殿部:宮中の食事・灯火・清掃などの雑役に従った伴部(ともべ)

伴部:古代の伴造(とものみやつこ)を継承したもの。「伴」=君主に奉仕する「造」=集団です。下級役人として配属され、非常勤の交代制でした。

御上:天皇。

今良:8世紀に解放された官奴婢が良民となった際に、新たに与えられた隸属身分。

駈使丁:諸国から集められ、中央諸官庁で野外での力仕事などの雑役に従事した男子。

女孺:雑事担当の女官。

使部:官庁の雑役に従事した下級役人。

直丁:諸国から集められ、中央諸官丁の野外労役以外の雑役に従事した者。

仕丁:諸国から集められ、中央諸官庁の雑役に従事した者。文官の雑務から、造営事業の労力源まで、幅広く配置されました。


小槻広房の年齢について:生年未詳とされています。よって、12歳で元服を前提とし、官歴と没年から推測した年齢としております。


※敬称略



お読みいただき、ありがとうございます。


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