七話
未の中刻頃。庭師さんのもとへ赴き、朝のお礼がてら、お見舞いのために桜草を少々分けてもらった。
一端、近江さんに預け、今度は厨へ向かう。
広い屋敷の南から癸丑への移動は、それなりの距離がある。食後の運動には良いかもしれない。
厨では、主厨さんが小豆と南瓜の薬膳料理を作っているところだった。
その近くでは、葛湯がなめらかになるよう、厨司さんがひと手間を加えていた。
その他は各々の仕事をしているようだ。
甘い匂いが、空気の流れに乗って厨の中を移動する。
厨丁になったばかりの少年が、匂いにつられて芋を剥く手が止まっていると、主厨長さんに叱られていた。
私が訪問を告げる前に、主厨長さんが気づいてこちらに参った。
あの目配りの仕方は、見習わなければ。
「若様、ようこそお越しで。……いかがなさいました?」
30歳半ばの野性味のある大男が、きょとんとする。
……これが、〝ギャップ萌え〟というものだろうか。
「若様?」
「……あぁ、そなたの目端の利き様に感心していた」
「お褒めに預り恐縮にございます」
主厨長さんは、照れくさそうに笑った。
「主厨長。薬膳ができました」
「葛湯もです」
「わかった」
厨人たちから声がかかり、主厨長さんは顔を引き締めた。
「温石もできておりますので、少々お待ちを」
私に断りを入れて、厨の中へ入っていく。
相変わらず仕事のできる人だ。
事前に、常盤の義母上の容態と、午後お見舞いに参る旨を言づけておいたところ、この時間に間に合うよう手筈を整えてくれた。
機転が利く主厨長さんだからこその采配といえよう。
主厨長さんの最終点検を終えた料理は、頃合いを見てそれぞれのお椀に上品に盛りつけられる。
女房さんたちが受け取りに参るのも、対屋まで運ぶ時間を計算してのこと。
私たちが温かいものは温かいまま、冷たいものは冷たいまま口にできるのは、彼らの見事な連携のおかげである。
「温石をお持ちしました」
布に包まれた温石を、主厨長さんから手渡された。落とさぬよう胸に抱く。
布越しにじんわり伝わってくる温かさに、ほっとした。
早く義母上に届けて差し上げなくては。
「手間をかけた」
「とんでもない。若様が常盤の方様をお思いになってのことと、理解しておりますから。ここの連中も若様の優しさを称賛する者ばかりで、誰も面倒だなんて思ってやしませんよ」
小豆の薬膳料理は、御相伴に与らせて頂きますと笑う主厨長さん。
つまり、彼らを含め、今日の我が家のおやつになるということか。ゆえに気にするなと。
「だが、皆の仕事を増やしてしまったのは事実ゆえ。『ご苦労であった』と伝えてくれ」
「連中は耳が良いですから、もう聞こえていると思いますがね」
苦笑する主厨長さん越しに、厨人たちが頷いている。
普通の声量で話していた上に、最も遠い者で5メートルほど離れているのだが……影の者か?
思わず主厨長さんの顔を見てしまうと、いたずらっ子のようにニヤリと笑った。
「内緒ですよ?」
声をひそめるいたずらっ子の目の奥は真剣だったので。
「うむ」
私は神妙な面持ちで頷いた。
厨:厨房。
主厨:主厨長の監督のもとに、調理をする人。ここでは、第一料理人としております。
厨司:主厨長の監督のもとに、調理をする人。ここでは、第二料理人としております。
厨丁:厨の雑務をする人。
主厨長:料理長。
厨人:料理人。
温石:軽石などを熱して布に包んだもの。懐に入れるなどして、体を温めます。
忍者の表記について:ここでは『影 (の者)』または『忍び (の者)』という表記を致します。
お読み頂きありがとうございます。