序
久安三年4月8日。
私は、源義朝の三男として生を享けた。
「……ふ……」
大和撫子を具現化したような楚々とした女性、私の母上である由良御前は正室として、めでたくも無事に稚児をお産みになり、安堵の息をつかれた。
「大儀であった、由良」
「殿……」
年若い美男美女が手を取り合い、互いを慈しむように寄り添う姿は、絵巻物の一場面のようだ。
「うえっほんっ」
当家ではお馴染みのお産婆さんが「またか……」という顔で、わざとらしく咳払いをした。
「おお、すまぬな。そなたも大儀であった」
「大殿様、爽やかなお顔をなさったら許されるとお思いですかね。わしは大殿様の蒙古斑まで覚えておりますでな」
口もとの皺を深めて、にやりと笑うお産婆さん。
「それは言うでない」
幼少の頃を知られているというのは気恥ずかしく思われるらしく、父上は頬をうっすら染められた。
少年時代に戻ったような父上の姿に、お産婆さんは闊達に笑う。
ひとしきり笑って気がすんだようで、居ずまいを正すと儀礼的に三つ指をついた。
「大殿様、御方様、おめでとうございます。玉のような男の子にございます」
「誉めてつかわす」
「そなたのおかげで、お役目を務められました。礼を申します」
「もったいない御言葉にございます」
平伏したお産婆さんは父上から「面を上げよ」と言われると、先ほどまでのキリリとした雰囲気を崩した。
「ちと早くないか」
苦笑される父上。
「御方様は初産ゆえ、早うお休みになられたほうがよろしいという、わしの気遣いですがね」
何か問題でも、と言いたげな様子に「無礼者!」と怒鳴る者はここにはいない。
父上はむしろはっとなさって、慌てて母上の衾をそっと直された。
「そうであったな。大変な思いをしたのだ。ゆっくり休むがよい」
まだ汗の残る母上の髪を優しく撫でられる。
「お心遣い、ありがとう存じます」
父上に微笑まれる様相は、妻であり、またひとりの母親でもあった。
その後、時間を見計らって割って入ったお産婆さんに「さあさあ」と追い立てられ、父上は慌ただしく部屋をお出になられた。
──これが、生まれたばかりの記憶。
稚児:赤ちゃん。
衾:掛け布団。
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
本年が幸多い年でありますよう、お祈り申し上げます。