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プロメテウスの少女 ④

 自分を包んでいる空気が室内から外気へと入れ替わっていくのを少女は全身で感じていた。

 吹き込んでくる風に合わせて乱れる髪を手で押さえつけて、出口から覗ける四角い夕焼け空に胸が高鳴る。


 今の少女には塔の中で眺めていた時よりずっと身近な空に思えた。

 掴んでいたコウキのコートから手を離し、階段を急速に駆け上がる。


「転ぶなよー」

「ワフゥ」


 息を止めて走る少女の視界から、夕焼けを抑えていた四角が消えた。


 無数にひび割れた道路から生い茂る群生の花、錆び付いて点滅する事を忘れた大通りの信号に留まる野鳥。風化で剥き出しになった鉄骨を曝し、労働者がいなくなった廃墟のオフィス。


 地上から人の営みだけが消えた世界。

 かつては交通の要所で在った大通りが、死に体のままに少女を迎える。


 見渡す限りまで続く喪失の街は、地平線に沈む夕焼けを沈黙のまま受け入れ輝く。


「わっ……みてみて」


 少女が信じられないものを観た表情で、階段から上がるコウキとフウタに振り向く。


「すっごい、綺麗だね!」


 廃墟の黄昏を背に少女が満面の笑みをつくる。

 屈託の無い顔つきが夕映えに染まり、コウキの腕から背にかけて鳥肌がたった。


「無邪気に笑って……子供だなぁ」

「なによー、貴方だって声の感じからして私とそんなに変わらないでしょ」


 むくれる少女を追い越してコウキは戦闘機の墜落現場へと向かう。コウキには先ほどの少女の笑みが景色ごと頭に焼き付いて、忘れ難いものになっていた。


 ――綺麗だったな。


 胸に浮かんだ言葉を後ろの少女に伝えるのは躊躇(ためら)われた。


「こっちに大きな亀裂が在るから注意して」

「うん」


 先導するコウキの背を少女は追い掛けていく。

 度々に地面が裂けた悪路や瓦礫の小山が道になるが、少女は細身の体を駆使して器用にコウキの後ろをつかず離れずにキープする。


 フウタは少女の後ろに控えて見守りながら周囲を警戒していた。


「ねえねえ、こんな悪路を貴方は私を担いで運んでくれたの?」


 黙々と進む道中に耐えかねたのか、少女が口を開く。


「違うよ。時間が惜しいから、多少は歩き難くてもなるべく直線になる道を選んでる」

「貴方って意外とスパルタね?」

「いや、君が思ったよりちゃんと着いてこれてるし、荷物をバンダに盗られたら面倒だし。少しでも陽が出てるウチに回収は済ませたい」

「ふんふん……地下鉄を出る時から気になっていたんだけど、外の夜は危険なの?」

「俺らの体は夜向きじゃないからね、野営をする時はちゃんと隠れる場所を見つけないとっ」

「そこを降りるの!?」


 コウキが途中で途切れた道を飛び降り、高低差1mほどの地面に着地する。

 予想外の道に少女は顔を曇らせるが、コウキが少女の下で「受止めるぞ」と両手を上げてサインした。


「……変なところ触っちゃ嫌よ」

「変なところって何処? 見当たらないけど?」


 意図を汲めなかったコウキの反応に僅かに戸惑うが、直ぐに覚悟を決めて両手を上げて大仰に飛び降りる。コウキはそれを正面から抱き止める容で受け入れると、あっけなく少女を横に降ろす。


 思いの外、束の間で済んだ事に少女が瞳を白黒させるのを他所に、コウキはまだ上にいるフウタへと両腕を広げる。


「来い、フウタ]

「ワンッ」

「よっと」


 フウタが助走を付けてコウキの胸へと飛び降り、コウキは歳の離れた弟を抱っこする様に受け止めた。軽く放る動作でコウキがフウタを離すと、フウタが少女の隣へと着地する。


 少女の足元で、フウタが周りながら体を擦り付ける。


「ふふ、頑張ったね」

「励ましてるんだよ、フウタも高いところ苦手だから」

「ちょっと勇気が必要だったの! 初めてだから! 恐くなかったわよ、本当よ!?」


 少女が頬を紅葉させて何故か必死にフウタの頬を掴む。

 思いの他にフウタの頬が伸びた。


「解ったからフウタの顔から手を離して、思ったより伸びてて俺が驚いてる」

「あう……ごめんね」

「ワフウ」

「この調子でどんどん進むよ、真夜中にピクニックは御免だ」



 夕焼けが闇に落ちきりそうになった頃。

 コウキ達の視界には火煙を上げることを止めた戦闘機の残骸が見えた。


 息を乱していた少女が服の襟元をぱたつかせ、汗でうなじに張り付いたポニーテールを払う。


「ついたぁ」

「もうひと踏ん張りだ。早いとこ回収しよう」

「うん!」


 士気を高揚させる2人からフウタが無言で先を行く。

 犬耳がピンと立ち、尾を小刻みに奮い立たせた。


 少女が生温く漂う甘ったるい鉄の臭気に感づく頃、何時の間にか荷物を降ろしてショットガンを片手に構えたコウキが少女の口元に自分の手を置いた。


「……静かに」


 コウキがそっと囁くと少女は頷き、確認したコウキが手を離す。

 少女は代わりに自分の両手を口に付けた。


「グルゥゥ」


 唸るフウタの隣にコウキは屈む。バンダの男たちの死体は姿を消しており、血が引きずられた事を示しているだけだった。引きずられた跡は戦闘機の墜落によって崩された廃ビルの内部まで続いている。


 深い夕闇に遮られた剥き出しの廃墟の中で、複数の影が忙しなく蠢き弾力のある咀嚼音が中で木霊する。

 コウキはショットガンの薬室から弾を取り出すと、地下鉄の出口で自警団から貰った大型の獣用の弾――スラッグショットと呼ばれる弾を何時もの弾丸と交互に混ぜて装填し直す。


「さて……遭いたくないのに出くわしたな」


 コウキは被っていたガスマスクの暗視装置の電源を入れた。

 緑光に包まれ染まる視界の中で、蠢いていたものの姿が顕になる。


 コウキよりも二周りは大きいクマが2匹、バンダの亡骸を夢中で貪っていた。

 2匹の間にはフウタと同程度の小熊が3匹おり、じゃれながらも食事に夢中な母親からミルクを飲む。


 ――家族団欒で楽しくお食事中か……交渉してみるかな。


 コウキは足元に在った小さなコンクリート片を、夕食を楽しむクマの一団の元にワザと外して投げつける。


 食事を楽しんでいたクマの家族は飛んで来た破片に気付き、堂々としているコウキに注視する。

 黒くつぶらな双眸は、コウキの視界には反射する無数の緑光にしか映らない。


「ボアッアアア!!」


 身を貫き精神ごと逆撫でする獣の咆哮。

 一団の中でひと際に大きなクマが丸太の様にず太い二脚で立ち上がり、コウキを威嚇する。

 竦む少女のか細い悲鳴がコウキの後ろで聴こえた。


 ――迫力あるな。

 すかさずコウキがクマに見せ付けながら、頭上に掲げたショットガンの銃口を一発だけ撃ち鳴らす。

 クマの咆哮よりも控え目な音だったが鳴らされた銃声を聴いたクマは、剥き出しにしていた獰猛さを押さえ、銃撃に驚き己の足元で震える小熊たちを気遣う様に額を舐める。


 コウキはクマ達から視線を逸らさずに、戦闘機の残骸を指差す。


 威嚇をしたクマがコウキと戦闘機の残骸を交互に一度だけみやり、迷惑そうに低く唸った。

 肯定を込めてコウキはショットガンを手にしたまま両手を広げる。


「クーウゥ」

「食事中邪魔して悪いね。別のところでゆっくりしてくれ」


 クマたちが食べかけの食事を口に咥えたまま、廃墟から這い出して去って行く。

 去って行く一家の背をコウキは見届けると、隠れさせていた少女の元へ戻った。


「交渉成功だ。話がわかるクマで好かった」

「……恐かった……」


 フウタをガッチリと両手でホールドし蹲っていた少女の涙声を聴いて、コウキは脱力を伴いながらマスクの下で笑う。

 コウキが手を差し出し経たせると、少女は自分の手で涙を拭った。


「もうひと踏ん張り、だよね」

「ああ、そうだね」


 空元気で少女は戦闘機の元へ向かうと、自分が引きずり出されたコックピットによじ登ろうと苦戦する。コウキが横で足場代わりに両手を組むと、お互いに頷いて少女が踏み台にした。


 ロングパンツの上から浮き彫りになる少女の曲線美をコウキは下から見上げ、それがコックピットの中に入りきると、誰に向けるでもなく自分の行動に気付き、慌てて頭を振った。


 フウタが鼻を鳴らす。


「……言うなよ」

「ワンッ」

「どうしたの?」


 少女がコックピットの中から不思議そうに頭を出す。


「何でもないよ、そっちはどう?」

「運良く無事みたい……ここはこうして……よし! ふん、ぬー」


 少女がコクピットの座席に隠しておいた私物が詰まったリュックを懸命に引っ張る声が上から聴こえる。


「大丈夫ー? 無理そうなら代わろうかー」

「あと、少しで……やった! ――きゃ」

「おっと」


 少女の両手が勢い良くリュックを取り上げるが、つき過ぎた勢いは少女の体を大きく後ろに仰け反らせる。リュックの重量と共に少女がコクピットから転げ落ちそうになるのを、下で構えていたコウキが受止めた。


「どっか痛めてない?」

「ありがとう……痛めてはないんだけど……そこは、ちょっと……」


 コウキにリュックごと抱えられていた少女が、コウキの片手を指でつつく。

 少女の胸部を見事に掴んでいた。


「あ」


 コウキの思考が完全に停止した。

 フウタが呆れて片方の前脚で顔を隠す。


 胸を掴まれたまま降ろして貰えない少女が、かつてない程に顔を紅葉させる。


「か、固まってないで降ろしてよぉ!?」

「わっと、と、ゴメン!?」


 2人の騒ぎが一段落する頃には既に星空が広がっていた。



 ――なんか、今日は疲労感が凄いな。

 廃墟の室内で廃材を利用して焚き火を起しながら、コウキは徒労を吐き出す。

 火の番をするコウキにそっぽを向くように、少女はズタボロになったベットの上でリュックから取り出した荷物を広げていた。


 ――あれは怒ってるのかな。

 背を向けた少女が広げていく私物の殆どは、コウキが見た事の無い道具や機械らしき物体だ。

 少女は先程から小型の通信機を弄り回しており、コウキの目には風変わりなトランシーバーにしか映らない。


「うん……信号は出せてるみたいだけど……」


 四苦八苦している彼女の焦り顔に、コウキは事の推移を見守る事しか出来ない。

 今出来る事はせいぜい、夕食の缶詰を用意する事だけだ。


 荷物からランチョンミートと朝に手に入れたパンの缶詰を取り出して上蓋をめくると、ブロック塊の加工肉と特殊な包装紙に包まれたパンが現れる。


 コウキが包装紙の上を結ぶ紐を引っ張れば、袋が膨らみ熱を発した。香り立つパンの匂いに、コウキの口に涎が溢れる。フウタの尻尾がパタパタと左右に揺れ続けていた。


「食事の用意出来たよ」

「わぁ、いい匂い……貴方、本当に善い人ね」


 少女が食事の匂いに釣られて振り返ると、コウキに向けて柔和な笑みを浮かべる。

 手にしていた作業を放り出してコウキの隣に座り込んだ。


「急にかしこまってどうしたの?」

「改めてそう思ったからよ。私、貴方に命を助けられたんだって、クマさん達に遭って思い知っちゃったもの……あの男の人たち、貴方が?」

「…………」


 コウキはなにも答えずに一度だけ頷いた。

 少女は寂しげな色を紅い瞳に浮かべるが、それを瞬きの間に隠す。


「ごめんね……でも、ありがとう」

「……本当の事をいうと、あまり自分では考えないようにしてる。でも、親父だったら同じ様にしてる筈だから」

「貴方のお父さんが?」


 不意に出した父親の存在に少女が聞き返す。

 コウキは頷くと父親の事を思い返し、気恥ずかしくて笑みをマスクの下につくる。


「普段は口数が少なくて、ものを教えるのも出来るまで黙々とやらせ続ける様な人だったけど、優しくはあったかな。俺と母さんの事を大事にしてくれていたのは感じてたし、フウタの名前を決めたのも親父なんだ」

「なんだか私のお父さんに似てるかも。普段は口数が少なくて仕事ばっかりだけど、会う時は何時も遊んでくれていたもの」


 父親に対する共通点に少女は喜んで自分の足を体に寄せる。


「俺の親父はそういうの全然だったなー、狩りと武器の使い方ばっかりだ」

「教育熱心なパパだったのね」


 楽しそうな語りが焚き火で照らされた廃墟の室内に響き、丸くなっていたフウタが立ち上がり2人の傍に添う。少女がフウタの眉間と耳の間を指でくすぐると、心地良さそうに少女に体を預けた。


「そう言えばフウタやさっきのクマさん達といい、私が塔の中で知った動物たちとは違うのよね……なんて言えばいいのかしら、フウタ、貴方って結構ハッキリと意思の疎通みたいなのが出来てるわよね?」

「ワウ?」

「ああ、俺の親父も似た様なこと言ってたかな、フウタにトイレを教えるのが簡単で驚いてたよ。俺が生まれた時から世界はこんなんだったし、フウタと10年をいっしょに過ごした身としてはこいつが俺にとっての犬の基準だよ」

「うそ、貴方10歳なの!? 若々し過ぎるわよ!」

「ワヒュウン」


 フウタの年齢を知った少女が再びフウタの頬を鷲づかみする。フウタの頬がまた伸びた。


「そんな驚く事?」

「フウタの大きさだと、平均寿命は10年から15年くらいの筈よ。老犬にしては毛並みもいいし、本当なの?」

「フウタは全然弱ってないぞ。な、兄弟」

「ワンッ」

「うー……塔の中で出てた戦時下末期での話、本当だったのかしら……お爺ちゃんをちゃんと説得できればなー」


 人間換算で50歳を超えてピンピンとしているフウタを前に、少女が俯く。

 どう声をかけようかとコウキが悩むと、少女について肝心な事を知っていなかった事に気づく。


 グローブに包まれた指が少女の細肩を軽く叩いた。


「君の名前を教えてよ、そう言えば知らないままだ」

「私の名前? む…………ノゾミ、私の名前はノゾミよ」

「俺と同じで日系なんだ、驚いた」

「そうでもないでしょ、この地域は大戦時の影響でそういった街が戦前にあったらしいし」


 ノゾミは明かりが漏れないように家具で窓を塞がれた室内の壁を眺める。

「一撃必殺」の文字が擦り切れた料理店のポスターが本来の場所から落ちて黄ばみ朽ちていた。


「ノゾミは物知りだな」

「昔の事を知る事くらいしか、出来る事なかったから……あ」


 ノゾミの腹が食欲を訴え、続いてコウキの胃もその惨状を訴えた。忘れ去られていた食欲が、活動を再開し始める。


「いい加減食べようか、パンが冷めちゃう」

「うん、手拭きに丁度いい除菌シート持ってるから出すわね」


 ノゾミが荷物を取り出すと、何かに気づき思わせぶりな笑みをつくる。きめ細かい自分の手指をわきわきと動かす。


「ねえねえ、食事の時にはそれ外すわよね」

「へ……ちょっとなにを!?」


 ノゾミが問答無用でコウキのマスクをヘルメットごと鷲づかみにして、引っ張り上げた。


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