プロメテウスの少女 ③
コウキが老医師の家から出ると、人々の喧騒が一際に強くなった。
目の前に広がるのは戦前の用途とはかけ離れた地下鉄の光景。
廃線となった列車と掻き集めたスクラップで濫造された家屋群、ボロボロになってもなお使い潰そうと酷使される日用品のデコレーション。
焚き火とコンクリートの塊、鉄板で作った共用のキッチンでは母親たちがお互いに持ち込んだ食材でシチューを作り、子供たちが父親に見守られながら戦前のファミレスに置いてあるようなドリンクディスペンサーに良く似ている機械――イートシステムの蛇口から提供される、湯気の立つ橙色のペーストを色褪せた食器で受止めて行く。
「順番だからなー、慌てて落とすんじゃないぞー」
「はーい」
橙色のペーストに満たされた食器を嬉しそうに両手に抱えて、子供たちがテーブルと椅子が不揃いの食堂へ駆けて行った。この世界では有り触れた地下鉄での共同生活。夕食の時間だ。
コウキの背後で嘆息の声が漏れた。
――まあ、珍しいのか。
漏れた声の方へと、コウキが体ごと向ける。
家出少女が老人から分けて貰った女性用のアウトドアウェアに着替えた格好で、夕食の準備を眺めていた。肩まで伸びていた髪を纏めた薄い金のポニーテールが、オレンジ色の電球に染められ黄金色に照りついている。
彼女の私服では悪目立ちするだろうと、老医師が施してくれたものだ。
「悪いけど、食事は後回しにしよう。急げばその分、荷物もちゃんと回収出来るだろうし」
「あ、別にお腹が減った訳じゃないの。ただ、人がこんなに集まって共同で生活しているのを間近で見るの、初めてだから……」
「そうなのか、塔の中って随分広いんだな……それで、初めてみた感想は?」
「なんか楽しそう」
「ポジティブだ」
――是非その姿勢を維持してくれ。
内心で後を付け加えると、コウキは足元にフウタを伴い今日を終える人の波から逆行して出口を目指す。
少女も掻き分けていくコウキの背中に続き後を追う。赤い瞳が蝶を探す様に視線を体ごとせわしなく動かし目的地を見失いそうになっていた。
「……フウタ、頼む」
「アン」
コウキが少女に聞こえない声で一言頼むと、フウタが少女の足元まで進み、ぐるりと円を描いて体を少女の脚に擦りつける。
「ワウ」
「わとと、ご、ごめんね。珍しくてつい……そっちなのね」
「ハフ」
フウタの誘導に少女が歩みを止めていたコウキの元まで辿り着く。申し訳なさそうな顔をする少女を見て、コウキは頷く。
「俺も初めて地下鉄に来た時は、珍しくて仕方なかった。だから、親父と母さんにこうして貰ってた」
コウキは少女の目の前でグローブに包まれた手を差し出す。
意図を察した少女が真剣な面持ちで、差し出されたコウキの手を両手で握った。
――俺も同じ顔をしていただろうか?
曖昧になった幼い記憶の残響を掘り起こす事も出来ずに、コウキ達は出口へ向かう。
金網と廃材のバリケードに築かれ埋もれた改札口が見えてくると、銃身を切り落としたソードオフショットガンと古ぼけた小型のマシンガンをそれぞれの肩にぶら下げた見張りの男たち2人がいた。
2人とも戦前の警官服を身に着けているが、それは飽くまでも自警団としてのユニフォームである事をコウキは知っていた。社会と法は既に瓦礫の下で微睡んでいる。
小型のマシンガンをぶら下げている男が何かの作業に集中している横で、ソードオフを持った男はコウキたちに気づき手を挙げる。
「よう、今日の昼間に来たやつじゃないか。この時間から外に出るつもりか?」
「彼女が落とし物をしてね、バンダに盗られる前に見つけないと」
「命より貴重なのか? もう夕方だぞ」
「同じくらい。誰かに盗られたら、この子のお先が真っ暗――て、なにやってんの?」
コウキがソードオフの自警団と話し込んでいる横で、少女はもう1人のマシンガンをぶら下げた自警団の作業を興味深く背後から覗いていた。
「それ、昔の自働歩行セントリーガン?」
「おおう!? なんだい嬢ちゃん、藪から棒に」
背中から突然声をかけられた自警団が少女の存在に慄くと、弄り回していた物体がコウキの視界に映った。
小型犬ほどの機械仕掛けで胴と脚だけになったクモが、電池切れのオモチャになって床に突っ伏しており、自警団の男が作業していた手作り間溢れるPCの端末に節々のコードで繋がれている。胴の先から僅かに伸びるガトリングの銃身が、コウキにはへばった犬の顔にも思えた。
「もしかしてセットアップしているの? この端末も手作り? 意外と直せる物なのね、中を覗き込んでみても良い?」
「ストップストップ、そうまくし立てないでくれ」
食い下がる少女の旺盛な好奇心に押されたのか、見易い様にとマシンガンの自警団は一旦身を引くと、少女は動かないセントリーガンの目の前でしゃがみ込む。
「この前の周辺パトロール時に拾って、外観が綺麗だったから直せるんじゃないかと色々掻き集めてな。やっぱり、独学だとこれ以上は……」
「そんな事は無いわ。端末のログを見る限り、途中まで正常に動いているもの……えっと……」
経緯を説明していた自警団の男が止める間も無く、少女が端末のキーボードを、軽やかなブラインドタッチで叩き始める。突然の行動を制止させようとした男の手が途中で止まり、コウキも少女の手馴れた動作に口をつぐんだ。
ライトグリーンに発光する横文字だけで彩られたCUIの画面を眺める少女の赤い目は、淡々と文字を追い、必要に応じてキーボードから画面へとコマンドを入力していく。
ビッ、と端末が一度だけ叫ぶと、へばった犬の様に動かなくなったセントリーガンが駆動の音を吹き上げた。
自動歩行セントリーガンは左右対称8つになる脚を、バランス調整を行いながら立ち上がる。胴体後方に格納していた丸型のセンサーが展開されると、軽快に1回転してコウキたちを確認した。
「Bi……pi オハヨウゴザイマス レモネードカ テキヲクダサイ」
「おお! 動いたぞ、こいつ!? 嬢ちゃん、一体何をしたんだい?」
「おじさんのやろうとしたことは、別に間違ってた訳じゃないの。ただこの子、難しい言葉が苦手みたいだから……簡単な言葉にして言い換えて上げたの」
「ぜんぜん解らんが助かったよ。マスタ登録はどうなってんだい?」
「鳥の赤ちゃんみたいに真っ白な状態だから、おじさんが話しかけて上げて。メンテナンスや細かい事はその子に聴けば答えてくれるから」
「よし来た! おーい解るかー、俺が直してやったんだぞー」
「アナタガマスター? コウサイヲ トウロクシマス マエヘキテクダサイ」
「はいよっ――眩し!?」
「マチガエテフラッシュモ タイテシマイマシタ ユルシテ」
背中にマシンガンをぶら下げた自警団がセントリーガンと鬼ごっこを始める様を、コウキは未だに信じられなかった。
「あれって大戦時に使われてた兵器だろ? 君……本当は幾つ?」
「フフン、残念ですけど体は立派な16歳のレディよ」
コウキの疑問に少女は容姿の好い胸を張る。フウタが慈愛の瞳で見つめていた。
「…………ごめん、見た目と言動的にもう一つくらい下だと思ってた」
「なんで謝るの?」
申し訳無さそうにしているコウキの意図が読めない少女の頭部を、手の平より大振りな長方形の箱が飛び、コウキが何食わぬ動作でキャッチする。掴んだ物を確認してみれば、ショットガンの弾薬箱だった。
大型の獣用に作られた5発の弾がギュウギュウに詰まっている。
「なんにせよ、助かった。バンダが増えてたからな、戦力が増えるのはありがたい。割に合うかは解らんが、弾を分けてやるよ」
「俺の成果じゃないけどね、弾は貰っておくよ」
「使う機会が無い幸運を祈るぜ、おいそこの1人と1機! 遊んでないでバリケードを開けるのを手伝え!」
ソードオフの自警団が、鎖と南京錠で施錠された強固な正門を解錠すると遊んでいた1人と1機が助太刀に入る。
強引にひきずられる鉄の悲鳴が空間に木霊していく中で、少女がそれとなくコウキのコートを掴んだ。
外から差し込まれる夕陽が開け放たれる正門から溢れていく。
「2人と1匹に眠った神様の幸運を!」
自警団の言葉に押されて、コウキ達は黄昏へと歩み出した。