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プロメテウスの少女 ②

 少女は腹の中をかき回された様な酩酊感と、頭に蹲る鈍痛によって意識を覚ました。


 ――きもちわるい……。


 消毒液の臭いが漂う空間に、時折生じるシーリングファンの軋む音が耳につく。

 オレンジに近い蛍光灯の明かり下、自分はどうしてこうなっているのかと状況を思い出す。


 ――お爺ちゃんとケンカして、思い切って家から飛び出して、それから…………。ああああ、私のバカ。


 長時間の口論に熱せられた頭の中で、自分はどれだけマトモに行動出来たというのだろうか。

 盗んだ戦闘機で飛び出し自動操縦に任せたまま、急なアラームが発生した所までは覚えている。


 そこから先の意識がどうにも不明瞭だった。

 墜落したコクピットの中で誰かに引っ張り出され、気のせいでなければ銃声も耳にした筈だ。つかの間の意識で目を合わせた人物に助けられたのだろうか。


 改めて辺りを確認してみれば自分は古ぼけたベットの上。錆びた寝台に敷かれたベットシーツは糊が効いていないが最近に日干したのだろう、太陽の匂いがした。頭の痛みが幾分か治まった気になる。


「……一体何処なのかしら?」


 ベットから起き上がり、用意されていたスリッパを履く。

 赤茶けたレンガの敷き詰められた壁を区切るトタンの向こうで、人の喧騒が薄い壁一枚で聴こえて来た。


 自分には馴染みの無い生活音に憧れが揺れて、そっと耳を(そばだ)てる。


「ママ、今日はリスを捕まえたよ! 3匹も」

「あらまあ、頑張ったのね。今日はリスの煮込みにしましょう」


 子供の成果で献立を決める母親。


「お疲れさん、今日の外はどうだった?」

「野うさぎ1匹と、栽培に使えそうな人工堆肥を見つけたよ。次の収穫までにイートシステムのフィルターが持てばいいんだけどな」

「そろそろ塔から定期便が来る頃だろ」

「今度の競争には負けられないな……絶対に俺たちの物にしないと」


 次の定期便に意気込む漁り屋。


「え、今の武器と交換してこんだけ?」

「悪いな若いの。ここは今、武器より飯が足りないのさ」

「むー……じゃあこれでいいや」

「すまんな。……ほれ、食いかけのトマトでよけりゃ、オマケでやるよ」

「ありがとう、おっちゃん」

「アウッ」


 トレードの結果に渋りつつ、受け入れる少年と犬の声。


  湿った埃っぽい空気に混じりながらも、生活を営む人の声がしっかりと伝わってくる事に、彼女は自然と楽しげに瞳を閉じて笑みを作る。伝わってくる生きる為の活力が無性に嬉しかった。


「無事に眼が覚めたようだね」

「きゃい!」


 水鉄砲を不意打ちされた猫の様な悲鳴を上げて少女は振り返る。


 染みに彩られたよれよれの白衣に袖を通した細身の老人が、柔和な顔つきで色褪せたティーセットを両手に立っていた。


 老人は色褪せたティーセットをベット横のサイドテーブルに置くと、壁に畳みかけていたパイプ椅子を広げる。


「喉が渇いているだろう? こっちにおいで、お茶にしよう」

「あ、頂きます……」


 少女はせわしなく頭を下げると、ベットの方に腰掛ける。

 老人は楽しむようにカップへポットを傾けると、新緑の液体が湯気を立てて満たされていく。


 馴染みのある緑茶の香りに少女の肩に入った力が弛緩した。


「ささ、遠慮しないで飲んでおくれ。お客さんが来た時以外は、飲まないようにしてるんだ」

「それってつまり、貴重なんじゃ……」

「だから、君みたいなお嬢さんとお茶するためにとってあるのさ」


 細身の老人がしわの寄った頬で得意気に笑う。

 老人の冗談か本気か解らない少女は、照れを誤魔化すためにゆっくりとお茶を口にした。


 熱を持ったかすかな甘みの後に、香り立つ柔らかな苦みがのんびりと追うように喉を通る。緊張の糸が切れるため息が、少女の口からこぼれた。


「温かい飲み物はいいよね、自分の心を整理するチャンスをくれる」

「はい……あの、私」

「うん、君を連れて来た若者にある程度の経緯は聞いたよ。とりあえず、君に外傷が無いのはこの老いぼれ医者が確認したから大丈夫。見かけによらず、最近の子は頑丈だね」

「一応、取り柄ですから。それで、その……信じて貰えるか解らないんですけど……」

「ふむ……やっぱり、塔から?」


 老人が確認すると、少女は下を向きがちに頷く。

 少女の肯定を老人は推察通りかと頷いた。


「念のため、君が塔から出た理由と目的を教えてくれるかい?」

「本当に……その……信じて貰えるかどうか」

「言ってみてくれるかい? 塔の中が私たちとは違う常識だということくらいは、この老骨の想像力でも解るさ」

「…………いえでです」

「え、いえ……なんだい?」


 少女が一層気まずそうに瞳を泳がせた。


「家出、です……。お爺ちゃんとケンカして……その、勢いのまま……」

「家出……って、子供が家庭環境で親と喧嘩して家から飛び出したりする、あの家出?」

「はい、その家出です」


 細身の老人は言葉の意味を天井のシーリングファンを見上げながら反芻する。

 空気を溜め込んでいた袋に穴が開いたような皺枯れた笑い声が、周囲に洩れた。


「ご、ごめん……予想外過ぎてて、ふすっひっ」


 少女が恥じ入るように下を向いてしまい、老人が手つきだけで謝ってくる。


「ふふっ、急に笑い出してしまってすまないね、気が抜けて思わず。そうか家出かー……私も、昔は医者になるのが嫌で、父とはよく口論になったものだね」


 予想の外であった少女の目的に、老人は過去を懐かしむ。

 少女は皺の上に浮かべた笑窪を観て、幾つもの感情が混じっている事を不思議に思った。


 今まで経験してきたであろう人生の喜怒哀楽が全て過ぎ去り、失くした事実を穏かに浮かべる老人の顔つきは少女に尊厳を感じさせる。


 ――もし私も歳を取ったら、この人の様に複雑に笑えるのかな。


 老人は久しぶりに笑う事で痛めた頬を揉みながら、さて、と前置きをした。


「塔と連絡をとれる手段は何か在るのかい? 外は危険だから、迎えに来て貰う手段が必要だよ」

「家を飛び出す時に見繕った荷物が在るんです。その中にお父さん達と連絡出来そうな物が多分、在るはずです」

「多分……」

「家を飛び出す時、頭に血が上っていたので……すいません」


 老人は謝られても困る、という仕草で顎下を指でかく。


「どちらにせよ、荷物を取りに戦闘機が墜ちた場所まで一旦戻る必要があるね……すると、やはり誰かに取ってきて貰うか、護衛を用意しないと。最近この地域はガラが悪いのが増えてしまったようでね」

「あの、お金は使えますか? もし使えるなら、後払いで誰かにお願いしようかと」

「ん? ああ、塔の中だとお金が機能するんだね。こっちは物々交換が主でね、お金が素材以上の価値を持つことは難しいかな。塔由来の道具を1つ上げれば、十分な報酬にはなると思うけど」

「んー……戦闘機の中に生きてて私が取り出せる部品、あるかなあ」


 今後の計画を思案する2人の背後、トタンの壁と壁の間に用意した板切れのドアを不器用に叩くノックが2人の思考を中断させた。


「爺さーん。あの子の様子はどうかな?」

「アグウッウ」

「入っておいで、起きてるよ」


 ドアの蝶番が擦れる音を上げて開くと、フルフェイスのガスマスクとヘルメットで顔を隠した男と犬――コウキとフウタが部屋に上がり込む。


 老人が壁にかけているもう1つのパイプ椅子に指差すと、コウキは頷いて老人と少女の間に入り込む形で椅子を広げた。背負っていたショットガンと荷物を代わりとして壁際に下ろし、少し考える素振りを見せると、ベルトに下げていたヒップホルスターも取り外して荷物の上に置く。


 遠慮する素振りもなく、広げたパイプ椅子に座り込むと少女の方へとガスマスクの顔を突きつける。


「気分はどう? 怪我は?」

「2つとも、大丈夫ですけど……もしかして貴方が助けてくれたの?」

「そういう事になると思うよ」


 少女の赤い瞳が不思議そうにコウキの出で立ちを見渡す。

 ガスマスクとヘルメットに隠された顔、古ぼけた厚いコート下に見えるタクティカルアーマー、肘膝を護るためのサポーターと、肌を一辺も見せない徹底した装備は、緑茶で得た少女の安らぎを一気に押し潰した。


「貴方は軍人さん?」

「親父はそうだった。俺は格好だけ、というか今のご時勢に正規兵っているの?」

「ああ、ここから遠く離れたセントラル……昔、この国の中心だった所だね。そこは合同軍が頑張って規律を維持しているらしいよ。少なくとも、首都圏スレスレのここにまで手を伸ばす余力は無いみたいだけど」

「ふーん……ちょっと観たいかな、親父は昔のこと余り話してくれなかったし」

「私も気になるかも」

「……君達、本来の目的は?」


 少女が暫しの間に中断していた計画を思い出す。

 再びコウキの格好を頭から足元まで眺める。


「貴方にまた助けて貰えるかしら? 荷物を取りに戦闘機まで戻りたいの」

「荷物が在ったの? 君が入っていた場所、ざっと目を通したけどめぼしい物は見当たらなかったな」


 疑問に少女は頷くと、宙に両手で自分の座っていた椅子を描く。

 コウキは少女の手振りに要領をえないが、懸命な表情に口を挟めなかった。


「私が座っていた場所に荷物をしまっておける場所が在ってね、取り出す時に仕掛けを動かさないといけないの」

「なるほど、お宝はしっかり隠されてたわけだ」

「んー……貴方が喜ぶ物が在ったら、それを報酬にしたいのだけど…………なにか、具体的に欲しいものはある?」


 少女がジッと、紅い瞳でコウキを見つめる。


「欲しいもの、か」

「うん。私が上げられるものなら前向きに善処するから、ね」


 寝ている時は人形の様に思えた青い顔色も今や血の気が通い生気に溢れており、撫子色の小さな唇にきめ細かい人差し指が添えられた。


 何気ない少女の仕草にコウキは自分が聴かれた内容を定まらない頭で返す。


「すぐには出て来ないかな、とりあえずそこそこ貴重で、君が手放しても問題ないものをねだるよ」

「解ったわ。所で、ずっと気になっていたんだけど……」

「……アウ?」


 少女は、コウキと自分の間で待てを維持していたフウタと目を合わせた。


「……お手」


 フウタが差し出された少女の掌に前脚をのせる。


「おかわり」


 更に続けて今度は反対側に。


「ハイタッチ!」


 少女が嬉しそうに両手の平を出すと、フウタは得意気に両前脚を揃えてのせた。少女が感激の余り抱きつき、フウタも自信に満ちた顔で抱擁を受け入れる。


「すごい、すごい! 貴方、犬よね!? 私、生きてるの初めて観た!!」

「ワフッ」

「もふもふー! 意外とおもーい」


 フウタが普段は見せない締まりのない表情にコウキはマスクの下で苦笑いを浮かべた。


「……自由系だ」

「年相応ということだよ……塔のイメージが、少し変わるかな」

「ああ、やっぱり塔から来たんだ」


 老人が頷きでコウキの問いを肯定する。

 コウキが表情の見えないマスクで少女を見つめるが、彼女はフウタと触れ合うのに夢中なようだ。


「この状況に対する危機感があんなに薄いのは……ちょっと、予想外だ」

「きっと、人の悪意を知らないで育ったのさ…………昔でも、珍しかったかな」


 ――人の悪意を知らずに育つ。そんなこと、在り得るのだろうか。

 コウキが胸に生じた疑問を消化出来ずにいると、不意に少女がフウタを抱えたまま振り返った。


「まだ大切なこと言ってなかったわ――見ず知らずの私を助けてくれて、どうもありがとう御座います」


 振り返った少女の笑顔が、コウキには眩しくみえた。


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[一言] 登場人物の心境や他者から見た様子、ソレらを洒脱ななフレーズを交えながらキッチリ読者に伝える文章。 ポストアポカリプスの中にある”ちょっとした希望や良識”を感じさせるストーリーが抜群に良いです…
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